ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

さわやかに生きる

2021年10月28日 | 随筆
 長い年月を生きて来ましたが、折節に身近な人々がとても立派に見えたり懐かしく思い出させられる事があります。困難な日々を清々しく生きている人が身近に居られて、挨拶を交わして行き過ぎる時などに、過ごして来られた日々を振り返って、その辛い日々を「良く乗り越えて来られたなあ」と思わず胸を打たれる事もあります。
 奥様を若くして亡くされた方が身近に住んで居られるのですが、何年も過ぎた今も短歌や俳句を折々新聞に投稿されて、よく掲載されている人です。
 それはもう十数年前の事ですが、或る日突然救急車が来て、その方の奥様が入院されたのでした。その日胃カメラ検査をされたのだそうですが、帰宅されてから具合が悪くなられて入院されて、そのまま帰らぬ人になられたのでした。聞くところによりますと、検査の際に胃壁が破れて血液が腹腔内にあふれてしまったそうです。その病院には消化器外科もあったのですが、何故か大学病院の内科医師が駆けつけて対処されたと聞きました。何故内科医を呼ぶのか解りませんが、もし直後に緊急開腹手術をすれば助かっのではないか、と納得出来ない思いで聞いたものでした。
 ご近所のある男性が憤懣やるかたない様な強い言葉で、「助かる命であったのに」と話して居られましたし、お聞きした私達も「お気の毒だった」と悼む事しか出来なかったのでした。
 ご夫婦には子供さんが居らず、何時も仲良くお買い物にも一緒に出かけておられました。奥様が少し前を歩き、ご主人がサポートして後ろを歩くといった様子で、しばしば立ち止まって歩調を合わせながら話しを交わしつつ歩いて居られたのです。会話の途切れない温かなご夫婦でした。
 奥様を見送られて以来、その方は二階建てのご自宅にお一人で暮らしておられます。詩歌に親しむその方は、良く地方紙の「歌壇」に短歌や俳句を投稿されていて、折々選に入って作品とお名前が載っています。とても優れた作品で、私はそれを読むのが楽しくて、何時も「歌壇」の日の新聞は心待ちにしています。
 選者の先生が有る時「奥様が亡くなられて以来一層歌に深みが増した」と批評に書いておられました。お一人になられてからは、それまで以上に短歌や俳句に打ち込まれているようで、新聞掲載も増えたのです。
 冬に向かう季節になると、必ず縄を使ってその方のお庭の松の木を雪吊りされます。高い竹の先端から下がる幾筋もの縄は、まるで専門家の雪吊りよのうに美しいのです。お庭の草は日々取られるらしく、感嘆するくらいきれいに維持されています。このように清々しく生きられたら幸せだなあ、と私はしみじみ思うのです。会う度に言葉を交わしますが、何時も穏やかな笑顔です。苦労を重ねるに従って人間が磨き上げられて深みを増し、人格識見ともに優れて行くように思われます。
 誰もが「何時どのような別れが待って居るのか」解りませんが、「年老いてもこのように清々しく爽やかに生きて行けたら素晴らしい」と思うこの頃です。
 最近見た倉本聰の「風のガーデン」というドラマに感動致しました。此処に出て来る老医師(緒形拳)は在宅診療を行っている方で、自然の摂理に逆らうような治療はせず、痛みと苦しみからの解放を目的とした治療に専念する素晴らしい医師です。患者さんの臨終の場に立ち会った時「今、旅立ちの支度をして居られます」、「今、旅立たれました」と家族に告げるのです。倉本聰の死生観が滲み出ていて、私もそういう医師に看取って貰いたいと心から思いました。


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