運転免許証の期限切れが近づいたのを期に、夫は免許証を返納し、車を手放すことにしました。私は車の運転には、不向きな注意散漫人間なので、とうとう一生を免許無しで過ごしました。夫が40歳頃単身赴任をしていた時に、夜の時間の暇つぶしに、職場のすぐ隣の自動車学校へ通い、運転免許を取得しました。
「免許を取ったら直ぐに車に乗る方が良い」と夫の知人が勧めて下さって、早速中古の車を見つけて下さったり、良心的な保険会社の人を紹介して下さいました。今考えると、熱心に初心者の心得まで指導して下さって、右も左も解らない夫は、どれ程か助かったことでした。そのようにして、やっと一人前のドライバーになったのでした。
運動神経が可成り鈍い事と、半面慎重な性格が幸いしたのか、いつも慎重運転で、年齢的には平均よりも早く、とんとん拍子で運転免許を取得出来ました。慎重な運転は最後迄続き、家族としては、何時も安心でした。
免許を取って間もないゴールデンウィークに、早速家族で蔵王へドライブを楽しみ、貸別荘などでバーベキューやカレー作りをして、温泉を引いてある別荘生活を楽しんだりしました。当時は貸別荘が流行りでもありました。
以来時が過ぎて、もう35年になりました。その間に、家族であちこちと泊まりがけや日帰りの旅行を大いに楽しみ、私の実家へも往復したり、本当に良く出かけました。
遠くは北海道を一周したり、山陰を通って九州までも行った車です。東北のあの大津波災害の前年に、東北の祭りや名所を楽しみつつ北上し、美しいリアス式海岸を田老から気仙沼まで通ったりしました。
夫自身の勤務も、その後一旦自宅から通勤が出来ましたが、やがて又単身赴任があり、その行き帰りにも大いに働いて呉れました。通うにはやや遠い勤務地に転勤になった時も、車のお陰で何とか無理して通い通してくれました。家には育ち盛りの子供と夫の両親と私がいて、大家族の生活には必需品だったのです。
運転に慣れた頃に新車に乗り換えて、その後何台か新車に乗り換えましたが、ずっと通して運転手は夫一人でしたので、無事に運転を止めることに決めた頃には、家族一同感謝の念で一杯でした。
つい先日、当初からの保険代理店から、「35年間有り難う御座いました」とお礼状が届き、ずっと年一回おいで頂いて、まるで親戚のように親しく付き合って来ましたのに、しみじみと年月の経つことの早さや、その間に詰まった沢山の想い出の数々が、有り難く思えたのです。
最後の車は、約12年乗りましたので、日頃からお世話になって来た業者さんに来て頂いて、持って行って貰いました。もうこれが最後ということで、記念に家族で一泊の温泉旅行も済ませ、お彼岸のお墓参りや私の図書館通いのアッシーくんの役割もして貰い、全ての役割を終えて、その日を静かに待っていました。
それでも業者さんの運転で去って行く車の後ろ姿を、家族で視界から消え去るまで見送った時は、悲しくて思わず涙がにじみました。
愛車とは良く云ったもので、家が家族のよりどころなら、共に出かける時の仮の家であった愛車です。本当に愛すべき家族の一員として、良く怪我もせずに働いて呉れました。犬や猫を家族同然に可愛がって育てている人は、世の中に大勢居られて、亡くなると喪失鬱になる人もいらっしゃると聞きました。その気持ちもよく解ります。万物に魂があると云いますから、きっとこの愛車にも魂があるに違いないと思えました。
車が車庫から無くなった日の夕食は、無事に35年が済んだことを感謝し、働いて呉れたあれこれの車の想い出話をしながら、有り難うの乾杯をしました。勿論長い間安全運転をして、家族の為に苦労して呉れた夫の労もねぎらいました。
夫や家族の嬉しい事、悲しい事、楽しい事、辛い事を、あの愛車はきっと知って居たに違いないと思っています。言葉は話さなくとも、きっと車の中の雰囲気は、正しく感じ取っていたでしょう。いつの場合でも常に冷静で、あるじに忠実であった愛車に、今になって教えられる思いが致します。
「免許を取ったら直ぐに車に乗る方が良い」と夫の知人が勧めて下さって、早速中古の車を見つけて下さったり、良心的な保険会社の人を紹介して下さいました。今考えると、熱心に初心者の心得まで指導して下さって、右も左も解らない夫は、どれ程か助かったことでした。そのようにして、やっと一人前のドライバーになったのでした。
運動神経が可成り鈍い事と、半面慎重な性格が幸いしたのか、いつも慎重運転で、年齢的には平均よりも早く、とんとん拍子で運転免許を取得出来ました。慎重な運転は最後迄続き、家族としては、何時も安心でした。
免許を取って間もないゴールデンウィークに、早速家族で蔵王へドライブを楽しみ、貸別荘などでバーベキューやカレー作りをして、温泉を引いてある別荘生活を楽しんだりしました。当時は貸別荘が流行りでもありました。
以来時が過ぎて、もう35年になりました。その間に、家族であちこちと泊まりがけや日帰りの旅行を大いに楽しみ、私の実家へも往復したり、本当に良く出かけました。
遠くは北海道を一周したり、山陰を通って九州までも行った車です。東北のあの大津波災害の前年に、東北の祭りや名所を楽しみつつ北上し、美しいリアス式海岸を田老から気仙沼まで通ったりしました。
夫自身の勤務も、その後一旦自宅から通勤が出来ましたが、やがて又単身赴任があり、その行き帰りにも大いに働いて呉れました。通うにはやや遠い勤務地に転勤になった時も、車のお陰で何とか無理して通い通してくれました。家には育ち盛りの子供と夫の両親と私がいて、大家族の生活には必需品だったのです。
運転に慣れた頃に新車に乗り換えて、その後何台か新車に乗り換えましたが、ずっと通して運転手は夫一人でしたので、無事に運転を止めることに決めた頃には、家族一同感謝の念で一杯でした。
つい先日、当初からの保険代理店から、「35年間有り難う御座いました」とお礼状が届き、ずっと年一回おいで頂いて、まるで親戚のように親しく付き合って来ましたのに、しみじみと年月の経つことの早さや、その間に詰まった沢山の想い出の数々が、有り難く思えたのです。
最後の車は、約12年乗りましたので、日頃からお世話になって来た業者さんに来て頂いて、持って行って貰いました。もうこれが最後ということで、記念に家族で一泊の温泉旅行も済ませ、お彼岸のお墓参りや私の図書館通いのアッシーくんの役割もして貰い、全ての役割を終えて、その日を静かに待っていました。
それでも業者さんの運転で去って行く車の後ろ姿を、家族で視界から消え去るまで見送った時は、悲しくて思わず涙がにじみました。
愛車とは良く云ったもので、家が家族のよりどころなら、共に出かける時の仮の家であった愛車です。本当に愛すべき家族の一員として、良く怪我もせずに働いて呉れました。犬や猫を家族同然に可愛がって育てている人は、世の中に大勢居られて、亡くなると喪失鬱になる人もいらっしゃると聞きました。その気持ちもよく解ります。万物に魂があると云いますから、きっとこの愛車にも魂があるに違いないと思えました。
車が車庫から無くなった日の夕食は、無事に35年が済んだことを感謝し、働いて呉れたあれこれの車の想い出話をしながら、有り難うの乾杯をしました。勿論長い間安全運転をして、家族の為に苦労して呉れた夫の労もねぎらいました。
夫や家族の嬉しい事、悲しい事、楽しい事、辛い事を、あの愛車はきっと知って居たに違いないと思っています。言葉は話さなくとも、きっと車の中の雰囲気は、正しく感じ取っていたでしょう。いつの場合でも常に冷静で、あるじに忠実であった愛車に、今になって教えられる思いが致します。