ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

母の心

2019年08月28日 | 随筆
 「母の心」という言葉を聞く時、私はごく自然に体内に温かいものが溢れる気持ちを抱きます。きっと多くの人々が同じ思いをするのであろうと思っています。
 過去の事件を取り上げて、その詳細をドキュメンタリー式にまとめたドラマがテレビで折々放映されます。そのうちの一編「吉展ちゃん誘拐殺人事件」を過日観ました。昭和史に残る大事件でしたから、私の衰えた頭ではありますが、まだかなり確かな記憶として残っていました。
 この事件の捜査に当たり担当したのは、警視庁捜査一課の「落としの八兵衛」と言われた有名な「平塚八兵衛刑事」でしたが、この役を俳優の「渡邊謙」が見事に演じていました。
 1963年(昭和38年)3月31日に、犯人小原保は、村越吉展ちゃん(当時4歳)を東京都台東区立入谷南公園から誘拐、4月2日に身代金50万円を要求し、まんまと奪ったのです。吉展ちゃんは誘拐後すぐに殺害されていたのですが、捜査陣は後までその事実を知りませんでした。
 犯人小原は、誘拐後間もなく殺した理由を「自分は脚が悪いので(歩く度に片足を引きずっていた)吉展ちゃんを生きて帰せば、直ぐに自分が犯人だと気付かれる」と思ったとのことでした。
 やがて身代金要求の電話の録音から、言語学者の金田一晴彦が犯人は「東北南部」の人だと言い、同じく言語学者の鬼春人は「犯人は郡山以南の南東北・北関東の出身」と分析して次第に絞り込まれて行きました。東京外語大の秋山和義の「30歳前後(当時小原は30歳)」に続き、「声紋分析から、この声が前科のあった小原保によく似ている」との鑑定に至ったのです。(当時はまだ電話の逆探知も出来ない時代でしたから、それだけに捜査に当たった人たちの緻密な捜査と、その大変な苦労が偲ばれます。)
 取り調べを受ける事になった小原は、平塚の追求を言を左右にかわし、対する平塚刑事は、一つ一つ根気よく追求して行きます。
 福島県に住む小原の母は「もし息子が人として誤った事をしたのなら、どうか真人間になるように罪を認めさせて下さい。あの子を産んだ私の罪です。私が悪いのです。どうか私を許して下さい。どうか、どうか。」と雨の中を土下座して号泣しながら何度も何度も謝ります。母親の誠実さと、育児に対する親の責任感が、篠突くような激しい雨に打たれつつも、膝を折ってわびる姿は、涙なしに見る事は出来ませんでした。

 事件のあった日は「福島に居て、東京に戻ったのは4月3日である」と主張する小原に対して、「4月2日には東京に居て、身代金要求の電話を掛けた」事実を証明出来ず、悪戦苦闘を強いられていました。
 やがて後一日で拘留期間が終わるという日に、小原はつい気を許してしまったのです。それも雑談の中で、「山手線から火事を見た」と言ったのです。「日暮里大火を山手線から見た」と言うことになると、4月2日は東京に居たことになり、東京から身代金の要求電話(4月2日)をしたことになります。「4月2日は福島に居た」と主張して来た彼のアリバイが、一瞬にして音を立てて崩れて行きました。
 翌朝、刑事とのやり取りの中で小原は「今朝母親の夢を見た。全部話して罪を償って身ぎれいになれ。私は地獄でお前を待っている、と言っていた。」落としの八兵衛の根気強い尋問と、それを支える捜査陣の、緻密な捜査にアリバイが崩れた瞬間は、圧巻でした。
「罪を償ってきれいな人間になったら、私はお前を見捨てない。地獄で逢っても見捨てない。」このシーンで再び泣きました。
 私はこの時の「地獄で待っている」と言う母親の言葉に対して、鹿児島の知覧の特攻記念館へ行った時に、「間もなく特攻機に乗る」と言う特攻兵からの手紙に「南無阿弥陀仏を唱えながらいきなさい。また仏さまの足もとで会おう」と返事を書いた母親の手紙が展示してあって、涙が止まらなかった日の出来事を思い合わせていました。
 「地獄で待つ」も「み仏の足もとで会おう」も共にわが子への母親の心を伝えたものです。どんな状態に在っても、わが子を見捨てない、温かい母性に心からの感動を覚えたのでした。
 テレビを見終わった後で、夫はポツリと言いました。「10ヶ月もの長い間、大切にお腹の中で育てたという事実は、何物にも負けないものだなあ」と。

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鎮魂の旅

2019年08月14日 | 随筆
 旅の目的は様々ですが、「鎮魂の旅」も忘れがたいものがあります。 
長崎市というところは、私達夫婦に取ってそういう意味では、とても縁が深く懐かしい所です。
 1997年に初めて九州方面へ9泊の旅をしました。その折りには、ハウステンボスや熊本城(まだ本丸御殿が出来て居なかった)などの観光地も巡りましたが、主目的は、長崎の「原爆資料館」や「平和公園」切支丹弾圧の「26聖人の記念館」や遠藤周作の「沈黙」の踏み絵が展示されていた「16番館」など(入場券がアルバムに貼ってあります)、それから知覧の「特攻記念館」や鹿児島の「西郷南州墓地」・「顕彰館(遺訓集)」「維新ふるさと館」などでした。
 何処もそれぞれに感慨深いものがありましたが、振り返って考えると、「何故その日その場所に立ったのか」という、言うに言えない縁のようなものを感じますから不思議です。長崎へは計3回の旅行をしましたが、二度と出会えなかった展示もあり、思えば不思議な出会いの旅でもありました。
 これらの見学で、特に心を引かれたのは、一つは遠藤周作にまつわる想い出です。彼は、あの名作「沈黙」を書く前に、偶然実物の踏み絵を見て、とても心を奪われたと書いています。私達も同じ踏み絵を1997年の旅で16番館に立ち寄って、偶然目にすることが出来ました。大変なショックでした。この踏み絵は私達に、人間の哀しみも、残酷さも、弱さも全ててさらけ出していることに、強烈なショックを覚えたのです。
 その後11年後に再び九州へ行き、長崎へも行きましたが、観光地としての出島も、小さな模型のような建物から実物大になり、グラバー邸辺りも整備されて、一周出来る観光道路のようになっていて、すっかり風情が変わっていました。あの16番館も無くなっていて、遠藤や私達が見た貴重な踏み絵は二度と見ることが出来ませんでした。
 ただ大浦天主堂のマリア像は、かつて浦上の三人の農婦が初めてマリア像を訪ねてやってきて、キリスト教信者が今も生きていて、信仰を守っていることを神父が知ったきっかけとなった、と言う実話の通りに置かれていました。
 このマリア様が当時のマリア像だと知って、私達は一層感慨深く拝見しました。団体の見学者達がただスラスラと通り過ぎて行く様子を、惜しい気持ちで眺めました。
 踏み絵板は、信者が痛む心で踏むんだであろう足の形に少しくぼんでいて、特に第一指の跡が、すり減って普通の指よりも大きく、かなり深い形にへこんでいました。
 密かに切支丹の信者であった人たちが、どんな思いで、この踏み絵板の上に足を載せたのかと大変心の痛む思いをしました。
 11年後に訪れた時には、外海の遠藤周作記念館(最初の頃は無かった)に行きました。バスを乗り継いで可成り遠いのですが、時間を掛けて現在の出津文化村へ出かけて、心静かにゆったりと見学して来る事が出来ました。
 外海の丘の上に建った「遠藤周作文学館」には「沈黙の碑」が建っていて、自然石に『人間がこんなに哀しいのに 主よ海があまりに碧いのです』と彫られていました。
 館内には、「沈黙」の資料や膨大な遠藤の蔵書などが集められていて、訪れた皆さんはとても静かに見学されていました。「沈黙」という大作に敬意を表してか、館内は静かで独特の雰囲気に包まれていたように思えました。夕陽が丘そとめからは、見たこともないコバルトブルーの美しい海も見えました。九州の海はこんなに美しい色なのか、と感動しました。この時は8泊の内4泊が九州で残りの4泊は奈良・京都でした。
 最後は2014年に九州一周のツアーがあり、福岡空港に集合・解散でした。飛行機を乗り換えての往復でしたが、手作りの旅行計画ではなく、ツアーというのは初めてでした。それなりに効率よく肝心な所をしっかり見学出来て、良かったです。時間に余裕があり、太宰府天満宮にもお参り出来ました。
 もちろん長崎の大浦天主堂へも行きました。行く度に長崎は変わっていて、観光地としての発展もありましたが、グラバー邸からの下り坂は、すっかりお土産店通りに変わっていて、日本最初の木造洋館だった16番館はすでに無く、貴重な歴史の証人が消えてしまった寂しさには、大きいものがありました。
 人間の哀しさをテーマにした歌を、しんみり聴くのも好きです。私達は二人とも歌手の「さだまさし」のファンです。「防人(さきもり)の歌」をコピーして、それぞれ「亡くなった時の告別式のバックグラウンド曲として流して貰おう」なんて考えたりもしました。この詩は「生きとし生けるものも大自然も全て死んでいくものだ」と言った人間普遍な思想が歌い込まれた名歌です。
 また防人の歌に続いて出た谷村新司の「群青(ぐんじょう)」は、戦争でわが子を失った父親の悲しみを歌ったものです。どちらもとても素腹らしい曲です。聴く度に感動して涙が出て来るようです。(さだまさしの防人の歌は長いし、めったに歌いません。良い歌なのに残念です。)
 特にフォレスタが群青を歌う時は、二人で耳を傾けて静かに聴き入ります。そして毎回「素晴らしいね」と感動するのです。
 南雲彩さんのピアノがこの群青を演奏する時は、導入部分から曲を引き立てるように弾いて、思わず引き込まれます。ピアノが歌詞やメロディーを一層引き立てるのです。ピアニスト南雲彩さんの、絶妙な伴奏です。
 丁度お盆で、祖先の御霊を慰める時期にあたり、又15日は終戦記念日でもあります。仏前の回り灯籠も、様々な人生模様を写し出しているようで、先立った人たちを想い出し、過ぎし時を惜しみつつ、心を慰めるのに、ふさわしい思いがします。
 特別な酷暑と引き続き大型台風が近づいていますが、暑さに負けず、台風にも負けず、ご無事でありますように祈っています。


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