ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

一服の清涼剤

2013年02月20日 | 随筆・短歌
 私は毎日朝食後、必ず行う習慣になっているのが、先ずメールのチェックをし、次いでインターネットで各新聞のニュースやお天気予報に目を通し、自分のブログの前日の来訪者数を調べて日記に書き込むことがあり、そこから一日がスタートします。
 その際決まって目を通すお気に入りのブログがあります。それは私にとって、一服の清涼剤とも言えるものです。「ブログ禅」という題名の、禅文化研究所のブログで、職員の方が何人かで書いておられるものです。毎日ではないのですが頻繁に新しい文が掲載されます。
 この研究所は、京都の妙心寺の花園大学に付属しているのですが、内容はお説教ではありません。例えば、私にはとても行けない、高知の長谷寺(ちょうこくじ)の山深い素晴らしいお寺の見聞録など、写真と共にとても興味深く読ませて頂きました。日々さまざまな美しい写真入りで、名所紹介や展覧会の案内、講演会案内などが書かれています。
 先頃、何時間見ていても見飽きない、妙心寺塔頭の東海庵の坪庭が載っていました。その写真は見る度毎に私の心を慰め、落ち着かせ、満たされた気分にしてくれました。大小七つの石が、庭に形良く列を成して置かれていて、真っ白な砂が敷かれ、真ん中の一番小さい、尖ってほぼ上を向いた石を中心に、円を描いた線が同心円状に広がっています。計七つの石をその円は形状を崩すことなく正確に引かれていて、清められているのです。その美しさには息を呑むものがあります。普段は非公開なので、(現在は特別公開中)こうして行ったことも無い所の様々な写真と文章が載っていて、日々このブログを読むのが楽しみの一つになっています。
 私は様々な石庭も沢山訪れていますが、このような清楚な庭も珍しいと思います。ただ眺めているだけで、こころが落ち着き穏やかになっていくのです。
 何日か前には、白隠展の紹介もあり、見に行くことは出来ませんでしたが、白隠禅師のあの迫力のある達磨大師の絵が忘れられません。以前NHKでも白隠の禅画について放映していて、私も大変興味深く楽しませて頂きました。
 妙心寺は、臨済宗の妙心寺派本山ですし、日本最大の禅寺ですから、塔頭の数も多く、今春の私達の旅行先の一つに予定しています。今回は半日を掛けて拝観して来る予定ですが、拝観出来る塔頭は限られていて残念です。「ブログ禅」のファンの一人として、以前訪れた時と又異なった、新たな感慨を持って拝観出来るのではないかと楽しみにしています。
 きっと退蔵院の瓢鮎図にも、以前と違った心情で向き合えるのではないかと思います。
 伊勢神宮の式年遷宮の紹介もあり、新しく出来た「せんぐう館」の紹介もありました。何年か前に伊勢神宮にお参りに行って来たのですが、何だか又行きたくなり、日程を工夫して見ましたが残念ながら織り込むことは無理でした。
 好奇心旺盛な私は、何でも見たい聞きたいところがあるのですが、何しろもう体力的に無理になり、次第に遠出する元気もなくなりました。そんな私を見てか、そもそもこの「ブログ禅」も、そういう私の為に息子が勧めて「お気に入り」に入れてくれたものなのです。
 暖かい春が早くやってきて、せめて近くの花々でも見に行けたら、と思うこの頃です。もうひとがんばりですね。
 路傍にも小さな花が咲き、空には小鳥がさえずって、自然も一服の清涼剤を恵んでくれます。それを感じ取るためにも、心にしなやかさを保ちつつ生きて行きたいと願っています。

慎ましく生きてつなげり去年今年(あずさ)
 

短歌・俳句に読む人生の哀歓

2013年02月11日 | 随筆・短歌
 先週の日曜日(2013年2月3日)の日経新聞の歌壇を読んで、短歌・俳句共にその幾つかに感動しました。毎日曜日は、日本経済新聞の岡井隆選の短歌と黒田杏子選の俳句を読むのが楽しみなのです。この週は、特に長い人生経験を積まれたと思われる人の哀歓の籠もった短歌と俳句に心を奪われました。その幾つかを紹介させて頂きます。
 生きるとはやっぱりひとりの作業だと身にしみるけど寂しくはなし 大阪  大井 市子
 連れ合いとはぐれて迷うひとときの開放感をなぞのまま生く    川崎  井上 優子
 何ほどのことにもあらぬ一生を人それぞれにひとつのみ生く    名古屋 森 由佳里
 「これからが正念場です」と結ばるる退職決めたる友のたよりは  仙台  武藤 敏子
 期待との落差に今日もまた沈むされど歩まぬわけにはゆかぬ    松山  吉岡 健児

 三月や命根こそぎ攫われて       石巻  石の森市朗
 ゆきゆきゆき不明者覆ふゆきゆきゆき  大船渡 桃心地
 株為替沸き立つ春の寒さかな      小金井  金子 與一郎
 雪富士や独り産まれて生きて死に    平塚  正好 浩
 子への愛知らざる一生(ひとよ)クロッカス 小田原  金澤 杜子

 勿論短歌も俳句も選ぶ心はそれぞれですが、私はこのお二人の選者の感性をとても尊敬しています。選者が注目するポイントと、私の心が揺さぶられたポイントが一致した時は、無上の喜びを感じます。この短歌と俳句を読むのが、日曜朝刊の真っ先の楽しみなのです。感動した歌にマーカーを引いて、選者別に綴じ込みます。時折出して読み返しては、再度素晴らしい歌に浸り、感動し、また憧れます。
 私は結社というところには属さず、NHKの通信講座で学習したばかりのいわば独学で、あちこちの新聞や大会などに投稿して、「採って頂ければ嬉しい」という程度の素人です。
 俳句の方は、私の実家の祖先に俳人が居て、芭蕉の弟子の弟子?とかいわれています。実家の庭には、大きな芭蕉の句碑があり、句碑の裏に露友と云う名前で辞世の句が彫ってあります。勿論名前の知れた俳人にそのような人はいません。ただ宝井基角の手紙があり、古文書などと一緒に鑑定を依頼する手はずになっていましたが、その直前の災害で無くしました。鳳朗という署名の入った前書きのある俳句集は、その後もありましたが、今は誰も行方を知りません。その祖先は俳句や茶道に凝った人だったようです。
 そのDNAでしょうか。叔母も俳句を詠みましたし、私も俳句にかなり以前から関心を持ち、独学をして来ました。でも17文字に季語を入れつつ自分の心模様を歌い込むのが難しく、やっと去年あたりから新聞に投稿を始め、少し採って頂くようになりました。
 石川啄木の歌に「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」というのがありますが、啄木が一生をかけて成し遂げた立派な仕事は、短歌だったと思うのですが、自分の成し遂げた仕事が如何に偉大だったか、という事を自覚することなく亡くなったのは、残念なことだと思っています。今もなお、短歌に憧れる人にとってはバイブルのように愛読されているのにです。
 日本に万葉の時代から続く短歌と、芭蕉という偉大な人物によって花開いた俳句という短詞があって、これは私が云う迄も無く世界に誇れる日本の文化です。最近は、高齢者が日々に紡ぐ膨大な短歌や俳句の、日本文学における存在は、素人と言えども一大エネルギーだと思います。
 俳句などは世界的にも注目されて来ていると聞きます。この日本の素晴らしい文化を、高齢者が多くを占めるのではなく、もっと若い世代に広がって欲しいと願っていますし、その努力も俳壇・歌壇で成されているようです。やがて若い世代の人達が、この期待に応えて、もっと世界に広めてくれることと信じています。
 日本という山紫水明の豊かな自然環境と、日本語という素晴らしい表現力と、日本人の細やかな感性と相まって、育まれてきたこの文化を、常々日本の誇りだと思っています。私は能力も無く感性にも乏しく、底辺でのたうっている老人でしかありませんが、末端の縁の下で、私にも支えられる小さな力を発揮出来たら(たとえ歌を紡ぐということだけでも)こんなに嬉しいことは無いと思っています。

自らが選びし人生(ひとよ)と思ひしに運命といふ汽車の旅人

ひとことを言へざるままに春立ちぬ(何れも某誌・紙に掲載)


奥さん元気?

2013年02月02日 | 随筆・短歌
 この団地に住み始めた頃から見ると、義父母の年代の方達は、もう皆鬼籍に入られて、夫や私達の年代が高齢層になり、次の代の人が現在働き盛りの年代層となりました。そろそろその子どもさん達も独立する頃となり、今では小さなお子さんが少なくなりました。もう新しく家を建てる空き地もないので、二世帯の住宅を三世帯用に建て替えたりして、やはりお年寄りの多い地域ではあります。
 近所にお住まいで、夫と出会う度に「奥さん元気?」と必ず仰る方がいます。もう70代に入るかという年代ですが、スポーツマンで、私達がウォーキングをしていると、「その歩き方では、ウォーキングとは言わず、散歩と云うんです」と言われます。確かにウォーキングと言えばかっこいいのですが、ただ毎日欠かさずに歩いているだけで、あちこちキョロキョロして、あそこの家の花が咲いたとか、最近誰さんに出会わなくなったけれどお元気かしら、等と話しに夢中になっていて、歩くのは二の次ですから、散歩というのが正しい表現と云えましょう。
 「ほら、こうしてしっかり歩かなくちゃ」と歩いて見せて、笑われています。でもこうして声を掛けて下さったり、「この頃見えなかったから病気でもしているのではないかと心配していた」等と言われると嬉しくもあり又有り難くもあります。
 この方はリッチな方で、スポーツは何でも出来、特にスキューバダイビングが得意で、良く海外へ潜りに出掛けておられました。その一方で地域のゴミステーションを見回って、管理状況を点検することを誰に頼まれた訳でもないのに、ボランティアとしてせっせと行って、皆さんに尊敬されています。
 もうお一人、以前教師で、退職の頃は県の教師を束ねる程に偉くなっておられた人がご近所におられます。この方も退職後は、地域の中に溶け込んで、誰とでも気安く言葉を交わしておられます。今は離れたところで俳句の指導をしておられるのですが、口に出したりされないので、ご近所でもそれをご存じない人は多いと思います。私は、図書館で、折々結社の発行する句集を読みますから、如何に素晴らしい俳句を作っておられるか知って居ます。この方とも夫は格好な話相手で、お互いに出会えば冗談が飛び交い楽しい会話が始まります。
 この様に現役の頃は地位の高かった人が「実る程に頭の垂れる稲穂かな」を実践されて爽やかに生きておられるのが、感動的です。地域では、皆一箇の人間として平等に、お互いに尊敬し助け合って生きて居るということは、本当に素晴らしいことだと思っています。
 私達と言えば、多分現在は「何時も二人一緒にリュックで歩いている老夫婦」として認識されているのではないでしょうか。「車でない旅行はリュックで行く」所から始まり、だんだん日頃のウォーキングと帰り道の買い物がリュックに変わりました。
 昨日のことです。スーパーで、「アッこの鰰(はたはた)を買っていきましょう」と小ぶりで安い鰰を私が見つけて、2パック夫の押すカートに入れました。その時年配の見知らぬ男性が、「この小さいはたはたをどの様にして食べるのですか」と聞かれました。「はらわたを出して、醤油とみりんで味を付け、網付きバットに並べて一晩冷蔵庫干しにして、焼いて食べるのです。美味しいですよ。」と答えました。「今度私も作ってみよう。ところで貴女はスリムになりましたね」と笑顔で仰るではありませんか。私としては全く初対面としか思えない人でしたから驚きました。
 尤も私は、人の顔が中々覚えられず、地域の人は地域に居られる時はわかりますが、別の場所でお会いしても解らない人が多いのです。
 スーパーでは、見知らぬ人の親切に合う事も多く、「この舞茸は油揚げと一緒に甘辛く炒めると美味しいのですよ」とこれも見知らぬおばあさんが教えて下さいました。以来私も簡単な調理方として重宝させて貰っています。売り場の係りの方は、「今日はこれが買いですよ」と折々教えて下さいます。
 ある新聞の歌壇に一人暮らしの人が、スーパーのレジ係と交わした一言だけが一日の会話であったというのがあって、悲しい思いで読みました。一人暮らしでは話す相手もなく、きっと寂しいに違いないでしょうが、それを克服して生きて行く、自分なりの道を見つけだせれば、それが幸せな老後に繋がるのではと思ったりしています。
 私達はスーパーでも、レジの人達がちょっと暇で、他に並んでいる人が居ない時には、冗談を交わしたりします。こんなおしゃべりは、余り見かけません。尤も私は機転が利かなく、パッと切り返す能力もなく、中々ウィットに富んだ会話は出来ません。傍で笑って眺めて相づちを打つだけです。夫はユーモラスな冗談に長けていて、良く笑わせて帰って来ます。
 夫は祖父の遺伝子を継いだようです。息子も又夫と同じでテレビを見ていても、次々に冗談が飛び出します。笑いは精神的にも生理的にも、大変良いと聞きます。
 私は今年は、「○○さんお元気?」と先に声を掛けるように心がけたいと思っています。その方が、より明るく生きられて、きっと心身共に健康に過ごせると思えるからです。

独り居の三軒隣の女性より絵手紙のあり赤い寒椿(再掲)