夢は誰でも見るそうですが、記憶しているかどうかは人に依ると何かで読みました。私も良く夢を見ます。つじつまの合わない夢ばかりですが、楽しい夢より困った夢の方が多いです。
時折明確に記憶に残るリアリティーに満ちた夢を見ることがあります。夫と親しかった或る大病院の院長先生が、退官を間際にして、「未だに学生時代の試験の夢に悩まされる」と仰ったと聞いて、医学の勉強が如何に厳しいものかと思いました。優秀な方にしてそうですから、普通の学生の、しかもさしたる能力も無くて出来の悪かった私などは試験の夢を見て当たり前です。
試験の範囲が解らない、とか明日試験なのに何も勉強してない、とか何時も土壇場に追いつめられた夢が多くて、本当に出来の悪い人間は苦労します。つい先日も、勤めていた頃の夢を見ました。特別にきちんと資料を調えて置かなければならなかった筈だったのに、気がつくと準備が何も出来ていなくてとても困っている夢でした。職を退いて二十数年になりますのに、何ということかと目覚めて納得出来ない気分でただ驚くばかりでした。何かと泥縄式でいいかげんな自分の性格に呆れていますので、夢にまでそんな風に悩まされることになるのです。勤めは辛くもありましたが、またとない生き甲斐でもあり、父に背中を押されて選んだ道ではありましたが、今も父に深く感謝しています。
亡くなった娘の夢を見た日はとても嬉しくて、「今夜は是非見たい」と切実に念じながら寝る日も多いのですが、そんな日には決して娘は現れません。不思議な事に、小さな息子を負んぶして、娘の手を引いて、実家から我が家に帰るのに、汽車が来ないとか、乗り遅れて困ったとかそんな夢を何回見た事でしょう。また一人で出かけていて、家に子供達がさぞ待っているであろうと思うのに、乗るはずの電車やバスが来ないで困る夢も多いです。夫が単身赴任で9年も不在でしたので、そんな危機感がトラウマになっているのかも知れません。
子供の頃から高いところが好きで、男の子のように木登りが得意であった私ですから、天空を悠々と飛んでいるとても清々しい気分の夢も見ました。7~8歳の少女の私が学校から帰ってきたら、若かった母のいる部屋に、とても綺麗なピンクの牡丹が部屋一杯に咲いていて、その時の母はにこにこしていて幸せに思った夢、亡くなった筈の祖父が私の処に来て手を握ってくれたのですが、その手がとても冷たかったので驚いて目覚めたこと、とても美しい夕焼けにうっとり見とれた夢、夢に色があるのは、身体の調子の悪い時だという人もいますが、私には、全く関係ないように思えます。
夢に見る内容は何故か何時も昔の事が多く、現在の生活に関連した夢を見ないことを不思議に思っていたのですが、近頃になってやっと現在の夢も見るようになりました。年齢を重ねると夢もそれに合わせてくれるのでしょうか。
良い夢と言えば、ちょうど娘の命日の明け方、夫の夢に娘が出て来て、「お父さん」と話しかけてきて、夫の足を揉んでくれたというのです。目が覚めた夫は直ぐに私を呼び起こして、その話をしました。未だ足が微かに温かい感じがする、といってとても喜んでいました。それ以来夢の話が出る度に夫は決まってその話しをして喜んでいます。きっと前の日の夜寐る前に「明日は娘の命日だったね」と話しながら寝たので、そんな夢を見たのだと夫は言います。でもその後はいくら娘の話をして寝ても、娘は現れてくれないと夫は寂しがっています。
私は、家族で先だった人の祥月命日には、その人が一番好きだった料理を夕食の献立に決めています。ですから、毎年義父の命日は何、義母の命日は何、娘の命日は何、と決まっています。変なことですが、献立を通して家族で想い出話をするのも、供養になる筈だと思って、かたくなに守っています。
皆様の今夜の夢が、どうか幸せ色に彩られた夢でありますように祈っています。
帰らねばあせる心に子等の手を握りし夢よ幾年経ても
逝きし娘(こ)の夢見し夜は楽しくてそして悲しき朝となりたり(実名で某誌に掲載)
時折明確に記憶に残るリアリティーに満ちた夢を見ることがあります。夫と親しかった或る大病院の院長先生が、退官を間際にして、「未だに学生時代の試験の夢に悩まされる」と仰ったと聞いて、医学の勉強が如何に厳しいものかと思いました。優秀な方にしてそうですから、普通の学生の、しかもさしたる能力も無くて出来の悪かった私などは試験の夢を見て当たり前です。
試験の範囲が解らない、とか明日試験なのに何も勉強してない、とか何時も土壇場に追いつめられた夢が多くて、本当に出来の悪い人間は苦労します。つい先日も、勤めていた頃の夢を見ました。特別にきちんと資料を調えて置かなければならなかった筈だったのに、気がつくと準備が何も出来ていなくてとても困っている夢でした。職を退いて二十数年になりますのに、何ということかと目覚めて納得出来ない気分でただ驚くばかりでした。何かと泥縄式でいいかげんな自分の性格に呆れていますので、夢にまでそんな風に悩まされることになるのです。勤めは辛くもありましたが、またとない生き甲斐でもあり、父に背中を押されて選んだ道ではありましたが、今も父に深く感謝しています。
亡くなった娘の夢を見た日はとても嬉しくて、「今夜は是非見たい」と切実に念じながら寝る日も多いのですが、そんな日には決して娘は現れません。不思議な事に、小さな息子を負んぶして、娘の手を引いて、実家から我が家に帰るのに、汽車が来ないとか、乗り遅れて困ったとかそんな夢を何回見た事でしょう。また一人で出かけていて、家に子供達がさぞ待っているであろうと思うのに、乗るはずの電車やバスが来ないで困る夢も多いです。夫が単身赴任で9年も不在でしたので、そんな危機感がトラウマになっているのかも知れません。
子供の頃から高いところが好きで、男の子のように木登りが得意であった私ですから、天空を悠々と飛んでいるとても清々しい気分の夢も見ました。7~8歳の少女の私が学校から帰ってきたら、若かった母のいる部屋に、とても綺麗なピンクの牡丹が部屋一杯に咲いていて、その時の母はにこにこしていて幸せに思った夢、亡くなった筈の祖父が私の処に来て手を握ってくれたのですが、その手がとても冷たかったので驚いて目覚めたこと、とても美しい夕焼けにうっとり見とれた夢、夢に色があるのは、身体の調子の悪い時だという人もいますが、私には、全く関係ないように思えます。
夢に見る内容は何故か何時も昔の事が多く、現在の生活に関連した夢を見ないことを不思議に思っていたのですが、近頃になってやっと現在の夢も見るようになりました。年齢を重ねると夢もそれに合わせてくれるのでしょうか。
良い夢と言えば、ちょうど娘の命日の明け方、夫の夢に娘が出て来て、「お父さん」と話しかけてきて、夫の足を揉んでくれたというのです。目が覚めた夫は直ぐに私を呼び起こして、その話をしました。未だ足が微かに温かい感じがする、といってとても喜んでいました。それ以来夢の話が出る度に夫は決まってその話しをして喜んでいます。きっと前の日の夜寐る前に「明日は娘の命日だったね」と話しながら寝たので、そんな夢を見たのだと夫は言います。でもその後はいくら娘の話をして寝ても、娘は現れてくれないと夫は寂しがっています。
私は、家族で先だった人の祥月命日には、その人が一番好きだった料理を夕食の献立に決めています。ですから、毎年義父の命日は何、義母の命日は何、娘の命日は何、と決まっています。変なことですが、献立を通して家族で想い出話をするのも、供養になる筈だと思って、かたくなに守っています。
皆様の今夜の夢が、どうか幸せ色に彩られた夢でありますように祈っています。
帰らねばあせる心に子等の手を握りし夢よ幾年経ても
逝きし娘(こ)の夢見し夜は楽しくてそして悲しき朝となりたり(実名で某誌に掲載)