「本人も家族も幸せになる介護」について、月刊文芸春秋の8月号に高見国生氏(「認知症の人と家族の会」前代表)と柳田邦男氏の対談が載っています。その中に、心を引かれる逸話がありました。
「夫が認知症の夫婦の話です。妻は外出する時、紙に<外に出ないようにお願いします>と書いていた。夫はそれを守っていた。しかし、ある雨の日に妻が帰宅すると夫がいない。外に探しに行くと傘を二本持って警察に保護されていた。夫は、妻に傘を届けようと外出して帰れなくなっていたーー。認知機能は落ちていても、感情はあるし、妻への愛情だけは、生きている。」と・・・、私は胸が熱くなって涙が込み上げてきました。
私の身近にも、現役の頃には、社会的地位の高かった人で、現在は認知症の人がいます。その方は、私達に出会うと、これ以上の笑顔は無いと思えるほどの笑顔で、両手を高く挙げて手を振ります。
私達も手を振って近づき、「お元気ですか」と必ず声をかけます。「元気、元気。私は元気。」と何時も仰います。スーパーで奥様がお買い物中で、待合室の椅子に座って待っておられる事も、お二人で行き帰りの道路で出会う事もありますが、百年の知己に出会ったような破顔の喜びようです。
「一人家に置いて買い物に出掛ければ、外出して帰って来られなくなる」とお聞きしていなければ、認知症とは私達さえ気づかないのでは、と話しています。
もう一組、数年前から奥様が認知症になって、施設に入っておられるご夫婦があります。毎朝ご主人が自転車でその施設に通っています。お元気な頃は、よくお二人で買い物に出掛けられて、出会うと奥様はとても嬉しそうに挨拶する人でした。3年ほど前にご主人から「私の顔も分からないのです」とお聞きしました。それでもご主人は、毎朝必ず面会に出掛けられるのです。
私は「分からないようでも、きっと心は通じているのですね。」と云いますと、「わかりませんが、そうあってくれたらいいと思っています。」とか「頭を撫でてやると嬉しそうな表情を見せるので・・・」と云われます。
バスの便が遠回りになる方角ですから、少し離れたホームへ毎日欠かさずに通うことは、自転車と言えども大変な労力です。お天気の良い日ばかりではありませんから、80歳を越えたご主人には、辛い日々もあることだろうと察しられます。ご主人の奥様への愛情の深さには、本当に頭の下がる思いです。
同誌にも「どんなに医学が進んでも人間は何時かは必ず死ぬ。皆平等に死に向かって歩いているんです。認知症はその一つの通過点に過ぎません。その通過点をどう受け入れて、生きていくか。認知症と向き合うのはそういうことではないでしょうか。」と締めくくっていました。
京都で行われた、国際アルツハイマー病協会の国際会議で、若年性認知症を患っている福岡市の越智俊二さん(当時57歳)が、日本人として初めて実名で家族への思いを語りました。
「これからの望みは、良い薬ができてこの病気が治ったらもう一度働きたい。どんな仕事ができるかわかりません。どんな仕事でもいい。今度は私が働いて、奥さんを楽にしてあげたい。そして今まで苦労かけた分、お返ししたいーー。」何と感動的な言葉でしょう。
彼のスピーチは世界的にもインパクトを与えました。それ以降、欧米では、認知症の人の気持ちを尊重する「パーソン・センタード・ケア」という手法が、認知症ケアの主流になったそうです。
(パーソン・センタード・ケアとは,認知症をもつ人を「一人の“人”」として尊重し,その人の視点や立場に立って理解し,ケアを行おうとする認知症ケアの考え方です。この考え方を提唱した英国の故トム・キットウッドは,当時の業務中心のケアに対して,人中心のケアの重要性を主張し,世界的に大きな影響を与えました。)
私は、認知症になった人は、だんだん生まれたばかりの子供の心、つまり「仏の心」に還って行くのではないか、と思えてならないのです。それは彼等の表情が、汚れを知らない嬰児の清らかな表情に似て行くからです。
江戸時代中期の高僧、盤珪禅師の「不生の仏心」に還っていくと云ったら間違いでしょうか。
「親が生んでくれた仏心は、一切の物を超越して清浄で無垢なものだ。だからこそ生まれたままの無垢な心をもってすれば、全てのことがよく調う」ということのようです。
「生まれたばかりの赤ちゃんは、泣いたり眠ったり笑ったりに余念なく、泣きたい時には一生懸命泣き、寝たい時には一生懸命寝ます。これを盤珪さんは「不生の仏心」と呼んでいて、つまりは生まれたばかりの赤ちゃんが、一番欲もなく悟りに近い存在だと言うことになります。
しかし人間は、残念なことに、成長するにつれて好き嫌いや損得などの様々な煩悩を、まるで鎧の様に身にまとってしまうのです。しかも、その煩悩の鎧は、時を重ねるにつれて増えて重くなり、私たちは身動きがとれなくなってしまうのです。その様な人生の迷いや、ストレスでがんじがらめになった私たちに対して、盤珪禅師は「不生禅」を教え導いて下さっているのです。」
高見氏は「できれば認知症にならない方がいいですし、認知症の人の介護など経験しない方がいい。しかし、もし認知症に巡り会ったなら、その経験は必ず自分の人生にプラスにすることができる。以前よりもきっと深い人生を送れるようになる。だから、私は認知症介護の経験を、悲しいだけのこと、嫌なだけのことと決めつける考えは間違っていると思います。」
とあって、私は救われる思いです。なるようにしかならない世の中です。しかし、「以前よりもきっと深い人生を送れるようになる」という言葉が心にストンと落ちました。
私の大切な友人の一人(90歳に近い人)が、去年車に接触されて、思いがけなく入院治療されました。「すっかり良くなった」と云いながらも「これから先は薬などすべて止めて、自分流に、終末まで充実した人生を生きて行きます。」と一昨日電話で話していました。尊敬する先輩で、しっかりと自立し、生きて行こうとする精神力を見て、胸を打たれました。
私も認知症の人達の汚れない童心の一端を見る機会に触れて、周囲の人達と明るく交わりながら生を全うしたいと願っています。
「夫が認知症の夫婦の話です。妻は外出する時、紙に<外に出ないようにお願いします>と書いていた。夫はそれを守っていた。しかし、ある雨の日に妻が帰宅すると夫がいない。外に探しに行くと傘を二本持って警察に保護されていた。夫は、妻に傘を届けようと外出して帰れなくなっていたーー。認知機能は落ちていても、感情はあるし、妻への愛情だけは、生きている。」と・・・、私は胸が熱くなって涙が込み上げてきました。
私の身近にも、現役の頃には、社会的地位の高かった人で、現在は認知症の人がいます。その方は、私達に出会うと、これ以上の笑顔は無いと思えるほどの笑顔で、両手を高く挙げて手を振ります。
私達も手を振って近づき、「お元気ですか」と必ず声をかけます。「元気、元気。私は元気。」と何時も仰います。スーパーで奥様がお買い物中で、待合室の椅子に座って待っておられる事も、お二人で行き帰りの道路で出会う事もありますが、百年の知己に出会ったような破顔の喜びようです。
「一人家に置いて買い物に出掛ければ、外出して帰って来られなくなる」とお聞きしていなければ、認知症とは私達さえ気づかないのでは、と話しています。
もう一組、数年前から奥様が認知症になって、施設に入っておられるご夫婦があります。毎朝ご主人が自転車でその施設に通っています。お元気な頃は、よくお二人で買い物に出掛けられて、出会うと奥様はとても嬉しそうに挨拶する人でした。3年ほど前にご主人から「私の顔も分からないのです」とお聞きしました。それでもご主人は、毎朝必ず面会に出掛けられるのです。
私は「分からないようでも、きっと心は通じているのですね。」と云いますと、「わかりませんが、そうあってくれたらいいと思っています。」とか「頭を撫でてやると嬉しそうな表情を見せるので・・・」と云われます。
バスの便が遠回りになる方角ですから、少し離れたホームへ毎日欠かさずに通うことは、自転車と言えども大変な労力です。お天気の良い日ばかりではありませんから、80歳を越えたご主人には、辛い日々もあることだろうと察しられます。ご主人の奥様への愛情の深さには、本当に頭の下がる思いです。
同誌にも「どんなに医学が進んでも人間は何時かは必ず死ぬ。皆平等に死に向かって歩いているんです。認知症はその一つの通過点に過ぎません。その通過点をどう受け入れて、生きていくか。認知症と向き合うのはそういうことではないでしょうか。」と締めくくっていました。
京都で行われた、国際アルツハイマー病協会の国際会議で、若年性認知症を患っている福岡市の越智俊二さん(当時57歳)が、日本人として初めて実名で家族への思いを語りました。
「これからの望みは、良い薬ができてこの病気が治ったらもう一度働きたい。どんな仕事ができるかわかりません。どんな仕事でもいい。今度は私が働いて、奥さんを楽にしてあげたい。そして今まで苦労かけた分、お返ししたいーー。」何と感動的な言葉でしょう。
彼のスピーチは世界的にもインパクトを与えました。それ以降、欧米では、認知症の人の気持ちを尊重する「パーソン・センタード・ケア」という手法が、認知症ケアの主流になったそうです。
(パーソン・センタード・ケアとは,認知症をもつ人を「一人の“人”」として尊重し,その人の視点や立場に立って理解し,ケアを行おうとする認知症ケアの考え方です。この考え方を提唱した英国の故トム・キットウッドは,当時の業務中心のケアに対して,人中心のケアの重要性を主張し,世界的に大きな影響を与えました。)
私は、認知症になった人は、だんだん生まれたばかりの子供の心、つまり「仏の心」に還って行くのではないか、と思えてならないのです。それは彼等の表情が、汚れを知らない嬰児の清らかな表情に似て行くからです。
江戸時代中期の高僧、盤珪禅師の「不生の仏心」に還っていくと云ったら間違いでしょうか。
「親が生んでくれた仏心は、一切の物を超越して清浄で無垢なものだ。だからこそ生まれたままの無垢な心をもってすれば、全てのことがよく調う」ということのようです。
「生まれたばかりの赤ちゃんは、泣いたり眠ったり笑ったりに余念なく、泣きたい時には一生懸命泣き、寝たい時には一生懸命寝ます。これを盤珪さんは「不生の仏心」と呼んでいて、つまりは生まれたばかりの赤ちゃんが、一番欲もなく悟りに近い存在だと言うことになります。
しかし人間は、残念なことに、成長するにつれて好き嫌いや損得などの様々な煩悩を、まるで鎧の様に身にまとってしまうのです。しかも、その煩悩の鎧は、時を重ねるにつれて増えて重くなり、私たちは身動きがとれなくなってしまうのです。その様な人生の迷いや、ストレスでがんじがらめになった私たちに対して、盤珪禅師は「不生禅」を教え導いて下さっているのです。」
高見氏は「できれば認知症にならない方がいいですし、認知症の人の介護など経験しない方がいい。しかし、もし認知症に巡り会ったなら、その経験は必ず自分の人生にプラスにすることができる。以前よりもきっと深い人生を送れるようになる。だから、私は認知症介護の経験を、悲しいだけのこと、嫌なだけのことと決めつける考えは間違っていると思います。」
とあって、私は救われる思いです。なるようにしかならない世の中です。しかし、「以前よりもきっと深い人生を送れるようになる」という言葉が心にストンと落ちました。
私の大切な友人の一人(90歳に近い人)が、去年車に接触されて、思いがけなく入院治療されました。「すっかり良くなった」と云いながらも「これから先は薬などすべて止めて、自分流に、終末まで充実した人生を生きて行きます。」と一昨日電話で話していました。尊敬する先輩で、しっかりと自立し、生きて行こうとする精神力を見て、胸を打たれました。
私も認知症の人達の汚れない童心の一端を見る機会に触れて、周囲の人達と明るく交わりながら生を全うしたいと願っています。