ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

目覚め間際の夢

2009年10月22日 | 随筆・短歌
 夢は誰でも見るそうですが、記憶しているかどうかは人に依ると何かで読みました。私も良く夢を見ます。つじつまの合わない夢ばかりですが、楽しい夢より困った夢の方が多いです。
 時折明確に記憶に残るリアリティーに満ちた夢を見ることがあります。夫と親しかった或る大病院の院長先生が、退官を間際にして、「未だに学生時代の試験の夢に悩まされる」と仰ったと聞いて、医学の勉強が如何に厳しいものかと思いました。優秀な方にしてそうですから、普通の学生の、しかもさしたる能力も無くて出来の悪かった私などは試験の夢を見て当たり前です。
 試験の範囲が解らない、とか明日試験なのに何も勉強してない、とか何時も土壇場に追いつめられた夢が多くて、本当に出来の悪い人間は苦労します。つい先日も、勤めていた頃の夢を見ました。特別にきちんと資料を調えて置かなければならなかった筈だったのに、気がつくと準備が何も出来ていなくてとても困っている夢でした。職を退いて二十数年になりますのに、何ということかと目覚めて納得出来ない気分でただ驚くばかりでした。何かと泥縄式でいいかげんな自分の性格に呆れていますので、夢にまでそんな風に悩まされることになるのです。勤めは辛くもありましたが、またとない生き甲斐でもあり、父に背中を押されて選んだ道ではありましたが、今も父に深く感謝しています。
 亡くなった娘の夢を見た日はとても嬉しくて、「今夜は是非見たい」と切実に念じながら寝る日も多いのですが、そんな日には決して娘は現れません。不思議な事に、小さな息子を負んぶして、娘の手を引いて、実家から我が家に帰るのに、汽車が来ないとか、乗り遅れて困ったとかそんな夢を何回見た事でしょう。また一人で出かけていて、家に子供達がさぞ待っているであろうと思うのに、乗るはずの電車やバスが来ないで困る夢も多いです。夫が単身赴任で9年も不在でしたので、そんな危機感がトラウマになっているのかも知れません。
 子供の頃から高いところが好きで、男の子のように木登りが得意であった私ですから、天空を悠々と飛んでいるとても清々しい気分の夢も見ました。7~8歳の少女の私が学校から帰ってきたら、若かった母のいる部屋に、とても綺麗なピンクの牡丹が部屋一杯に咲いていて、その時の母はにこにこしていて幸せに思った夢、亡くなった筈の祖父が私の処に来て手を握ってくれたのですが、その手がとても冷たかったので驚いて目覚めたこと、とても美しい夕焼けにうっとり見とれた夢、夢に色があるのは、身体の調子の悪い時だという人もいますが、私には、全く関係ないように思えます。
 夢に見る内容は何故か何時も昔の事が多く、現在の生活に関連した夢を見ないことを不思議に思っていたのですが、近頃になってやっと現在の夢も見るようになりました。年齢を重ねると夢もそれに合わせてくれるのでしょうか。
 良い夢と言えば、ちょうど娘の命日の明け方、夫の夢に娘が出て来て、「お父さん」と話しかけてきて、夫の足を揉んでくれたというのです。目が覚めた夫は直ぐに私を呼び起こして、その話をしました。未だ足が微かに温かい感じがする、といってとても喜んでいました。それ以来夢の話が出る度に夫は決まってその話しをして喜んでいます。きっと前の日の夜寐る前に「明日は娘の命日だったね」と話しながら寝たので、そんな夢を見たのだと夫は言います。でもその後はいくら娘の話をして寝ても、娘は現れてくれないと夫は寂しがっています。
 私は、家族で先だった人の祥月命日には、その人が一番好きだった料理を夕食の献立に決めています。ですから、毎年義父の命日は何、義母の命日は何、娘の命日は何、と決まっています。変なことですが、献立を通して家族で想い出話をするのも、供養になる筈だと思って、かたくなに守っています。
 皆様の今夜の夢が、どうか幸せ色に彩られた夢でありますように祈っています。
 
  帰らねばあせる心に子等の手を握りし夢よ幾年経ても
  逝きし娘(こ)の夢見し夜は楽しくてそして悲しき朝となりたり(実名で某誌に掲載)





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秋色に包まれた無言館

2009年10月17日 | 随筆・短歌
 我が家の子供達が幼かった頃、どういう訳か土曜日になると良く熱を出して、その度に近くの小児科医院に連れて行って診て頂きました。小児科専門医で、とても良い先生てしたが、その待合室に、素晴らしい日本画が飾ってありました。絵画には素人の私でしたが、その絵の素晴らしさに何時も心を引かれて、誰の描いた絵だろうと、行くたびに感嘆して、時折一緒に行ってくれた夫と二人で話しながら見とれていました。
 その後その医師の先輩に当たる、大きな公立の病院の院長先生と夫が、縁あって親しくお付き合いするようになりました。その方は小児科の名医で、現役の間は元旦以外は年中お休みにならないので有名でした。何時も温かく気さくな方で、沢山の人達の信望を集めておられました。
 院長になる事を嫌がって、断り続けたそうですが、なりたい人にはさせたくなく、なりたくないという人にはなって頂きたいのが世の常でもあります。この先生も遂に断り切れず院長に就任されましたが、とても立派な名院長でした。
 私達の娘も少し難しい病気に罹ったことがあって、何度も通って診て頂きました。「任せて下さい」と仰って、休みの日にもわざわざ診察室に呼んで、出て来られて診て下さいました。幸い全快して、助けて頂いたという思いがあります。その先生がご退官の後に、私達の娘が亡くなりました。すると先生は、突然無言館の画集数冊に慰めの手紙を付けて送って下さったのでした。私達が感激したのは言うまでもありません。
 先生は学徒動員で徴兵され、特攻隊の一員でありましたが、出撃しないうちに終戦になったとお聞きしました。そんな関係もあって、戦没画家の作品が陳列してある無言館に、とても深い思い入れがお有りだったようです。
 私達もその先生の温かさに触れて、とても慰められましたし、又送られた画集に誘われて、無言館を訪れずに居られなくなったのです。
 それは、長野県の穏やかな広い平野の中にあって、低い山懐に抱かれるように建っていました。道案内をたどりながら、やっと着いた無言館でしたが、小鳥のさえずりのみが聞こえる、とても静謐な中にありました。教会のような尖塔の付いた小さな美術館の中へ入ると、高い天井の静かな空間に、学徒動員などで戦死した戦没画家の絵が飾られてありました。眺めている人達も誰も音を立てず、それがかえって美術館の中に、一種の緊張感を湛えており不思議な時間が流れていました。
 その中に芸大の日本画科を主席で卒業したという人の絵が飾ってありました。その方の出処を見て驚きました。あの小児科医院の待合室に飾ってあった絵をかいた人で、医院の先生の弟さんだったのです。或る高名な日本画家が、自分の後はこの人が継ぐであろうと言われた程の、才能を持っておられた方だったと知りました。
 惜しい人材をあの大戦で沢山亡くしたのだと、改めて思いました。生きて居られればきっと名作の数々を世に送り出された事でしょう。志半ばで逝った人達の自画像や、未だ若い妻の絵もあって、涙を誘いました。戦地から家族に宛てた手紙もあり、溢れる涙で瞳が曇って良く読めませんでした。眺めておられる方達もハンカチを握りしめて居られました。
 随分長い間夫と二人で眺めていて、私達も数冊の画集を求めて帰りました。その日は千曲川のほとりにある温泉宿で一泊しました。忘れられない良い旅でした。折りがあったらもう一度訪ねたい思いが残っています。皆さんにも折りが有りましたら、一度訪ねて見られることをお勧めしたいとさえ思っています。
 
  病みし子と待合室に見し絵画無言館に来てその魂(たま)と会ふ
  熟れ柿の残る田の道くねくねと無言館へと我をいざなう
  戦没画家惜しむ心に振り向けば無言館の塔秋日に光る  (あずさ)                  
 
追伸 
 しばらく体調をくずしたりして、己の歳を自覚せざるを得なくなりました。もともと融通がきかない人間なので、決まった日に何とか載せてきましたが、もう少しペースを落とすことにいたしました。これからはポツポツと載せていきたいと考えています。
 それにつけてもこんな拙い文を読んで下さっている皆さんには、深く深く感謝しています。

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私の「芸術の秋」

2009年10月12日 | 随筆・短歌
 秋は何をしても似合うようで、読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋、芸術鑑賞の秋、と山野の紅葉を目前にして、何かと心が躍ります。
 私も先頃パイプオルガンのコンサートと、能楽鑑賞に行きました。七月以来ちょっと体調を崩していて、九月に入りましたら、一時床に着くようにもなってしまい、病院や医院に通うのと、辛うじて週二回の軽めのフイットネスに休み休み通っています。その他は余り外出は出来ず、旅行の計画はキヤンセルして、その代わりチケットが手に入った場合は、出来る限り元気を出して、芸術の鑑賞に出かけています。
 余り沢山見たり聞いたりしている訳ではないのですが、能楽は日本の宝ともいえる素晴らしい伝統芸能だとしみじみと感じました。今回の演目は「井筒」でしたが、「序の舞」が素晴らしく美しく、うっとりして見とれてしまいました。
 能面は「能面のような表情」と言われるように、固まった表情ではありますが、それが僅かに横を向いたり、うつむき加減だったりすると、まるで一変して、舞い手と一体になって、感情を表します。それが実に微妙な表情の変化を見せて、緑豊かで清らかな水に溢れた美しい日本の国らしい、豊かな感情が表現されます。そこが何とも素晴らしく、日本人として、誇らしくもあります。
 比べて言うと叱られるかも知れませんが、イスラエル周辺の荒れ野や、アフガンの荒れた山地、エジプトの赤土の河岸の砂地、ゴビやモンゴルの白茶けた砂漠、そんな乾いたある種無味乾燥な土地から連想される、心の渇きのようなものに比べて、この国は何とみずみずしい美しさなのだろうと思います。
 川端康成がノーベル賞の記念講演で「美しい日本の私」と題して、述べていますが、改めてそのことなども想い出されます。、
 宇宙から地球を見ると、青く輝きながら浮かんでいて、とても美しいといいますが、その中でも特に美しい、日本という四季のはっきりした国に生まれたことをしみじみと感謝しています。
 長い時間に堪えて人から人へと伝えられ、守られてきた無形文化財のすばらしさに、私はもっと多く触れて、生きている間に良い想い出にしたいものだと思っています。
 今までは、クラシック音楽会に行こうと何度夫を誘っても「行かない」と言われると、一人で大金を払って聴きに行くのは悪いようで行かなかったのですが、最近は一人で展覧会にも行き、音楽会にも行くようになって、この歳になって、やっと夫から自立したような気になっています。
 来週は、或る郷土博物館の展覧会と、昔の同僚が写真の個展を開くので、見学させて頂く積もりです。11月はチャッカリとブーニンのチケットを手に入れています。
 一人歩きを始めましたら、どんどん出かけてしまって、夫もこんな予定ではなかったと驚いていることでしょう。不在の間の食事の支度はチャントしておくので、そこは安心だと思いますが。
 私も出来るだけ誘う努力はしていますし、大リーグの放送も付き合います。戦争映画も出来るだけ一緒に見るようにしていますが、時には先に寝てしまいます。居間には一台しかテレビはありませんので、私と夫は、何時も同じ番組を見ることになります。チャンネル権は夫が持っています。その分私は自分の好き嫌いを越えて見聞が広がるのですが、夫は自分の殻から抜け出せないことになります。しかし最近は夫も、お互いに好きなことをして過ごすのが一番幸せだと割り切っているようですから、私はこの短い秋を有意義に過ごそうと、あれこれ計画を巡らせています。

  青き光放ちて地球は浮くといふ胎児の如きいとしさ覚ゆ (実名で某誌に掲載)

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レクチャーのあとで

2009年10月08日 | 随筆・短歌
 この度夫が運転免許証の書き換えに当たり、来月後期高齢者になるため、「認知症」の検査や、運転技能などの検査を受けるはめになりました。記憶力の衰退が気になり始めた夫に、私が前もってお節介にもレクチャーをしました。
 時計の針が十時十分過ぎを指しているところの絵を描く、とか立方体を書くとか100から7ずつ引いて行く時は、7引いて93、その先は7を3と4に分解して、90から4を引く、などと、当たり前の事を言ったりしていたのでした。
 夫が一番心配したのは、幾つもの絵を見せられて、しばらく他の検査をした後で、さっきの絵に何が書いてあったか想い出して書きなさい、と言われる事でした。
 当日は雨の激しい日でしたから、自動車学校のコースの運転もさぞ大変だろうと心配していましたら、夕方意気揚々と帰って来ました。
 夫は、「若い人の運転技術の平均が3で、高齢者は、それより1か2下回るのだけれど、俺は4だったよ」とその歳にしては珍しい、と誉められたというのです。私もホット安心して「これで当分は、今までのように助手席でクラシックでも聴きながら、うたた寝をしていられる」と安心したのでした。
 ところが持ち帰った成績表を眺めていると、腑に落ちないところがありました。プラスされるはずの処がされていないのです。どうして?と聞くと、「其処はレクチャーを受けていたから大丈夫、十時十分をちゃんと書いたよ」と言った直後に、ハッと気付いて「ああ、其処は11時10分を示しなさいと言われたんだった」と言うのです。すっかり十時十分だと思いこんで記入したのだそうです。「レクチャーを10時台についてしかしないのではなくて、11時台についてもしておけば良かったんだ」と文句を言いました。責任は全て私のレクチャーが悪いからなのだそうで、思わず笑ってしまいました。
 心配していた絵の記憶は、4個ずつのパネルを4枚、計16個の絵があったそうですが、15個答えられたそうで、大いに胸を張って威張っていました。7個までは、スイッと出たそうですが、そこでピタッと止まってその後は出て来ず、食べ物に何かあったか、とか着る物はどうか、と自分で身近なものを元に問いかけたら、次々と沢山想い出せたと言いました。それも一つのコツだと感心して聞いていました。
 視力検査の時には、真っ暗闇の中から輪がかすかに浮かび出てきて、それが次第に大きくなって、「その輪が切れたらブザーを押す」というテストで、「輪が切れる」の意味がどう切れるのか理解出来ず、輪らしいものが浮かび上がって来たのでブザーを押したら、教官に「どちらが切れていましたか」と聞かれたそうです。その時初めて質問の意味が理解出来たといいます。何の事はない視力検査の輪の切れている方向の判断なのです。とっさのことで適当に「左」と答えたら「良く見えましたね」と言われてラッキーな高得点を稼いだそうです。夫はとっさの機転が効く要領の良い人でもあります。
 けれども実技試験では、一時停止を見落とした、とか黄色信号で止まったら「此処はそのまま行かないと、後の車は行くものだと思って追突するから、黄色は止まらずそのまま行って下さい」と言われたとか、「何時もはそうしているよ」とこれも威張って言いました。バックミラーを一度も見なかったと言われたそうですが、「自動車学校のコースは、後から車が来ないから見る必要は無いんだよ、いつもはチャント見ている」とか、なかなか自分の非を認めたがらず、何時ものように自分に都合の良い解釈をするのです。
 夫は何時も自分は正しく相手が間違っていると思うタイプの人間で、私のように何かにつけて後ろ向きで、何時も後悔ばかりしているのとは正反対の、生きるのが楽なタイプの人間です。私は何時もうらやましいと思って眺めています。
 「この分だと後三年で免許は返納しようと決めて居たのだけれど、もう一度受けても良いかな」と言い出しましたので、私は反対しました。最近は、疲れると言って、余り遠くまで出かけないのですから、78歳にもなったら車は不要だと思うのです。車は便利ではありますが、注意散漫になっての事故が心配です。夫の主張を止められるかどうか、それが三年後の大きな問題です。
 いずれにしても話を全部聞いた後の感想は、助手席の私は、年々益々うたた寝などしていないで、目を光らせていなければならない、というものでした。

  擦れ違ふ君への思ひ微妙ゆゑ時にまかせて言ひ訳はせず (実名で某誌に掲載)
 

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「今すぐ」と言われると

2009年10月05日 | 随筆・短歌
 以前或る外資系の保険のコマーシャルで、お昼のニュースの時間帯に、「お申し込みは今すぐお電話下さい」というのがありました。とても聞き苦しくて、直ぐにチャンネルを切り替えると、そこも矢っ張り同じコマーシヤルで、どのニュースにチャンネルを廻しても同じコマーシャルを流しているので、ついに消してしまうこともありました。莫大なコマーシャル費用は、勿論消費者が支払うわけですから、保険会社はそんなに儲かるのかと思ってしまいます。
 何故「今すぐ」でないといけないのでしょうか。時間をかけてゆっくり検討されると、何かしら都合が悪い点に気付かれるのが心配なのだろうか、とさえ思われました。ヒョッとして問題でも・・・と思っていましたら、矢張り支払わなければならない筈のところを、不払いがとても多いことが明らかになって、社会問題となりました。そのうち会社の経営が上手くゆかなくなって、最近はそのコマーシヤルはあまり見かけなくなり「今すぐ」とも言わなくなったようです。
 けれどもこの会社が始めた「今すぐ」ブームは相変わらず様々な商品のコマーシヤルに波及して「今すぐお電話を」と言うコマーシャルが大流行し、実に辟易してしまいます。 中には、これから○○分の間に、等というのもあって、一層信用を落としていることに気が付かないようです。視聴者は、何故そんなにせかすのかと疑問を持つと、自ずと結論が出てきます。本当に優れた商品だとメーカーが自信を持っているなら、「他社の製品とじっくり時間をかけて比較検討してみてください」と言える筈です。
 コマーシャルに出てくる俳優さんや女優さん達も、いい加減な、と思われる商品のコマーシャルに出ていると、俳優として尊敬出来る方だと思っていても、それだけで拝金主義のように思われて、がっかりしてしまいます。
 立派なお仕事をされている実力派の俳優さん達には、もう少し気を付けて、会社を選び、商品を選んでコマーシャルの契約をして戴きたいと思うのです。あの人が良いというなら、良いのでは、と考える人もいるようで、以前も建築会社のコマーシャルで問題になった方も居られましたね。沢山のファンの方が応援しているのですから、そのファンに迷惑をかけないように配慮して下さい。
 コマーシヤルを作る人は、視聴者の心を掴むような、ほのぼのとしたコマーシャルなど出来ないものでしょうか。以前或る洋酒のコマーシヤルがとても心に響き、私はお酒は飲みませんが、今も忘れない程ほのぼのと心温かい、素敵なコマーシャルがありました。
 今は何かと騒がしかったり、踊らなくても良いところをせわしく踊ってみせたり、何を宣伝しているのか、最後まで見ていないと解らない、または最後まで見ていても不明なものまであって、解らない私が愚かなのでしょうけれど、コピーライターの質が落ちたのでしょうか。 
 余りに騒々しく番組の宣伝をするので、民放かと思って切り替えようと思っていると、そうではなかったりして、何と品が無く、低レベルになったものかとがっかりします。
 電話での勧誘も矢張り「今すぐ」のたぐいが多くなりました。特に夕方食事の支度をしている頃に、傍若無人に掛かってきます。電話は緊急の場合も多くあるし、心待ちにしている友人の場合もあるので、忙しい時間を割いて、或いは調理の熱源を消してでも出ることになります。しかしそれが物売りだったりすると、本当にいやな気分になります。
 年金暮らしの私達なのに、「東京の新宿にお手頃のマンションがあります」とか、証券会社から「今お得な株があります」等としつこい電話があったりして、何処からそんな誤った個人情報を手に入れているのか、それとも年老いた家族の家を狙うのか、何とも不可解なことです。オレオレ詐欺の電話は未だ来たことがありませんが、電話の宣伝で物を買った経験は一度もありませんのに、不思議でしょうがありません。
 我が家では、女性が電話に出ると物売りがうるさいから、と言って、夫か息子が受話器を取り、私はどちらも居ない時しか受話器を取りません。「奥様はいらっしゃいますか」と言う物売りには、二人とも「出かけています」と言うことになっていますが、夫は度々「今朝死にました」といって切ります。そうでもしないと直ぐに商品の宣伝が切り無しに続いて、電話を切るチャンスが無くなったりするのです。
 「死にました」と言われる度に可笑しくてたまらず、かえってそれが逆効果になって、長く生きられるような気がして来るから不思議です。私もなかなかしぶとく生きているのです。
 たまには、「じっくり比較ご検討下さい」等という自信のあるコマーシヤルや、しみじみと心に伝わってくるコマーシャルはないものかと思います。そんなコマーシヤルがあったら、その商品を「今すぐ」買うことでしょう。「今すぐ」等という疑わしい宣伝文句はもう止めにして欲しいものです。
  



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