ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

供養さまざま

2013年08月20日 | 随筆・短歌
 盂蘭盆会が済みました。故郷へ帰っていた人達もそれぞれの居住地へ戻り、我が家の辺りも元の生活に戻りました。30年前は、子供であった人達が、それぞれ成長して家族を連れて帰り、辺りに子供の声が満ち、行き交う人達もそれぞれ大人びた娘や息子あるいはいいお父さんお母さんとなって、それはそれは和やかな風景でした。勿論此処には年老いた両親や、もう一人暮らしになって住んでいる親がいる訳ですから、お盆に先祖のお墓参りを兼ねて、親孝行に帰るという風習は、日本の良い習慣と言えましょう。
 その都度、道路の渋滞や飛行機や新幹線の混雑が報道されますが、一年にお盆とお正月くらいは、親や祖父母・兄弟姉妹や従兄弟達と会って、親族の繋がりを大切にすることは、とても良い風習だと思っています。
 大家族が少なくなりましたから、そんな時に大勢の親族のお世話をしなければならなくなるお嫁さんには、気兼ねもあってお気の毒なのですが、大切な夫を産んでくれた人を中心にした集まりですから、もてなし方を工夫して、何とか数日を温く過ごしていただきたいと思ったりしています。
 私も大家族で暮らした、長男の嫁ですから、何かと心を煩わせることがないわけではありませんでしたが、掛け替えのない夫を私に与えてくれて、そのお陰でわが子達が生まれたわけですから、そう考えて、自然体で気楽に過ごした来ました。今もそれが良いと思っています。
 何しろ義父母と暮らした年月の方が、実父母と暮らしたよりも遙かに長くなり、現在供養しているのは、義父母と亡くなった娘の位牌と遺影であり、祖先の供養です。義母のしきたりに従って、同じようにお飾りをして供養しています。そこに私の気持ちとして、お葬儀の時に飾った回り灯籠をお盆の間中、明かりを灯して回したり、お飾りに工夫を凝らしたり、しきたりの料理を作ったり、そこに私のアイディア料理を加えて楽しんで供養しています。
 みんな長い長い間のご先祖のDNAを引き継いで、現在の自分が存在するのですから、夫のお里へ行くのは辛いというお嫁さんも、ご自分の親の方へも行って、仲良く両方の親孝行をして欲しいと思ったりしています。
 心を軽くし、自然体になれる方法としては「夫・そして自分の子供たちへと命を繫いでくれた人達」と思うことでしようか。
 ところで、御霊の考え方については、二種類あって、人間は死ぬと肉体も魂もなくなって、灰が残るだけ、と言う人と、魂は残るという人がいます。これは自分が死んでみないと解らないことなのですが、臨死体験を書いた本を読んだり、つい先日もテレビで、アメリカのこととして放映していましたが、「死んだおばあちゃんが直ぐに家に帰りなさいと言ったんだ」と呼吸しなくなってずいぶん経って息を吹き返した男の子が言ったそうです。これなども確かに臨死体験です。
 私は、魂は何処に存在するのか解りませんが、きっと魂は残っていると信じている方です。そして私達家族を守ってくれている、と、これは疑いもなく信じています。
 そう理解しないと納得出来ない、偶然のお助けに何回か出会ったからです。その都度危機を脱して、此処まで家族みんな元気に過ごして来られました。親戚一同に広げて考えても、矢張りそう思います。それぞれの家族でそれぞれに偶然では済まされないような経験で、危機をすり抜けたことはあると思っています。知らずに済んでしまっているか、或いは運が良かったと思っているかも知れませんが、そのように「守られて生きて居る」と思うと自然に感謝の念が湧いてきて、心が安らかになります。
 日頃無神論者だと言っている人も、お盆にはお墓におまいりにでかけます。魂の存在を信じていなくても、手を合わせ、「どうぞ安らかにお休み下さい。何時も見守って下さって有り難うございます」とお礼を言って、誰よりも自分の心がやすらかになって帰ってくるのです。
 遙か彼方から自分迄、ずっと長く続いた命の流れに感謝することは、自分を大切に思うことでもあり、他人を思いやる心に繋がるものだと思っています、また同時にそれは汚れのない美しい心だと思っています。
 その土地によって、お盆のしきたりや供養の仕方は様々だと思いますが、単なる行事と言わずに、日頃忘れて過ごしている先祖の霊に思いを寄せて、感謝の気持ちを捧げる大切な日として、引き継いで行きたいものだと思っています。

同郷の夫と笹寿司作りつつ盂蘭盆のこと故郷のこと(再掲)

ふる里のお墓参りの盆提灯薄く明かりて田の道の列(あずさ)

ふる里は更地となりて残る墓足萎えるまで供養にゆかな(あずさ)

娘の逝きて15年経しこの墓参最後と思いて長く祈り来つ(あずさ)


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脱走 ー それを支えた人々

2013年08月10日 | 随筆・短歌
 立秋が過ぎました。つい先日、私達は揃って懐かしいドラマを見ました。「今朝の秋」という1987年の山田太一脚本の作品です。 年老いた父親として笠智衆が好演しています。末期がんの一人息子(杉浦直樹)が都会の病院に入院しているのですが、もう自分は長くないのでは、と思い悩んでいます。
 笠は妻(杉村春子)のふとした不倫で離婚し、一人でもう長く蓼科の家で一人暮らしをしています。杉村は気心の知れた従業員(樹木希林)と、今は二人である市で小料理屋をしています。また、息子の杉浦には、ブテックで忙しく働き、離婚を考えている妻(倍賞美津子)と大学生の娘がいます。
 笠は息子の入院を知って、早速見舞いに駆けつけました。死が近いのではないか、と聞く息子に「そんなことあるものか」と否定するのが精一杯の父親です。しかし、父の他に急に次々と十数年も顔を見なかった母親や、忙しがっている妻、実習に出掛けようとしていた娘が見舞いに来るようになり、杉浦は自分の人生が残り少ないことを知ることになりました。
 笠は見舞いに来たときに、友人(加藤嘉)を訪ねます。かれの妻もまた入院していて、妻に付き添っています。「親として何もしてやれない」と嘆く笠に「息子さんのしたいようにさせてやりゃあええ。酒を飲みてえと言ったら飲ませっちまえばええ」と言われ、その言葉が心に残ります。笠と加藤二人の名優が交わす、とつとつとした言葉の一つ一つが心にしみます。さすがの演技です。
 「蓼科に帰りたいなあ」と病室の窓から空を仰いで、絶望的になりながら、昔家族揃って楽しく住んでいた故郷蓼科を恋う息子に、その願望を実現してやろうと、夜になってから息子と二人で病院からの脱走を計るのです。
 蓼科には気心の知れた運転手が家を守ってくれています。タクシーで夜中に脱出し、朝には蓼科に着きました。敷かれた布団に寝て庭の木立を眺め、「やはり蓼科はいいなあ。空気が違うなあ」と立秋の朝を喜ぶのです。蓼科はこれから紅葉が見事です。
 やがてバラバラだった家族が、一堂に集まり、離婚を止めたという妻と、暫くは母親として世話をさせて欲しいという杉村と、娘と従業員と、蓼科の短い秋を共に暮らします。少し元気になった杉浦を車にのせて、ビーナスライン?を巡ったりして楽しみます。
 蓼科の座敷で、みんなで歌う「恋いの季節」(忘れられないの、あの人が好きよ・・・)が大自然と和して、音痴の笠と上手い倍賞と、みなそれぞれに声を上げて明るく歌うのですが、それが又一層哀感を誘います。
 現実に、このように働き盛りの人がガンに罹ることも多くあり、夫婦が離婚の危機を迎えていることも、珍しくありません。しかし、何年もバラバラだった親子、夫婦が一人の病人を中心に、一時にしても家族として温かく過ごし、又別々の道に別れていく。
 息子が亡くなって49日の法要も済み、やがて蓼科には笠と杉村二人になります。最後になった杉村が「時々は来ようかしら」と言い「ああ」と答えて送りに出る笠との元夫婦の別れに、少しの希望を感じました。すでに蓼科は寒く、雪がちらついていました。
 病院からの脱出行には異論も問題もあるでしょうが、私の夫が肺癌かも知れないと言われた時には、(このことは以前書きました)万一の時の病院からの脱出法についても話し合いましたので、一層他人事ではなかったのです。

 もう一つの脱走には、別の哀しみと温かさがありました。「老いぬれば」というドラマです。名古屋に住んでいたドラマの主役笠智衆の妻が病気で入院します。ところが急に息子が富山へ転勤になり、妻一人を病院に残して、笠は息子夫婦の家族と富山へ引っ越して行きます。寡黙で妻への愛情表現の下手な笠智衆は、病院に一人残して来た妻と会いたくてたまらなくなり、娘の嫁に貸してあったお金を少し欲しいと言うのですが、引っ越しにお金が掛かったのでだめだ、と言われます。とうとういたたまれずに、一人で小銭だけをポケットに、駅から入場券を買ったまま汽車に乗ってしまいます。
 やがて車掌の切符のチェックにひっかかって、小さな山間の駅で下車します。日がすっかり暮れているのに、知らない土地で放り出されてしまい、途方に暮れるのですが、うろうろしている内に、一軒の小さな旅館を見つけて入って行きます。そのまま二階に通されて泊めて貰うことになります。夜中に下が少しざわついていたので見に降りると、その旅館の老主(宇野重吉)の妻が亡くなったのでした。一人しょんぽりと妻の遺体の傍にいる宇野に、笠はお悔やみを言い、お参りをさせて貰います。お金を持たない笠は、宇野に自分がお金を持っていないことを打ち明けて、きっと後でお返しするからと、借金を申し出ます。
 宇野は「それはお気の毒だ。丁度今から駅に行くと、急行の夜行列車があるから」といって、名古屋までの旅費に余るお金を持たせるのです。「お金はどうでも良い。餞別だと思って下さい。速くいってあげなさい」といって送り出します。
 宇野重吉も年を取ってひとりぽっちになった老人なのですが、何処の誰とも知らない老人の身の上に同情し、亡くなった妻との思いを重ねて、「速くいってあげなさい」という重厚な宇野の演技と、寡黙でありながら、とつとつと真実を語る笠の演技の絡み合いは、実に見事で、ついほろりとします。
 人はこんなにも優しくなれるものか、とか、他人を信じる力強さといったものに、感動しながら、自然の演技で見ている人をグイグイと引き込んでいく、二人の力量の凄さに圧倒されました。
 やがて笠は名古屋の妻の病院へ着きます。富山からおじいさんが居なくなったと知って、もしかしたら名古屋かも知れないと駆けつけた息子達にあきれられたり、叱られたりしながら、笠は妻の病室に行き「会いたかった。どうしても会いたかった。この機会を逃したらもう会えんかも知れん」といいい、涙をこぼすのです。年老いた老人が残り少ない夫婦の時間を惜しみ、自分の口で表現出来る最大の「会いたかった」という愛の言葉を口にしながら涙をほろりと見せる演技は、見事でした。笠智衆という人は、それまで泣くシーンがあっても涙を見せたことがなく、必ず背中で泣いて見せたと聞きました。たった一回涙を見せたシーンだったのではと思います。帰ろうと言う息子達に「帰りたくない」と我を張り、しばらく痩せた四角い背中を見せて、じっと動かない笠の映像が流れます。
 共に生活している人よりも、他人の方が相手の心を良くくみ取り、無償の援助をしてあげるということはなかなか出来るものではありません。そうした優しさや、人を信じる心に思いを寄せながら、見終わった後、感慨に浸ったのです。

 先の蓼科は美しい高原で白樺湖があり、私達が丁度車で白樺湖畔のホテルに着いた時に、とても親しくしていた友人の訃報が入り、人間の運命のようなものを感じたのです。そんなこともこの二本の映画を見て思い出されました。

気配とふ音無きものの優しさの老い深む程身巡りに満つ(実名で某誌に掲載)


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