五月も残り僅かです。コロナワクチンの接種がどうなっているのか、多くの人達がその進捗状況に関心を持ち、様々なニュースから情報を集めているようです。「ひょっとしたら新型コロナ・ウィルスに罹患して私も死ぬかも知れない」とやや不安な日々を送っているのは、私だけではないと思います。
そんな折りも折り、過日友人のHさんから不思議な話を聞きました。その人は可成り重い持病を持っていますが、とても冷静に穏やかに日々を過ごしておられるようです。容態の良くなかった時に、次の様な経験をしたと聞きました。
Hさんは、何処か知らない道をとても気分良く歩いていたらしいです。その道には暖かい光が射していて、その光に誘われて歩いて行ったそうです。ところが何となく誰かが自分を呼ぶ様な気がして、振り向いたらしいのです。その時のことです。
ふと目の前が開けて、自分の周りに夫やきょうだいの顔が見えたと云います。心配そうに覗き込むその人達を見て、咄嗟には何が起きたのか解らなかったと聞きましたが、後に自分が一時 危篤 であった事を知ったのです。
その人は「死ぬ瞬間」(エリザベス・キューブラー・ロス 鈴木晶訳 中央公論社2001年)という本の事も知らず、ロス博士の「臨死体験」の事も知りませんでした。でもとても心地良い道を差し来る光に向かって歩いていた自分のことはハッキリ覚えていると云いました。それを聞いて私は、それはまぎれもなく E・キューブラー・ロスというアメリカの精神医学者の云う「臨死体験」だと、友人にそう伝えました。E・キューブラー・ロス博士は、2万人の「臨死体験者」を訪問して、リポートしたのです。
それにしても不思議な体験として読んで来た事が、身近に実在したと知ってとても驚きました。このような事を現代の脳科学ではどう説明するのだろうと思いを巡らせました。
次はE・キューブラー・ロス博士の五段階説です。死を前にした重病の患者さんが「自分が死ななければならない事実」を前にしての感情を、五段階にわけています。
第一段階 否認と孤立 「いや私のことじやない。そんなことがあるはずがない。」
第二段階 怒り 「怒り・激情・妬み・憤慨など・・・どうして私なのか。」
第三段階 取引 「もし○○なら△△する」「もし延命が叶えばそれ以上望まない」など。
第四段階 抑鬱 「願いが叶わないと悲しみや罪悪感で抑うつ状態になる」
第五段階 受容 自分の身に起きた事の全てを受け入れて聖書に慰めと力を求める。
先のブログで、私の鹿児島の友人について書きました。その一人が、可成り進んだ癌を患っていました。不治の病であることも、残されている時間がかなり短い事もその人は承知していました。ある時、掛かり付けの医師に「目に見えるもの全てが美しい。生きて居る事はとても素晴らしいと思う。外で遊んでいる子供達が光輝いて見える。」と日頃感じている事を話したそうです。すると医師は、「貴女のような病気の状態で、そう考えられる事は素晴らしい。医師の私の方が恥ずかしい気持ちになるくらいだ。」と云われたそうです。私も感動して聞きました。
人生の残り時間が幾ばくもなくなって、病気を持ちながら生きる事の素晴らしさをそのようにすらりと話せる人に出会ったら、確かにだれもが心を揺さぶられる事でしょう。
様々な悩みや苦労を過ごして、たどり着いた思いなのでしょうけれど、その過程を思いやると、辛い思いもあったでしょうし、頭が下がります。苦しんで到達した思いには、それだけの重みも価値もあります
私は彼女が、「キューブラ・ロス博士の第五段階まで精神が高められたに違いない」と思って、尊敬の念を一層強くしたのでした。人生はどこにどのような運命が待って居るか、誰も先の事は解りません。でもこの様な五段階をたどるものならば、心安らかに歩いていきたいものだと思います。
そんな折りも折り、過日友人のHさんから不思議な話を聞きました。その人は可成り重い持病を持っていますが、とても冷静に穏やかに日々を過ごしておられるようです。容態の良くなかった時に、次の様な経験をしたと聞きました。
Hさんは、何処か知らない道をとても気分良く歩いていたらしいです。その道には暖かい光が射していて、その光に誘われて歩いて行ったそうです。ところが何となく誰かが自分を呼ぶ様な気がして、振り向いたらしいのです。その時のことです。
ふと目の前が開けて、自分の周りに夫やきょうだいの顔が見えたと云います。心配そうに覗き込むその人達を見て、咄嗟には何が起きたのか解らなかったと聞きましたが、後に自分が一時 危篤 であった事を知ったのです。
その人は「死ぬ瞬間」(エリザベス・キューブラー・ロス 鈴木晶訳 中央公論社2001年)という本の事も知らず、ロス博士の「臨死体験」の事も知りませんでした。でもとても心地良い道を差し来る光に向かって歩いていた自分のことはハッキリ覚えていると云いました。それを聞いて私は、それはまぎれもなく E・キューブラー・ロスというアメリカの精神医学者の云う「臨死体験」だと、友人にそう伝えました。E・キューブラー・ロス博士は、2万人の「臨死体験者」を訪問して、リポートしたのです。
それにしても不思議な体験として読んで来た事が、身近に実在したと知ってとても驚きました。このような事を現代の脳科学ではどう説明するのだろうと思いを巡らせました。
次はE・キューブラー・ロス博士の五段階説です。死を前にした重病の患者さんが「自分が死ななければならない事実」を前にしての感情を、五段階にわけています。
第一段階 否認と孤立 「いや私のことじやない。そんなことがあるはずがない。」
第二段階 怒り 「怒り・激情・妬み・憤慨など・・・どうして私なのか。」
第三段階 取引 「もし○○なら△△する」「もし延命が叶えばそれ以上望まない」など。
第四段階 抑鬱 「願いが叶わないと悲しみや罪悪感で抑うつ状態になる」
第五段階 受容 自分の身に起きた事の全てを受け入れて聖書に慰めと力を求める。
先のブログで、私の鹿児島の友人について書きました。その一人が、可成り進んだ癌を患っていました。不治の病であることも、残されている時間がかなり短い事もその人は承知していました。ある時、掛かり付けの医師に「目に見えるもの全てが美しい。生きて居る事はとても素晴らしいと思う。外で遊んでいる子供達が光輝いて見える。」と日頃感じている事を話したそうです。すると医師は、「貴女のような病気の状態で、そう考えられる事は素晴らしい。医師の私の方が恥ずかしい気持ちになるくらいだ。」と云われたそうです。私も感動して聞きました。
人生の残り時間が幾ばくもなくなって、病気を持ちながら生きる事の素晴らしさをそのようにすらりと話せる人に出会ったら、確かにだれもが心を揺さぶられる事でしょう。
様々な悩みや苦労を過ごして、たどり着いた思いなのでしょうけれど、その過程を思いやると、辛い思いもあったでしょうし、頭が下がります。苦しんで到達した思いには、それだけの重みも価値もあります
私は彼女が、「キューブラ・ロス博士の第五段階まで精神が高められたに違いない」と思って、尊敬の念を一層強くしたのでした。人生はどこにどのような運命が待って居るか、誰も先の事は解りません。でもこの様な五段階をたどるものならば、心安らかに歩いていきたいものだと思います。