私と夫の二人旅で、京都駅で下車または途中下車した記憶は、もう数えきれない位ですが、折りにふれて思い出す忘れられない格別の記憶も沢山あります。その一つが妙心寺です。
手元に山田無文著の「自己を見つめるーほんとうの自分とは何かー」(禅文化研究所 平成17年)があります。
「大いなるものが片時も離れずわたくしを守り育ててくれている、こう思った瞬間涙があふれて泣けてどうしようもなくなったのです」と言う部分があり、その感動を歌にされ「おおいなるものにいだかれあることを けさふく風のすずしさにしる」と詠っておられます。いまや仏の境地に達した人心のありようが透けて見えて来て、私までが目頭が熱くなる思いです。
(私も長い間にこの無文老大師のこの感動の一端に触れて、不遜にも、折々のブログに私自身の実感として表現して来たように思います)
老師は又、「この世に人間として生まれることが如何に有難く尊いか、人はそれぞれ使命を帯びて生まれて来ており、どんなに身体が不自由になっても、人間として生まれ、今生きていることを感謝しなければならないし、使命を果たさなければならない」と書いておられます。繰り返し読む程に、身につまされるお説教です。
何度か妙心寺を訪れた理由の一つは、この尊敬する山田無文老師がここの管長をされていた事から、今は冥界にいらっしやる老師にお会いしたくなると、妙心寺の南総門をくぐって大法堂の雲龍図を見上げたり、境内をそぞろ歩いて拝観出来る塔頭に寄り、お参りするしかありません。
甲子園8個分の広さと言われる広大な境内に、幾つもの塔頭(46あるそうです)があり、明智風呂と言われている浴室や、退蔵院の国宝瓢鮎図(レプリカ)とその説明、源信の庭や余香園の白砂の陽の庭と黒砂の陰の庭など、緩やかな傾斜の美しい庭園をじっと眺めていると、禅の境地を知らない私でも、心を空にして落ち着いてゆくのを感じるようです。
その頃、春の路地庭園でお茶を頂きました。花園大学(妙心寺の付属の大学)の若く清楚な学生さんが、お茶を入れて丁寧に勧めてくれました。何となく親しく学生さんとお話する機会に恵まれて、夫は「無文老師」について聞くと「花園大学の教授陣には、山田無文老師を慕って、この大学に来られた人が沢山居られます。先輩の多くが同じように慕って来ておられます。私もその一人です」と言ったのです。
そういえば、親日家で有名なフランスのシラク元大統領(50回以上来日されて、大相撲フアンでもあり、フランス大統領杯が設けられました)が、「日本の偉大な人に会いたい」と仰ったそうで、その時に引き合わせてもらったのが「山田無文老大師」だったのです。
お会いした時、相対した無文老師は一言も言葉を発せられず、シラク大統領は後に「何とも恐ろしかった。あのように恐ろしい思いをしたことは無かった」と仰ったそうです。多分今私が手にしている本の表紙の無文老師の横顔のように、まるで生きている「老いた仏様そのもの」のようなお顔をしておらたのではないでしょうか。
一言も発しなかった老大師は、多分大自然と一体化した無の境地で、静かに座って居られたのだと想像しますが、伝わって来る心にすっかり気圧されたシラク大統領の、怖いと感じた素直な心にも私は感動します。
日本の一番偉い人と言われて、無文老師を選んだ人にも、そういう人に会いたいと願われたシラク大統領にも、唯々感動しています。
妙心寺は、管長が全日本仏教会の会長を勤めておられて、無文老師の後には河野大通老師でした。(後に不思議な巡り会いで、現在わが家のお座敷の床の間には、「本来無一物」という大通老師の直筆の掛け軸が飾られています。)
わが家の数軒隣に東京外国語大学の中国語学科に入学された優秀な女性が居られましたが、その後「考える処があって」と、外語大を中退されて妙心寺の花園大学へ入り直された方がいます。
折りがあったらその心境や大学の様子など、伺いたいと思っているのですが、未だに機会に恵まれません。
また無文老師が、文化勲章を受章される事になった時「私は仏様からもう頂いています」と仰ってご辞退されたと聞いて居ます。老師らしい人間の欲望も価値観も、遙かに越えた果てしない心の広がりを感じます。
何かというと不満を言い、自己主張して感情的になったりする自分に比べて、このような大自然の一部のように泰然と生きられたら・・・と、これは望みが高すぎますね。無文老師と相対したシラク大統領が、恐ろしいと感じたと聞いて、改めて大統領は一流人物だったと尊敬の念を強く感じました。
せめて「あなたはあなたに成ればいい、あなたはあなたで在ればいい」(釈尊)のように力まず素直に生きられたら、先の偉人達に少しは近づくでしょうか。今からではそれすら遅すぎるでしょうか。
10年程前に大法院の路地庭園で会った、清々しい学生さんをふと想いだしたのがきっかけで、無文老師への思いは一層広がって行きました。それは何か思いがけない宝物に出会った気分です。
手元に山田無文著の「自己を見つめるーほんとうの自分とは何かー」(禅文化研究所 平成17年)があります。
「大いなるものが片時も離れずわたくしを守り育ててくれている、こう思った瞬間涙があふれて泣けてどうしようもなくなったのです」と言う部分があり、その感動を歌にされ「おおいなるものにいだかれあることを けさふく風のすずしさにしる」と詠っておられます。いまや仏の境地に達した人心のありようが透けて見えて来て、私までが目頭が熱くなる思いです。
(私も長い間にこの無文老大師のこの感動の一端に触れて、不遜にも、折々のブログに私自身の実感として表現して来たように思います)
老師は又、「この世に人間として生まれることが如何に有難く尊いか、人はそれぞれ使命を帯びて生まれて来ており、どんなに身体が不自由になっても、人間として生まれ、今生きていることを感謝しなければならないし、使命を果たさなければならない」と書いておられます。繰り返し読む程に、身につまされるお説教です。
何度か妙心寺を訪れた理由の一つは、この尊敬する山田無文老師がここの管長をされていた事から、今は冥界にいらっしやる老師にお会いしたくなると、妙心寺の南総門をくぐって大法堂の雲龍図を見上げたり、境内をそぞろ歩いて拝観出来る塔頭に寄り、お参りするしかありません。
甲子園8個分の広さと言われる広大な境内に、幾つもの塔頭(46あるそうです)があり、明智風呂と言われている浴室や、退蔵院の国宝瓢鮎図(レプリカ)とその説明、源信の庭や余香園の白砂の陽の庭と黒砂の陰の庭など、緩やかな傾斜の美しい庭園をじっと眺めていると、禅の境地を知らない私でも、心を空にして落ち着いてゆくのを感じるようです。
その頃、春の路地庭園でお茶を頂きました。花園大学(妙心寺の付属の大学)の若く清楚な学生さんが、お茶を入れて丁寧に勧めてくれました。何となく親しく学生さんとお話する機会に恵まれて、夫は「無文老師」について聞くと「花園大学の教授陣には、山田無文老師を慕って、この大学に来られた人が沢山居られます。先輩の多くが同じように慕って来ておられます。私もその一人です」と言ったのです。
そういえば、親日家で有名なフランスのシラク元大統領(50回以上来日されて、大相撲フアンでもあり、フランス大統領杯が設けられました)が、「日本の偉大な人に会いたい」と仰ったそうで、その時に引き合わせてもらったのが「山田無文老大師」だったのです。
お会いした時、相対した無文老師は一言も言葉を発せられず、シラク大統領は後に「何とも恐ろしかった。あのように恐ろしい思いをしたことは無かった」と仰ったそうです。多分今私が手にしている本の表紙の無文老師の横顔のように、まるで生きている「老いた仏様そのもの」のようなお顔をしておらたのではないでしょうか。
一言も発しなかった老大師は、多分大自然と一体化した無の境地で、静かに座って居られたのだと想像しますが、伝わって来る心にすっかり気圧されたシラク大統領の、怖いと感じた素直な心にも私は感動します。
日本の一番偉い人と言われて、無文老師を選んだ人にも、そういう人に会いたいと願われたシラク大統領にも、唯々感動しています。
妙心寺は、管長が全日本仏教会の会長を勤めておられて、無文老師の後には河野大通老師でした。(後に不思議な巡り会いで、現在わが家のお座敷の床の間には、「本来無一物」という大通老師の直筆の掛け軸が飾られています。)
わが家の数軒隣に東京外国語大学の中国語学科に入学された優秀な女性が居られましたが、その後「考える処があって」と、外語大を中退されて妙心寺の花園大学へ入り直された方がいます。
折りがあったらその心境や大学の様子など、伺いたいと思っているのですが、未だに機会に恵まれません。
また無文老師が、文化勲章を受章される事になった時「私は仏様からもう頂いています」と仰ってご辞退されたと聞いて居ます。老師らしい人間の欲望も価値観も、遙かに越えた果てしない心の広がりを感じます。
何かというと不満を言い、自己主張して感情的になったりする自分に比べて、このような大自然の一部のように泰然と生きられたら・・・と、これは望みが高すぎますね。無文老師と相対したシラク大統領が、恐ろしいと感じたと聞いて、改めて大統領は一流人物だったと尊敬の念を強く感じました。
せめて「あなたはあなたに成ればいい、あなたはあなたで在ればいい」(釈尊)のように力まず素直に生きられたら、先の偉人達に少しは近づくでしょうか。今からではそれすら遅すぎるでしょうか。
10年程前に大法院の路地庭園で会った、清々しい学生さんをふと想いだしたのがきっかけで、無文老師への思いは一層広がって行きました。それは何か思いがけない宝物に出会った気分です。