ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

奇想天外の発想

2020年06月16日 | 随筆
最近家族との話しの中で、思いがけない言葉に接して驚いた事が話題になりました。考えてもみなかった言葉を聞く時は、誰もがハッとして、場合によってはその時の情景までが心に残って忘れられなくなります。
 未だ長女が3歳の頃の事でした。バスに乗って三人でデパートへ出かけました。結構混んでいたのですが、私がつり革に手をかけて娘の手を握って立っていました。幼い割にはバランス良くしっかり立っていたのですが、突然「今日もおうどん食べて来るの」と通る声で聞いたのです。うどんが大好きな娘でしたから「そうね」と答えましたが、その声は乗客の多くの人たちに届いていたようでした。今日の昼食は大好きなうどんを食べたい、と思った娘の率直な質問が、見栄も外聞もない純粋なこどもらしさに周囲を和ませたのでした。
 またこんな事もありました。バスの中で、今日はバッグに入れた現金がやや少ないままに出かけてきた事に気付いた私が「お金が足りないかも」と夫に向かってやや小声で云ったのですが、それを聞いた娘がすかさず「デパートで買って来れば」と云ったのです。「そうね」と云いましたが、その後が続きませんでした。このような奇想天外の発想は無邪気な子供だから出て来るのだと思って、我が子の事ですが、ほっこりした気分になりました。
 夫が関連した想い出として、小学校5年生の時の話しをしてくれました。担任教師は霞ヶ浦航空隊の訓練生で終戦となり、小学校の教師となった元気一杯の青年だったそうです。在る時授業の合間に「何か疑問があったら何でも聞いてみろ。何でもかまわない」と云いました。その時男の子が手を挙げて質問した内容が、忘れられない奇想天外なもので、今日でも答えられる人は居ないのでは?と思われるものでした。質問は「ご飯はどうして飽きないのですか?」ということで、元気溌剌の青年教師もしばし絶句してから「参った」と頭を下げたそうです。
 当たり前だと思って居る事を改めて聞かれると、面食らうのも仕方ないようです。ちなみに世界の人々が主食に何をたべているのか、急に興味を覚えて引いてみました。
 1)トウモロコシ  823百万トン
 2)小麦 690百万トン
 3)米 685百万トン
 4)ジャガイモ 314百万トン
 5)キャッサバ 233 百万トン 
 キャッサバとは?どのような国の主食か?など、早速また引いたのでした。タピオカのこととあって、サツマイモに似た写真も出てきました。インドあたりの人が多く主食にしているようです。タピオカの製品なら少しは食べたことがあります。小麦や米を上回って主食に選ばれているのは、気候や風土、歴史など様々な要因があると思いますが、それにしても知らないことが多い事に、改めて「もっと世界各地の気温や風土・歴史とあわせて、食材についても勉強しなければ・・・」と思わせられました。
 日本人の主食といえば、米か小麦粉であり、樺太で終戦を迎えた夫が、戦争中は内地から米が届かずカボチャが主食で、顔も手も黄色くなったと云いました。当時日本列島の中程近くに住んでいた私は、「小作の人たちに日頃から良くしてあげていると、こんな時にも食べるものには困らない、皆さん夜陰に紛れて米を届けに来てくれる」と云って、農地解放の後で耕していた田んぼが一枚もなくても、食べ物に困らなかった事を母が有り難がっていた事を思い出しています。
 母は「どのような人達にも、心の通う良いお付き合いをするように。」と教えて呉れたのでした。今更のように有り難い教えだったと思っています。
 祖父は銀行に父は高校に勤めていました。母はずっと専業主婦として暮らしていました。今私の身の回りにあるルーツの証しは、土蔵に残っていた京都の西陣織の帯と、弟が纏めた祖先の「物故者芳名録」です。 帯のほうは、妹が西陣織りの帯を二つに切って壁掛けのタペストリーに作ってくれて、記念にと貰ったものです。今は私の部屋に掛けてあって、折々眺めては松・鳳凰・几帳などの西陣織りの織り出し模様に心を奪われる日もあるのです。
 弟が纏めた祖先の「物故者芳名録」に依ると、延々と続いている名簿の中で、一番古くて年号が確かな物故者は、享保元(1716)年4月29日没の女性です。約300年位経っています。
 現在の我が家の庭は、昔の祖先の庭に比べれば、及びも付かない狭い庭ですが、石池に灯籠や松があって、竹垣に囲まれた苔庭として、庭師さんが設計して下さった庭です。庭には夫が力を入れていて、毎日草を丁寧にむしったり掃いたりして管理してくれています。私も少しは手伝いますが、多くは玄関アプローチや庭の花鉢の水やりで、庭苔にサッと水をやることも忘れないようにしています。
 命の繋がりに似て、四季折々の花々や苔の緑に癒やされる日々は、有り難いと思っています。それにしても夫と二人で不動産業者の案内の車に乗って、決断の早い夫の「此処に家を建てよう」とか「庭を造ろう」と造園業に依頼したり、遠い日々の決断が、現在の心の慰めに繋がっているのだとしみじみ有り難く思います。
 こういう決断は何時も思いがけなく決まり、その先端に今の私達がいるのです。思いついた時は奇想天外な発想から始まったものであっても、永い歴史が「揺るぎない決断」として続いていくものなのですね。


小鳥との交流

2020年06月01日 | 随筆
 「我と来て遊べや親のない雀」「痩せ蛙負けるな一茶これにあり」「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」何れも小林一茶(1763年生)の有名な俳句です。
 一茶のふるさとは、長野県の柏原で、戸隠への道の途中にあります。過去に何度か夫と戸隠神社へ車で行きましたし(門前には美味しい戸隠蕎麦を食べさせてくれるお店が並んでいました)一茶の住んでいた家にも行きや帰りに立ち寄りました。土壁のこぢんまりとした家でした。《1827(文政10)年、一茶65歳の時に起こった柏宿の大火により、家の母屋を失ってしまう。その後、一茶は焼け残った土蔵(現・小林一茶旧宅 昭和32年国史跡として指定)に移り住み、その年の冬に生涯を閉じた。》(インターネット資料に依る)
 一茶の人生はその俳句からは想像し難い程の苦難の人生であったようです。義弟との間で遺産相続争いをしたり、最愛の妻や子を亡くしたり、晩年になって火事で家を失ったりと、想像を絶する気の毒な困難に出会いました。
 しかし、一茶の俳句はどこかユーモラスなところがありながら、ほろりとさせられたり温かい愛情に包まれた句が多いように思います。弱い小鳥や動物たちが懸命に生きている様子を、悲運に生きた人間なるが故に温かいまなざしで眺めています。その温かさがきっと何時の世にも、苦難を抱えて生きている人たちに深い感動を与えてくれているのでしょう。生涯に二万句程詠んだと聞いています。
 突然話しが変わって恐縮ですが、私は最近一羽の子雀と仲良しになりました。とても不思議な事ですが、ある日居間の椅子で何時ものように読書していましたら、窓ガラスの上辺りでコツコツと音がしました。その音に「何だろう」と顔を上げましたら、一羽の雀が欄間のレールに止まって「ここに居るよ」とアピールするように中をのぞき込んでいたのです。とても驚きました。
 手近にあったラスクを細かくくだいて窓の外の苔庭に撒いてやりました。一度驚いたように飛び去りましたが、直ぐに戻って来てついばみ始めました。その後又来て同じように欄間の桟に止まって鳴くので、ひとつまみくらいの生米をパラリと飛び石の間の苔の上に撒いてやりました。
 自然界で自ら餌を見つけて生きて行かなければならない小鳥ですから、人間の手で餌付けしたりする事はいけない事だと思い、来る度に餌を与えることはしませんでした。でも2~3回同じような事が重なり、何故か欄間の窓ガラスを嘴で叩いて、居間の私を覗きこんだりされると、つい情に負けてしまいます。
 私は毎日午後は、居間の肘掛け椅子に腰掛けて40㎝×70㎝位の移動車の付いた机を置いて、パソコンを持って来たり読書などしています。 部屋の角には片引きだし付きの机もあるのですが、移動出来て夜休む時には片付けられる机は便利です。
 時折欄間の桟に来てピーコピーコと鳴きますので、いつとはなしにピーコと名づけてしまいました。勿論ピーコと呼べば飛んで来るわけではないのですが。
 「野生の小鳥はなつかないと聞いていたけれど、良くなついたね」と家族に感心されます。既にどこかで餌を貰っていたのか、と思うくらいに間を置かずになついてしまったのです。
 一茶もこのようにして、雀と会話をしていたのか、と思ったり、たまに10粒くらいとは言え米を与える事に、生存能力を阻害しているのではと自責の念を持ったりしています。
 気温が上がって南向きのガラス戸も暑くなりましたので、例年のように網戸の外に窓から少し離して、一間幅の長い簾を下げました。風に揺れますから雀も怖いらしく、庭の石池の回りの松の木やつげの木のてっぺん・灯籠の上などにはとまっていますが、欄間へは来なくなりました。
 たった一羽の雀に癒やされる日々でしたが、庭に来る雀のどれがピーコなのか、私には未だはっきりとは区別が付きません。必ず一羽で来る、甘えた声で鳴く、欄間にとまったり庭に出る靴脱ぎ石の上で鳴く、などが区別出来る所です。
 野生の雀ですから、お付き合いもほどほどにしなければと思っています。たまたま人類が新型コロナウィルスに襲われ、出来るだけ外出を控えるようにしている時です。もし平常な状態であったなら、ピーコとは出会えなかったように思えてなりません。そう思うとピーコはきっと誰かの計らいで慰めに、励ましに来てくれたに違いないと思えて来るのです。
 この小さな身体に大いなるもののご意思を感じる時は、どうしても米粒の量が少し多くなってしまうことを、きっとお許し頂けるものと思っています。でも野生である所はしっかり残して置こうと心がけています。
 私達も巣ごもりの時ではありますが、そんな中にもほっとする時間が持てたのは、有り難い事ではありました。