ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

私の「神田川」

2009年05月12日 | 随筆・短歌
 私達夫婦の新婚生活は別居のスタートでした。私は実家の近くに勤務していて、夫はそこから汽車で四時間ほどの所に勤務していたからです。私の方が転勤し易い職業だったので、先ず借りたアパートは夫の職場へ自転車で15分位の所でした。
 小京都といわれるその街は、緑が豊かで街の中心に大きな森林公園があり、こんもりした一山全てが公園で、噴水や水車小屋などがある大きな池が幾つかと、神社や塔や東屋があって、歩いたり休んだりするにはとても良い所です
 アパートは新築とは名のみで、廃校の木材を活用した粗末なものでした。一階がやや広めのキッチンとトイレ、急な階段を昇ると6畳二間にそれぞれ押し入れやタンス置き場が付いていて、広い窓が明るいので私達にとっては居心地の良いアパートでした。けれども残念な事に、お風呂場がついていませんでした。アパートの裏に大家さんが大きな家を構えておられ、毎日お風呂を立ててくださり、入れて貰っていました。
 夫は職員食堂で三食食べられ、入浴も出来ましたので、日頃は食事作りの心配もなく過ごせました。土曜日に私が帰って食事を作り、日曜日は掃除、洗濯をすれば後は自由で、お天気が良ければ良く公園に行き、正面から真っ直ぐ神社まで高い石段を登り、お参りを済ませてから散策しました。山を少し登ると、四角い石の屋根を幾重にも重ねた高い多宝塔があり、お気に入りの場所でした。そここから見晴台まで登り、ぐるりと山を巡って池に出て、鯉に餌をやったり、甲羅干しをしている亀を眺めたり、桟敷の椅子に座って、おでんやところてんを食べたりしました。
 若かった私は、時折和服を着て出かけました。日曜日の夕方はわざわざ10分程歩いた所にある街の銭湯に行きました。南こうせつさんの「神田川」のように、お風呂上がりの時間を決めて入るのですが、何時も私の方が早く出て待ちました。寒さが厳しい頃は洗った髪の毛が冷たくなって、「小さな石けんカタカタ鳴った」というような場面もありました。
 二人揃うと必ずお風呂屋さんの隣の食堂で夕食を食べました。二人ともチャーハンが好きで、又そのお店ののチャーハンは、焼き豚とメンマなどがが入た醤油味のチャーハンで、香ばしくてとても美味しかったのです。
 さてそれからが別居の哀しさです。夜中の三時頃の汽車に乗らないと、月曜日の勤務時間に間に合いません。真夜中に何時も駅まで夫に送ってもらって、夜汽車に乗るのでした。
 翌年私はアパートから通える所に無事に転勤になり、その街での生活は二年で終わりました。やがて子供が生まれ、それに合わせて現在住んでいる市に家を建て、義父母にも田舎の家を払って貰って同居したからです。その頃には夫もこの市に転勤していたのです。
 それから30年、夫の退職後、車で一時間程のその街を訪れましたら、お風呂やさんはとうに無くなっていましたが、食堂が残っていました。懐かしさの余りに寄って、迷わずチャーハンを注文しました。お店の主は代が変わって、当時若いお嫁さんだった人が作ってくれました。一口食べてみて、あの味がそのまま引き継がれていたのには、二人共思わず顔を見合わせて感動しました。
 今春も公園を訪れ、序でにアパートを訪ねてみました。一部店舗に改造されていましたが、私達の部屋は玄関のドアもそのまま残っていて、二階の窓を見上げると、50年前の夫の笑顔が私を見下ろしているような気がして、時間が突然戻ったようでした。
 50年前は私達も「何もこわくなかった」時代を生きていたのです。

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