人はなぜ旅に心を引かれるのでしょうか。あそこへも行って見たい、此処へも行って見たい、と地図や観光案内を広げると、行きたい所が幾つもあって旅心を誘われます。
五木寛之氏の百寺巡礼の旅が、初回から13年後の今、再度放映されていて、私達は毎回懐かしく拝見しています。時折は忘れられない想い出話に花が咲きます。ちなみにその100寺の内、私達夫婦が拝観したお寺の数を調べましたら54ヶ寺ありました。百寺の中の奈良・京都の二十寺は全て行っていました。
(室生寺・長谷寺・薬師寺・唐招提寺・秋篠寺・法隆寺・中宮寺門跡・飛鳥寺・当麻寺・東大寺)(金閣寺・銀閣寺・神護寺・東寺・真如堂・東本願寺・西本願寺・浄瑠璃寺・南禅寺・清水寺)
先が奈良で、後が京都です。私達にとってもどれも素晴らしく、心に残る寺院ばかりでした。多分皆さんも行かれた方は多いかと思います。
仏教に造詣が深く、知的で温かく、対象を深く理解して、分かりやすい解説をする五木寛之氏を、以前から畏敬の眼差しで眺めていましたが、氏の解説はしみじみと心を潤すものがありました。 京都や奈良の観光バスの旅に飽きて、自分で計画を立てて見る旅に変わってからは、事前の学習をしっかりするように心がけました。
ガイドさんが居る訳ではありませんので、行き先は、奈良ならば、回り順を「歩く奈良」等の観光用の本等を参考に、拝観順路を決めました。
具体的な寺院の参考書は、2007年2月6日初回配本の「週刊 古寺を廻る」全50巻(小学館発行)を、5冊に分けて綴じて保管してありましたが、それを土台にしながら、「日本の街道」全8巻(集英社)「仏像彫刻の鑑賞 基礎知識」(NHK学園)「日本の仏像100選」(主婦の友社)等が主な参考書でした。
加えて土門拳の『愛蔵版 古寺巡礼』(小学館)です。これは土門拳がその目で見た「美」をどのように写真に切り取っているか、に感動して山形県の酒田市の「土門拳美術館」で求めたものです。とても重い本です。
有名な「雪の室生寺」の美しさや、写真がないと忘れてしまいそうな室生寺金堂の内陣や、室生寺弥勒堂の釈迦如来座像脚部(結跏趺坐)の写真が、足裏の五指の一本一本や拇指の下の膨らみも、全て木目の渦を指紋の様にしっかり写し出しています。仏師の魂を込めた技術の素晴らしさと、それに目を向けた土門拳という希代の写真家の目の鋭さに、すっかり魅せられてしまったのです。
写真は仏像や寺院も、光りを当てる方向や撮る角度によって、違った迫力のある映像になり、土門拳が切り取りたかった映像が、私の心を捉えて離さなくなるのです。芸術家の視点がとても参考になりました。この重い本は、それ以後の私の寺院や仏像を鑑賞する目を鍛えてくれる宝物になりました。
一寺ずつの地図をプリントして、空白に下調べした「見てくるべきもの」を書き込み、国宝とか、重文とか記しました。「週刊 古寺を廻る」の中にある詳しい「境内地図」は境内の俯瞰図で、撮影ポイントやカメラの方向も示されていて、余りに便利そうなので、丁寧に切り取って持参して、持ち帰ってまた元通りに貼り付けました。
プリントには土門拳の写真から、是非この目で見て来たい仏像の部分や寺院のカメラアングルも矢印で薄く書き加えたのです。
何回も訪れた奈良では、五木寛之氏の寺院の他に、気に入った寺院は、閻魔王とその眷属があり、五色のツバキの咲く白毫寺・薄暗いお堂内に、迫力に満ちた十二神将が並ぶ新薬師寺・石仏龕(がん)の十輪院・天平特有の少し赤みがかった瓦が残っている元興寺にながい歴史の重みを感じました。
十一面観音の法華寺は光明皇后に似せて作られたといわれています。やはり十一面観音の海龍王寺なども静かで心引かれるお寺でした。
大きな寺院では、国宝の唐門のある醍醐寺(秀吉の醍醐の花見の翌年に作られた)三宝院の庭が有名です。庭園の美しい寺院は多く、京都の大徳寺(秀吉が信長の葬儀を執り行った寺です)の大仙院、他の塔頭の庭にも何度かお邪魔しました。塔頭の一つに竹林の参道の美しい高塔院があり、縁側下の外履きを借りて庭に降りれば、細川ガラシャのお墓もあります。苦難に満ちた一生を終えた美しい細川ガラシャが、今は静かに、この墓地に安らいで居られると思うと、何となく私も救われる思いでした。お墓については、いつか別に書きたいくらいに好きで、様々な人の墓地に立ち寄りました。
奈良・京都・高野山ばかりで無く、格別好きな鎌倉の東慶寺の哲学者達など、何回行ってもまたお参りに行きたくなるのは何故でしょう。
石庭で有名な竜安寺。裏に回ると、口の文字を中心に「吾唯足るを知る」のつくばいも有名です。
これも大伽藍を沢山持つ、臨済宗の妙心寺派大本山の妙心寺、ここには瓢鮎図で有名な退蔵院にもレプリカがあり楽しみました。お庭も白砂黒砂の陰陽の造りになっていたり、なだらかな傾斜の庭を下から眺めるようになっている余香園は、格好なお休みどころでした。別の坪庭庭園で修行僧にお茶の接待を受けました。「仏教が好きで、こうして修行しています。」と静かに話す若い僧の心の籠もったお接待に、心を和ませるものがありました。しばらく廊下から緑の透けるお庭の雰囲気を楽しみ、清々しい思いを感じました。
徒然草に出て来る御室の仁和寺は52・53・54段です。この時代から、門跡寺院として有名だったのでしょう。美しいと言われる御室の桜は低くしつらえられていて、根元から花の枝のようでした。
中宮寺の弥勒菩薩とどちらが良いかと、良く比較される弥勒菩薩や泣き弥勒のある広隆寺は、様々な仏像があって、圧巻でした。
当時は静かであった嵯峨野では、夢窓疎石作庭の池泉回遊庭園の天竜寺と、竹垣の道を通り抜けて、高い石段と多宝塔・紅葉が美しい常寂光寺も好きなお寺です。落柿舎(らくししゃ)へ寄ってさらに嵯峨野をゆき、清涼寺へ行きました。宋から持ち帰られた木造の本尊、釈迦如来立像(国宝で、衣紋の流れが特に美しい)があります。体内から絹で作った五臓六腑の模型が出て来ました。(この時代に此処まで分かっていたのか、と驚きました。宝物館でレプリカを拝見しました)嵯峨野の最後は、化野(あだしの)の念仏寺でした。石仏群がみごとです。千灯供養の灯が美しいそうです。
京都駅から南に行けば、土門拳が流れる雲と競争して撮った宇治の平等院、その屋根の鳳凰など、以前とまた違った趣で眺めて来ました。皇室のみ寺の格調高い泉涌寺(せんにゅうじ)では、天皇皇后もお立ち寄りになられた同じ廊下を、恐る恐る歩いて中庭も拝見して来ました。
大伽藍の東福寺では,国宝の三門が美しく、又、見た事もない百雪隠に、これほどの修行僧が居られたのか、と驚きました。有名なもみじの通天橋(私達の時は緑が美しかった)を通って、方丈庭園の北・西・南の趣向を凝らした庭園などに目を凝らし、しばらくは留まって眺めて来ました。
万福寺は、招聘されて中国から来た隠元禅師の黄檗宗の大寺院です。中国式の卍紋の高欄が異国風で目を引きました。
総門脇に「鉄源版一切経版木収蔵庫」があり、私達が拝観に行ったのは、丁度休みの日だったのですが、わざわざ見学させて下さいました。「今でも毎日版木で印刷しています」とのお話に驚きました。山ほどの版木がビッシリ積み上げられていました。鉄源が一切経の版木造りの間に、度重なる飢饉のために、行脚で集めたお金で、飢餓の民衆に施しのかゆを炊き、その為に幾たびもお金を集める行脚の苦労を重ねたことは有名な話しです。
以上は五木寛之氏の百寺以外で拝観した寺院の主なものです。勿論五木氏ももっと沢山行かれてその中で選び抜かれたものでしょう。それだけに、この放映はこの上なく有難いものになっています。
人は何故このように、旅を好むのでしょうか。どの旅も、心の深くに残る想い出や、見知らぬ人達との忘れられない出会いがありました。そして幾つもの心温まる親切を頂きました。それを想い出す度に、人間は助け合って生きているのだと、改めて感じるのです。なによりも記憶に残る何とも表現しがたい心の豊かさのようなものを残してくれました。
東大寺の仁王古りてもそのままに哀しきまでになほも睨みゐる
「寂」と「空」谷崎眠る法然院苔むす茅の山門に雨
弥次喜多の夫婦の旅に満たされて何時か最後となるを恐るる
(何れも実名で某誌・紙に掲載)
五木寛之氏の百寺巡礼の旅が、初回から13年後の今、再度放映されていて、私達は毎回懐かしく拝見しています。時折は忘れられない想い出話に花が咲きます。ちなみにその100寺の内、私達夫婦が拝観したお寺の数を調べましたら54ヶ寺ありました。百寺の中の奈良・京都の二十寺は全て行っていました。
(室生寺・長谷寺・薬師寺・唐招提寺・秋篠寺・法隆寺・中宮寺門跡・飛鳥寺・当麻寺・東大寺)(金閣寺・銀閣寺・神護寺・東寺・真如堂・東本願寺・西本願寺・浄瑠璃寺・南禅寺・清水寺)
先が奈良で、後が京都です。私達にとってもどれも素晴らしく、心に残る寺院ばかりでした。多分皆さんも行かれた方は多いかと思います。
仏教に造詣が深く、知的で温かく、対象を深く理解して、分かりやすい解説をする五木寛之氏を、以前から畏敬の眼差しで眺めていましたが、氏の解説はしみじみと心を潤すものがありました。 京都や奈良の観光バスの旅に飽きて、自分で計画を立てて見る旅に変わってからは、事前の学習をしっかりするように心がけました。
ガイドさんが居る訳ではありませんので、行き先は、奈良ならば、回り順を「歩く奈良」等の観光用の本等を参考に、拝観順路を決めました。
具体的な寺院の参考書は、2007年2月6日初回配本の「週刊 古寺を廻る」全50巻(小学館発行)を、5冊に分けて綴じて保管してありましたが、それを土台にしながら、「日本の街道」全8巻(集英社)「仏像彫刻の鑑賞 基礎知識」(NHK学園)「日本の仏像100選」(主婦の友社)等が主な参考書でした。
加えて土門拳の『愛蔵版 古寺巡礼』(小学館)です。これは土門拳がその目で見た「美」をどのように写真に切り取っているか、に感動して山形県の酒田市の「土門拳美術館」で求めたものです。とても重い本です。
有名な「雪の室生寺」の美しさや、写真がないと忘れてしまいそうな室生寺金堂の内陣や、室生寺弥勒堂の釈迦如来座像脚部(結跏趺坐)の写真が、足裏の五指の一本一本や拇指の下の膨らみも、全て木目の渦を指紋の様にしっかり写し出しています。仏師の魂を込めた技術の素晴らしさと、それに目を向けた土門拳という希代の写真家の目の鋭さに、すっかり魅せられてしまったのです。
写真は仏像や寺院も、光りを当てる方向や撮る角度によって、違った迫力のある映像になり、土門拳が切り取りたかった映像が、私の心を捉えて離さなくなるのです。芸術家の視点がとても参考になりました。この重い本は、それ以後の私の寺院や仏像を鑑賞する目を鍛えてくれる宝物になりました。
一寺ずつの地図をプリントして、空白に下調べした「見てくるべきもの」を書き込み、国宝とか、重文とか記しました。「週刊 古寺を廻る」の中にある詳しい「境内地図」は境内の俯瞰図で、撮影ポイントやカメラの方向も示されていて、余りに便利そうなので、丁寧に切り取って持参して、持ち帰ってまた元通りに貼り付けました。
プリントには土門拳の写真から、是非この目で見て来たい仏像の部分や寺院のカメラアングルも矢印で薄く書き加えたのです。
何回も訪れた奈良では、五木寛之氏の寺院の他に、気に入った寺院は、閻魔王とその眷属があり、五色のツバキの咲く白毫寺・薄暗いお堂内に、迫力に満ちた十二神将が並ぶ新薬師寺・石仏龕(がん)の十輪院・天平特有の少し赤みがかった瓦が残っている元興寺にながい歴史の重みを感じました。
十一面観音の法華寺は光明皇后に似せて作られたといわれています。やはり十一面観音の海龍王寺なども静かで心引かれるお寺でした。
大きな寺院では、国宝の唐門のある醍醐寺(秀吉の醍醐の花見の翌年に作られた)三宝院の庭が有名です。庭園の美しい寺院は多く、京都の大徳寺(秀吉が信長の葬儀を執り行った寺です)の大仙院、他の塔頭の庭にも何度かお邪魔しました。塔頭の一つに竹林の参道の美しい高塔院があり、縁側下の外履きを借りて庭に降りれば、細川ガラシャのお墓もあります。苦難に満ちた一生を終えた美しい細川ガラシャが、今は静かに、この墓地に安らいで居られると思うと、何となく私も救われる思いでした。お墓については、いつか別に書きたいくらいに好きで、様々な人の墓地に立ち寄りました。
奈良・京都・高野山ばかりで無く、格別好きな鎌倉の東慶寺の哲学者達など、何回行ってもまたお参りに行きたくなるのは何故でしょう。
石庭で有名な竜安寺。裏に回ると、口の文字を中心に「吾唯足るを知る」のつくばいも有名です。
これも大伽藍を沢山持つ、臨済宗の妙心寺派大本山の妙心寺、ここには瓢鮎図で有名な退蔵院にもレプリカがあり楽しみました。お庭も白砂黒砂の陰陽の造りになっていたり、なだらかな傾斜の庭を下から眺めるようになっている余香園は、格好なお休みどころでした。別の坪庭庭園で修行僧にお茶の接待を受けました。「仏教が好きで、こうして修行しています。」と静かに話す若い僧の心の籠もったお接待に、心を和ませるものがありました。しばらく廊下から緑の透けるお庭の雰囲気を楽しみ、清々しい思いを感じました。
徒然草に出て来る御室の仁和寺は52・53・54段です。この時代から、門跡寺院として有名だったのでしょう。美しいと言われる御室の桜は低くしつらえられていて、根元から花の枝のようでした。
中宮寺の弥勒菩薩とどちらが良いかと、良く比較される弥勒菩薩や泣き弥勒のある広隆寺は、様々な仏像があって、圧巻でした。
当時は静かであった嵯峨野では、夢窓疎石作庭の池泉回遊庭園の天竜寺と、竹垣の道を通り抜けて、高い石段と多宝塔・紅葉が美しい常寂光寺も好きなお寺です。落柿舎(らくししゃ)へ寄ってさらに嵯峨野をゆき、清涼寺へ行きました。宋から持ち帰られた木造の本尊、釈迦如来立像(国宝で、衣紋の流れが特に美しい)があります。体内から絹で作った五臓六腑の模型が出て来ました。(この時代に此処まで分かっていたのか、と驚きました。宝物館でレプリカを拝見しました)嵯峨野の最後は、化野(あだしの)の念仏寺でした。石仏群がみごとです。千灯供養の灯が美しいそうです。
京都駅から南に行けば、土門拳が流れる雲と競争して撮った宇治の平等院、その屋根の鳳凰など、以前とまた違った趣で眺めて来ました。皇室のみ寺の格調高い泉涌寺(せんにゅうじ)では、天皇皇后もお立ち寄りになられた同じ廊下を、恐る恐る歩いて中庭も拝見して来ました。
大伽藍の東福寺では,国宝の三門が美しく、又、見た事もない百雪隠に、これほどの修行僧が居られたのか、と驚きました。有名なもみじの通天橋(私達の時は緑が美しかった)を通って、方丈庭園の北・西・南の趣向を凝らした庭園などに目を凝らし、しばらくは留まって眺めて来ました。
万福寺は、招聘されて中国から来た隠元禅師の黄檗宗の大寺院です。中国式の卍紋の高欄が異国風で目を引きました。
総門脇に「鉄源版一切経版木収蔵庫」があり、私達が拝観に行ったのは、丁度休みの日だったのですが、わざわざ見学させて下さいました。「今でも毎日版木で印刷しています」とのお話に驚きました。山ほどの版木がビッシリ積み上げられていました。鉄源が一切経の版木造りの間に、度重なる飢饉のために、行脚で集めたお金で、飢餓の民衆に施しのかゆを炊き、その為に幾たびもお金を集める行脚の苦労を重ねたことは有名な話しです。
以上は五木寛之氏の百寺以外で拝観した寺院の主なものです。勿論五木氏ももっと沢山行かれてその中で選び抜かれたものでしょう。それだけに、この放映はこの上なく有難いものになっています。
人は何故このように、旅を好むのでしょうか。どの旅も、心の深くに残る想い出や、見知らぬ人達との忘れられない出会いがありました。そして幾つもの心温まる親切を頂きました。それを想い出す度に、人間は助け合って生きているのだと、改めて感じるのです。なによりも記憶に残る何とも表現しがたい心の豊かさのようなものを残してくれました。
東大寺の仁王古りてもそのままに哀しきまでになほも睨みゐる
「寂」と「空」谷崎眠る法然院苔むす茅の山門に雨
弥次喜多の夫婦の旅に満たされて何時か最後となるを恐るる
(何れも実名で某誌・紙に掲載)