ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

健康余命と肺炎球菌ワクチン

2012年01月27日 | 随筆・短歌
 最近テレビで肺炎球菌ワクチンについて、医師のお話を聞きました。お年寄りは、肺炎球菌ワクチンを接種した方がよいということでした。
 私は医学に関しての知識にはとても疎く、ほとんどは夫の読書などに依る耳学問や、テレビからの情報です。たまたま二人そろってテレビを観ていましたので、私たちも肺炎球菌ワクチンを接種して頂いた方が良いのでは、と言う話になりました。
 夫が、最近読んだ「超高齢者医療の現場から」(中公新書2011年)という本によると、心身ともに健康で、自立して生活出来る寿命を「健康寿命」というそうです。借りてつまみ読みしました。ここでは、無障害平均余命(健康上の問題で日常生活に何か支障がありますか、と聞いて「ない」と答えた人を無障害者としています)というものについて注目して読みました。
 平成18年版の国民生活白書によりますと、日本人の65歳の時点における無障害平均余命は、男性が12.6年、女性が15.6年となっています。それぞれ65歳をプラスすると、男性は、77.6歳女性は、80.6歳までが、無障害平均余命と言えます。
 私たち夫婦は65歳の時点では、一応無障害に当たるかと思いますので、そろそろ夫はどこか悪くなってもおかしくない年齢に近くなって来たと言えます。
 65歳で無障害者の平均寿命は、男性は83.2歳、女性は88.3歳ですから、無障害平均余命との差は、病を持ちながら生きている年月と言えます。
 誰しも最後まで自立した生活が出来て、いつかパッタリと死ねたらと思うでしょう。最近の訃報欄から高齢者の死亡原因のうち、「肺炎」が増えています。加えてこの肺炎球菌ワクチンは、5年しか効かず、追加して摂取出来るのは、一回だそうですから、計10年が有効期限です。自分の健康寿命や、平均余命から考えて、「やはり摂取して頂いた方が良いようだね」という結論になりました。
 間もなくホームドクターの検診日でしたから、お願いして見ました。ところが現在は肺炎球菌ワクチンは品不足で、入手が困難だとのことでした。たまたまテレビで二ヶ月待ちと聞いていましたので、手に入った時にとお願いしてきました。
 こんな計算をする年になったのだなあと、しみじみと感じながら、「死ぬ時が来れば死ねば良く候」と言った良寛禅師の言葉を思い出していました。ですがその一方で「出来たら夫を見送ってあげたい」と言う気がして、「もう少し元気でいなくては」と思い、夫にも出来るだけ無障害で長生きして貰って、男女の平均余命との差を短縮して欲しい考え、結果的に大変欲張りな願いになってしまいました。
 最近気温の低い日が多く、都心でも凍った道路に足を取られて、転倒事故に遭う人が多く出ているといいます。滑らないような靴を買って、たとえ3年に一回くらいの使用度であろうと、怪我をしないように配慮したら良いのに、と思って眺めています。歩いている人の足元は、革靴などで、これでは怪我も当たり前だと感じます。
 東大地震研究所が、首都圏直下でマグニチュード7クラスの地震が、4年以内に起きるかも知れない確立が70%、と発表(2012.1.12日)しています。この調子だと、その備えが出来ている家庭は少ないに違いないと思われ、東北の大災害の教訓を是非生かして欲しいと感じています。
 用心深い私たちは、非常時の準備は一通り買いそろえ、箱に詰めて物置にありますし、他に非常持ち出し袋や、懐中電灯、ヘルメット(ガラス多用社会です)など手近に置き、電池切れや非常食の買い換えなど点検を怠りません。忘れないうちに準備しておかないと、いざという時に間にあわないし、忘れっぽい私のことですから、家族の安全のためにもそう努力しているのです。
 ワクチン接種、生活習慣の改善、災害の備えと、出来るだけの対策をして、健康余命を維持していきたいものだと思っています。
 肺炎球菌ワクチンのことから、思いがけず自分の将来の無障害平均余命という聞き慣れなかったことも知り、日頃の備えについて、再認識することになりました。自分の健康や安全は、先ず自分が守らないと手にすることが出来ないものだと、改めて気づかせられたのです。

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統計あれこれ

2012年01月20日 | 随筆・短歌
 最近テレビなどで発表されるアンケート調査について、何となく何処まで真実なのか、と考えさせられるようになりました。「今回の○○と言う番組の視聴率は、何%でした」と言われると、やや疑問に思ってしまいます。テレビ番組の視聴率というのは、あらかじめ統計の為の機械をテレビに設置してある家が対象だと聞いています。政治関係の統計は、無作為に発生させた電話番号による聞き取りとも聞きます。
 私の身の周りには、テレビにその様な機械が導入されている家はありませんので、何処にあるのか知りません。電話調査については、最近は固定電話を持っている人が、特に若者に減っているといいます。もしかしたら、その統計は、若者も入れた公平なものなのか、固定電話があって、日中在宅している家庭に偏ってはいないか、などと気になるのです。正しい統計を取る場合は、この標本の取り方や、聞き取り調査の場合は、正しい回答が寄せられるようなハッキリした質問を設定するなど、細心の注意を払わないと、誤った結果を出すことになってしまいます。
 例えば電話による調査の場合、その調査時間がいつなのか、という問題があります。現在の労働時間には、可成りずれがあるようですが、それでも昼間働いている人が大半のはずです。もし、調査を請け負った会社の調査員が日中調査しているとしたら、結果は偏ります。何故なら、昼間家庭にいる人の多くは、専業主婦と老人だからです。 
 政党支持率とか、贅沢品の購入者の割合とか、様々な統計が発表されます。サンプルの抽出に注意しないと、故意ではなくても、無意識に片寄った結果になりやすいのです。贅沢品の購入調査は、調査対象地区の選定で、高所得者の多い地区と、低所得者の多い地区とでは当然結果が異なります。機械によって、ランダムに発生させた電話番号にかけたとしても、なお危険をはらんでいます。政党支持率調査の場合には、自分の支持政党をハッキリさせたり、個人情報を漏らすことを嫌うでしょうから、「支持政党無し」と答える場合もあるでしょう。過去にも、調査を請け負った会社のいい加減さが、問題になったこともあり、結果を鵜呑みにするのは危険な場合もあるように思うのです。
 統計ではありませんが、テレビのアナウンサーが街で道行く人にマイクを出して、聞いているものが時折放送されます。どの地区でそれを行うかによって、反応が予測されることもありますし、放送局で収録した、どの人の答えを放送するかによって、テレビを見ている視聴者に、知らず知らずに影響を及ぼし、それが国民の意志だと思ってしまう危険性もあります。
 身近で比較的信じるに足る統計に、選挙の出口調査というのがあります。投票所の出口に待機している調査員が、何人に一人と数えて当たった人に、「貴方は誰に投票しましたか」と聞くのです。いつの衆議院選挙でしたか、夫がその対象に選ばれて、捕まったことがありました。夫は、「誰に投票したかについては、言わないことにしています」と断りましたら、「これは法律違反ではありません」と押してきました。それでもきっぱりと「これは法律の問題ではなく、私の主義です」といって、拒否したことがあります。このような調査は、対象の人が嘘を言わない限り正確ですから、開票と同時に「当選確実」と出ても、接戦の場合を除いては、ほとんどが正確です。ただ莫大な費用を要しますのに、何故こんなことをしてまでも、数時間早く発表しなくてはならないのかと疑問に思います。
 一方銀行などで、貴方の家庭の総資産は、などと聞かれても、ほとんどの人は正確に言わないのではないでしょうか。ずっと以前に、私のところに「総務省の家計調査が当たりましたので、協力して下さい」といって、毎日の支出入を品目まで細かく書いて、三ヶ月に渡って調査されました。家計が丸見えでした。家計簿をつける習慣がありましたので、「ささやかな庶民の暮らしとはどんなものかを知って貰って、政治や行政に役立てて貰えるなら」と思いましたので協力しましたが、分類の仕方の違う二つの家計簿をつけるのは、気を遣いました。毎週係の人が記入済みの用紙を受け取りに来られるので、その時間は在宅していなくてはならず、三ヶ月はとても長く思えました。
 こういった調査の裏事情に詳しい人には、おかしいのかも知れませんが、馬鹿正直に近い私は、熱心に記入したのです。
 ですがその調査に確か預貯金とかいう項目があり、いくらからいくら位と言った質問だったかと思いますが、さすがの私も驚いて「適当でいいですか」とききましたら、「良いです」と笑われました。
 今も一世帯の平均収入がいくらとか、預貯金がいくらという統計を見ると、以前の記憶が甦って、余り信用出来ません。それでも総じて若者の所得が低くなってきていることを知り、心を傷めています。
 世論に左右されやすく、穏やかで正直な日本人は、こうした各種の世論調査をどの程度の信憑性をもって読んでおられるのでしょうか。故意による調査は論外としても、たとえ無作為に抽出した世論調査であっても、誤った結論を導き出している危険性を頭の隅に入れて読む必要があると思うのです。
 大抵の統計は私たちに貴重な情報を提供してくれるものであり、役立つものだと思っています。しかし、たとえ正しい数値であっても、グラフの縦軸を長く表示することによって、いかにも格差が大きいように見せかけるという手段が使われたりします。視聴者に分かりやすく、と考えてのことかもしれませんが、これも視覚に訴えた誇張表現と言えなくもありません。
 私も何十年か前に興味をもって、統計学を自主学習して、ある事柄について統計を取って見たことがありました。つい幾日か前に、ある学者が同じ疑問を持ったようで、統計処理した結果が出ていました。それは私の結論と同じでありました。私は単に興味で調べただけでそのままにしましたが、「やっぱり」と興味と驚きを持って聞きました。
 夫に聞くと「統計で嘘をつく法」という本が以前出ていたといいます。どんな内容なのか、興味が湧きましたので、そのうち読んでみたいと思っています。
 私は毎年ではありませんが、統計資料を役所の窓口で無料配布していますから、貰ってきて眺めています。特に気になるのは、やはり出生率や、人口の年代別の構成、一世帯当たりの人数などです。このまま出生率が低迷したり減っていくと、将来の国や地方自治体の経済がどうなるのか、不安になります。年を追うごとに老人が増えて、私もその中の一人ですが、医療や年金でお世話になっているだけに、辛く思えます。
 なんだかまた後ろ向きになって来ました。しっかりした公正な調査をし、正しく統計処理した、信頼に足る資料を提供して頂きたいと思っています。私たちが目にする統計資料は、世の中の実体を数値で表明するものですから、今後の正しく進むべき方向を考え、模索するのに役立つ資料として、大いに活用していきたいものだと思っています。

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見えないものの大きな力

2012年01月13日 | 随筆・短歌
 一昨日、毎夜の映画が終わってNHKを見ましたら、たまたま「ためしてガッテン」の放送をしていました。坐禅をする事によって脳の血流が良くなり、心の平穏が保て、不安が少なくなり、その結果良く眠れるようになるというのです。坐禅の、精神に及ぼす影響に、改めて感心いたしました。アメリカの医学者によって、坐禅の効果が注目され、研究されているそうです。 
 日本では古くから禅宗の僧が坐禅を組みます。心を無にするということは、なかなか難しいことですが、番組から私にも少し出来そうだと思いました。「病は気から」という言葉がありますが、確かに気にしすぎていると、病気を必要以上に悪くしたり、反対に治そうとする意欲を強く持つと回復が早かったり、あるいは余り気にしないでいると、自然の治癒力も馬鹿にならず、気付かぬうちに治っている場合が多いと聞きます。私もそういった経験をしました。
 禅宗などの総本山の管長様や僧に、かなり長生きの人が多いように思います。一般には、精進料理が体に良いからだ、と言われていますが、今回のことから、私は坐禅の効果も大いにあると思ったのです。目に見えないものの力に改めて思いを廻らせました。
 そういえば良寛もあの時代にしては、長生きでしたし、良寛の漢詩に次のようなものがあります。

 花無心招蝶    花は無心に蝶を招き、
 蝶無心尋花    蝶は無心に花を尋ぬ。
 花開時蝶来    花開く時蝶来たり、
 蝶来時花開    蝶来たる時花開く。
 吾亦不知人    吾も亦人を知らず、
 人亦不知人    人も亦吾を知らず、
 不知従帝則    知らずとも帝(ただ)則(のり)に従う。

 花は季節が来ればただ無心に咲き、蝶もまた時が来れば羽化して飛び立ちます。花は蝶によって花粉を運んでもらい、蝶は花から蜜を貰って滋養とし、子孫を残して行きます。お互いに示し合わせたわけではないのに、自然にそうなって、大自然が動いているのです。人も亦お互いに知らないのに、自然の法則に従っている。何という不思議なことでしょう。宇宙のあらゆる事がそのように調和がとれているのは、とても偶然とは思えず、目に見えないものの意志が働いているとしか、言いようのない現象です。
 今や、禅の思想は世界に広がりつつあり、坐禅を組む人が増えていると或る本にも書いてありました。禅寺に行くと、み仏ばかりでなく、そこには美しい襖絵などの絵画や石庭や茶室などの禅文化があります。さりげなく置かれた石一つにも、先人の心が込められていて、見ている人の心が穏やかに満ち足りていくのが心地良く、ついつい奈良や京都、鎌倉などのお寺に足が向くのです。
 ともすると私たちは自分の意志で動いているように思っていますが、もしかしたらそのように動かされているのであり、生かしていただいているのであって、これから行う行動一つにしても、もっと言うなら生きるも死ぬも、目に見えないもののご意志であろうと思いますと、仇や疎かに生きていてはいけない、とも思えて来ます。
 33歳で亡くなった娘にも、親としてああもしてやりたかった、こうもしてやりたかったと言う思いが今もって残っていますが、後ろ向きに生きるのではなく、「ここまで生きていて呉れて有り難う」という気持ちで生きていきたいと思っています。現在、共に生きている家族や友人にも、感謝を忘れないように過ごしたいと、今年は一層そう念じています。
 恋人同士は、どんなにすれ違っても絡まない赤い糸で結ばれていると、昔から言われています。奇蹟としか言いようのない人生のように見えても、それはきっと目に見えないものの力による必然的なものなのではないでしょうか。そうとしか思えない人生を私たちは歩いています。
 今年の旅行を何処にしようか、などと言ったりしていますが、どのような必然で、そう決まるのか、そこに何が待っているのか、行って見なければ分からない、だからこそ楽しみでもあると言えます。行く先々にどんな力があって、どの様な出会いが待っているのかと思うと心が弾みます。
 分からない不思議な力に導かれていると思うと、楽しいとも言える人生です。先には明るい希望も見えて来ます。新しい年は、もっと前向きに生きて行きたいと願っています。

 なぜ此処に私は生きているのだろ見えない力に春の足音(あずさ)

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新年を迎えて

2012年01月06日 | 随筆・短歌
 皆様明けましておめでとう御座います。今年もどうぞよろしく御願い申し上げます。

 大晦日の夜、テレビの時刻表示が午前0時を示すと、厳かに東大寺の鐘が鳴り、めでたく新年を迎えました。その瞬間に直前の事は全て去年となって、新しい年の始まりに思わず身が引き締まる思いでした。「今年は災害の無い平穏な年でありますように、そして一刻も早く被災地が復興しますように」と祈っていました。
 私事で恐縮ですが、今回も紅白歌合戦は見ずに年を越し、家族で専らニュースの解説を愉しんでいました。紅白を見ずに年を越すのが慣例となって、久しくなります。
 年を追う毎に、おせち料理が豪華になって、作る愉しみ・食べる愉しみが増えました。温かい身の回りの人々が送って下さった品物のお陰で、夫も息子も今年も大満足でしたし、私もおせち作りの甲斐がありました。
 元旦であろうと年中例外なく、同じ時刻に起きる習慣の私達家族は、深夜まで起きていても元旦は定刻に起床して、お雑煮を神仏にも供えしてお参りを済ませ、御神酒で新年を祝いました。
 家の数だけお雑煮の種類があると言われますが、それぞれ実家の家風を持ちこんだりする為のようです。以前も書きましたが、我が家のお正月は、お雑煮とお汁粉の両方を食べるのです。これは、夫が持ち込んだ風習で、どちらの家系でもないのです。
 夫が独身だった頃に、お正月に帰省出来ない年があって、御世話になっていた下宿でお正月を迎えたことがあったのです。その家でのお正月は、お雑煮とお汁粉を両方食べる不思議な習慣でした。
 我が家のお雑煮は、そのお宅のお雑煮を少々アレンジして、鶏肉と椎茸、大根、里芋、キンナン、ナルト、芹等々細かく切った十種類以上の具が入ります。醤油味で、酒、みりんを加え、汁を少なめにしつらえます。そして別鍋に、つぶし餡でお汁粉を作ります。  角餅は焼いて、湯を沸かした鍋で少し煮て、柔らかくなったものをお椀に一つ入れて、どちらか好きな方を上から掛けて食べるのです。お椀は二つ用意してありますし、お餅を中に入れて煮込まないので、三が日は、毎日このままで良く、合理的と言えます。お餅に味がなじまないという短所はありますが、何しろ具だくさんで、味がしっかりついていますから、普通のお雑煮と変わらず美味しく頂けます。
 私達は、先ずお雑煮、次はお汁粉、最後は矢張りお雑煮になるようにして頂きます。私の実家では、元日と二日がお雑煮三日がお汁粉と決まっていました。勿論その都度お餅を煮込んで作りす。ですから両方を頂くという風習は、とても珍しいと思いました。
 結婚後に夫に是非こうして作って欲しいと言われて、およその内容を教えられて以来、義父母と同居になってからも、夫の意志に依ってこの習慣が引き継がれたのです。年数が経つにつれて、芽出しクワイとか、百合根とか、トトマメといって、イクラの成熟した卵とか、お正月にお雑煮材料として、店頭並べられる物が加わって、今では15種類以上の具になっています。
 お正月のおせちや、こうしたお雑煮の材料など、全てレシピにしてファイルしてあり
材料の買い出しから、何日の何時になったら、どの仕事をするか、時刻まで記載してあります。年々改良を加えて来たものです。
 今年も、材料の買い忘れがないか点検しましたら、矢張り幾つか忘れていて、やっと間に合いました。こんな筈ではなかったと思うのですが、寄る年波で、これからはレシピなしではやって行けないばかりか、あってもなお心許ないと、つくづく思い知らされました。
 元旦は初詣をしましたが、午後には暇になって、テレビで、ウィーン・フイルのニューイヤーコンサートを観ました。ワルツやポルカとバレエの組み合わせがとても美しく、クルムトの名画「接吻」と最初と最後に重なり合う仕掛け、美しく青きドナウの曲と素晴らしいバレエ、そして普通の姿の男女の組み合わせ等、なかなか工夫が凝らしてあって愉しめました。恒例のラデツキー行進曲に合わせて、観客が手拍子を打ち、最後のコンサート会場が華やかに盛り上がりますが、私まで最後は拍手で、何だか夢のような新春の気分に酔いました。
 こうして世界の何処にいても、中継放送が見られる時代になり、娯楽と言えばラジオしか無かった子供の頃を思うと、幸せな世の中になったものだとしみじみと感じました。
 翌日は、新春檜舞台で、日本舞踊や歌舞伎の狂言や箏曲を愉しみました。新春ならではの感動を独り占めでした。我が家の男性達は、テレビは見ないで、みな書斎に閉じこもっていましたので、居間には私一人の贅沢な女正月でした。
 去年の東北大地震の、あの真っ黒な津波の、万物を飲み込み破壊していく悪魔のような暴力の映像も、家族で再度見ました。言葉を失ったまま、もう二度とあのような酷いことが起きないようにと祈るばかりでした。でも生憎新年早々に震度4の地震に襲われたところもあり、ヒヤリとしました。それぞれ友達が住んでいる所の震度を検索して、新年の第一報のメールが、地震のお見舞では縁起が悪いと言いつつ、被害が無さそうでしたから、じっと我慢したまま過ごしました。
 真っ赤な日の出の新年に、今年の希望を託し、つつがない平穏な年でありますように祈りました。皆様も、どうぞ今年が良い年でありますように、健康に留意されてお過ごし下さい。新年早々の駄文にお付き合い下さいましたこと感謝致します。

 無造作にポケットに夢を詰め込みて叶わぬままに喜寿の近づく(実名で某誌に掲載)


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