ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

シャガの花が咲いて

2019年05月25日 | 随筆
 今年も我が家の庭に、シャガの花が咲きました。庭のシャガは5月に入る頃から咲いて、薄青色の花弁に小さな黄色の斑点が少しありますが、全体的には薄い青色に見えるので、とても可憐で清楚な感じの野草です。車庫脇に添って根を張り、年毎に群れを伸ばして咲いています。
 過ぎし日に、私たちは金沢市へ旅行に出て、夫の母校へ立ち寄った事がありました。学生時代に夫たちが教室や研究室として学んだ建物が、金沢城郭の中に、まだ残っていました。夫はとても懐かしんで教室の窓ガラスの外から、背伸びをして覗き込んだりしていました。お城を出て、坂道をダラダラと下って行くと、旧制四高(第四高等学校)の赤煉瓦作りの建物へと繋がっています。
 坂道の道端に、群生して咲いていたシャガが、夫の目に留まりました。その美しさに旅の記念にと、一株だけ根をつけたままビニルの袋に入れて持ち帰って、私が庭に接している車庫の脇に植えたのでした。
 清楚な薄い青の花弁は、5月の空の色を写したように、とても野草とは思えないほど美しく健気に咲いて、年毎に旅の想い出を紡いでくれました。
 私たちが夫の母校などに立ち寄る旅に出たのには、もう一つの理由がありました。夫は学生時代の親しかった友人と、「愚痴庵閑話」と後に名づけたメール交換をしていて、詩吟の達人の奥様が外出されると、独りが寂しいらしく、長い電話が来ました。夫婦そろって会ったこともあり、とても親しくおつき合いを続けて来たのでした。
 彼は医科大学の助教授(現在の准教授)という立場にあったのですが、後年胸部大動脈瑠と言う病を抱えて、旅行もままならないようになってしまいました。松尾芭蕉の俳句が好きで「奥の細道」をたどる旅をする程にのめりこんでいたのですが。
 私たちが金沢へ行くと聞くと、「では金沢市にある芭蕉の句碑を尋ねて、写真を撮ってきて欲しい。想い出の校舎も。」と頼まれたのでした。
 私たちも北海道から四国・九州など全国を車や鉄路の旅を沢山してきましたが、このように「芭蕉の句碑を尋ねる」というテーマのある旅はキリシタン殉教の歴史の旅と、三年かかった四国遍路の旅を除けば、初めてでした。振り返って見ると、とても良い記念になりました。
 この旅で一番感動した句碑は、一笑塚です。芭蕉がその門下生の中で、特に才能を高く評価した小杉一笑は、師の芭蕉に会うこともなく、36歳の生涯を閉じたのです。一笑の死の翌年この地を訪れた芭蕉は、その死を非常に悲しんで、慟哭の思いを「つかも動け 我が泣く声は 秋の風」という一句に託したのでした。「つかも動け」と言う言葉は、激しい悲しみに突き動かされて、心の底から湧き上がって来た芭蕉の悲しみのことばとして、私は心を捕らえられました。念願寺の山門をくぐった直ぐ左手の、一笑塚の傍らに立ててある説明書きを読んで、涙を誘われずにはいられませんでした。また成学寺の境内には、ツワブキに囲まれた自然石の「一笑塚」もありました。
 訪れる人の見えない、閑静な長久寺には、「秋涼し手毎にむけや瓜茄子(うりなすび)」兼六園小立野口の山崎山の登り口には「あかあかと日はつれなくも秋の風」が建っていました。これは有名な句ですから、この句碑は一つだけではなく、犀川大橋近くの川のほとりにも、成学寺にもありました。
この他に「山さむし 心の底や 水の月」(上野八幡神社鳥居の近く)
    「春もやや 気しき調ふ 月と梅」(本長寺)
があります。

 句碑を巡った後は、その頃には「四高記念室」と「石川近代文学館」と名前を変えた昔懐かしい赤煉瓦の校舎に入って、此処で授業を受けた夫は、廊下を歩きながら、「まるで昔の学友達が39人、後ろにさざめき合いつつ付いてくるようだ」という感想を漏らしながら、一足一足味わうように踏みしめて歩いていました。古い校舎の長い廊下には、そのような光景が現実のように浮かぶのも、不思議には思えませんでした。
 四高の歴史の中には、西田幾多郎や鈴木大拙、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星、井上靖など優れた学者や文学者を輩出しています。
 私は室生犀星が好きです。新聞の連載で、「杏っ子」を夢中になって読みました。犀星の次の詩が特に好きです。

「寂しき春」

したたり止まぬ日のひかり
うつうつまはる水ぐるま
あをぞらに
越後の山も見ゆるぞ
さびしいぞ

一日もの言はず
野に出でてあゆめば
菜種のはなは波をつくりて
いまははや
しんにさびしいぞ

寂しい、寂しいという室生犀星は、このふる里の犀川の岸辺に、不遇な時代の想い出があり、
 ふるさとは遠きにありておもふもの
 そして悲しくうたふもの
               (小景異情から)

 という詩も作りました。「みやこ」が何処か、など様々な解釈があるようですが、ふる里に対する悲しく深い思いを胸にしながら、「遠き都へかえらばや」とうたっていまます。切ない詩です。

 優れた先人たちの言葉は、とても心の深くに入り込んで、旅の想い出を一層しみじみとしたものにしてくれました。夫の友人も今は鬼籍に入り、私達も思い出すたびに、楽しい旅ではありましたが、金沢にまつわる悲しい想いも湧いてきて、年のせいかとても寂しくも思えます。写真に解説を付けて製本したものを、彼に一冊送り、我が家に一冊残してあります。
 庭のシャガは今年も綺麗に咲き、5月の内に散ってしまいました。清楚で可憐で、つつましやかなその姿は、夫やその学友の、青春の胸のときめきを伝えてくれているように思えました。また来年咲くのを楽しみにしています。

パソコンが壊れて

2019年05月16日 | 随筆
 4月下旬のある朝のことです。いつものようにノートパソコンに向かって電源を入れましたら、突然バチッと音がして電源が切れてしまいました。このような壊れ方はパソコン履歴30年余り?で初めてでした。思えばずっと以前に、弟からの大きなディスク型コンピュータのお下がりを使っていて、まだ記憶装置も分かれていましたし、プリンターもとても大きくて、その置き場所も大変でした。パソコンもノート型になって久しく、随分進化したものだと思っています。これを機に、今後も使おうと思って新らしく取り替えました。
 パソコンは、私には好奇心を満たしてくれる貴重な玩具のような存在でしたので、いざ使えなくなると相応の不便さを感じさせられました。
 何と言っても、解らない事がある時は「直ぐその場で調べる」癖があり、日本地図、世界地図、電子辞書、なども身近に置いているのですが、最近はニュースや調べ物に熱中のあまり時間が経つのを忘れそうになり、家族に注意されることも度々ではありました。
 テレビを漫然と見ていたり、パソコンのニュースを追いかけ過ぎていては、大切な時間を失う事になります。気を付けるようにしていますが。
 しかし、悪い面ばかりではなく、良い面もありました。折しも平成から令和に変わる時でしたから、心を落ち着けて過去を振り返り、自分が歩いて来た道を省みて、このような生き方で良いのかと考えることが出来ました。
 新天皇の御代が穏やかに始まりましたので、良い時代になって欲しいと思っています。世界に誇る歴史の重みにも、身が引き締まる思いでした。
 日々溜まりがちな書類を選別して捨てる事や、5月の連休は毎年恒例の寝具の手入れ、庭草取りや建仁寺垣を洗う、等カレンダーの予定にも従いつつ、これから先に新たな希望を繋いでいます。
 10連休もありましたのに、何処へも出かけず、体力の衰えを実感しています。市立図書館へ通った事が、何よりの楽しみでした。
 年々足の運びが悪くなり、心臓病であっけなく亡くなった祖母の遺伝か、心臓に少し問題があります。無理せずマイペースでゆったりと過ごしたいと考えています。
不意のパソコンの故障から、すっかりご無沙汰してしまいましたが、これからも宜しくお願い致します。