ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

新しい眼を頂いて

2015年10月29日 | 随筆
 白内障の手術が、両眼とも無事に終わり、「こんなに明るく良く見えるものなのか」と感動する程になりました。同じ日に手術をした何人かの人と仲良くなって、皆同年代でしたから、眼帯を外しての第一印象として「自分の顔の皺がはっきり見えて驚いた」という感想が一致していて大笑いしました。
 事実私も今迄見えなかった物が良く見えるようになり、とても色鮮やかに美しく見えるようになったのです。この春「私の睫(まつげ)は年を取ってすっかり抜けて無くなってしまった」と思っていたのですが、それは細くなって見えなかっただけだ、ということも、レンジオーブンの中は黒一色だと思っていたのに、実は底面に小さな白い点が入った模様になっていた、などということも解って、白内障という病気を再認識しました。自分では、周囲が薄い霧がかかったように、ややぼんやり見える程度だと思っていて、まさかこれ程細かい物が見えなかったとは、気付いてもいなかったのです。
 見えなかった物が良く見えるということは、とても細かな汚れも眼に入るということで、例えば、お風呂場の壁のタイルの目地は、何時も必ず真っ白に維持していた積もりだったのですが、明るい眼で見ると隅などのごく微細な汚れが眼につき、あわてて綺麗に掃除しました。すると次々に汚れている所が気になって、キッチンの隅々の掃除も、壁のスイッチなどもブラシでこすって綺麗にしなければ気になるようになり、お正月の前に毎年する大掃除が、もう済んだような状態になりました。
 しかし、こんなに微細な汚れも気になるということは、どうしてなのだろう、と思うと、どうも私の神経質な性格や、「汚れの中で暮らしている」と誰かに思われると恥ずかしいと思う見栄っ張りな処も災いしているようで、矢張り人間性の未熟ということになるのでしょう。
 術後は、頭を下げ続けることや、重い物を持つことなどの力仕事、眼に水などが入るのも禁止だと言われていましたから、うっかり掃除に気を取られていると、つい失敗しそうで注意を要しました。
 「眼は自らを見るに短なり」といいますが、ほんとうにそうだとしみじみと思いました。
昔の人のように、鏡に映して本当の自分を知ったり、道に照らして自らを正さなければならないということまで、思い知らされたのです。
 フイットネスジムも暫くは駄目とのことで、年末まで休みにしましたが、「奥さんどうしましたか」と聞かれて、夫が「白内障で」と言いましたら、「私も手術をしました」といわれる人が結構多かったと聞いて、改めて多い病気なのだと知った次第です。
 赤ちゃんの時のように、克明に見える眼にして頂いて、本当にありがたいことだと思っています。「体力のある今の内が良いでしょう。季節的にも良い時期です。」と勧めて下さった医師に感謝しています。
 手術する事によって、初めて自分の眼が如何に良くない状態だったかが明らかになり、加えて小さな手術にも年相応の体力が要る、ということにも気が付きました。手術は、日帰りの通院でも、一泊入院でも良かったのですが、私は片眼の状態での通院に、転倒の不安がありましたので一泊入院にしました。
 眼は小さな器官ですがとても大切です。医師は手術の時は、外科医の手洗いのように、ごしごしと私の顔を洗って清潔にし、安静時間を取ったり、注意に注意を重ねて検査や目薬の点眼や予後の過ごし方を細部にわたって指示しました。特に細菌感染に対して、このように厳重にするものだということも初めて知りました。
 単に眼が良く見える様になり、見える景色が色鮮やかで、家が一段ときれいになったという事ばかりでなく、多くの収穫がありました。とても有意義なことを沢山学び、生き方についてまで考えさせられた、有り難い経験でした。
 

若返る眼

2015年10月06日 | 随筆・短歌
 美容整形ばかりでなく、治療のための手術が個人の肉体を若返らせる、いわば若返り術でもあるということに、愚かな話ですが、今頃やっと気が付いています。この度白内障の手術をすることになりました。考えてみますと、これも肉体の一部の(眼球の)古くなった所を新しくして、眼の若返りをすることです。一度でも何処かにメスを入れた人は、みな病変の部位を取り除き、本来の体を取り戻したり、長生きをする若返りを行ったとも言えそうです。
 様々な動物が持って居る眼ですが、何故、どのようにしてできたのか、考えてみるととても不思議です。ふだんは有って当たり前だと思っている体の器官は、無いと大変な不便を味わいます。特に眼は、大切な器官です。身の周りの多くのものがそうであるように、無くなって初めて日頃有ることに、大いに感謝の念が湧きます。こんな有り難いものを沢山持って生まれて来た事を感謝しないではいられません。

身近な歌集 「新版 現代の短歌 篠 弘編著」などから、目・眼に関する短歌を拾ってみました。

目のまへに並ぶ氷柱(つらら)にともし火のさす時心あたらしきごと    斎藤 茂吉
潰(つい)えゆく国のすがたのかなしさを 現目(まさめ)に見れど、死にがたきかも
                                            釈 迢空
不意に来てわが双眼を濡らしたる感動はとほき由来を持てり        岡井 隆
白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り         斎藤 史
風景はあはあはと眼にみちゐたり面影にみる死者阿古父(あこぶ)尉(じょう)
                                             馬場 あき子
みどりごは泣きつつ目ざむひえびえと北半球にあさがほひらき       高野 公彦
眼(まみ)ふかくあなたはわたしに何を言ふとてもずっと長い夜のまへに  河野 裕子

それぞれに歌人の個人史と重ねると、感慨深いものがあります。

濁りたる水晶体を手術して真実を見ん新しき眼で  あずさ

(明日から2~3週間ほどブログを書くことをお休みさせて頂きます。)