ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

人生の帳尻

2010年12月31日 | 随筆・短歌
 今年もとうとう大つごもりを迎えています。家計簿の締めくくりをしていて、フト気が付きますと、毎日一応献立に従って買い物をしているとは言っても、実際には気分次第で買っていますのに、一年を纏めてみますと、殆ど前年と同じ食費になっているから不思議です。
 不思議と言えば、私達の人生も不思議の連続です。今こうして生きている私は、一体どこから来たのか、そしてどこへ行こうとしているのか、分かっているようで分かりません。 幼い頃は父母を見上げて、その真似をして来たように思います。ああなりたいと思ったり、反抗期には、絶対にあのようにはならないぞ、と思ったり、そして今はどうでしょう。こんなふうにして、バソコンに向かって何かしら書いている私など、かつては想像だにしなかったことです。
 そして何より、私の書く「ばあさまの独り言」を皆さんに読んで頂くなど、どうして考えられたでしょうか。間違ってどこか他の宇宙に来たような気さえします。
 けれども私は、愛する娘を私より先に送るという逆縁の悲しみを体験し、本当に絶望と悲嘆の辛い数年を過ごしたのも事実です。当時は「時間が必ず救ってくれる」などという言葉は、信じることができませんでした。けれどもそれは空虚な慰めでは決してなかったのです。やっと今になって、しばしホットした生活を取り戻したといえるでしょう。
 この年になりますと、きょうだいも近隣の人々も皆それぞれの人生に、重い荷物を背負って歩んで来ているようです。精神科医の神谷美恵子さんが「ずっと幸福な一生を送ることが出来る人は希である」といっておられましたが、知人にも「こんな幸せな人っておられるのか」と思う程何の苦労もなく過ごして来られた人が、年老いて病魔に襲われ、不自由な身体になられてしまい、痛みに苦しむ生活を強いられている方が居られます。
 病魔は老いてからやってくることが多いので、それは珍しいことではなく、似たような例を数えれば、直ぐに数本の指を折る事が出来る位です。しかし一方では、本当に苦労の連続であった人が、ようやく夫婦揃って安楽な生活が戻って、穏やかに過ごしておられるという人も居られます。これも又身の回りにけっこうおられて、我がことのようにホットした気持になります。
 考えてみますと、何処かで皆人生の帳尻が合っているようにも思えて来ます。先に苦労をする人、後で苦労をする人と様々ですが、それが人生というものなのでしょう。当たり前と言えば当たり前なのですが、「もしかしたらあの苦労があったから、今の生活に感謝出来るのではないか」とも思えてきて、苦労が大きい程豊かな人生になっているのではないかと考えたりしています。
 挫折は逞しく生きる力を育て、病気は克服した時、健康の幸せを実感させてくれます。失うことによって、もっと大切なものを得ることが出来るのだとすれば、やり直しの出来ない人生で、けっして無駄な回り道ではなかったのだと思うのです。
 一年間の家計簿を締めくくっていて、不思議と帳尻が合うことに気付いたことから、人間の一生も似ているように思えたのですが、突飛な連想だったでしょうか。
 一日一日がとても愛しく感じられて、有り難く、大切なものに思えます。痛む足でも自分の足で歩けるという幸せを私は持っています。感謝して一年の締めくくりにしたいと思います。
 振り返ってみますと、皆さまに手を引っ張っていただいたり、背中を押していただいたりして来た一年でした。ただ心に浮かぶままに書き連ねて来ただけなのですが、こんな拙い文章を読んで下さる方がいらっしゃると思うと、私はなんと幸せな人間なのだろうと感謝の気持ちで一杯です。心から深くお礼を申し上げます。
 皆さまにとっても、来年が今年よりも一層良い一年でありますように。有り難う御座いました。

足して引く進んで戻るを繰り返しそして今在ることの安らぎ(あずさ)

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果物の皮を剥く人

2010年12月26日 | 随筆・短歌
 一時期リンゴの売れ行きが落ちたそうです。その原因としてリンゴの皮を剥くのが面倒だから敬遠さている、という記事が新聞に載っていました。エッ?と思ったのですが、確かに共働きで忙しい主婦は、皮を剥くのも大変なようです。ファストフードの利用者も増えて、スーパーの店頭には調理済みのものが沢山並んでいます。
 ところが私の夫は、皮むきが好き?で、リンゴや梨の皮をせっせと剥いてくれますし、日頃から冷蔵庫の果物に目を配っていて、無くなると直ぐに何か剥いてくれますから、食後の果物の心配が無くなりました。世の中の男性で、このような人がどれ程いるのか知りませんが、まあ助かっている方だと思って感謝しています。
 私はとりわけ料理が好きな方で、最近は殆ど外食をしなくなりましたし、既製品も買いません。新聞などを切り抜いたり、テレビの料理番組を見たり、他に本も買い込みせっせと手作りを楽しみます。
 家族が「美味しい」と言って呉れればもうこの上なく幸せです。とりわけ食いしん坊の私は、食べたいものを作ることと、毎日のウォーキングとが、ストレス解消の手段として特に役立っていると言えます。
 味に厳しい家族に「これは今回限りにしよう」と言われると二度と食卓に上りません。「美味しい」となると私のレシピ集にファイルされて、折々ご登場願うことになります。ところが何十回作っていても、そのたび毎にレシピを見ないと作れないというのは、老化現象の一つだと言えますが、その代わり何時も「安定した味」になると言われ、ますますレシピ片手の料理となってしまっています。
 夫が職を退いてから、少しは料理も出来ないと万一後に残った時に困るかと、カレーから手ほどきを始めたのですが、私の作り方が手が込んでいて、「こんな面倒なことは出来ないし、教え方も悪い」と言って、とうとう何も作らなくなりました。確かに教え方にも問題があったと反省しています。
 夫が唯一独りで作るのが、里芋の煮っころがしということは、以前書いたような記憶があります。この秋、1袋100円という安さで半分乾いた栗が八百屋さんに出ていました。早速買ってきて、二日程水に浸して甘露煮にしました。栗の皮むき器は買ってあったのですが、それでもなかなか時間も掛かり、夫が手伝ってくれて助かりました。
 けれども柑橘類も大きなものになると、皮を剥いて房を取り出してやらないと食べないという人達ですから、勿論栗を茹でてもなかなかそのままでは食べてくれず、一粒一粒皮を剥いて出しますと、やっと「美味しい」となります。
 私の友達のご主人は、退職されてから、料理教室へ通われて、もう20枚もスポンジケーキを焼いてロールケーキを作られたそうで、驚くばかりです。聞くところによると、お庭の柚子を刳り抜いて、柚餅子を作って詰めたものも作られたとか、聞いただけでもお料理が得意の方のようです。良く男性の方が味などにうるさいと言われますが、私も仕上げの味は、夫にみて貰います。「もうほんの少し塩味を強く」と言われることが殆どです。塩分制限の夫の為に薄味に気を付けていますので、「良いじゃないの、この位で」と言う事もありますが、大抵は言われる通りにした方が美味しいのです。本当に割れ鍋に綴じ蓋の見本のような夫婦です。
 一寸話が変わりますが、この秋、生チョコやおはぎ、私のふる里の味、笹寿司など何回か作って、きょうだいや親しい人にあげたり、送ったりしました。100円ショップで買った箱に詰めた生チョコが、手作りかどうか分からなかったという人もいて、信州の特大リンゴに化けて戻って来たり、かえって心配をかけたと反省しています。
 我が家の小路側で、三軒隣にアパートがあるのですが、そこに独り住まいの女性がいます。思いがけず昨春立派な絵手紙の年賀状を頂いて、それが余りに美しい花の絵で、以来時折頂くその方の絵手紙を、処分するのは惜しくて残しています。「手がよく動かないので・・・」と仰るのに、手慣れた文字で、私より遥かに上手い文字です。
 その方にも時折おはぎを作ったり、生チョコなど作った時に持って行きます。とても喜んで下さって、何時も数日後に絵手紙のお礼がとどき、私達もそれを鑑賞するのが楽しみです。何しろ不自由なお身体で、我が家の横の道路を歩いてボストへ行かれるのですから、一層温かいお心が伝わって来るのです。こんなささやかな手作りに、私の込めた積もりの気持までくみ取っていただいて、本当に嬉しい日々です。

梨を剥く夫のぎこちなき手のありて愛と言はんか食後のデザート (あずさ)

独り居の三軒隣の女性より絵手紙のあり赤い寒椿 (あずさ)


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蛮声が消えて

2010年12月19日 | 随筆・短歌
 家の直ぐ近く(4軒となり)にある高校が、生徒の減少で後一年少しで閉校になると聞きました。そのせいか、最近めっきり高校生の声が聞こえなくなりました。以前はグランドでの部活の声や、体育祭間近ともなると、大きな声で応援歌を練習したり歌を歌う声で賑やかでしたが、最近はひっそりしています。
 私は近くの住民として、少し寂しい気がしています。高校生の蛮声も或る意味では逞しく、微笑ましいものでしたが、家の前をしきりに議論しながら登下校していた生徒が、いつの間にか消えて、何時通っているのか分からなくなったのです。そういえばウォーキングの折に、親に車で送ってもらう生徒の姿を良く見かけるようになって久しくなります。 我が家の前の道路は、高校の裏門につき当たり、武道館が建っています。そこからも音も声も漏れて来なくなりました。小・中学生の集団がじゃれたりしながら登校する姿も、余り見かけなくなりました。居間にいると前の道路の声が聞こえない事もありますが、何だか人数が減っただけでなく、元気がなくなったように思えてなりません。
 家族もそういいますから、これは私の耳のせいばかりではなく、矢張り子供達に元気がなくなってきているのだと思われます。もうとうに授業が始まっている時間なのに、いやいや歩いている小学生の男の子、だらしない服装でスニーカーをつっかけのように履いて、うつむき加減に通る詰め襟の高校生、何だか私までが悲しくなってくる情景です。
 近くに公園が二つもあるのに、誰も遊んでいません。ブランコは暇そうで、ベンチもアクビをしています。ご近所のお年寄りが自主的に花鉢を並べておられるので、何時もきれいな公園ですが、その機能をさっぱり果たしていないのです。
 我が家の子供達が幼かった頃は、近くにまだ田圃があったせいか、ザリガニを捕って来たり、虫取りに夢中になったり、風のように「おじゃましまーす」と徒党を組んで二階に駆け上がっかと思うと、また勢いよく駆け下りて居なくなったりしました。空き地(現在公園)では草野球が行われて、単身赴任だった夫は、休日に帰省するとよく審判役をしていました。
 あの賑やかな子供達はみんな大人になって、団地ごと年を取って行ってしまいましたが、それでも次世代の子供達が居るバズなのです。人数は半分位になりましたが、帰宅しても家に籠もって出て来ません。遊ぶのも予約が要るとか、子供部屋で遊んでいるといっても、お互いにゲーム機でピコピコしていて、会話をしたり、じゃれたり喧嘩をしたりしないのだそうです。子供らしさが消えてしまって、これで果たして健全な社会人に育つのかと心配になります。
 最近はお稽古事や塾で 遊ぶ時間の無い子が増えているとも聞きます。友達との遊びは人間形成にとても大切なものだと思っています。学校で学ぶ以外には、遊びが子供に様々な経験を積ませ、逞しい精神と優しい心を持った大人に成長していく上で大切な体験学習だと思うのです。
 蛮声も男らしさの現れだと思いますし、ある種の逞しさを覚えます。男らしい女らしいというと、最近は「古い」と言われるようですが、性別は不変であって、それぞれが補い合ってこその人生ではないかと私は信じています。この点をはき違えていると思われる言動が、時として見受けられるのが残念です。何時ものことながらこの辺にくると、私の声は一段と大きくなってくるのです。
 何回か同じようなことを書いているようです。これも老化現象の一つでしょう。気を付けます。

 サッカーに汗流したる男の子より命の発芽の湯気立ちのぼる (再掲)
 住みつきし団地も既に40年独り居空き家売り家もあり 
 巣立ちし子は次次去りて老人の住む家夕日にひっそりと建つ 
 それぞれに苦しみ抱へて生きて来し今も悩みなき家はないらし(全て実名で某誌に掲載)


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低い方に合わせたら・・・

2010年12月12日 | 随筆・短歌
 夫の極端な綺麗好きについて以前載せたことがありますが、勤めていた頃には、そうする時間も心のゆとりもなく、全ては退職してから始まりました。我が家に庭を造っていただいた時に、庭師さんが純白のサツキを石池のそばの灯籠の近くに植えて下さいました。池を挟んで反対側にはピンクが植えられましたが、白い花の方は「これは珍しい良いサツキなのですよ」と仰ったように、とても大株で毎年気品のある見事な花が咲きました。
 サツキは花が終わると同時に剪定しないと、翌年の花芽を切ることになると聞いて、私が剪定していたのですが、夫が退職してからは、夫が剪定するようになりました。ところが少し切って眺めては、ちょっといびつになったと言って、高い方を低い方に合わせて切り、形が悪いといってはまた切るので、次第に小さくなっていきました。後で聞きましたら、素人はおおむね切りすぎて駄目にするということでした。段々小さくなったサツキは、やがて花が咲かなくなっていったのです。とうとう幹ばかり太く花の咲かないサツキになって、やがて掘り起こして捨てるしかなくなりました。その頃は植え付けた頃の三分の一くらいの大きさになっていました。
 肥料もタップリ与えていたし、消毒は毎月のようにしていましたので、何故咲かないのか不思議でした。やがて同じ場所に園芸店から、矢張り白いサツキを買ってきて植えましたが、あの見事なサツキには比べようもなく、花は大きいのですが今一つ品がなく、惜しいことをしたと思っています。その後夫も学習して、サツキは、伸びた枝を切る程度でよいと知り、残念がっていました。しかし反省が過ぎて、今度は切り足りなくて枝がまばらになって行き、その後ろに立っている背の高いツゲのように、しっかりと丸く刈り込んだ感じにならなくなりました。ツゲの枝は、本職の方が刈り込んでくださるので、年々見事な枝振りに形作られていきますが、サツキの方は形を成さないような感じで、それでも毎年けなげに咲いています。低い方に合わせると高めな枝は切られてしまって、次第に小さくなって最後は駄目になるということを学びました。
 考えてみると、私達の社会でも似たようなことが行われているのではないでしょうか。例えば少し前に、学校の体育祭で、徒競走があると、みんなで手を繋いで、一緒にゴールインしたり、走るのが遅い子供がワープといって、近回りをしてゴールするなどということが行われ、これが平等教育だとされていたことがありました。また、単純に走るという徒競走のような競技は、速い者と遅い者の差が生じると敬遠されて、だれでも一等になるチャンスがあるように、障害レースしかなくなったりしたことがあったようです。
 学習時もなかなか付いていけない生徒を引き揚げるのに、多くの子供達が物足りなく思う程の時間をかけたこともあったと聞きます。総じてレベルの低い方に合わせて、落ち零れを作らないように「みんな一緒」ということに教育の目標を置いたのでしょう。
 けれどもこれが、のびのびと個性を伸ばす教育と言えるのでしょうか。走るのが速い子供、数学が飛び抜けて優れている子供、様々な分野で多くの子供達は、考えられないほどの能力を発揮します。
 勿論学力ばかりでなく、心優しい子供、控え目だけれどもしっかりした考えの子供、リーダーシップの高い子供とこれも様々です。それぞれがそれぞれの能力を伸び伸びと発揮出来て、それが周囲の人々に認められるのが最も教育の理にかなっているのではないかと思うのですが如何でしょうか。
 研究者もスポーツ選手も、初めから成果が予想されている訳ではなく、あれこれと試行錯誤をしながら、あるときは先頭に立ち、ある時はびりっけつになって、喜んだり落胆したり、又勇気を出して頑張って成果を手にしています。自分の得意な分野を見付けて、ねばり強く努力を重ね、やがてノーベル賞の受賞者や、オリンピックの選手が生まれます。
 これはある時私が経験したことですが、多くの集団から、優れたリーダーが集められて、研修会が催されたことがあります。一人一人はとても優秀なリーダーだった筈なのですが、リーダーばかり集めると、必ず又その中に更にリーダーと落ち零れが生まれます。これは実に不思議なことですが、今まで仰ぎ見るようなリーダーだった人が、問題児のようになり、群れから外れていくのを見ると、人間社会の集団の成り立ちの不思議を見る思いがします。
 組織の中でも、その中にある程度の割合でレベルの低い人がいないと、その集団は上手く機能しないと書いてある本を読んだことがあります。集団の中で自分の居る場所を見付けて、安心して生きていける為には、そんな仕組みが必要なようです。問題はそのレベルの低い人を集団がどう考えるかが重要になってきます。その一人の存在が集団にとって障害となると考えるか、その人が居てくれるから自分もやっていけると、その人の存在を大切に思うか、その鍵はその集団のリーダーが握ると言えるでしょう。
 振り返って考えてみますと、私達の小・中学校の頃にも必ず飛び離れて能力の高い人も低い人もいました。低い人が全ていじめに合った訳ではなく、段々大きくなるにつれて、そういう人を温かくつつんでやる雰囲気が生まれて、仲良く笑顔で手を繋いで遊んだことを思い出します。
 成果主義の社会になって益々生きづらくなったようですが、個人の成果ばかりに気をとられずに、集団として望ましい人間関係を築き、協力し合って目標に達成するような社会に変えていって欲しいものです。それには優れた識見と優れた人間性を兼ね備えた人をリーダーにすることが必須条件となることでしょう。
 今回の金星探査機「あかつき」が軌道に乗るように祈っていたのですが、少し逆噴射の時間が短くて、軌道を外れてしまったそうで、とても残念です。多くの人々が固唾を呑んで見守っていたことかと思いますが、夢の実現はそうたやすくはなく、だからこそ価値があるとも言えるのです。まだ望みが無い訳ではなくチャンスは残っていて、関係者は努力を重ねられるとのことでした。先の長い苦しい努力になりそうですが、成功を祈っています。このような、素晴らしい企画が実現に向けて行われるということは、日本がそれだけ科学水準が高いと言うことでしょう。将来に明るい希望を持って、生きていきたいものです。
 夫のサツキの切りすぎから、人間社会には無駄な存在はないことに気付かされました。人間は、それぞれ天命を持った存在なのですね。そう思うとサツキの切りすぎもまた無駄ではなかったと、思わず笑いが込み上げて来ました。

埋もれゐる才能開く時は来ぬきっかけは神努力は己(あずさ)
 花の陰そのまた下にかくれ咲く山茶花のあり亡母に似るかも(再掲)
 年ごとに刈られてもなほ生き延びて電柱の際にタンポポ一群(実名で某紙に掲載)

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命極まりて

2010年12月05日 | 随筆・短歌
 今年も師走を迎えました。年と共に一年が短く感じられます。冬支度に我が家でも、ある晴れた日に冬囲いをしました。余り降らない雪ですが、近年のようなドカ雪もあり、丈の小さなさつきなどに、竹の支柱を立てて縄で縛り、雪の重みで枝が折れないようにします。
 以前は、松とつげなど4本位に、見た目がきれいなように雪吊りをして、雪がないのに冬の風情を楽しんでいたのですが、体力的に無理になってきたので止めました。もっと以前は、庭師さんにお願いしていたのですが、お年を召されて無理になり、見よう見まねで私達夫婦二人で、格好をつけて雪吊りを楽しんでいたのです。たった四本に一日掛かりでした。
 車庫の屋根の下に小さいけれども珍しい椿が数本あります。これは以前知り合いが持ってきてくれた花を、余りに珍しく美しいので、花だけ水盤に浮かせて鑑賞し、他は鉢に挿し木にしてみましたら、ちゃんと根付きました。何しろ5~10センチ位の丈なので地に下ろしてからも、少し伸びるまで間隔を狭くして植えてあったのですが、やっと去年少し間隔を空けて、軒下に並べて植えたのです。
 ところがこの春のドカ雪で、潰れたり雪折れしてしまいました。5センチ位の雪でも屋根から滑り落ちると衝撃があるので、きちんと雪囲いをしたつもりだったのですが、まだ足りなかったようです。今年は少しくらいの雪には耐えられるように、しっかり支柱に縛り付けました。
 この椿が我が家にあることは、頂いた知人のそのまた知り合いのお父上が、趣味で集められたのだそうで、血統の正しい珍しい椿の子孫が、我が家にあることはその父上もご存じないと思います。まさか赤玉石に挿し木にしたものが根付くとは私も予想外だったので、とても嬉しく大切に育てています。もっと年月が経てば、珍しい椿の垣根になることでしょう。
 庭の椿の何本かは私の実家が廃屋になった後で、折って来て挿し木にしたものです。翌年から花を付けたものもありますが、まだ一度も花を付けないものも有り、それはそれで楽しみです。
 話が少し外れました。雪囲いの時に気付いたのですが、真っ赤に燃えたドウダンツツジの葉が散り終わる頃で、よく見ると全ての枝先がもう来年のために赤く芽ぐんでいます。吉田兼好が「葉が落ちて芽ぐむのではなく、芽ぐむから押されて葉が散るのだ」と書いている「徒然草」の一節が脳裏に浮かびました。連続する生命の神秘を垣間見る思いがしました。考えてみれば人間社会もまたこの原則に従って移り変わっているのですね。
 先日親戚で不幸がありました。怪我で下肢が不自由になった私の叔父に、私の両親が仲立ちして、不自由な身体であることを承知で結婚された方なのです。良い人を妻に迎え、むつまじく暮らしていたのですが、先年叔父を見送った後、この度その人が亡くなられました。樹が自然に倒れるように、ごく自然に亡くなられ、遺族が集まって温かいお葬式が執り行われました。
 命が極まって散る木々のように、人間もまた大自然に還っていくのですね。そしてきっと又新しい命となって何時か芽ぐむのでしょう。冬囲いの終わった小さな庭の木々を眺めながら、しみじみとそんなことを考えていました。

 何となく楽になりたき日のありぬ極まりて散るもみじ一片(ひとひら)(再掲)
 

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