ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

落日の想い出

2020年10月23日 | 随筆
 海に囲まれた日本では、海から日が昇る光景も海への入り日もどちらも多くの場所で見られます。愛知県の知多半島ではこのどちらも見られる所があると聞きます。以前私の知人が或る大学の講師をしておられて、知多半島のご出身でした。
 確かに海にせりだした半島では、そうなのでしょうし、その様な海辺は日本のあちこちに沢山あるのでしょう。海辺といえば、枕崎、長崎、岡山、鳥取、串本、能登、唐桑半島、下北半島、小樽、網走、釧路など、数多くの海辺を巡った経験があります。真っ赤に燃えた夕陽が海に沈む光景は感動的です。水平線に接してからごく短時間にすっかり沈んでしまう事にも感動します。地球が球形であることが、一層印象的に感じられもします。今日も良いお天気で夕陽がとても綺麗でした。私の家は海から数キロの平野の中にあり、庭に面した窓から夕陽を見る度に、忘れられない想い出が脳裏をかすめる事があります。
 それは何度目かの東北への旅行の折りに立ち寄った、釜石市の図書館司書の方が「未だ一度も夕陽が海に沈む光景を見たことがないので、是非見たい」と云われのでした。夫と二人で二度目の東北を巡る長い旅から帰った翌年に、3・11の大震災がありました。すぐさま「あの人はご無事であったか」と数人の友人知人の顔が浮かびました。福島市の夫の友人他、間もなくご無事を確認出来た人もいましたが、石巻の私の友人は、連絡しようにもどの避難所に行かれたものか見当も付かず、当時はネットであちこちの避難所の名簿を検索しましたが徒労に終わり、ご無事が分かったのは可成り後の事でした。
 名前もご住所も知らない釜石の市立図書館の司書の方も、気がかりでした。旅のついでに調べてみたい出来事があって、図書館に立ち寄ってお世話になったのでした。親切な司書の方に出会って、いろいろとお話し出来ましたし、目的も果たせました。
 帰宅後、私は彼女にお礼の手紙を書きました。お名前が分からず、「司書様」としたのが、今以て残念です。その方の優しい面立ちが印象的で、遠くを見つめる眼差しの美しい知的な女性でした。図書館の近くに高台があれば良いのだけれど・・・と等高線で図書館辺りの標高を調べたりしましたが、多分津波が押し寄せたであろう事しか分かりませんでした。何しろ東北のリアス式海岸は入り組んでいて、津波が入り江に押し寄せると、その波の何倍にも膨れあがった波となって押し寄せるのですから、たまったものではありません。 
 当時も宮古に近い国道で、その岩肌に昔の津波の高さに線が引かれていて、私の身長の何倍もあるその高さに驚いたのでした。3.11の時はそれ以上の津波になったことでしょう。被災された方達に今でも心が痛みます。
 当時は車の旅でしたが、助手席の私が地図を持っていましたのに、道路標識を見落としてしまったらしく、とんでもない谷沿いの危険な断崖絶壁の上の道に出てしまって戻るに戻られず、やっとの思いで過去に見学した龍泉洞への矢印の標識のある所へ出て、ホッとしました。それからは順調に宮古にたどり着いたのでした。
 東北方面では、その旅行とは別に、啄木記念館や毛越寺など見学した旅もありました。わんこ蕎麦や稲庭うどん等、何を食べて来るかも楽しみの一つでした。夕陽の美しさからすっかり食べ物の話しになってしまいました。

 「松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し」と云ったのは芭蕉ですが、松島は今も美しい海の中の島々ですが、象潟はすっかり陸地の中の小山の集まりになっていて、とても残念でした。隆起しないで昔のままだったら、きっと美しかったであろうと思いました。芭蕉の表現の「憾むが如し」を想像しながら下って来ました。日本海沿いの国道では夕陽がそれはそれは美しく、感動的でありました。
 足元から水平線に向かって一直線に続く、黄金色の神秘の道の先には、どの様な世界があるのだろうかと、人智を越えた世界に思わず手を合わていたのでした。
 

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動物たちの心

2020年10月07日 | 随筆
 秋が深まったせいか、やや心寂しい感じのする日々です。日本の四季は移り変わりが鮮やかで、殊に紅葉の季節は趣深いものがあります。人間の感性にも劣らず動物たちも豊かな感性を持ち合わせていると感動させられることがあります。
 古い話ですが、「北の国から」というテレビドラマがありました。老人の飼っていた馬が売られていく場面で、馬が脚を踏ん張って移動トラックに渡した板を登ろうとしなかったのです。大きな眼を哀しげに見開いて、板を登る事を拒みます。馬は何も言わなくても、今が飼い主との別れであることが分かっているのです。生きとし生けるものは皆、愛するものとの別れ程悲しいものはありません。
 馬を売るしか生きて行けなくなった老人も、眼に涙を浮かべて「馬にも別れが分かるんじゃ。」と云い、後にこの哀しい老人は、お酒を飲んで川にはまって亡くなっているのが見つかります。別れは誰にとっても辛く、孤独もまた耐えかねる程辛い事ではあります。
 私の家の近くでも、つい先日別れを悲しむ犬を見かけました。長く飼われていた柴犬のメスが二匹、近くの通りの家にいました。私達が毎日歩いている小路の家です。犬は嗅覚が鋭いので、もう何年となく私達が直ぐ傍を通っても、身じろぎ一つしないで仲良く寝ている事が多かったのです。
 ところがある日玄関の西に移動していて、しきりに悲しげに鳴いていました。どうしたのか、と思いつつ傍らを通りかかった時のことです。 玄関脇に移されていた方の犬の傍に、二人の見かけない若い女性が居ました。しきりに犬に話し掛けて背中を撫でていたのですが、飼い主が私達に気付いて近寄ってきて、「今日一匹が別の飼い主に引き取られていくのです」と云いました。
 とても立派な柴犬でしたから、私達は気安く名前を呼ぶのもためらわれて、(名前は知らなかったのですが)「ワンコちゃん元気?」などと軽く声をかけながら通るのが常でした。飼い主のかたが「犬にも別れがわかるのです。」と云いました。普段から鳴き声など一度も聞いたことが無かった犬でしたのに、今日は何時もとは明らかに違って、とても悲しげに長く声を引いて鳴いていました。それは惜別の悲しみに耐えかねて鳴いているのだと私にも充分伝わってきました。
 その後間もなく残った犬が一匹、新しく作り直されれた小屋に住んでいます。寝ている犬の姿が良く見えなない位置に移動しましたから、私達も声を掛けることが無くなりました。かつては眼をつむっていかにも心地よさそうに、身体をくっつけながら寝そべっていたのにと思うと、私も矢張り寂しいです。

 我が家のピーコと呼んでいる雀も、私達家族に精通していて、誰が餌を呉れるか、どのような時に呉れるか、良く解っています。家の回りに雀が結構飛んで来ますし、庭の木々にも止まっています。他の雀と区別出来るところは、居間の欄間に上がって伝い歩いて、餌が貰える人の傍の鴨居で、ピタリと脚を止めて鳴くのです。ガラス戸越しに居間を覗き込んで、甘えるように鳴きますから、他の何かに気を取られていても気付くのです。かなか賢い雀です。
 餌を与える為に立ち上がると、サッと何時も餌を撒いて貰う、ガラス戸の直ぐ傍の靴脱ぎ石の脇に移動します。庭には他の雀も飛んで来ますし、みな同じに見えて区別は困難ですが、何処へ来るかで、何とか区別出来ます。普段雀が近寄らないような窓下の壁際ギリギリまで、怖がらずに近付けるのはピーコだけです。鳴き声まで違うのは驚きです。
 
 渡り鳥らしい聞き慣れない小鳥の鳴き声が、聞こえるようになりました。まもなく白鳥も渡ってくるでしょう。群れをなしてコウコウと鳴きながらやってきます。我が家はやや離れた湖へ渡る道筋のようです。渡ってくる時と帰る時は毎年分かります。首を目的地の方向に、これ以上伸ばせないというくらいに伸ばしています。長い道のりを健気にも・・・と思われます。
 去る時と違って来る時はとても嬉しいです。季節が冬に向かう寒い日ではありますが、白鳥も矢張り季節を知らせてくれる鳥で、同じ故郷へ帰ってくるわけですから、親しく迎えたいと思って、心待ちにするこの頃です。
 

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