ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

高野山奥の院詣で

2009年05月24日 | 随筆・短歌
 四国遍路の三回目を終えてから、もうこれで四国遍路も終わりにしようと思い、翌年その締めくくりとして、またお大師様へのお礼参りにと、高野山へお参りに出かけました。 大阪難波からの南海電鉄とケーブル、バスと乗り継いで、ようやく高野山へたどり着きましたが、とても疲れました。
 宿坊に一泊して、早朝の震える寒さの中のお勤めにも参加して、心身共に引き締まる思いでした。金剛峰寺の壇上伽藍では、大日如来を中心にした立体曼荼羅に、空海の描く世界を見た思いがしました。都からこんなに離れた土地に、このような聖地を求め、壇上伽藍を立てようしと計画した、空海の発願と智慧の壮大さに感嘆しました。
 ちょうど六時の鐘の近くで小休憩していましたら、この年入山した剃髪者の、ほんの今剃髪を終えたばかりの青々とした頭も清らかな人々の列に会いました。一列に並んだ十数名の若い僧の無言の行列でした。若い女性も混じっている事に驚きを感じ、み仏に仕えようとする人々の決意に引き締まった顔に、我が身の生き方の甘さを思い知らされて、恥ずかしい気持ちと、ある種の憧れにも似たような思いで見つめていました。
 各伽藍や霊宝館を巡ってから、一の橋口から奥の院への参道へ入り、ゆっくりと奥の院を目ざしました。鬱蒼と茂る杉の巨木の中の道は、静かな冷気に包まれて、荘厳な感じを漂わせています。道の両側には大名や高僧や宮家の墓が並び、墓碑は20万基とも聞きました。まさに一大霊山です。案内地図を見ながら、約2㎞の道を其処此処にある墓碑にお参りしながら緩い登り道を上って行きました。玉川にかかる御廟橋には一枚ずつ裏に梵字が刻まれていて、ここは弘法大師が参詣する人を迎え、見送る場所と言われています。私達も服装を正し心を清らかにして手を合わせました。途中右手に明智光秀の墓地があり、光秀が好きな夫は墓碑の傍に寄って記念写真を撮りました。
 上杉謙信や景勝の霊屋をみたり、前田家や徳川家、豊臣家、等それまで心に有ったイメージと墓碑のイメーシと比べてみたりしました。高野山で一番大きな墓碑は二代将軍の正室「おごうの方」の碑で見上げるばかりの大きさでした。
 それぞれのお墓は建てた人の思いが込められていて、墓に眠っているいる人と墓を建てた人達の人柄や思いを偲びつつ、様々な時代に思いを馳せていました。
 御廟に上がる石段の上に、灯籠堂があり、沢山の灯籠が明々と灯火を掲げていました。「消えずの灯明」や貧女の一灯に心を動かされながら、行き止まりの弘法大師御廟に近づき、「南無大師遍照金剛」と心に唱えながら感謝の心を込めて長い時間お参りをしました。
 四国遍路を思い立ってから、出かける間の何年か、そして三回にわたった遍路の道のり、更に今回のお礼のお参りまでが、走馬燈のように思い出されるのでした。鬱に悩まされながらも、御大師様のお守りと家族の協力に依って、何とか足も丈夫な内に念願を果たせた喜びと感謝が、静かに体中に満ちて来るのが解りました。二度と来られない所だと思いつつ、来て良かったとしみじみと思いました。

四国路を遍路となりて歩く夢逝きし娘の名を呼びつつ目覚む
鳥啼けば鳥の心に百合咲けば百合の心に吾は寄りゆく
日日の記憶引き潮の如く遠ざかり不連続なる今日を生き居る (全て某誌・紙に掲載)

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