ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

日本国憲法はそれほど軽いのか

2015年07月23日 | 随筆
 集団的自衛権の法律が、この度衆議院での強行採決によって、参議院に送られました。思えば、日本国民も何と侮られていることでしょう。世界一温和な日本国民も此処まで侮られては黙っておれず、国会議事堂周辺や日比谷公園を大勢の国民がデモをしており、それはかつて無い規模になりつつあります。
 この様子を見ても分かる通り、国民は、詳しいことは分からなくとも、首相が進もうとする方向は、良く見えて分かっているのです。
 若い女性が、「自分の子供が戦争に行くなんてたまらない」とインタビューに応じていたではありませんか。先の安保闘争以来、維持してきた個別的自衛権で対処して、あくまでも専守防衛、それがぎりぎりのところではないかと私は思います。
 恒久平和をうたっているスイスも、自国を護る武器は保持し、それぞれの一般家庭でも武器は持っているそうです。
 自らは戦わないけれども、戦いを仕掛けられたら応戦し自国を護ることは、最近の世界情勢を見る限り必要だと多くの人はそう思っていることでしょう。しかし、誰も好き好んで戦はしたくないのです。自国のみならず、友好国が攻められたら、地球の裏側に行ってでも戦う、というのが集団的自衛権の主旨です。
 政府は、質問の論点をかわし、不適切な例を挙げながら、何とか法案を成立させたいようですが、どうあがいても現行憲法のもとでの集団的自衛権の承認は不可能であることは、全ての国民に分かっていると思います。日本国憲法第9條には、次のように書いてあります。国民周知の事実ですが、あえて掲載します。

第9條
  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この憲法は、戦争放棄を述べています。もし他国に攻めて行きたいなら、憲法を先ず改定するのが筋道でしょう。国民が反対して、それが出来ないと思うからこそ、解釈変更という禁じ手を使って憲法を無視しようとしているのです。 
 この法律の何処をどう解釈したら、集団的自衛権を行使することが出来るというのでしょう。憲法は国家が依って立つ根本であり、ここに明確に禁じている行為を合法として承認したとしたら、日本は無法国家となり、時の総理の都合によって、どのようにでも法律の解釈を変えられることになります。
 先の大戦では、国民は政府に便利な情報のみ聞かされて、「依らしむべし、知らしむべからず」と言われて、大変な犠牲を強いられたではありませんか。
 今ノーベル賞学者や法律の専門家、作家、医師、芸術家他多くの知識人の人々も、これだけは通してはいけないと立ち上がっています。若者もどんどん集まって、直接自分達に降りかかる危険を排除しようと努力し始めました。
 首相は、この法律は、国の戸締まりです、と言っていました。詭弁を弄するのもいい加減に願いたいです。施錠をしない法律の何処が戸締まりなのでしょう。これでは宇宙人と会話しているようで、意味が通じません。敢えて通じないように、言を左右にして、言いくるめているとしか思えないではありませんか。
 国会答弁でも、質問には常に抽象論をもってし、的はずれな例を当てはめて煙りに巻こうとし、「総合的に判断します」と言うのみで正面から質問に答えようとしないのは、事態を正しく認識しているのかと、疑いたくなります。皆さんもテレビでご覧になったでしょう。
 法案が決定した後に「国民も分からないようだから、これから良く説明していきます」と言いましたが、分かるように説明した後に採決すべきであり、全くの自己中心でしかありませんでした。
 各県や市町村単位で、良識ある人々が、「運動費自己負担で行動を起こしましょう」と言われれば、私も手弁当と少々のカンパ金を持って、出掛けたいと思います。もはや傍観者では居られない気持ちになっています。
 今ここで阻止しなければ、未来の子供たちや家族は、再びあの惨状に泣くことにならないでしょうか。そしてもし、ボタン一つの戦争が始まれば、広島・長崎以上の惨状になるのは、目にみえています。
 既に自衛隊員は辞められなくなった、と小耳にしました。本当でしょうか。現に防衛大学卒業者で、この春自衛隊員にならず、民間会社に就職した人が200名以上とかいう話しも小耳に挟みました。これも確たる数字ではないかも知れませんが、兵士が足りなくなれば、直ちに徴兵制度を引かなければならなくなるでしょう。
 この徴兵制度の件は、元防衛省の整備関係の局長だった或る市長の話で、事実です。
 徴兵制度はあり得ないと、首相は言いますが、それこそあり得ないそうです。兵士に成りたく無い人ばかりになれば、このことは誰が想像しても納得がいきますね。こんな大事な事を隠しおおせると思うのでしょうか。でもあの黒塗りの自衛隊派遣報告書をテレビで見た時、矢張り市長の話が一層真真実味を帯び、危機感を感じるばかりです。人間心理として当然だからです。
 NHKは先日の衆議院の採決の場面を、ニュース放送しなかったですし、聞くところに依ると民間人からの抗議が殺到したそうです。既に言論統制が始まっていると思ったのは、私一人では無いでしょう。NHKの偏向放送は、戦時中の大本営発表を思い出させます。
 正しく伝えるマスコミらしい或る新聞社は潰せ、と一部でいっていると聞きました。さすがに行き過ぎで、かえって反感を持たせただけのようでしたが、こうして密かに言論弾圧が始まっているのでしょうか。恐ろしいことです。孔子は「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」(論語巻第8から)と言っています。
 日本は民主主義の成熟した、礼儀正しい素晴らしい国だ、と思っていたのは、幻であったと思うのは寂しく哀しいことですね。
 私のような一介の老女が、国の政治や、首相の言動を批判することには、忸怩たるものもありますが、今回は、勇気を出して書きました。

親学のすすめ

2015年07月11日 | 随筆
 我が家で読んでいる新聞の七夕の日に、子供新聞が折り込まれて来ました。それに「怖いと思うものは?」という特集が載っていました。私は現代を生きている子供たちが、何に関心を持っているか?、何が楽しく、何を目指しているのか?等と、とても興味がありますから、毎週一回折り込まれてくる、こども新聞にも目を通しています。
 地震・雷・火事・親父(おやじ)と言うのが、私達が子供の頃に「怖いもの」の代表でその順だと思って来ました。この調査の子供の対象は小学生ですが、男女とも一番怖いのは、「おばけ・幽霊」でした。世の中が変わったとは言え、子供らしさがあって微笑ましくも思えました。ところが第2位が、予想だにしなかったものでした。男女共に「お母さん」だったのです。男女総合で見ると、三位「お父さん」・四位「夜(暗い所)」五位「虫」・六位「鬼」・七位「地震・天災」となっていました。
 全体でお母さんの方がお父さんよりも怖いという所が、いかにも現代らしく思えました。しかしそれにしても、果たしてこれで良いのか。これで健全な家庭教育が出来るのか、専門家に意見を聞いて見たいものだと思いました。
 私個人の感想としては、父は何も言わなくても怖い存在でした。大きな声で叱られたことも無く、叩かれた事も一度として無いのですが、黙って座っているだけで、身近で一番怖い人でした。母は何時も家にいて、優しい存在でした。母を怖いと思ったことは全くありませんでした。恐らく私達の年代の人が子供の頃は、皆そうだったかと思うのですが、何時の間に母親が父親よりも怖い存在になっていたのか、全く知らなくて考え込んでしまいました。
 年齢の低い未成年の犯罪が増えて、家庭内に父親の影が薄くなってはいないか、と言う記事を読んだり、耳にすることもありましたが、こう並べられると、母子家庭が多くなって来ていることが、「怖いものお母さん」の数を押し上げている原因の一つかも知れないと思い、少し調べて見ました。
 「平成22年国民生活基礎調査」によると、児童のいる世帯数は、1232万4千世帯で、全世帯の25.3%でした。年次推移を見ると、全世帯による児童のいる世帯の割合は、低下傾向にあります。このうち一人親と未婚の子のみの世帯は、81万3千世帯で、児童のいる世帯全体の6.6%です。これは増加傾向にあります。悲しいことです。
 2005年の国勢調査によると、更に「子と同居で配偶者のいない女性」(15~49歳)(シングルマザー)は118万人で、同男性(シングルファーザー)は、20万4千人です。又、シングルマザーの核家族は約70%です。祖父母などと同居の世帯は残りの約30%となっています。男性の場合、他の親族と同居する傾向が高く、56.6%となっています。
 どちらも離別(離婚)が最も多く、次が非婚と死別です。非婚は男女とも年々微増ですが、多くなっているとあり、又母子父子家庭の多くは親が35~40歳くらいがピークなのに、非婚は低年齢で10代から20代が多くなっています。でき婚が増えているともありました。世の中の風潮に一概にとやかく言えませんが、その傾向について真剣に考えないと後悔するのではないかと心配です。
 お化けや幽霊が怖いのは、今も昔も同じようですが、アニメ画像で空想も現実のように見られる時代ですから、より身近にそれが挙げられても当たり前かも知れません。
 それに比べて大人のアンケートの纏めでは、全体で見ると、1)地震・天災 2)病気 3)人(人間関係)4)おばけ・幽霊 5)死 6)お金 7)事故 とありました。お金が怖い理由は、幸せにも不幸せにもなる、と40代の女性が答えていました。
 年齢が上がるので、死や事故も突然やって来ますから、当然だと思います。男女別では、1・2・3は同じですが、男性の4・5は「お金」、「妻」の順、女性は「おばけ・幽霊」と「お金」です。お金が怖いとは、思いもしなかったので意外ではありましたが、お金持ちであったが為に不幸になった例も沢山見聞きして来ていますから、それは良いとして、「お化け・幽霊」とは、一人前の大人の考えることでしょうか。
 また、大人でも矢張り女性が強いようです。育メンが増えて、働く女性が多くなりましたから、当然なのかも知れませんが、日本はいつの間にか女性が男性よりも断然強くなって来たのですね。怖いおやじは何処へ消えたのでしょうか。それに「先生」というのが出て来ません。それほど教師は、怖くなく、又ある意味で相談も出来ないし尊敬の的にもならないのでしょうか。
 一人親だと、今回岩手で起きた、中2のいじめによる自殺の場合のように、親の立場や気持ちが分かりすぎて、悩みも我慢して飲み込んでしまわないか、気になります。又父母共に怖い存在になれば、誰にも悩みを打ち明けたり出来ず、逃げ場がなくなって、家庭の中に居場所が見つからないという事にならないか、気にもなります。スマホなどで絆の弱い友達を沢山持っていても、いざという時に強い味方になるでしょうか。つい心配を先取りして、考えてしまいます。
 5月にに行われたこの新聞社のアンケートによると、「尊敬する人は?」の答えが、1位「母」2位「父」だったことと合わせて考えると、怖くもあり、尊敬もする人でもありそうです。それは正しいのでしょうか。
 子供は真っ先に祖父母を乗り越え、やがて母を、そして父を乗り越えて大人になっていくのだと思っていましたが、核家族化によって、子供の世界が狭くなっている気がしないでもありません。
 しかし、親も子も、お互い選べず、変えられず、ですから一層親や教師がしっかりしなくてはならないと思います。一人親の人達は、それだけの努力をしておられると思いますが、一方不安も多いでしょう。子供が「良い子」である程に、死を選ぶしかない状態に陥りかねないと聞いたりすると、いたたまれない気がします。
 統計調査にも、親学の必要性が書かれていた所がありましたが、私も同感です。子育ては、やり直しが出来ません。将来の家族の形も国の形も、社会として、一番小さな単位である、家庭の親子関係が決めるといっても過言ではないでしょう。心して親として在るべき姿を模索しつつ、子育てしないと、不幸な人が増えて、犯罪も増加して来るのではと思います。 何故離婚がこんなに増えるのか、離婚によって置いて行かれるのは、子供たちです。親は自ら「親学」に精を出し、行政も「親学」に手を伸ばし、速くから親子の悩みを救い取って、社会の最小単位の家庭教育に力を注いで欲しいと、切に望みます。