ばあさまの独り言

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「リビング・ウィル」を尊重して下さい

2021年07月17日 | 随筆
 可成り前から、私は「尊厳死協会」に加入しています。2011年発行の会員証を、何時も保険証と共に持っています。掛かり付けの内科の主治医にも、股関節置換手術の執刀医だった整形外科の主治医にも、このことはお話してありますし、手術の前には会員証をお見せしました。
 高齢者の誰しもが「死の間際は楽に、親しい家族などに見守られて安らかに逝きたいものだ」と思っていることでしょう。尊厳死協会はそのための会です。
 処が今回、尊厳死協会の顧問でもある脚本家の倉本聡氏が、機関誌「リビング・ウイル」に緊急提言として「そしてコージは死んだ」という文章を載せられました。
 北海道・富良野で、苦楽を共にされた友人が、肺癌に冒されて亡くなられたのだそうです。その方は尊厳死協会員であり、会員カードも当然主治医や看護師さんには見せた筈なのに、私の義父母達の時のように楽には逝けなかったようです。のたうち回る程の苦しみの中で逝かれたとあり、心が痛みましたし悲しく思いました。
 長く生きて来て残り数日になって、苦しまないような手当もしてもらえずに、末期癌による死の苦しみをフルに味わわされたら、それは酷いです。医師であったら、末期癌患者には麻薬を使ったりして、手当のしようもありましょうし、死生観にそれなりの哲学があって欲しいと思う私が無知で欲張りなのでしょうか。

 もう30年以上前になりますが、我が家の義母が洗濯機を操作していて、突然倒れて病院に入院しました。一度は意識も戻って、駆けつけた子供や孫達の見舞いを受けてニコニコと話しも交わせたのですが、三日ほど後の夜中に、付き添っていた私が少し呼吸が荒くなったのに気付き、直ぐに看護師さんに病室に来て頂きました。了解を得て義父と夫に夜中の二時でしたが、電話して病院へ駆けつけて貰いました。深夜にも関わらず主治医も近くの自宅から駆けつけて下さって、静かに息を引き取りました。 
 終末期の看護の経験が無かった私でしたが、どうして義父と夫を呼ばなければ、と感じたのか、咄嗟の事でしたが、義母の息づかいから「危篤ではないか」と云う確信みたいな切羽詰まった気持ちが湧き上がったのです。眞夜中の電話で突然呼び出されて、背広に着替えて出て来るのは、年老いた義父にも夫にも大変だったかと思いますが、義父は日頃から大変な愛妻家でしたし、家族に最後に会えて僅かな時間を共に過ごせて良かったと、今も私はそう思っています。なぜか親戚や友人達にも、前日前々日に最後のお見舞いを受ける時間がありましたし、何よりとても静かに逝けた事は、家族としてとても有り難い事でした。
 義父の時は偶然「掛かりつけの病院の定期健診日」で、何時ものように私が付き添って診察に行く準備をしていました。義母より3歳年上で高齢の義父には、診察前の着替えに時間が懸かりますし、病状の説明の為にも付き添いが必要でした。
 タクシーが来たので義父の部屋に呼びに行きましたら、きちんと背広に着替えて炬燵布団の端に倒れていました。隣室に私が居たのですが、壁のためか音は聞こえなかったのでした。
 直ぐにタクシーを返して、救急車を呼びました。そのまま一日近く、意識が無いままに、駆けつけた子や孫達に、次々に見舞って貰って、最後はスウーッと呼吸が止まって亡くなりました。脚を撫でて呉れていた孫に身を委ねて、自然で本当に安らかな死でした。「日頃から行いの良い人は、亡くなる時もきちんとした服装で立派に逝くのですね」と看護師さんにも云われて、感動したことも思い出しました。
 私も股関節置換手術という大手術を受けていますし「死を前にして、せめて苦しまずに逝きたいものだ。」と思っています。医師にも尊厳死協会の会員証のカードを提示しました。手術は麻酔で知らないうちに終わっていて、痛みも無く楽しく入院生活が出来ましたし、今でもその時の処置に感謝しています。

 この度倉本聰氏が「そしてコージは死んだ」と云う文章を「リビング・ウィル」のNO182(2021年7月発行)に書いていますが、富良野の友人が、リビング・ウィルの加入証を医師にみせたにも関わらず、古い医学の価値観なのか、末期の苦しみが七転八倒の苦しみだったとありました。医師なら皆カードを見れば、末期は麻薬を使ってでも楽に逝けると思って居た私にも「医師によって違うのか」と、大きなショックでした。
 患者の希望をしっかり伝えるばかりでなく、場合によってはもっと踏み込んだ家族としての意志が必要なのかと思ったりしました。リビング・ウイルのカードを提示した人から、起こる筈の無い訴訟を怖がるばかりに苦しい末期を長引かせる事は、「健やかに生き、安らかな死を」と謳うリビング・ウイルの思想からは遠いものです。
 私も義父が亡くなった年に近くなり、この倉本聡氏の緊急提言の記事を読み、「そしてコージは死んだ」を大変辛い思いで読みました。過去の経験を、家族で想い出の糸を手繰り寄せながら、誰の為のそして何の為のリビング・ウィルかを確認する機会になりました。「最後の日の苦しみに立ち会った、血の出るような憤り」を私も倉本氏と同じように感じたのでした。
 『それは医術の進歩とは関係ない、医学という一つの学問の中での思考のあやまり、いわば哲学の欠如である気がする。』と倉本氏は書いておられます。確かに私も、もっと日々の生活のあらゆる場面で、そういった「哲学」を身に付けて、この生の日々を大切に重ねなければならないと心に誓っています。


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