今年も一年の終わりを迎えました。最近友人達と逢う度に、彼女達やそのご主人の体調不良を聞くことが多くなりました。私自身もあちこちと長年使って草臥れた関節などが、痛みという形で、過酷な使役に耐えて来たことを主張しはじめています。
何も痛みを感じなかった頃は、健康が当たり前の事として過ごしていましたが、痛みを感じるようになると、何と有り難い体を貰っていたことか、と我ながら驚き、健康に生まれ、ここまで生きて来られたことに感謝しています。
最近になって一層老いるということは悪いことばかりではなく、良いことも沢山あるということに気付きました。今さら私ごとき人間が言うのも可笑しいのですが、こんなに良い面もあるということは、老いて初めて解るような気がします。
若い頃には、まるで他人事のように、老いることは寂しいことであり、死に近づくことは悲しいことだと考えていました。しかし今は、老いるもまた良し、死も又良し、と思うようになっています。
もし老いることが無かったら、このような心の安らぎを感じる日々が有り、一日一日をこれ程深く感謝したでしょうか。老いることが無かったら、永遠に続く若さ故の、苦しみばかりを感じていたかも知れません。又もし人間が永遠に死ねなかったら・・・、考えるだけで気が重くなるようです。
人間のDNAは大抵120歳くらいで死ぬように出来ていると聞きました。ある程度生きたら、自然に穏やかに死ねることも又幸せです。肉体の各器官が働かなくなっても、更に生きて居なければならない状態になったとしたら、それは悲劇です。
では私が感じた「老いて気付いた良い点」を挙げてみたいと思います。
1)欲が少なくなり、少しの幸せにも有り難く思う
2)自分の愚かさを恥じるけれど、有りのままの自分を是として生きることが出来るようになった
3)肉体の衰えに歩調を合わせ、ゆったりと生きることの良さが解った
4)心が広くなり、以前より寛容になった
列挙すれば際限がありませんが、少なくとも欲望が小さくなると、その分幸せが大きく感じられることは確かだと思っています。どんなにお金を積んでも、幸せは買えません。ささやかな暮らしの中だからこそ幸せが見えるのかも知れませんが。
「寛容」については、「立松和平のエッセイ集」に、「中村元先生の寛容」という題で既に鬼籍に入られた中村先生を偲んで、書いた文章があります。少し抜粋させて下さい。
『相手を暴力によって殺戮する戦争、相手を生きたまま支配する経済戦争など、二十世紀は闘争に明け暮れた。そしてこの闘争はやむどころが、いよいよ苛烈になって来世紀に持ち越されそうである。中村元先生が晩年しきりに寛容を説いておられたのは、現実に寛容の精神が弱まったからである。 』ー中略ー
『因果応報は釈尊の教えの根本である。闘争は新たな闘争を生むだけではないか、それは人類の長い歴史が証明しているのではないか』ー中略ーそして「法句経(ダンマパタ)」から
『実にこの世においては、恨みに報いるに恨みを以てしたならば、ついに恨みの息(や)むことがない。恨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である』を引いて、『これからは仏教の時代であると私は確信している。』と書いておられます。
立松和平も鬼籍に入り、二十一世紀に入った今日、世界も日本も、まさにこの寛容が益々重要になってきいると、私は痛感しています。「許せない」ということが、他人をも自分をも不幸に追い込んでいます。
だんだん見たいテレビ番組が減って、我が家の大晦日はここ何年かは古い映画の中から、もう一度観たい名作のDVDを借りて来て見る慣わしになっています。今年の作品は未だ決まっていませんが、見終わる頃に「行く年、来る年」の番組を出して、テレビで何処かの除夜の鐘を聞き、又我が家の近くのお寺の鐘を聞いて、新しい年を感謝と感激の中で迎えるのです。
今年一年もお付き合い頂き、有り難うございました。どうぞ良いお年をお迎え下さい。
今日一日健やかなりしを感謝して沙羅眺めおりひとりの日暮れ(某誌に掲載)
何も痛みを感じなかった頃は、健康が当たり前の事として過ごしていましたが、痛みを感じるようになると、何と有り難い体を貰っていたことか、と我ながら驚き、健康に生まれ、ここまで生きて来られたことに感謝しています。
最近になって一層老いるということは悪いことばかりではなく、良いことも沢山あるということに気付きました。今さら私ごとき人間が言うのも可笑しいのですが、こんなに良い面もあるということは、老いて初めて解るような気がします。
若い頃には、まるで他人事のように、老いることは寂しいことであり、死に近づくことは悲しいことだと考えていました。しかし今は、老いるもまた良し、死も又良し、と思うようになっています。
もし老いることが無かったら、このような心の安らぎを感じる日々が有り、一日一日をこれ程深く感謝したでしょうか。老いることが無かったら、永遠に続く若さ故の、苦しみばかりを感じていたかも知れません。又もし人間が永遠に死ねなかったら・・・、考えるだけで気が重くなるようです。
人間のDNAは大抵120歳くらいで死ぬように出来ていると聞きました。ある程度生きたら、自然に穏やかに死ねることも又幸せです。肉体の各器官が働かなくなっても、更に生きて居なければならない状態になったとしたら、それは悲劇です。
では私が感じた「老いて気付いた良い点」を挙げてみたいと思います。
1)欲が少なくなり、少しの幸せにも有り難く思う
2)自分の愚かさを恥じるけれど、有りのままの自分を是として生きることが出来るようになった
3)肉体の衰えに歩調を合わせ、ゆったりと生きることの良さが解った
4)心が広くなり、以前より寛容になった
列挙すれば際限がありませんが、少なくとも欲望が小さくなると、その分幸せが大きく感じられることは確かだと思っています。どんなにお金を積んでも、幸せは買えません。ささやかな暮らしの中だからこそ幸せが見えるのかも知れませんが。
「寛容」については、「立松和平のエッセイ集」に、「中村元先生の寛容」という題で既に鬼籍に入られた中村先生を偲んで、書いた文章があります。少し抜粋させて下さい。
『相手を暴力によって殺戮する戦争、相手を生きたまま支配する経済戦争など、二十世紀は闘争に明け暮れた。そしてこの闘争はやむどころが、いよいよ苛烈になって来世紀に持ち越されそうである。中村元先生が晩年しきりに寛容を説いておられたのは、現実に寛容の精神が弱まったからである。 』ー中略ー
『因果応報は釈尊の教えの根本である。闘争は新たな闘争を生むだけではないか、それは人類の長い歴史が証明しているのではないか』ー中略ーそして「法句経(ダンマパタ)」から
『実にこの世においては、恨みに報いるに恨みを以てしたならば、ついに恨みの息(や)むことがない。恨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である』を引いて、『これからは仏教の時代であると私は確信している。』と書いておられます。
立松和平も鬼籍に入り、二十一世紀に入った今日、世界も日本も、まさにこの寛容が益々重要になってきいると、私は痛感しています。「許せない」ということが、他人をも自分をも不幸に追い込んでいます。
だんだん見たいテレビ番組が減って、我が家の大晦日はここ何年かは古い映画の中から、もう一度観たい名作のDVDを借りて来て見る慣わしになっています。今年の作品は未だ決まっていませんが、見終わる頃に「行く年、来る年」の番組を出して、テレビで何処かの除夜の鐘を聞き、又我が家の近くのお寺の鐘を聞いて、新しい年を感謝と感激の中で迎えるのです。
今年一年もお付き合い頂き、有り難うございました。どうぞ良いお年をお迎え下さい。
今日一日健やかなりしを感謝して沙羅眺めおりひとりの日暮れ(某誌に掲載)