今年も残り僅かになりました。こぞ・ことし・らいねん、と並べれば三年になります。生まれたばかりの赤ちゃんも、三歳になると外で一人で遊ぶようになり、自由に考え行動し、第一反抗期を迎えます。
このめまぐるしい程の発達に比べると、我が身の三年間は余りにも進歩がなく、いたずらに老化の進行ばかり気になります。
高齢者ほど一年が短く感じられると言いますが、実感ではあります。しかし、三年間という月日の長さは、全ての人間に平等なわけですから、物足りないと思うのは、自分がそれだけのことしかしなかったとも言えそうです。心許ない気になります。
ところで世界は一時としてとどまっては居らず、東北の大災害と原子力発電所の事故、ヨーロッパの金融不安、各国の政情不安からの戦も絶えませんでした。身近に地球温暖化を感じたり、また激しい気候の変動がありました。近隣諸国間の軋轢などもあって、時々刻々と問題は新たに発生しています。
しかし、良いことも沢山ありました。震災により、日本人の礼節をわきまえた態度が世界に認められたり、オリンピックを初めとしてスポーツ面での活躍もありました。何より山中教授の万能細胞の発見がノーベル賞に輝き、閉塞感に苦しむ日本人に希望の光を投じて下さいました。日本人の優れた頭脳、技術、運動能力や、芸術性の高さなど、改めて感じさせられもしました。
様々な歴史から私達はこれからの生き方を学び、また過ごして来た日々の暮らしから、私は来年のありかたを考えたいと思っています。折しも我が国も政権交代がありました。これからどのような社会になっていくのか、期待と不安を織り交ぜつつ、きっと誰しも注意深く見つめていることでしょう。政治は結果責任だと言われますが、最終的には責任は国民にあるということを、肝に銘じていなければならないのではないでしょうか。
一方私は、少なくとも来年に、明るい希望を持って、一歩を踏み出したいと願っています。なぜなら、私は悩み苦しみ、とても不幸な出来事だと思っていたことも、時が経ち振り返ってみると、それらはその後の人生に何らかの役に立つ経験として残り、現在生きて居る自分を支えてくれていることに気付ます。
苦しみはやがて薄らいで忘れていき、その時に気付かなかった教訓が残ります。そして多くの人達に助けられたということが、有り難く思い出されるのです。不思議ではありますが、だからこそこうしてゆったりと生きていけるのですね。
「忘れるという能力は偉大である」と誰かがいいましたが、同時に私は、有り難いという感謝の念が生まれることは、大いに意義があると思えてならないのです。怒り・哀しみ・不安・・・様々な感情が去った時、心に残るのが、これからを生きて行く力の基となる「感謝」だということは、何と有り難いことではないでしょうか。ですから私は、どんな苦労の中にあっても、明日の希望にきっと繋がると思えるのです。
兎角不安の先取りをしがちな私でありますから、一層「新しい年には、きっと良い事がある」と期待して迎えたいのです。
今年は「もう書き続けられないかも知れない」と思ったこともあったこのブログを、こうして元気に書き続ることが出来ました。皆様から「読んでいますよ」と励まして頂きもしました。取り分け今年は沢山の友人にも会え、51年ぶりの会があったり、食事や見学等を共にすることにも恵まれました。夫が「肺がんかも知れない」というショッキングな事も、良い勉強として残りました。山あり谷ありの日々を乗り越えて、こうして温かい部屋で穏やかに過ごしています。
良く考えてみると、私達の生活は、数え切れない見知らぬ人々に支えられて成り立っています。その見知らぬ多くの人々にも感謝し、常に私達を包んで悠然としてある大自然にも感謝して、今年を締めくくりたいと思います。
こんな粗末な「ばあさまの独り言」を読んで下さった皆様に、心からの感謝をお伝えすると共に、皆様が新しい年に希望を持って、お元気でお迎え下さいますよう念じています。有り難う御座いました。
あの時分、おれは幸福だった。それなのに、その幸福感をわかっていなかったとは! 「赤と黒」スタンダール
このめまぐるしい程の発達に比べると、我が身の三年間は余りにも進歩がなく、いたずらに老化の進行ばかり気になります。
高齢者ほど一年が短く感じられると言いますが、実感ではあります。しかし、三年間という月日の長さは、全ての人間に平等なわけですから、物足りないと思うのは、自分がそれだけのことしかしなかったとも言えそうです。心許ない気になります。
ところで世界は一時としてとどまっては居らず、東北の大災害と原子力発電所の事故、ヨーロッパの金融不安、各国の政情不安からの戦も絶えませんでした。身近に地球温暖化を感じたり、また激しい気候の変動がありました。近隣諸国間の軋轢などもあって、時々刻々と問題は新たに発生しています。
しかし、良いことも沢山ありました。震災により、日本人の礼節をわきまえた態度が世界に認められたり、オリンピックを初めとしてスポーツ面での活躍もありました。何より山中教授の万能細胞の発見がノーベル賞に輝き、閉塞感に苦しむ日本人に希望の光を投じて下さいました。日本人の優れた頭脳、技術、運動能力や、芸術性の高さなど、改めて感じさせられもしました。
様々な歴史から私達はこれからの生き方を学び、また過ごして来た日々の暮らしから、私は来年のありかたを考えたいと思っています。折しも我が国も政権交代がありました。これからどのような社会になっていくのか、期待と不安を織り交ぜつつ、きっと誰しも注意深く見つめていることでしょう。政治は結果責任だと言われますが、最終的には責任は国民にあるということを、肝に銘じていなければならないのではないでしょうか。
一方私は、少なくとも来年に、明るい希望を持って、一歩を踏み出したいと願っています。なぜなら、私は悩み苦しみ、とても不幸な出来事だと思っていたことも、時が経ち振り返ってみると、それらはその後の人生に何らかの役に立つ経験として残り、現在生きて居る自分を支えてくれていることに気付ます。
苦しみはやがて薄らいで忘れていき、その時に気付かなかった教訓が残ります。そして多くの人達に助けられたということが、有り難く思い出されるのです。不思議ではありますが、だからこそこうしてゆったりと生きていけるのですね。
「忘れるという能力は偉大である」と誰かがいいましたが、同時に私は、有り難いという感謝の念が生まれることは、大いに意義があると思えてならないのです。怒り・哀しみ・不安・・・様々な感情が去った時、心に残るのが、これからを生きて行く力の基となる「感謝」だということは、何と有り難いことではないでしょうか。ですから私は、どんな苦労の中にあっても、明日の希望にきっと繋がると思えるのです。
兎角不安の先取りをしがちな私でありますから、一層「新しい年には、きっと良い事がある」と期待して迎えたいのです。
今年は「もう書き続けられないかも知れない」と思ったこともあったこのブログを、こうして元気に書き続ることが出来ました。皆様から「読んでいますよ」と励まして頂きもしました。取り分け今年は沢山の友人にも会え、51年ぶりの会があったり、食事や見学等を共にすることにも恵まれました。夫が「肺がんかも知れない」というショッキングな事も、良い勉強として残りました。山あり谷ありの日々を乗り越えて、こうして温かい部屋で穏やかに過ごしています。
良く考えてみると、私達の生活は、数え切れない見知らぬ人々に支えられて成り立っています。その見知らぬ多くの人々にも感謝し、常に私達を包んで悠然としてある大自然にも感謝して、今年を締めくくりたいと思います。
こんな粗末な「ばあさまの独り言」を読んで下さった皆様に、心からの感謝をお伝えすると共に、皆様が新しい年に希望を持って、お元気でお迎え下さいますよう念じています。有り難う御座いました。
あの時分、おれは幸福だった。それなのに、その幸福感をわかっていなかったとは! 「赤と黒」スタンダール