ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

知足のつくばい

2010年03月30日 | 随筆・短歌
 京都の竜安寺の石庭から回廊を渡って裏の庭に出ると、茶室に繋がる路地に、手や口を清めるつくばいがあります。これは「知足のつくばい」として知られています。石の中央に真四角の水受けを作り、竹筒から落ちてくる水を受け止めています。良く見ると、四辺は縁取られていて、「吾唯足知(吾、ただ足るを知る)」の口の部になっていて、上、右、下、左と右回りに四文字の口の部が共有されているのです。初めて見た時は、何と良く考えられているものか、と感動しました。
 本物は水戸光圀の寄贈と伝えられているそうですが、私達が拝見したのは、レプリカです。私達は禅にも疎く、「知足(足るを知る)」とは、「知足のものは貧しいといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧しい」という禅の教えだと知ったのは後のことでした。
 では私は知足といえるかと我が身に問いかけてみると、「このままで十分満足です」と答えるでしょう。煩悩まみれですから、日常は美味しそうな料理の写真を見ると、ああ食べてみたいとか作ろうかなど考えたりしますが、もし杜子春のように、何か希望を叶えてあげようと言われても、「ではこうして下さい」というものも見あたりません。
 私達が子供の頃は、戦中戦後の食糧難の時代であり、衣も食も貧しい時代でした。住んでいた家も、現在の私の弟や甥や姪の家の様にオール電化や、床暖房の住宅などでは無く、炭や薪を焚いたすきま風の入る家でも、有ればそれで充分という有り様で、それで不満はなかったのです。
 夫が小学生の頃は、谷あいの集落に住んでいましたので、肉といえば、何処かの家の牛舎が地滑りにあったり、雪崩に遭ったりして、牛が死んだ時にのみ、牛肉が食べられたと言います。何処の家庭でも鶏を飼っていたそうで、卵が食べられたこと、廃鶏を処理して食べることによって、蛋白源が摂取されたものだと良く話してくれます。
 私の家では子供達がウサギを二匹飼っていて、年末になると、業者が来て、皮を貰う代わりに処分してくれたものです。ピンクの肉塊になったウサギを可哀想とは思いましたが、すっかり家族で食べてしまいました。お正月にはキジを他所から頂いて、お雑煮にしていましたが、普段は専ら鯖の水煮缶詰で作ったカレーなどが、一番のご馳走だったのです。夕食がカレーだと解ると、嬉しくてワクワクしたものです。
 洋服や学習の用具などは、兄や姉のお下がりで結構不満もありませんでした。強いてあの時代に比較して言う積もりもありませんが、現在の暮らしは、「何とか食べていける」という事と「温かい家族がいる」という安心感、そして「日々やりたい趣味があって、忙しくしている」ことが、私に「足るを知る」を知らしめているのでしょう。
 私が以前一緒にに勤めた人の中に、とても優秀な女性がいて、ご主人と二人で休暇を取って海外へも旅行されていました。退職後は、夫婦で大いに海外へ出かけるのを楽しみにしておられたのですが、その日が来ない内に人間ドッグで癌が見つかりました。子供さん達もそれぞれ遠くに家庭をもって居られ、お母様もご病気で、私がお見舞に伺った時は、あれこれと心配だらけで、お気の毒な位にやつれておられました。「今は死にたくないし絶対死ねない」と仰っておられたことを考えると心が痛みます。
 やがて心を残して、この世を去って行かれましたが、彼女が亡くなったという訃報は、夫との旅先で受けました。遠くにいたので、告別式にも伺えず、寂しいお別れでした。このように気の毒な人がどのように足るを知るべきか、私には解りません。
 私の長兄も60歳で、妻と二人の子供を置いて、母より先に亡くなりました。後に残す家族を思い、きっと「自分の人生はこれで充分だった」とは、思えなかったでしょう。
 後々のことを私にも頼み込み、以前書いた様に、誰にも読めない乱れた文字で、ビッシリ書かれたリポート用紙数枚が残されていました。早世せざるを得ない運命を嘆いたり、後を託す事柄をこまごまと綴ったものだったのでしょう。
 しかし人間の欲望は止めどもなく、何処かで折り合わないと、何時もああであって欲しい、こうであって欲しいと、際限がありません。これではいつまで経っても幸せにはなれないでしょう。死を目の前にして、もし何かの途中であったにしても、此処まではこれで良し、としないと矢張り心が残り、足るを知った安息感とはいかないでしょう。自分が幸せを感じるかどうかの鍵は此処にあるように思えてなりません。
 私も義母のように、周りのお世話になった人達に「有り難う」という言葉だけは是非伝えて、魂のふる里へ旅立ちたいと秘かに思っています。

 ヒヤシンス涙のやうな露を抱く死にたくないと言ひし友逝く (実名で某紙に掲載)

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映画「阿弥陀堂だより」から

2010年03月23日 | 随筆・短歌
 先日録画してあった「阿弥陀堂だより」を見ました。ほとんど毎日、夜は映画を見たりして娯楽の時間にあてていますが、この映画を見るのは二回目です。初めて見た時にとても心に残った作品で、もう一度見たい映画の一本でした。
 原作は、南木佳士という医師で芥川賞作家です。私の夫がファンで沢山の作品を読んでいるようですが、そんなことは兎も角、初めての方にあらすじを紹介したいと思います。
 人里離れた山あいに、小さな茅葺きの「阿弥陀堂」と呼ばれるお堂があって、其処に年老いた耳の遠いお婆さんが独りで住んでいます。そこに病気の為に声が出なくなった若い女性が、時折訪ねて、人生経験の豊かな、しかし平凡なお婆さんの話を聞き、短い文章にして村の広報誌に載せているのです。
 「阿弥陀堂だより」というお婆さんの素直な感想は、読む人の心に潤いを与え、日頃私達が忘れかけていた、感謝の心を想い出させてくれる温かいエッセイです。
 一方、都会の大病院で、名医として著名であった女医が、忙殺される医療現場で心の病になり、作家である夫の故郷で阿弥陀堂の在る田舎へ、心を癒しに戻ってきて住み着き、村の診療所に週三日医師として勤めることになりました。
 優しく温かな夫、誠実で人間味のある女医との夫婦愛、そんな二人の近くには、シベリアから還って、今なお書に打ち込み、死を前にしながら自己に厳しく生きる夫の恩師とその優しい妻がいるのです。そんな人々の人間愛に、昔の良き時代に何処にでもあった人間関係が、彷彿と湧き上がって来る思いがしました。
 棚田のある四季の野山を散策したり、清らかなせせらぎの川で釣りを楽しんだり、阿弥陀堂を訪ねてお婆さんと会話をしたりして、次第に心の病を克服しつつありました。ところが突然「阿弥陀堂だより」を書いていた女性の病が重くなり、手術をすることになりました。逡巡する彼女は、夫の励ましを受けて手術を成功させ、これをきっかけに医師として立ち直っていく物語です。
 出てくる人達がみなとても心の温かい善人ばかりで、ひたひたと伝わってくる人々の優しい心が、四季折々の山河の美しさと共に私の心を癒してくれました。
 たまたまその日の新聞に、幼児虐待でいとけない子の死が報道されていました。幼児虐待は年々増加傾向にあるらしく、信じられないような事です。我が子を愛せないということが、何故起きるのでしょうか。病んだ人間関係、ひいては病んだ社会になっていく原因は、一体何処にあるのでしょうか。
 「阿弥陀堂だより」に出て来るあの温かい人達も、確かに私達の身近にいた人々ですし、貧しくても失わなかった心の優しさを、現代の人間も決して失ってはいない筈だと信じています。それを引き出すのは、温かく豊かな人間関係と、悩める人々に救いの手を差し伸べるもっと潤いのある情報が必要なのではないかと思っています。孤立した人間にとって、殺伐とした情報が波状攻撃のように次々と押し寄せたとしたら、誰でも窒息しそうになります。
 あの大自然の美しさは、だれが見ようと見まいと昔のままに今も存在していますし、心して見れば、道端のコンクリートの隙間にも、小さな花が咲いています。目や心を何処に向けるかによって、人間はもっともっと幸せに暮らせるに違いない、そして心に生まれるゆとりが、殺伐とした心をきっと癒してくれるに違いないと思い、早速実践したいと考えています。
 そんなふうに思いながら、「ばあさまの独り言」を書いているところです。「阿弥陀堂だより」を見終わって私も要求ばかり掲げないで、「明るいほうへ、明るいほうへ」(金子みすずの詩から)と光の差す方向へ向かって、日々生きて行きたいと強く思いました。

大家族の声は途絶えて古き佳き日本の家の朽ちゆくふる里 (実名で某誌載)                            身の丈の幸せはあり喩(たと)うれば道端に咲くタンポポの花 (再掲)

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報道のレベルアップを

2010年03月17日 | 随筆・短歌
 近頃は歳のせいか、嫌なことはなるべく避けて、心を平らなところに置こうとするようになって来ました。テレビも例外ではありません。最近は余りに酷いと言われ、特に下品なバラエティーという番組が、少し影を潜めて来たと聞きます。私達夫婦が現在、毎日決まって見る番組は、お天気予報とニュースが一日一回程度、それに私がクラシック倶楽部を可能な日だけ見るといったところです。
 不定期に見る番組を前もって検討するのは、ほとんど夫の仕事ですが、見たい番組に印を付けて、その時間のみテレビを付けますが、終わると必ず消しています。ニュースや社説などはネットと新聞で読んでいます。
 今はそのように暮らしていますが、やがて歳を取って家にばかり籠もるようになれば、テレビを全く見ないでは済まされなくなるでしょう。ですから各テレビ局には、国民が見たい、聞きたい、知りたいもっともっと良質の番組を提供して欲しいのです。国民の知識や良識、健康の向上を図り、また時には癒しに役立つ内容をお願いしたいです。それには、赤ちゃんからお年寄りまでを、ある程度年代別層別にすれば、相応な優れた放送が出来ると信じています。いずれにしても現在のように、見たり聞いたりすることにより、ストレスが増すようなものは、避けたいと思う人は大勢いらっしやるのではないでしょうか。
 政治討論の番組でも、様々な意見があるのは当然のことであり、それなりに勉強になりますが、司会者が余りにも横柄で高圧的だと、不快感が高まって、見る気がしなくなります。私達もとうとう我慢しきれなくなって、今では見るのを止めてしまったものが有りますが、司会者たる人は公平であり、品格のある紳士であって欲しいと思います。やがてある民放では司会者が交代するそうですが、後任となる人も又期待薄です。人材起用を見ていますと、その局の放送に対する意識まで透けて見えて来る気がします。
 公平といえば、最近の雑誌や週刊誌なども見出しを見ただけで、余りに興味本位に偏っていて、このような記事をあたかも真実のように書いて良いものかと、気が気でない思いをします。例を一つあげますと、夫の墓に入りたくない、夫と旅行なんて考えても身震いする・・・という記事の週刊誌の広告が新聞に出ていました。それは真実でしょうか。私の地域では周りのご夫婦は、仲の良い方がほとんどで、とてもそのデータが真実とは思えません。亡くなられて別のお墓に入ったと言う話も聞きませんし、この手の記事はただ売れさえすればそれで良い、と言う心理が働いている気がしてならないのです。しかし、根拠のない数字であっても、データはやがて一人歩きし始めて、あたかも真実のように思えたり、だったら私も、と考える人が増えて来るとしたら怖いことです。
 良くも悪くも放送や新聞雑誌類は、世論を知らず知らず誘導してしまいます。その点をしっかりと認識して、公正な報道に今以上に注意を払っていただきたいと思っています。 また報道を受け取る私達も、商業意識に汚染された記事や、自分達に都合の良い報道を盲信することなく、どれが真実か、しっかりと見極めるだけの努力をしなければならないと思っています。ともすると視聴率に動かされて、どんどん低俗化して行く傾向すら見えて、このまま行ったらこの国の未来はどうなるのでしょう。愛と希望に満ちた国家はますます遠のいて、乾ききった殺伐とした国に向かって行っているようで不安を覚えます。最近の男女の区別なく、むごい事件が頻発する世の中を見ていても、報道のあり方をも見直す必要さえ感じます。
 間もなく地デジでないとテレビが見られなくなるそうです。国が一方的に決めたことですが、地デジになって何が良くなるかと言うと、今より鮮明に画像が見られる、双方向に通信が出来る等だそうですが、今でも充分に綺麗に見えますし、双方向になったとして、それにどれ程の価値があるというのでしょうか。無知な私には良く理解出来ません。このことによって、多大な支出を強いられる国民のことを考えているのか、その方が心配です。
 私達か気に入って時折訪れる鄙びた温泉宿がありますが、その女将さんが、各部屋に地デジを入れるには、莫大な費用がかかり、この時期にその費用を負担して、その後やっていけるかどうか悩んでいます、ととても切なそうでした。地デジはこのように一生懸命生きている人達を更に苦境に追い込むことを初めて知りました。
 問題は綺麗な映像を見せることより、いかに優れた番組を作るか、安心して信頼出来る公平な放送を如何に安上がりに提供するか、ということが問題なのではないでしょうか。現在のような内容ならば、まずは見ないことが多く、従って視聴料は高すぎます。ほとんど見ない公共放送に、毎年高い代金を支払っています。アナウンサーは独りでニュースを伝えられる筈なのに、何故か二人で二倍の経費を使ったりしています。自局に優れたアナウンサーがいるのに、高い人件費を払ってタレントや元職員を連れてくるというのも如何なものでしょう。諸外国には無い現象です。
 災害があれば、民放では直ちに現場に駆けつけますが、公共放送のアナウンサーが局内から、忙殺されている現場市役所の幹部に、電話でインタビューをしているなど、ハラハラしながら見ています。被災地の方々より高い位置に立って、横柄な態度で取材しているようで、驕っているようにさえ思えます。現場ではきっと猫の手も借りたい位でしょう。
 また、マスコミには報道の自由と責任があると言っても、容疑者の両親の顔を写して感想を聞くシーンに出会うことがままありますが、ましてや加害者が成人している場合は、そこまでするのは如何かと思います。在る意味では加害者の親御さんも被害者なのです。 又我が子を失って悲しみのどん底に居る人などに、無神経にマイクを突きつけて、感想を聞く姿を見ると、記者の人間性すら疑いたくなります。
 私達には、見る、見ないの意志決定の権利がある訳ですが、視聴率を気にせずに、放送出来る局もある訳ですから、せめてそういう所が、率先して放送内容のレベル向上に一層勤め、健やかな心を育むために、もっともっと努力して欲しいのです。
 この歳になると多くの人は、抱えきれない程の哀しみや苦しみを乗り越えて生きて来ているのです。未来の子供達の為にも、もう少し生きている私達の為にも、健康で明るく、希望に満ちた将来への先達として、しっかりした番組や記事を提供したり、公正な報道に心掛けていただきたいと切望しています。
 そうでなければもっと良い放送へ、という地デジのキヤンペーンに対しても、納得出来ませんし、これから出費しなくてはならない沢山の方達にも気の毒です。せめて切り替え時期を、もう少し国民の経済状態が良くなるまで先延ばししても、一向に構わないのではないでしょうか。

  未知の空へ憧れゆくか雛鳥の羽根震わせ今し飛び立つ 
                      (実名で某誌に掲載)

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救急車のお世話になって

2010年03月11日 | 日記
 やっと過去形で、救急車のお世話になった体験を書くことが出来るような気分になりました。それは1月下旬のある日のことです。
 真夜中に気分が悪くなり、隣に休んでいる夫を起こすべきかどうか迷っていたのですが、なかなか良くならず、意を決して呼び起こし、吐き気止めのくすりを薬箱から探してもらいました。お医者さんにかかつた時に、飲み残した薬を大切にしていて、こんな時に使っているのです。
 それを飲んで寝ていたのですが、中々良くならず、熱はないのに寒気がして、私はうかつにも電気毛布のダイヤルをどんどん上げて、最高にしてしまいました。朝5時頃だったでしょうか、気分が悪くなって、トイレに立ったまでは覚えているのですが、トイレの前で仰向けざまに卒倒してしまったのです。
 廊下の壁に大きなへこみを付けて、とても大きな音を立てて倒れたものですから、夫が驚いたのも無理ありません。駆けつけてみると、私は目を開いたままゴウゴウと高いびきで意識が無く、幾らゆすっても中々気が付かず、夫は「ひょっとしてこのまま死ぬのか」と思ったそうです。
 しかし、やがて気付いた私は、そろそろと這って蒲団に潜り込み、朝食を食べずにそのまま寝てしまいました。しかし気分の悪さは一向に変わらず、家族が朝食をとっている間に、私はもう一度トイレに立ちました。ところが再びドスンと倒れて、意識が無くなってしまったのです。おろおろする夫に、息子がテキパキと指示して、救急車を呼びました。私はすっかりぐったりしてしまって、意識が朦朧としたまま病院に搬送されました。
 土曜の朝でしたので、当直医がCT撮影をして下さって、脳梗塞ではないことが分かりホットしました。しかし、倒れた時に打ったらしく、腰が痛くて歩けませんでしたので、整形外科で腰椎のレントゲン検査を受けました。異常は無かったのですが痛みが烈しいので、痛み止めの注射をして頂ました。けれども何故か立てず歩けずで、今度は内科に受診して、点滴して頂きましたら、何とか力が出てきてタクシーに自分の足で乗って帰って来ることが出来ました。
 要するに単なる起立性低血圧に依る脳貧血だったのです。けれども電気毛布のダイヤルを上げて長い時間が経っていましたから、脱水症状も加わって、うまく歩けなかったのではないかと私自身は推測しています。
 後日掛かり付けの循環器内科の医師に、この場合、救急車を呼ぶのがベストだったと伺って、少しホットしました。最近一寸したことで、救急車を呼ぶということが問題になっていますので、私のような起立性低血圧程度で救急車を使ったりしては、申し訳ないことです。 けれども素人には判断がつかないことなので、あの場合は仕方が無かったと思っています。この度つくづく思ったことは、救急車を有料化 してもらう方が頼みやすいということです。命を救って頂くのですから、医療行為の一部として、自己負担があって当然だと思いました。いろいろと難しい面もあるのかも知れませんが、少なくとも私はそう感じています。
 我が家では、娘が小さい頃海水浴に連れて行って、毒クラゲに刺されて呼吸困難になった時、義母と義父がそれぞれ倒れて入院した時に救急車を頼んでいます。いつもとても有り難く感謝してきました。
 急病に襲われて、動けなくなった時は、救急車ほど有り難いものはないとしみじみと感じました。以来今日までかかって、ようやく腰の状態や身体のあちこちも良くなりました。
 救急隊の皆さんのキビキビした対応や、患者である私に対する優しく温かい接し方に深い感動を覚えました。意識レベルを測るのに声を掛けながらの血圧や脈拍の様子の測定、そして酸素マスクと、朦朧とした意識の中でも、救急隊の方には、とても親切に対処して頂き、何とお礼申し上げて良いのか解らないくらいでした。
 医療にも介護にも受益者負担がありますが、救急車の利用についても同様に考えても良いのではないでしょうか。さもないと、このたび頂いたご親切に対するお礼が不十分のようで心苦しいです。
 救急車の有り難さと、人間の真心の温かさに直接触れたこの冬の経験でした。

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音楽を楽しむ

2010年03月06日 | 随筆・短歌
 私は特別クラシックに詳しい訳でもなく、演歌が好きという訳でもなく、クラシックからポピラーまで、様々な音楽を楽しみます。
 日頃は、午後家に居る時は、欠かさずに聴いているのが、BSハイビジョンのクラシック倶楽部です。CDはそんなに多くはありませんが、パソコンで聴くものや、CDコンポできくものまで様々持っていて、良く聴きますが、だんだん自分の好きな曲に偏って行きますから、こんな風に一方的に聴かされるのも、新しい発見があって期待して聴きます。
 人の邪魔をしないように、また私自身が静かに聴けるように、ヘッドフォンをして聴きます。このヘッドフォンは、クラシック用で亡くなった弟の遺品であり、可成り高価なものです。私達も昔は、身分に不相応な外国製の大きなスピーカーを部屋の左右にしつらえて、ステレオでLPレコードを楽しんでいました。ところが太陽に当たるとスピカーの表面の音響板がポロポロ落ちて来るようになり、一度はわざわざ取り寄せて取り替えてもらったのですが、レコードがすたれてしまって、私達も時代の波に乗ってCDに切り替え、とうとう二つのスピーカーは、粗大ゴミに出してしまいました。あのソフトな音に親しんでいた頃が懐かしく、時折勿体ないことをしたと偲んでいます。
 何時でしたか、原語の歌曲は音として楽しむけれど、詩を味わって聴きたいと書いたことがあります。詩と曲は一体になって人の心を揺さぶり、心の中に潜んでいる感情をかき立てます。優れた詩に優れた曲が出会った時、そして感情表現の上手い歌手が歌って、始めて素晴らしい音楽となって、聴く人の魂に響くのだと思います。
 ところで、世界中に様々な楽器があって、それぞれに伝わる心がありますが、私は人間の声程美しい音色を出すものはないと感じています。多分多くの方が感じておられることではないかと思うのですが、それはどんな楽器より自在に音色を奏で、強く、弱く、優しく、烈しく、本当に変幻自在に感情を心の奥まで伝えて呉れます。人間の喉は何と美しい音色を持っているのかと、ほとほと感心してしまいます。
 若かった頃は西洋かぶれしていて、日本の音楽が田舎っぽく感じられ、ベートーベンやモーツアルトの曲などの西洋音楽ほど美しいものはないと信じていました。けれども最近は、尺八の何とも言えない哀愁を帯びた音色や、箏や鼓にも心が引かれます。また南米の烈しいリズムや、アイヌの独特な哀切に満ちた音色も美しいと思うようになりました。
 また先日はヒーリング音楽としてCDになっている、娘が生前行ったことのあるニューカレドニアの波の音に耳を傾けていました。目を瞑って波の音に耳を傾けていると、自然の奏でる優しく大らかなメロディーには、心がゆったりと溶けていって、母の胎内に居るような安らぎを覚えました。 比較的忙しく過ごしている私は、ヘッドフォンで音楽を聴きながら、パソコンで文章を書いていたり、短歌を推敲していたり、音楽だけに専念して聴き入っている時間は、全体の三分の一位です。「ながら鑑賞」で良くないのですが、音楽は日常生活と結びついて、私を癒し、力づけ、懐旧の想い出に誘い、生きている幸せを感じさせてくれています。
 何だか、独りよがりな文章を書き綴ってしまいました。きっと皆様もお好みの音楽に親しみ、情緒豊かな日々を過ごしておられることだと思います。喩え楽器の奏でる音楽ではなくとも、静かに戸外の音に耳を傾けると、小鳥の囀りも風の音も、雨が大地を潤す音も、自然んが奏でるハーモニーとして、聞こえて来ることがあります。そういう時は、必ず私の心が穏やかに満ち足りていて、幸福感に浸っている時に限られるようです。心豊かに生きるための一つの鍵を見つけたような気がいたします。

 春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて涼しかりけり  道元禅師


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