ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

フィットネスクラブの話題から

2010年07月29日 | 随筆・短歌
 年寄りの冷や水とからかわれながら、近くのフィットネスクラブに通っています。週二回くらい、各二時間程度の軽い運動をしています。最初は家族に勧められて、やがて足腰が痛くなってきて整形外科の医師に診て頂いた時に、医師にも勧められ、筋肉を鍛えることと、有酸素運動をすることに重点を置いて、細く長く続くように通っています。
 このフィットネスクラブには、様々な男女が集まっています。私のように健康な身体を維持したい人、糖尿病などで運動を必要とする人、そして最近目立つのは、若い女性がスタイリッシュな体型を維持する為に、これ以上痩せない方が良いと思える人までもせっせと通って身体を引き締めるトレーニングを受けています。中には幼い子供を保育園に預けて来ている人も居られるようです。
 ところで、この若い女性達を見ていますと、折々気になることが見られます。それは、イケメンの若い男性トレーナーのレッスンに殺到したり、その人が移動することになると、大変な落胆ぶりで、中には涙を見せて悲しむ人もいます。それらの人の中には40~50代と思われる人までいて、夫が居ながらどうして、こういう気持になるのでしょう。その様子は私には異様に思われて理解に苦しみます。
 美形の男性の韓流スターを追いかけて韓国へ出かける女性が多い、と聞いた当時は、馬鹿馬鹿しいと一笑に付していましたが、こうして目の前で、年配の夫の居る女性が美形の男性の後を慕う姿を目撃すると、不思議に思えて首をかしげてしまいます。そう云えばこの前の選挙にも、応援に来た美形の若い男性議員に、キヤーキャーと多くの女性が群がる光景がTVに写し出されていました。そんなことで票が動くほど、この国の有権者は、無知ではあるまいと思っていたのですが、どうやらそうでも無かったようです。選挙の結果は、国民の民意だと云われますが、こんな動機で投票されても民意だとなると、哀しい気がします。
 戦後になってやっと選挙権を自分の手にした筈の女性が、この程度の意識で選挙に臨むのなら、本当に嘆かわしい限りです。こんな女性に選挙権は不要だ、とある人が言って、問題になっていましたが、その気持も解るような気がします。勿論全ての女性がそうだとは云っていません。このような一部の女性の軽薄な行動が、第一線で活躍している立派な女性や、一般の良識のある女性の地位向上の妨げにならないようにと願っています。
 先日ある新聞に、専業主婦が自分の子供を保育園に預けて、自分はあちこちの趣味の講座に通って、自己の生き甲斐探しをしていると出ていました。現在の厳しい生活を支えるには、共働きは是非必要でしょうし、そういう人達の為にも乳児からの保育園が不可欠なこと、待機児童の解消が一刻の猶予も許されない事情は、十分に理解できますが、一方専業主婦が、自己実現の為に週何日と乳児保育をお願いしたり、延長保育を頼んだりするのは、如何なものでしょうか。老婆心といえばそれまでですが、乳幼児はしっかりと母親の傍で育てて、豊かな愛情に満ちた子育てを、先ず優先して欲しいと思うのです。子供が親を切に必要とする時期は、ごく短く、本当に愛情豊かに、しっかりした育児をしないと、やがて子供が問題児になったりして、それは子供自身にとっても親にとっても不幸なことです。気付かなかったといっても、もう時既に遅しで、失われた時間は戻って来ません。 私の考え方は古いといわれるかもしれませんが、国としても一家の働き手には、もっと高い収入があるような世の中にして、子育て中の主婦は、家庭で安心して豊かな愛情をかけて子育てができるような国家にして欲しいと思います。それも少なくとも二人以上の子育てが出来るようで無ければいけないでしょう。やがて子供が大きくなったら、母親は再び元の職場に戻って働けるシステムも必要です。
 中国の一人っ子政策は、人口調節では成功したかも知れませんが、王子様のように育てられた子供は我が儘一杯に成長してしまい、成人した後の社会を心配する声も耳にします。
 皇后美智子様が、皇太子妃でいらした折りに、海外へのご公務の時には、「一日に三回、子供をしっかり抱きしめてやって欲しい」と女官に頼まれたということがあったと記憶しています。たとえ共働きで忙しい母親であっても、これは誰にも出来ることです。
 現在は毎日の様に新聞やテレビのニュースに、幼児虐待のすさまじいばかりの報告がなされています。虐待児の母は、多くのストレスを抱えていたり、また虐待されて育った子供は、親になると矢張り我が子を虐待するとも云われていて、その連鎖を断ち切って、母子ともに救ってやる必要があります。行政としては、なかなか至難な技と言えるかも知れませんが。
 何十年も先の遠い将来を見据えて、政治家の人達ばかりでなく、国の宝である子育てについて、みんなで考えていかなければならないと思うのです。
 将来を担う子育てをしっかりすることは、国の最重要課題です。私は多少の我慢を強いられても、道路がすこし不便なままでも、又天下りを無くしたり各種法人への補助金をカットしてでも、子育てや、教育に税金を投入して欲しいところです。

 子育てより崇高な仕事はなかるべし専業主婦への我が応援歌 (再掲)



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鏡の向こうに見えるもの

2010年07月23日 | 随筆・短歌
 私は外出する時に、ほんの少しばかり化粧をします。鏡で眺めて、自分の顔の老いの深さに気付くと「年を取るということは、こういうことね」と思います。じっと眺めていると、それは顔ではなくなって、いつの間にか今の自分の心そのものになっていることに気付くことがあります。つまりこの時は、鏡の向こうに心が移動してるのです。
 今朝は、その鏡の中の私の心は、いつの間にか政治家の孤独について考えが及んでいました。いつもは、兎角政治に批判的な私ですが、鏡を眺めている内に、頑張ってマスコミや国民の批判に耐えている政治家の孤独に思いが至りました。
 以前「葵 徳川三代」の数巻のドラマを見ていた時に、家康が息子の秀忠に対して、「將たる者は、心に一匹の鬼を飼わねばならぬ」と教えてる場面があって、何故か心に残っています。人の上に立って、政(まつりごと)を司る人は、ある時は鬼になっても成し遂げなければならない場合がある、ということだと思い、時には非情にならなければならない、將たる人の哀しみに触れた気がしました。
 又今回は、ちょうど「独眼竜政宗」のDVDを毎週一枚の割で見返しているところですが、戦国の世にあって、藩を守ることの大変さにも心を動かされています。作品に依って家康や、秀吉、政宗の人物像は違いますが、共通して言えることは、良いブレーンを持っていること、そして、常に確固たる信念をもっているということです。
 孤独に強くなければ、將として大成しない、といえるのではないでしょうか。そんな孤独な影を鏡の向こうに眺めながら、現在の政治家の孤独に重ねて考えていました。
 私は孤独に弱い人間だと自覚していますから、孤独に強くならないと、晩年の自由で幸せな生活はないだろうと思い、何時も家族を頼りにばかりしていますので、もっと自己をしっかり持たねばならないと思いました。
 話しが横道にそれました。人となりの姿を映し出す鏡は、幾つもあって、多様な人物像が浮かび上がってきますが、それぞれに私達に何かしら教えてくれます。歴史ドラマには古くて新しい人間像が見えて、時代はどの様に変わろうとも、人間の本質は不変であると、改めて教えられます。
 伊達政宗の墓所に行った時、傍らに殉死した家来の墓が沢山並んでいて、涙を誘いました。でももっと心を引かれたのは、その家来の家来が殉死しているのです。主(あるじ)に忠義の証を立てて、後を追う様を想像しただけで、いたわしい思いに涙が溢れます。いくら人間の本質は不変だと云っても、主君への忠義に命を投げ出す価値観は、現代人からは、完全に消滅してしまいました。それはそれで良いのでしょうが、とかく自分の権利を主張して、人の為に何かしようという気持が薄らいで来ている現在の世の中を思うと、もう少しでいいから、お互い譲り合いの心を持ったなら、もっと住みやすく成るのにと、ついつい思うのです。しかしこれも又、他人に変化を求める心だと反省しています。
 鏡を見ながらこんなことまで夢想してしまっているので、いつも私の心はフラフラしていて心此処にあらずで、何か聞かれても返事もしないことがあり、何処へ飛んでいっているのかと、時折家族に注意されているのです。

 人間(じんかん)をすりぬけて行く交差路に孤独の影の群れが往き交ふ(某誌に掲載)

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祖父と父の後ろ姿

2010年07月17日 | 随筆・短歌
 私の祖父は、医師の家庭の次男でした。その祖父は、二代続いた女系家族だった私の実家に婿入りして、三人の女の子に恵まれました。その長女が私の母です。
 幼い頃に比較的病弱だった私は、お腹をこわしたりして、良く祖父にヒマシ油を飲まされました。お腹をこわすと直ぐに祖父は、ヒマシ油を飲ませて下痢でお腹をきれいにして、その後母の作ったお粥に梅干しというのが、お決まりの治療コースでした。あの不味いヒマシ油ときたら・・・もう病気にはなるまいと思うのですが、矢張りよくお腹をこわしたものです。
 祖父は、薬に大変詳しく、孫のちよっとした病気の手当をしてくれて、美味しい気付け薬のようなものも飲みました。
 明治生まれですが、ハイカラな人で、写真機も、アネロイド気圧計も持っていて、「気圧が下がってきたから、荒れるぞ」と天気予報をし、当たると悦に入っていたものです。 私の受験の写真も祖父が撮ってくれたものです。蛇腹の付いた古い写真機で、自分で暗室を持っていて現像もしました。
 農地は小作に出していましたので、米を作ることもなく、自分は銀行へお弁当持参で出かけていました。当時銀行は、高利貸しと同業に思われていたらしく、母が子供の頃に「高利貸しの子」とからかわれたこともあったそうです。母は笑いながら話していました。銀行はさる貴族院議員の人のもので、当時は祖父が任されていたのです。祖父の「ヒマシ油治療法」のせいか、孫の私達は何とか大病もせずに育ちました。祖母は私の兄が生まれる直前に、突然の心臓病で亡くなりましたので、私達兄弟は顔も知りません。
 さて父ですが、こちらも次男であったため、養子として母のところへ婿入りした訳です。祖父は自分も婿養子であったので、父に対して理解のある人でしたから、父と母は、戦争が厳しくなるまで、家族水入らずで転勤族として過ごしました。
 教育者であった父は「これからは、男も女も教育が財産だ」と言って、子供には、書物を買い与え、魚や植物や動物の図鑑を買ってくれてありましたので、私は夢中で眺めました。田舎の家には母の女学校時代の文学全集も揃っていましたから、伏せ字の本を解りもしないのに、読みふけっていました。どうしても歯が立たなかったのが、ダンテの神曲だったことは、今でも忘れません。
 イソップやグリム童話、日本の昔話の絵本などに囲まれて育ち、図鑑などから様々な知識を得て、それが今でも役立っています。
 祖父は余程男の子が欲しかったのか、母に男のような名前を付けました。名前だけ見ると、男か女か不明だったせいか、母のところに召集令状が間違って届いてしまったそうです。祖父は早速取り消しの手続きをしたと、母が面白がって話してくれました。
 又父は自分に召集令状が来ることをとても怖れていました。父としては3つ目の、当時の女学校に勤めていたころに私が生まれて、三歳半の春に転勤になりました。もうその頃には記憶がありましたので、父が「今度こそ戦争に行かねばならない」と家族を置いて出征することを心配し、母が不安そうにうつむいていたことを覚えています。更にその次の転勤は、ふる里の旧制中学への転勤だったのですが、母と子供達は戦火を逃れて、先に祖父のところへ帰して単身赴任をしていました。その頃には父は「もはや招集を免れることは出来ない」と覚悟を決めていたようでしたが、幸運にも教師へは召集令状は最後にまわったとかで(これは噂で証拠のない話です)やがて終戦となり、結局招集されずに済みました。
 父はとても勤勉で、農地は開放になって無くなりましたが、山林が残り、それを私達子供の教育費に回しました。けれども父は、木を切ったところはただちに全て植林して、祖先からの山林を守りました。
 当時学費の送金は、現金封筒でしたから、何時も父の温かい思いやりに満ちた手紙が同封されていました。母は大勢の子育てで忙しく、教育は父任せでした。父は叱ったりすることのない人でしたが、子供としては矢張り煙たいところもありました。けれども成人を境にして、以来決して私のする事に口出ししなくなりましたし、私の部屋にも無断で入ることはありませんでした。子供の教育という面ではけじめの付いていた人だったと、今も感心しています。
 私は勉強嫌いでしたから、父の期待に背いたり、決断出来ないことは、父に背中を押されたりして、やっと此処まで生きて来ました。父が逝った年に近づいてきた自分を見つめると、父の姿が益々大きく見えて、一生かけても追い付けない不出来な娘だったと、詫びずには居られません。それでも命ある限り、一歩でも前進したいと願っています。

父の期待我はすげなく踏みにじり今なほ残る若き日の悔い
  父母の人生も平坦でなかりしとしみじみと見る亡父の履歴書 (全て某誌に掲載)



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バカのバカは?

2010年07月11日 | 随筆・短歌
 過日急に暑くなった日の夕方近く、庭のピンクの西洋紫陽花の一株がしおれていて、急いで水を与えたのですが、とうとうしおれたままで枯れていきました。この紫陽花は、娘夫婦と鎌倉へ行って紫陽花展を見た時にとても気に入って、帰って直ぐに近くの花卉センターで買ったもので、娘が亡くなった今は、大切な記念の花なのです。
 この紫陽花が植えてあった場所の右には、以前枇杷の大木があって、毎年沢山の実が成り小鳥の格好な餌になっていたのですが、或る年ハラハラと葉が散り始め、年々弱ってとうとう枯れてしまったので、庭師さんに切って頂きました。
 何故でしょう?と聞きましたら、「恐らく灯油を零したのではないですか」とのこと、夫は、「そうそう何時だったか零した覚えがある」と言いました。近くに灯油タンクが設置してありますので、零れると確かにその場所に流れて行くのです。以来枇杷の後に植えた木は、次々とことごとく枯れてしまうので、今は大きな樹になるものは諦めて、少し土を新しく入れて、去年1m50cm程の小手毬を植えてあります。
 ピンクの紫陽花はその隣ですから、もしかしたら灯油のせいではなく、私の手入れが悪いのではないかと思い、枯れた一株を取り払って、隣に生きていた一株から、小さい鉢に挿し木をしました。
 ピンクの紫陽花の隣の、もう一種類もついでに挿し木にして、万一枯れても困らないようにしようと、毎日祈るような気持で二鉢の紫陽花に水をやっているところです。これは、青い額紫陽花で、少し離れた家のご主人から枝を一本分けて頂いて、私が挿し木にして増やしたものです。
 その方の奥様は、退職後不定愁訴のような体調不良を訴えられて、もう十数年も殆ど外出されることはありません。特にこの数年は全く外出されなくなり、80歳近いご主人が家事一切をしておられます。私達がウォーキングでたまたま通りかかる時に、良く立ち話をするのですが、先日はご自分が玄関先の石段で転び、頭を打ってしばらく意識を失っていて、病院へ行ってきたと仰り、何時自分の方が先に逝くかも知れない、と不安を訴えられました。
 夫は、それまでも時々は、奥様の症状(次々とあちこち具合が悪くなる)から鬱病を疑い、それとなく精神科の受診を勧めていたのですが、矢張り抵抗があるようで、神経内科を受診したりしておられました。その後も病状は一向に好転しないまま今日に至りました。 私は、とても黙って見て居られない思いで、「私は喪失鬱になったことがあり、直ぐに精神科で受診して、薬を飲んでお陰で良くなりました」と言いました。夫も近くの病院に心療内科があるから、と勧めましたら、今回はとても喜ばれて「直ぐに連れていきます」と仰っておられました。
 鬱病も次第に一般的な病気であると、認知されるようになり、良い薬も出て良くなる病気です。速く正しい治療をされれば、こんなに長く外出も出来ないような暮らしはしないで済んだのではないか、と思うとお気の毒です。尤もこれは医学に無縁な私の一方的な思い込みかも知れません。
 ところで、先日新聞に「紫陽花はバカでも育てられる」と読者の投稿が載っていました。
「それでは私は、バカのバカかしら」とがっかりして言いましたら、夫が「バカのバカとは、ひっくり返すと天才ということだ」と言いました。励ます積もりで言ったのでしょうが、これを聞いて私は益々落ち込んだのです。
 暑い日が続くようになって、挿し木にはふさわしくない時期なのですが、暑さにしおれてしまわないように、水やりの管理をして、何とか育てています。今度そのご主人にお会いした時は、お元気でにこやかな笑顔に出会いたいものだと二人で話し合っています。
 
 鬱といふ文字にも慣れてうつ去りぬ六月の空は深き青なり (某誌に掲載)



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礼儀の薄れゆく社会

2010年07月05日 | 随筆・短歌
 最近は、「長幼の序」等という言葉は死語になったのでしょうか。やたらと平等意識が支配して、人と人の間に自ずから存在する筈の礼儀を、わきまえない人間が沢山闊歩するようになって来たように思います。
 先日あるテレビニュースを見ていましたら、菅総理大臣に向かって、テレビキャスターが菅さん、菅さん、と呼びかけて話をしていました。私のような年寄りには、少しこのテレビキヤスターは、常識に欠けているのではないかと感じられました。少なくとも日本国の総理大臣にたいして、「菅さん」とは・・・。
 そして、同じ質問を何度も繰り返すのですが、これは総理の説明が彼には理解出来ないせいなのか、或いは言質を取ろうと故意に質問を繰り返しているのかのどちらかに見えました。その上最後は「しっかり頑張って下さい」と締めくくったのですが、この言葉もいやしくも総理大臣に申し上げる言葉ではないように思います。
 「昔陸軍、今マスコミ」と言われるようになって、もう久しい年月が経っています。確かに地位や名誉のある人は、マスコミを敵にしたら、怖いことだと思います。筆一本で葬られてしまうのですから。
 参議院選挙が近づいて来て、政治家は自分たちのしてきたことを忘れたように、他党の批判に明け暮れしています。同じ考えを持っていたら、この国の為になることは、なぜ党派を越えて協力しないのでしょうか。
 Aの党もBの党もCの党も、自分達の主張を言い張るばかりで、ではどうすべきか、というと具体案はないか、もしくは素人の私にも「それではどうしようもない」と、思われることしか言いません。批判の為の批判であって、建設的な前向きな意見とは、とても思えません。
 テレビ局は、国の政治より、サッカーに熱中したり、他国の俳優の死の方が大切らしく、それを悪いとは一概には言いませんが、ニュースの内容の軽重をもっと吟味して、放送して欲しいと思うのです。
 話は変わりますが「サムライ」とはどういう人のことを指して言うのでしょうか。日本サッカーのチーム(オリンピックの時は野球チーム)を指して、サムライジャパンと言うようですが、どういう価値観を持ってこう名付けたのでしょうか。武士道とは、忠義を第一義とする価値観であり、美学でもあって、武士道の理念を表した「葉隠(はがくれ)」には、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」と書かれているのです。
 諸外国では、「ハラキリ」を連想させる「サムライ」という言葉に、どう感じているのでしょうか。無学の私は知りませんが、たしかペルーの日本大使の母親も息子をサムライと称して、世間の失笑を買った記憶があります。
 サッカー選手達の素晴らしい活躍に感動した私ですが、選挙戦に血眼になっている政治家に目を転ずると、政治家こそ日本を背負うサムライであって欲しいと思わずにはいられません。この場合の忠義の対象は、国民です。
 はてさて、テレビを見ては、直ぐにカッカとし易い私のこと、この辺で外に目を向ければ、今紫陽花が梅雨空に美しい花を付けています。殊更に紫陽花好きの私達夫婦は、切り過ぎないように気を付けながら、「お陰様で今年も紫陽花がきれいに咲きました。楽しんで下さい」と語りかけて、新しい花を切っては仏壇に供えています。
 庭の紫陽花でも眺めながら、もう少しゆとりある心で世の中の出来事を眺めることに致しましょう。

 苛立ちて尖りゆく心をなだめつつ青きあじさゐに降る雨を聴く (再掲)



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