私達は戦後の憲法で基本的人権を保障されています。民主主義の国に住み、表面的には平等の暮らしをしているように見えます。しかし、最近目につくのが、あれが足りない、これが足りない、と言って、政府や企業に要求するケースが目立つような気がするのです。
私も日常生活の中で身の回りを振り返って考えてみたいと思います。スーパーを例に取れば「スーパーは売るのが仕事、消費者は買ってやる立場」と思っていないでしょうか。もし常日頃通っているスーパーが無かったら、と思うと、品揃えの行き届いたスーパーで気持ちよく買わせて貰っていることが如何に有り難いことか、よく解ります。
スーパーとしては、「買って頂く」と思い、消費者としては「買わせて頂く」と思えば、双方共に有り難く、感謝しあえます。
卑近な例で申し訳ありませんが、私の通っているスーパーは、規模からいうと小さい方ですが、品揃えの人も、レジの人達も、とても親切で温かく、気持ち良く利用させて頂いています。スーパーの激戦区だからとばかりは言えない何かが店長をはじめとして在るようです。
空いた時間に行った時などは、レジを通る時に、ちょっとした会話を楽しんだりします。自然に心が和みます。売る自由と権利を持つ側と、買う自由と権利を持つ側に分けてしまえば、味気ない売買関係となってしまいますが、買って頂く、買わせて頂くと言う観点から考えると、僅かな発想の転換ですが、気持ちがグッと変わります。
バスから降りる時も、最近私達の市では、「有り難う御座いました」と降りる人が増えた気がします。私もそう言います。勿論運転手さんも「有り難うございました」と言います。乗せて頂く、乗って頂くと言う考え方に立つと当然そうなるはずです。
犬や猫を飼うのも自由です。今から10年よりも少し前の頃でしょうか。私達の近くの道路の脇や学校などの歩道は、何時も犬の糞で汚れていて、「糞通り」と呼ばれる位でした。ウォーキングの私達はよく見て通らないといけないので、お互いに「ホラ気を付けて」と注意しあって歩いていました。ところが次第にマナーが行き届き、今では糞は殆ど見かけません。よく見ていると、犬を散歩させている人は、必ず小さなバッグなどを持ち、飼い犬が用を足すと、必ずティッシュ等で丁寧に取って行きます。もっと丁寧な人は、水をビンに持っていて、少し流して洗って行かれます。こういう人を見かけると爽やかな気分になって来ます。
私は家の回りに犬の尿の跡があると、決まってジョーロの水を掛けてブラシで洗い流します。ついでに漂白剤を少しまいて消毒もします、すると匂いが気になるのか、暫くはその辺りで用を足すことが無くなって、綺麗な日が続きます。「犬の糞お断り」等という看板が通りのあちこちの家の角等にあったものですが、最近は少なくなって、各家の人は自分の家の前を広めに掃除や草取りをしますから、概ねは綺麗な街になりました。「このように便利で綺麗な街に住まわせてもらって有り難い」と思えるようになりました。
一人一人が少し発想の転換をして、感謝の立場から行動すれば、こんなに気持ちの良い街になります。関西の何処かの街で、市が糞の後始末をするようになったら、糞の置き去りがかえって増えたとテレビで言っていました。糞の処理をしない飼い主は、犬を飼う資格がありません。街をゆく人々に不快な思いををさせて、平然としているモラルに欠けた人は、どの様な社会貢献をしているのでしょうか。
日本の何処の街が綺麗で何処の街のマナーが悪いのか、私は知りませんが、少なくとも先頃旅行した、京都と金沢は綺麗でしたし、特に金澤ではおもてなしの心が伝わる親切に多く出会い、ここには敵わないと思ったことでした。きっと市民の一人一人が、来訪者に良い気持ちで帰ってもらおうという、おもてなしの基本が根付いているのだと感心いたしました。
私も日常生活の中で身の回りを振り返って考えてみたいと思います。スーパーを例に取れば「スーパーは売るのが仕事、消費者は買ってやる立場」と思っていないでしょうか。もし常日頃通っているスーパーが無かったら、と思うと、品揃えの行き届いたスーパーで気持ちよく買わせて貰っていることが如何に有り難いことか、よく解ります。
スーパーとしては、「買って頂く」と思い、消費者としては「買わせて頂く」と思えば、双方共に有り難く、感謝しあえます。
卑近な例で申し訳ありませんが、私の通っているスーパーは、規模からいうと小さい方ですが、品揃えの人も、レジの人達も、とても親切で温かく、気持ち良く利用させて頂いています。スーパーの激戦区だからとばかりは言えない何かが店長をはじめとして在るようです。
空いた時間に行った時などは、レジを通る時に、ちょっとした会話を楽しんだりします。自然に心が和みます。売る自由と権利を持つ側と、買う自由と権利を持つ側に分けてしまえば、味気ない売買関係となってしまいますが、買って頂く、買わせて頂くと言う観点から考えると、僅かな発想の転換ですが、気持ちがグッと変わります。
バスから降りる時も、最近私達の市では、「有り難う御座いました」と降りる人が増えた気がします。私もそう言います。勿論運転手さんも「有り難うございました」と言います。乗せて頂く、乗って頂くと言う考え方に立つと当然そうなるはずです。
犬や猫を飼うのも自由です。今から10年よりも少し前の頃でしょうか。私達の近くの道路の脇や学校などの歩道は、何時も犬の糞で汚れていて、「糞通り」と呼ばれる位でした。ウォーキングの私達はよく見て通らないといけないので、お互いに「ホラ気を付けて」と注意しあって歩いていました。ところが次第にマナーが行き届き、今では糞は殆ど見かけません。よく見ていると、犬を散歩させている人は、必ず小さなバッグなどを持ち、飼い犬が用を足すと、必ずティッシュ等で丁寧に取って行きます。もっと丁寧な人は、水をビンに持っていて、少し流して洗って行かれます。こういう人を見かけると爽やかな気分になって来ます。
私は家の回りに犬の尿の跡があると、決まってジョーロの水を掛けてブラシで洗い流します。ついでに漂白剤を少しまいて消毒もします、すると匂いが気になるのか、暫くはその辺りで用を足すことが無くなって、綺麗な日が続きます。「犬の糞お断り」等という看板が通りのあちこちの家の角等にあったものですが、最近は少なくなって、各家の人は自分の家の前を広めに掃除や草取りをしますから、概ねは綺麗な街になりました。「このように便利で綺麗な街に住まわせてもらって有り難い」と思えるようになりました。
一人一人が少し発想の転換をして、感謝の立場から行動すれば、こんなに気持ちの良い街になります。関西の何処かの街で、市が糞の後始末をするようになったら、糞の置き去りがかえって増えたとテレビで言っていました。糞の処理をしない飼い主は、犬を飼う資格がありません。街をゆく人々に不快な思いををさせて、平然としているモラルに欠けた人は、どの様な社会貢献をしているのでしょうか。
日本の何処の街が綺麗で何処の街のマナーが悪いのか、私は知りませんが、少なくとも先頃旅行した、京都と金沢は綺麗でしたし、特に金澤ではおもてなしの心が伝わる親切に多く出会い、ここには敵わないと思ったことでした。きっと市民の一人一人が、来訪者に良い気持ちで帰ってもらおうという、おもてなしの基本が根付いているのだと感心いたしました。