女性の社会進出が進むにつれて、少子化に歯止めがかからなくなって来ています。価値観の相違により、子供を持たない人生を選択する人も増えました。こうした価値観の相違にとやかく言うつもりはありませんが、私自身は子供を産み、育てる事によって自らも成長し、私を育ててくれた両親や孫育てに手を貸してくれた義父母に、心から感謝する気持ちが大きくなったと言えます。
子供は夫婦にとって宝であり、国にとっても宝です。若い夫婦が子供を持たない理由、もしくは一人しか持たない理由を考える時、社会的な環境の整備の不足に思いが到ります。
仕事に生き甲斐を感じている女性にとって、子育てに適した環境が整っているとは言い難いからです。職場に保育園があったら、通勤途上の駅に保育園があったら、子育てもずっと容易になるでしょう。
働き方の多様化に対応して、最近は24時間保育の保育園も多くなりましたが、保育園の長時間保育と、家庭における子育てとでは、親がたっぷりの愛情をそそぐと言う面で、大差があります。そこを補ってきたのが、孫育てのお年寄りでしたが、都会に住む核家族と遠くはなれて住む祖父母の組み合わせが増えて、孫育ては不可能となってしまいました。そう考えると、子育てはあきらめてしまうのでしょう。
加えて高齢出産が増えたことや、若い頃の痩せ願望から痩せすぎによる不妊に悩むケースも増え、先ずは産むことが困難になってきたことが挙げられます。
カメラを通した姿が実際よりも太って見えるとかで、テレビのアナウンサーやタレントと呼ばれる人達も、正視に耐えないほど細い体で、これでは将来母にはなれないだろうと容易に想像されるようにもなりました。
イタリアでは若い女性に悪影響を及ぼすと言うことから、痩せ過ぎのモデルは使わないことになっていると聞きました。教育上とても良いことだと思います。
女性が仕事に生き甲斐を持って働く様になれば、どうしても仕事と子育ての両立に苦労がつきまといます。夫婦で助け合うにしても、職場や社会の目は今以て必ずしも幼い子供を育てている家族には、優しいとは言えないようです。
ところが三つ子の魂百までも、と言う諺があるように、三歳までの子育てが、人生の中で最も両親を必要とし、良い環境で子育てすることが大切だと言われています。先ずは三歳までの子育てをしっかりすること、それから幼稚園帰りや学校帰りの子供の面倒を見る施設の重要性が挙げられます。
核家族の増加により、育児に手を借りたい祖父母が、身の回りに居なくなりました。加えて保育園や幼稚園が不足したり、職場から遠いと、それは働きながら子育てする両親にとって、大きな負担になります。こうした施設面での対応が追いつかず、もしこのまま推移していけば、やがて日本はもっと少子化が進み、現在限界集落といわれているところに住む人は絶え、至る処空き家だらけの街が増えていくことが予想されて、とても寂しい思いを致します。
蝉にしても夏の虫にしても、オスはせっせと鳴いて繁殖活動にいそしんでいます。それが自然界の当り前のことの筈なのですが、「考える葦」である人間は、さまざまなことに思いを巡らせて、自分に最も有利なように生きることに余念が無いように思えます。
結婚も、子供を産むことも、育てることもみな神さまの思し召し、と何処か運任せに考えて居た頃は、もう遠い昔なのでしょうか。大家族でわいわいがやがやと暮らした頃も、遠い昔になり、若者は都会に、農業や漁業に携わるお年寄りは、地方に取り残されているようです。「味噌汁が冷めない位の距離に住める」親子が理想といわれたのも、今や過去のものになったようです。
個人の自由が尊重される世の中は、確かに基本的人権を重んずる憲法から言っても、正しいように思えますが、動物達の生き方を見ていると、現在の人間の暮らしは、大自然の意志にそぐわない気がして来ます。
しょせん人間も宇宙のごく一部でしかなく、私達もその一端に僅かばかりの時間だけ、ヒョイと顔を出して、自分に与えられている役目を果たしているに過ぎない、と思われもします。そういった与えられた生き方よりも、もっと積極的な生き方が在るのではないかと考えて、理想を求めて男性は男性で、女性は女性で頑張るのも、無理はないのかも知れません。我が家の回りも結婚しない単身の男女が沢山おられます。
ほ乳類は、一人前に成るまで、親に育てて貰うことが必要です。私も子供を育てて初めて親の苦労を知り、育てて貰ったことへの恩を感じ、有り難いという気持ちを味わいました。そして年老いて、矢張り年老いた人の役割を感じています。
子供は一人子よりも可能であれば、二人以上育てた方が、子供の成長には良いと思いまます。助け合いの精神は、先ずきょうだいの間から芽生えて来るものと思っています。良い環境や良い教育に育まれて、その助け合いの精神は、大きく広く成長して行って、やがて世の中に役立つ人間へと成熟していくのです。
ところで私の家から5分程の所に新聞配達の拠点があります。夕刊を配達する時間になると、スクーターが集まり、一斉に配達する人達が出て行きます。その建物の一角に、絵本館という多角形の一室があります。ここで小さな子供たちが、ボランティアの人に絵本を読んで貰ったたり、遊び相手をして貰ったりしています。
我が家の近くに、早くに奥様を亡くされた御老人と、娘さんとお孫さん二人計四人で暮らしている家があります。娘さんの夫は現在単身赴任で、時折帰って来られますが、多くはおじいさんに当たるご老人が、お孫さんの面倒を見て、娘さんも働きに出ておられます。
ご老人曰く「あの絵本館には助かりました。保育園から帰って来た孫を、一人で二人の面倒を見ることは、とても大変で見られません。あそこで遊ばせて貰って、私は送り迎えすれば良いので本当に助かります。」と言っておられました。
確かに預かる老人の方にも、育児は難題ですから、親が帰宅するまでの空いた時間をどこでどのように面倒を見てもらうか、それは矢張り重要な事です。孫育てに関係が無い私でも、その辺のご苦労は良く解りますし、このような部屋を運営して下さる新聞社に、改めて敬意を表したいと思います。
世の中の多くの企業が、少しばかり、この様にして子育てのお手伝いをして下されば、どれ程安心して子供を育てられるでしょう。
地域で健康でボランティアをしたいご老人に、お手伝いして貰えるとしたら、まだまだ健全な育児や介護のために、沢山のお手伝いが欲しいと思います。そのような助け合いの社会の広がりを夢見て、少子化対策が進むことを切に願っています。
子供は夫婦にとって宝であり、国にとっても宝です。若い夫婦が子供を持たない理由、もしくは一人しか持たない理由を考える時、社会的な環境の整備の不足に思いが到ります。
仕事に生き甲斐を感じている女性にとって、子育てに適した環境が整っているとは言い難いからです。職場に保育園があったら、通勤途上の駅に保育園があったら、子育てもずっと容易になるでしょう。
働き方の多様化に対応して、最近は24時間保育の保育園も多くなりましたが、保育園の長時間保育と、家庭における子育てとでは、親がたっぷりの愛情をそそぐと言う面で、大差があります。そこを補ってきたのが、孫育てのお年寄りでしたが、都会に住む核家族と遠くはなれて住む祖父母の組み合わせが増えて、孫育ては不可能となってしまいました。そう考えると、子育てはあきらめてしまうのでしょう。
加えて高齢出産が増えたことや、若い頃の痩せ願望から痩せすぎによる不妊に悩むケースも増え、先ずは産むことが困難になってきたことが挙げられます。
カメラを通した姿が実際よりも太って見えるとかで、テレビのアナウンサーやタレントと呼ばれる人達も、正視に耐えないほど細い体で、これでは将来母にはなれないだろうと容易に想像されるようにもなりました。
イタリアでは若い女性に悪影響を及ぼすと言うことから、痩せ過ぎのモデルは使わないことになっていると聞きました。教育上とても良いことだと思います。
女性が仕事に生き甲斐を持って働く様になれば、どうしても仕事と子育ての両立に苦労がつきまといます。夫婦で助け合うにしても、職場や社会の目は今以て必ずしも幼い子供を育てている家族には、優しいとは言えないようです。
ところが三つ子の魂百までも、と言う諺があるように、三歳までの子育てが、人生の中で最も両親を必要とし、良い環境で子育てすることが大切だと言われています。先ずは三歳までの子育てをしっかりすること、それから幼稚園帰りや学校帰りの子供の面倒を見る施設の重要性が挙げられます。
核家族の増加により、育児に手を借りたい祖父母が、身の回りに居なくなりました。加えて保育園や幼稚園が不足したり、職場から遠いと、それは働きながら子育てする両親にとって、大きな負担になります。こうした施設面での対応が追いつかず、もしこのまま推移していけば、やがて日本はもっと少子化が進み、現在限界集落といわれているところに住む人は絶え、至る処空き家だらけの街が増えていくことが予想されて、とても寂しい思いを致します。
蝉にしても夏の虫にしても、オスはせっせと鳴いて繁殖活動にいそしんでいます。それが自然界の当り前のことの筈なのですが、「考える葦」である人間は、さまざまなことに思いを巡らせて、自分に最も有利なように生きることに余念が無いように思えます。
結婚も、子供を産むことも、育てることもみな神さまの思し召し、と何処か運任せに考えて居た頃は、もう遠い昔なのでしょうか。大家族でわいわいがやがやと暮らした頃も、遠い昔になり、若者は都会に、農業や漁業に携わるお年寄りは、地方に取り残されているようです。「味噌汁が冷めない位の距離に住める」親子が理想といわれたのも、今や過去のものになったようです。
個人の自由が尊重される世の中は、確かに基本的人権を重んずる憲法から言っても、正しいように思えますが、動物達の生き方を見ていると、現在の人間の暮らしは、大自然の意志にそぐわない気がして来ます。
しょせん人間も宇宙のごく一部でしかなく、私達もその一端に僅かばかりの時間だけ、ヒョイと顔を出して、自分に与えられている役目を果たしているに過ぎない、と思われもします。そういった与えられた生き方よりも、もっと積極的な生き方が在るのではないかと考えて、理想を求めて男性は男性で、女性は女性で頑張るのも、無理はないのかも知れません。我が家の回りも結婚しない単身の男女が沢山おられます。
ほ乳類は、一人前に成るまで、親に育てて貰うことが必要です。私も子供を育てて初めて親の苦労を知り、育てて貰ったことへの恩を感じ、有り難いという気持ちを味わいました。そして年老いて、矢張り年老いた人の役割を感じています。
子供は一人子よりも可能であれば、二人以上育てた方が、子供の成長には良いと思いまます。助け合いの精神は、先ずきょうだいの間から芽生えて来るものと思っています。良い環境や良い教育に育まれて、その助け合いの精神は、大きく広く成長して行って、やがて世の中に役立つ人間へと成熟していくのです。
ところで私の家から5分程の所に新聞配達の拠点があります。夕刊を配達する時間になると、スクーターが集まり、一斉に配達する人達が出て行きます。その建物の一角に、絵本館という多角形の一室があります。ここで小さな子供たちが、ボランティアの人に絵本を読んで貰ったたり、遊び相手をして貰ったりしています。
我が家の近くに、早くに奥様を亡くされた御老人と、娘さんとお孫さん二人計四人で暮らしている家があります。娘さんの夫は現在単身赴任で、時折帰って来られますが、多くはおじいさんに当たるご老人が、お孫さんの面倒を見て、娘さんも働きに出ておられます。
ご老人曰く「あの絵本館には助かりました。保育園から帰って来た孫を、一人で二人の面倒を見ることは、とても大変で見られません。あそこで遊ばせて貰って、私は送り迎えすれば良いので本当に助かります。」と言っておられました。
確かに預かる老人の方にも、育児は難題ですから、親が帰宅するまでの空いた時間をどこでどのように面倒を見てもらうか、それは矢張り重要な事です。孫育てに関係が無い私でも、その辺のご苦労は良く解りますし、このような部屋を運営して下さる新聞社に、改めて敬意を表したいと思います。
世の中の多くの企業が、少しばかり、この様にして子育てのお手伝いをして下されば、どれ程安心して子供を育てられるでしょう。
地域で健康でボランティアをしたいご老人に、お手伝いして貰えるとしたら、まだまだ健全な育児や介護のために、沢山のお手伝いが欲しいと思います。そのような助け合いの社会の広がりを夢見て、少子化対策が進むことを切に願っています。