ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

愛車との別れ

2012年09月29日 | 随筆・短歌
運転免許証の期限切れが近づいたのを期に、夫は免許証を返納し、車を手放すことにしました。私は車の運転には、不向きな注意散漫人間なので、とうとう一生を免許無しで過ごしました。夫が40歳頃単身赴任をしていた時に、夜の時間の暇つぶしに、職場のすぐ隣の自動車学校へ通い、運転免許を取得しました。 
 「免許を取ったら直ぐに車に乗る方が良い」と夫の知人が勧めて下さって、早速中古の車を見つけて下さったり、良心的な保険会社の人を紹介して下さいました。今考えると、熱心に初心者の心得まで指導して下さって、右も左も解らない夫は、どれ程か助かったことでした。そのようにして、やっと一人前のドライバーになったのでした。
 運動神経が可成り鈍い事と、半面慎重な性格が幸いしたのか、いつも慎重運転で、年齢的には平均よりも早く、とんとん拍子で運転免許を取得出来ました。慎重な運転は最後迄続き、家族としては、何時も安心でした。
 免許を取って間もないゴールデンウィークに、早速家族で蔵王へドライブを楽しみ、貸別荘などでバーベキューやカレー作りをして、温泉を引いてある別荘生活を楽しんだりしました。当時は貸別荘が流行りでもありました。
 以来時が過ぎて、もう35年になりました。その間に、家族であちこちと泊まりがけや日帰りの旅行を大いに楽しみ、私の実家へも往復したり、本当に良く出かけました。
 遠くは北海道を一周したり、山陰を通って九州までも行った車です。東北のあの大津波災害の前年に、東北の祭りや名所を楽しみつつ北上し、美しいリアス式海岸を田老から気仙沼まで通ったりしました。
 夫自身の勤務も、その後一旦自宅から通勤が出来ましたが、やがて又単身赴任があり、その行き帰りにも大いに働いて呉れました。通うにはやや遠い勤務地に転勤になった時も、車のお陰で何とか無理して通い通してくれました。家には育ち盛りの子供と夫の両親と私がいて、大家族の生活には必需品だったのです。
 運転に慣れた頃に新車に乗り換えて、その後何台か新車に乗り換えましたが、ずっと通して運転手は夫一人でしたので、無事に運転を止めることに決めた頃には、家族一同感謝の念で一杯でした。
 つい先日、当初からの保険代理店から、「35年間有り難う御座いました」とお礼状が届き、ずっと年一回おいで頂いて、まるで親戚のように親しく付き合って来ましたのに、しみじみと年月の経つことの早さや、その間に詰まった沢山の想い出の数々が、有り難く思えたのです。
 最後の車は、約12年乗りましたので、日頃からお世話になって来た業者さんに来て頂いて、持って行って貰いました。もうこれが最後ということで、記念に家族で一泊の温泉旅行も済ませ、お彼岸のお墓参りや私の図書館通いのアッシーくんの役割もして貰い、全ての役割を終えて、その日を静かに待っていました。
 それでも業者さんの運転で去って行く車の後ろ姿を、家族で視界から消え去るまで見送った時は、悲しくて思わず涙がにじみました。
 愛車とは良く云ったもので、家が家族のよりどころなら、共に出かける時の仮の家であった愛車です。本当に愛すべき家族の一員として、良く怪我もせずに働いて呉れました。犬や猫を家族同然に可愛がって育てている人は、世の中に大勢居られて、亡くなると喪失鬱になる人もいらっしゃると聞きました。その気持ちもよく解ります。万物に魂があると云いますから、きっとこの愛車にも魂があるに違いないと思えました。
 車が車庫から無くなった日の夕食は、無事に35年が済んだことを感謝し、働いて呉れたあれこれの車の想い出話をしながら、有り難うの乾杯をしました。勿論長い間安全運転をして、家族の為に苦労して呉れた夫の労もねぎらいました。
 夫や家族の嬉しい事、悲しい事、楽しい事、辛い事を、あの愛車はきっと知って居たに違いないと思っています。言葉は話さなくとも、きっと車の中の雰囲気は、正しく感じ取っていたでしょう。いつの場合でも常に冷静で、あるじに忠実であった愛車に、今になって教えられる思いが致します。

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国宝を巡る楽しみ

2012年09月21日 | 随筆・短歌
 酷暑がやっと去って、錦秋が近づいて来ました。奈良や京都へ何回足を運んだか解りませんが、サクラの満開に出会っても、紅葉の美しい京都へは、未だ一度も行ったことがありません。
 一つには秋は日が短くなって、一日に幾つもの寺院や仏像を見学したい欲張りな私達は、やはり春を選んでしまうのです。紅葉の殊に美しい頃は、道路も渋滞するそうで、経験者の噂を聞くだけで、怖じ気づいてしまいます。
 友人が12月に入れば、未だ紅葉も美しいし、道路も空いているからその頃に行ったら、と勧めて呉れています。彼女の様に元気があって、行動的なら良いのですが、あちこち痛みもある体になり、好奇心はあっても体が付いて行かなくなりました。
 何時かも書きましたが、訪れる寺院では、国宝を見落とさないように、また特に何処が良いのかをあらかじめ調べてから出かけます。
 栂尾の高山寺へ行ったのは、何年か前の5月でしたが、それはそれは美しい緑のもみじでした。国宝石水院の開放的な南の縁から望むもみじには、心がしっとりと落ち着いて行くのが分かりました。秋の燃えるような紅葉が、目に見えるようでもありました。現に、高山寺の紅葉の美しさは有名です。
 高山寺で忘れられないのは「鳥獣人物戯画」です。私達が拝観したのは、勿論実物大のレプリカですが、さらさらと洒脱な筆遣いで、見事に描かれた、カエル・兎・サル・狐などが、生き生きとした動きをもって描かれていて、どの場面を見てもまるで人間の魂を持っているように描かれていて、感嘆してしまいます。
 戯画とありますが、皮肉に描いているのではなく、素直にケモノに人間のこころを写して描いているので、ユーモアは感じますが、厭味がありません。親しみやすい愛すべき動物達が描かれています。筆が途中で止まる事もなく、さらっと形良く背中やお腹の丸みや足の形が描かれていて、何とも見事な筆遣いが、見ていて見飽きることがありません。
 だからこそ国宝なのでしょうが、今になっても資料の写真を見る度に感心しきりです。初めて見たのは、確か教科書だったと思いますが、その時には、自分がその絵図のある寺院を訪れて、直接見てくるなどということは考えられませんでした。幸せなことだと思っています。
 明恵上人樹上坐禅図も、忘れられない絵画です。同じく高山寺にある明恵上人は、不思議な魅力を持った人です。親しみ深く、孤独でいて気高く、拝見していて不思議と心が落ち着きます。
 良いものを見分ける手っ取り早い方法は、極上のものを見ることだ、と云われますが、確かに国宝を見ることの意義はそこにあると思っています。
 仏像にしても、建造物にしても、又無形文化財と云われるものでも、私は、国宝を大切な手がかりにしています。
 日本人ですから、和楽器や和の調べの魅力についても理解を深めたいと、図書館のCDやDVDで、人間国宝の箏・尺八・鼓や、清元・端唄に至るまで、少しずつ借りて来て、聴いたり見たりしています。図書館は、そう言うものを借りることが出来て、とても重宝です。大型本は、大きな図書館では禁貸出の物も、私の通う市の図書館では借りることができます。視聴覚資料は二つまで、本は10冊まで、2週間借りられますから、実に便利この上ないのです。国会図書館の電子化した本も、自宅のパソコンでで読めますから、こちらも時折利用させてもらっています。便利で有り難い時代になりました。
 しかし、芸術を正しく評価する能力が備わっていれば、国宝という肩書きに拘らなくても良いはずなのですが、今の私にはそれは不可能ですので、専ら国宝の文字を頼りにしてしまうのです。
 何回も何回も訪れた奈良・京都ですが、まだまだ見たい所はあります。候補になっている幾つかに、出かける体力が残っていることを願うばかりです。 

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ボランティア

2012年09月12日 | 随筆・短歌
年老いて残り時間が少なくなりますと、やはり気になるのが、この時間の中で私が行える、何か世の中のお役に立つ仕事がありはしないか、ということです。
 最近は旅行だとか、趣味だとか、体力作りだとか、みな自分本位の事しかしていない私です。「家族の為に美味しい食事を作ったりする」といっても、これは私自身が美味しいものが食べたいし、食事作りも趣味の内でしかありません。健康で社会の消費者として存在し、税金も支払う傍ら多少の災害見舞金を拠出するというのでは、何か物足りなく思えます。
 身の回りには、とても偉い人がいて、積極的に可成り遠くまで、不心得の人の投げ捨てたゴミを拾い集めている人、小さな公園の草取りをご夫婦だけで、もう何年もしておられる人もいます。ご自宅に幼い子供さんが居る訳でも、お隣が公園な訳でもありません。だだご自分の住む地域を綺麗にして置きたいというボランティア精神です。
 私には、このどちらも出来ていません。家の回りは、角地でもあり、学生の通学路であり、近くに広い市営の駐車場がありますから、不特定多数の人が通ります、ですから投げ捨てゴミはしばしばあります。庭掃除が担当の夫が、広く家の周りの道路の掃除はしますが、勿論担当で無い私は、たまたまゴミが捨てられていた時には拾って来るだけで、何のボランティアもしていないのです。
 市で行われる様々なイベントのボランティアをするには、年を取り過ぎていて、せめて老人施設のお話相手になるボランティアでも、と考えたのですが、性格的に私には向かないように思われます。友人との話し合いの時でも、自分が話すのに夢中になり、相手の話をじっくり聴いてあげるタイプではないのです。老人の話相手として一番大切なことは、良き聞き手であることだと夫に言われてしまいました。誰もが老いて行くのですから、自分の出来ることを通じて、お世話しなければならないのですが、中々出来る事は少なく、又勇気が出ないのです。
 そこで思い付いたのが、和顔愛語と言われる行いです。ニッコリ笑う、有り難うと言う、そういったことはだれにでも出来ることです。
 聞いた所に依りますと、ある禅宗の高僧と言われた方が、亡くなられる前には、もう何も話さなくなり、ただニコニコと笑っておられたということです。ニコニコする人に相対するだけで、私達も思わず心が和みます。
 これなら私にもできそうに思えるのですが、良く考えてみると、これは大変難しいことだと気付きました。心の伴わない笑顔、作られた笑顔ほど不快なものはありません。押し売りセールスマンのようであっては、元も子もありません。心から愛する気持ちが無いと虚しいだけですから、先ず愛することから始めなくてはならなくなります。
 家族・友人・知人といった身の回りの人達に、今まで以上に優しい言葉、優しい行いで接するように心がけて、ボランティアに向けての第一歩にしようと考えています。それにしては遅すぎました。「日ぐれて道遠し」の感が否めません。
 そうではあっても、せめて回りの方達が明るい気持ちになれるように、これからは「和顔愛語」を大切にしていきたいと思っているところです。

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幸せ感を持つ人

2012年09月02日 | 随筆・短歌
 暫く夏休みをとらせてもらってしまいました。盂蘭盆会を今年も滞りなくすませ、お墓参りにも行ったのですが、予定が詰まっていて、次々と来訪者や思いがけない出来事もあり、気が付いたらもう9月です。 
 酷暑と多忙で、自分の年を考えると無理をしてはいけないという自制心が働き、省けることは省いて、短歌投稿もブログもフィットネスも、また早朝のウォーキングも休みがちでした。
 ところでこの期間にある人に会ったのですが、とても感動する話をお聞きしました。その人の最年少のお子さんには障害があるのだそうです。
 以前私は、神谷美恵子の何冊かの著作集を読み、深い感動を覚えたことが沢山ありました。その中で忘れられない言葉がありました。それは、神谷氏の友人の女医の言葉でした。その女医も障害を持つ子供を授かったのです。
 初めは「何故私達夫婦にこのような子供が生まれたのか」と嘆き苦しみましたが、やがて「神が、貴女だから育てられる、と言って授けて下さったのだ」と気付いてから、その子がとても愛おしくなり、「今ではこの子の存在に感謝している」と言われたと書いておられました。
 私が会ったその人も「あの子が私の人生を支えてくれたの。私はあの子に感謝している」と言われたのです。勿論今もそのお子さんは懸命に生きておいでです。私よりも約一回り年若い女性から、このような言葉を直接お聞きするとは思いもしませんでした。
 私は思わず神谷美恵子の著作を思い出し、「貴女からこの様な素晴らしい言葉を直接おききするとは・・・」と心から感動したのです。「言うは易し、されど行うは難し」と言う言葉がありますが、障害を持つ子供と生きることは、それはそれは大変なことだと思うのです。勿論程度の差もありますが、彼女は、「あの子と生きる為に、世の中を変えて行きたい」とも仰いました。
 一般には、障害者に対する偏見が強くあって、同じ人間であるにも関わらず、平等に考えてもらえない苦しみがあります。手助けしないと生きて行けない場合も多々あります。そのご家族のご苦労を思うと、胸が痛みます。
 しかし、「あの子が私を支えて呉れた」と胸を張って言える人は、世の中広しといえども、そう多くはいないでしょう。 障害のあるご本人にとっても、母親である人にとっても、それは喩えようもない幸せをもたらせてくれるものだと、心の底から感動して聞きました。今年の夏の大きな収穫になりました。
 私はずっと「この世の中に不要な人は一人として居ない」と思って生きて来ました。どんな人にも生まれて来た以上、その使命があり、それを成し遂げて逝くのだと思っています。喩え生まれて直ぐに亡くなる人でも、仮に罪を犯した人であってもです。この世に親が居ない人は一人もいません。共に苦しみ、悲しむ人が必ずいるのです。もし、自分にはそう言う人が一人もいないと思う人がいたとすれば、それは間違いです。なぜなら、神仏がいらっしゃるではありませんか。
 神谷美恵子氏は、「一生のうち何べんか、≪ああ、生きていて良かったなァ≫と思われる瞬間があれば、ありがたいとすべきでしょう」と書いています。また、生き甲斐を感じ易い心とは、「感受性の細やかな、謙虚な心、何よりも≪感謝を知る心≫だろうと思われる」と書いています。「感謝を知るというのは、何か特に他人が自分に良くしてくれた場合だけでなく、自分の生というものを深く見つめてどれだけの要素が重なり合って自分の存在が可能になったのかを思い、大自然に向かい、有り難うと思うことを言っているのです」とも書いています。
 私は、この私より一回り若い女性に、未来の明るさを見た思いがしました。どれだけの要素が重なり合って、自分の存在が可能になったのか、それは図り知れないほど沢山の恵みでありましょう。
 暑い暑いと毎日愚痴をこぼしつつ、忙しいとか、何かと言い訳にしている自分が恥ずかしくなって来ました。
 「何かの目的の為に長生きをしたいと願い、健康に留意して過ごす人は、長生きする」と或る書物に書いてあったと夫が言いました。私は、その女性親子の長生きを、心から願っているところです。

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