ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

身近な生と死

2016年12月28日 | 随筆
 そろそろ残っている日々をどう生きてどう死を迎えるかについて、考えさせられるようになりました。死は何時も身近にあって、何時やって来るかわかりません。それはわかっているのですが、日頃何とか生活が出来ていると、未だ大丈夫か?と漠然と考えて過ごしてしまいます。
 もう8年くらい前のことですが、誤診がきっかけで、万一の時に誰にもわかるように、身の周りの整理をしたことがありました。
 この誤診については、身の周りの始末が出来たりある意味覚悟が出来たことに、感謝して通り過ぎました。
 退職した時に大整理した本類も、その後に買ってまた増えてしまい、折々は整理しますが、これは生きている限り際限の無い仕事です。
 義母が逝き義父が逝き、その都度片付けがありましたが、すっかりなくなると寂しいようで、記念として衣類や掛け軸・小物など、日頃使わない物が未だ残っています。私や夫が貰って着たり使った物もありますし、長い年月のうちに少しずつ減りましたが、その残りよりも私自身の着ない着物等の始末を先にしなければならなくなり、こちらは思い切り始末しました。
 「もの」は後に残った誰かが捨ててくれますが、残された自分の人生をどう生きるか、が一番大切だと思います。以前は悩みがあったりすると、「どうかお守り下さい」と神仏に祈ったりしましたが、いつの間にか「お守り下さいまして有り難う御座います」とか「今日も一日良い日をいただきました」と感謝するようになりました。きっと多くの人が年と共にそうなるのでしよう。
 私は現在に至る迄に、とても尊敬できる良い友人に恵まれて、考えてみると何と幸せなことであったか、と思っています。
 そんな友人の一人が癌になりました。厚生労働省の2015年発表の「日本人の死亡原因」の第一位が「がん25.9%」 二位が「心疾患 15.8%」三位「脳血管疾患 10.3% 」
「肺炎 9.9% 」「老衰 3.8%」「不慮の事故 3.4%」「その他27.3%」となっています。
 その友人から、先日次のような手紙が来ました。
 (前略)「この世の生には限りがあると思います。日々目にする自然も人々もとても美しく、いとおしく感じられるこの頃でございます。」とありました。私は、この言葉に胸を締め付けられるような感動を覚えました。それと同時に今まで以上に尊敬の思いを強くしました。
 世界的に有名な精神科医のエリザベス・キューブラー・ロス(1926~2004年 終末期医療を切り開いた人)が、人の死に至る迄の5段階を提唱されていますが、私の友人も苦痛の多い治療を通して、その結果「受容」の段階に至られたのか、とも思いました。ロス博士の提唱する五段階を簡単に挙げさせて貰います。
 第一段階 否認と孤立
「何かの間違いだ」と思うが否定しがたく、周囲から孤立することも。
 第二段階 怒り
「何故自分がこんなことになるのか」という死に選ばれた強い反発。
 第三段階 取引
 何とか死を回避しようと「○○をするから、あと少しだけ・・・」と神仏に祈ったり、寄付したりする。
第四段階 抑うつ
「これだけ祈っても駄目か」と死が回避出来ないことを理解。悲観と絶望感にとららわれ憂鬱になる。
第五段階 受容
「死んでいくことは自然なことだ」と自分の人生の終わりを静かに見つめることが出来るようになり、心に平穏が訪れる。生命観や宇宙観のようなものを形成し、自分を、その中の一部として位置づけることもある。

 心がこの五段階に至ったら、きっと心静かにその時を待って過ごすのでしようね。精神科医の神谷美恵子著「こころの旅 日本評論社」に「キリスト教信者の中には、死は神の御元に行けるから、と嬉々として亡くなられる人が少なくない」とありましたが、それも信仰を通して、五段階にまで高めらたて精神の状態を言っているのでしょう。
 私達生きとし生けるもの全てが必ず死ぬことは、誰しも分かっていますが、死は未だ経験がありません。ロス博士は、「死ぬ瞬間 中公文庫」という著書の中で、臨死体験者の多くは、「とても心地よく、美しく輝く光の中を浮遊して行く」という人が多いと書いています。私達は生む時の苦痛と生んだ喜びは経験していても、生まれる苦痛は知りません。その苦痛を知らないように、死の苦痛も無いものと、私は思っています。
 つい先日知人宅で、入浴していた夫がなかなか上がって来ないのを気遣って、妻が声をかけたけれど返事がなく、ドアを開けて見たら失神して湯船に沈んでいたそうです。ただちに救急車で入院しましたが、今は元気になって退院しました。
 お見舞いに行った私達に、秋の叙勲のお祝いで家族一同集まって祝ったばかりなのにと、(結婚している孫もいて)幸せそうな顔のご主人でした。90歳近くでも、急な事態を説明する、その穏やかな顔を眺めて安心して帰って来ました。
 60歳で心筋梗塞で亡くなった弟も、医師は「自分が死んだことも知らないくらいだったでしょう」とおっしゃる程安らかな死でした。

明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

 親鸞聖人が詠まれたと伝わっている歌です。親鸞聖人が9歳の折り、仏門に入られる決心で天台座主の慈円を訪ねましたが、すでに夜だったので、「明日の朝になったら得度の式をしてあげましょう」と言われました。しかし聖人は「明日まで待てません」とおっしゃられ、その時詠まれたのがこの歌だそうです。親鸞聖人は命を桜の花にたとえて、「明日まで命があるかどうか分からない、だからこそ今を精一杯大事に生きていきたい」との思いが込められていると言われています。

 今年最後のブログになりました。書き放しの身勝手な文章をお読み下さいまして、有り難うございました。どうぞ皆様、良い新年をお迎え下さいますように。私も夜半の嵐に散らないように、又来年おつき合いしていただけることを楽しみにしています。
  
生きの身のいのちかなしく月澄みわたる  山頭火 


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小径に漂う歴史の香り

2016年12月16日 | 随筆
 夫婦二人の旅ほど、ゆったりと自由に楽しめる旅はありせん。そんな旅の中で、忘れられない小路があちこちにあります。今は車社会ですから、滅多にそのようなお気に入りの小径に出会うことはありせん。忘れられない美しい道の一つに、遠くは鹿児島県の知覧の武家屋敷通りが挙げられます。こぢんまりとした武家屋敷が集まっていて、良く手入れされた庭が家々によって趣向が凝らされていて、池や石組みや大きく刈り込まれたサツキ、更に道路側には波打つようにしつらえられた生け垣が続いています。真ん中の道路を通ると中側の家や池などは全く見えず、左右が生け垣だけのとても静かな通りです。屋敷の庭園は隣に続いていて、庭園の説明などは、当時一軒一軒ワンコインで録音で聞くことが出来ました。
趣向をこらした各庭園に感嘆しつつ、説明を良く聞き写真を撮っては進んで行きました。
 又、四国の松山の近くに、卯之町と言う古く美しい街並みがあります。そこから少し入った高野長英(開国主義を唱えて投獄された)の隠れ家のあった小径が心に残っています。四国遍路に行った時に、明石寺という四国43番札所の名刹に行き、梵鐘を鳴らしてお参りをしてきました。石畳を上ると、日本最古と言われる開明学校の白い校舎があり、古い教室・机・教壇などが残っています。教壇に立つと、当時の生徒達の向学心に燃える、爛々と輝く瞳が浮かび上がって来るようでした。
 そして忘れられない坂道が、尾道の坂道の風景です。尾道駅から細い登り道をどんどん登っていきましたが、当時は未だ車が登る道路が無いようで、こんな細い道を毎日お買い物に下ったり上ったりするのは、とても辛かろうと思いました。しかし瀬戸内海の見える高台の小径は風情があって、とても楽しい道ではありました。
 多分20年ほど前ですが、帰りに千光寺から下って行くと、林芙美子の書斎が再現されていました。矢張り海に向いて開けていて、古い机とインク壺とペンと原稿用紙、スタンドなどがあったように記憶しています。「万年筆ではなく、ペンとインクだったのか」と何となく私の学生時代を思い出しました。ガラス製のペンと藍色のインク壺が懐かしかったのです。今はもうなくなったと聞きました。
 なぜか猫の多い所で、私の足元について離れない、白と黒の子猫がいました。抱き上げて芙美子の家の近くでそっと放して、石段に腰を下ろして海の方を眺めました。
 つい先日のことてす。尾道がテレビで放映されていて、矢張り猫が多いと言っていました。ずっと長い間優しい住民に猫たちも守られて来たのでしょうか。
 若い人々は平地に建てる家でも、わざわざ水害の防備か家を土盛りして高くして、3段くらいの石段を付けた家が、今もわが家の周りで新築されています。たった3段といえども、老いた人には上り下りが苦痛です。年月を重ねると、やがて手すりの工事がなされたり、スロープに変わったりしています。小高い山の上から海を眺めるのも気持ちがよいですが、車が入らないとなると、年をとると外出が困難になると予想されます。
 しかし、昔から住み慣れた人にとっては、瀬戸内海の穏やかな海を見晴るかす、斜面の家からの風景が、何にも増して素晴らしいものなのでしょう。
 京都は何と言っても石塀小路が美しいですし、楽しく歩けます。二回訪れましたが、初めは高台寺を見学してから静かな石畳に沿って歩きました。少し入った処に小さな喫茶店があります。そのお店には二度とも訪れました。上品で静かな雰囲気で、気持ちよく美味しい珈琲をいただきました。京都の石畳と言えば、清水寺の門前の坂道(二年坂・三年坂)も良いと思います。
 金沢は殊に長町の武家屋敷の通りが美しいと思います。矢張り石畳です。ゆったり曲がっている土塀に沿って行くと、小径が静かで美しいです。武家屋敷は中は解放されている訳ではありませんが、小さくても庭がしつらえられています。以前「たらよう」の葉(葉書の元となった)を教えて下さった家にも小さな庭がありました。歴史の古い野村家もあり、塀の外には小川も流れています。ここは格式が高く、内部の見学が出来ました。
 岐阜県では白川郷の合掌造りの集落、飛騨高山の駅近くの「さんまち」が古くからの町です。こうして数え上げればたくさんありますが、それぞれに長い年月を集落の人々によって守られて、受け継がれてきたものです。家々が周りの自然と一体になって、美しい雰囲気を醸し出しています。そこに住む人々も猫などの小動物たちもまた、愛おしい存在に思えます。
 家の無い小径でも、忘れられない小径があります。四国の室戸岬の海際の、大きなサボテン類の熱帯植物の間を縫う、車の通らない海辺の道、足摺岬の群生したツバキをくぐり、断崖絶壁を目の下にした小道、長崎の根獅子浜のうしわきの森の、歩くのが申し訳ないような小径など(殉教の信者の温もりが今だに伝わるようで・・・信者達は今も裸足でお参りするそうです)忘れ得ない小径が沢山あります。
 私は毎日の日課として、何処へも寄らずに歩けば約40分くらいの道のりを歩いています。車の余り通らない道か、広い歩道のある道路だけを選んでコースを作っています。必要に応じてコンビニ・園芸店・郵便局・銀行・スーパーなど、生活に必要なものは、そのコースで全て間に合います。コースから少し外れて、車の多い商店街を通らず、横切る角に銀行や郵便局・時計屋・衣料品店があり、用があればそこを通ります。殆どは静かな通りを夫と二人で話しながら歩いています。
 通常薔薇屋敷と私達が呼んでいるお宅、昔の農家の豪邸、お庭が素敵で石組みも素晴らしく、土蔵もケヤキの大木もあり・・・、大昔の泥田で使ったと思われる小舟も飾ってあったりします。かつての芦の沼や田んぼは、とうの昔に排水工事が済んで耕地整理され、更に宅地に変わって今は隙間もない住宅街です。見渡してももう田んぼなどは何処へ行ったら見られるのか分かりません。
 このウォーキングコースの道筋に、とても狭くて大人が両手を広げると左右の家の垣根に触れそうな小径があります。昔からの小径で、当時はリヤカーが通れば良い、とされたのでしょう。
 旧街道から別れた小径が、そのまま現在に引き継がれ、道路整備から置いてきぼりになっていて、郵便局の斜め前からこの南北に縦断する道に入り、歩いて進むと東西に延びる、道幅の広い道路を乗り越えて、更に直進していますが、次の東西に延びる道路迄しかないのです。全体で80メートル位でしょうか。それでも脇の家々の木立が木陰を作ったり、朝顔の蔓が屋根まで延びていたり、鉢植えが並べられていたりして、静かで穏やかな小路ですから、私達は何時からか「囁き小路」と勝手に名付けています。
 空調が行き渡ったこの頃は、小路を通っても、生活臭の無い処が多いようですが、此処は道路の埃が入らないので、小窓が開いていたりして、時としてカレーの香りや胡麻を煎る香りなど流れて来ます。家庭毎に営む平和で幸せな空気にひたることが出来るので、私達のお気に入りのコースです。
 全国各地に、愛されている様々な小径があり、美しく手入れして住んでいる人々の生活や人生までを想像しながら歩くと、心が安らぎ温もっていくので、それが何より好きなのです。

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世論調査を左右するもの

2016年12月02日 | 随筆
 少し古いですが、世界のマスコミが、結果的に誤った予想をしてしまった「次期アメリカ大統領選」について、日経新聞11月20日の「世論調査設問に注目」という記事を参考に考えてみました。
 私は以前から家庭の固定電話による世論調査に大変疑問を持っていました。今どき固定電話で世論調査をしたら、いかにランダムにと言っても、結果は主として高齢者か専業主婦を中心とした結論に偏ることは明白です。
 私の知り合いの若い夫婦も殆ど勤めに出ていて、家庭の固定電話は使わず(或いは持たなくして)、ケータイ又はスマホになっています。
 それは別にしても、日経新聞では、現在国民の関心事であるTPP、改憲、安保法賛否について,次のような警告を出しています。
 結論から言うと、同じテーマでも、設問の仕方によって、結果が異なってくるというものです。

 まずTPPについてです。
1)TPPについて今国会承認に賛成ですか反対ですか(日経新聞調査10月) <これは二者択一の聞き方です。>
結果 賛成38% 反対35% わからない、など27%
  <二者択一にすると結果は半々くらいになっています>

2)政府はTPPの承認案と関連法案を今国会で成立させる方針です。あなたは どう思いますか。(共同通信の調査10月)<これは三択です>
結果 今国会で成立させるべきだ17.7% 今国会にこだわらず慎重に審 議すべきだ65.5% 成立させる必要はない10.3% わからない、 など5.5%
  これをもって、或るTPP参院特別委員の一人が、「今国会にこだわらず・ 」と「成立させる必要は無い」を合わせて「8割反対」といったそうです 。この意見は果たして正しいでしょうか。

  記事にもありましたが、世論は<慎重審議>という中間の選択肢に集中 したものと思われます。自己の結論を明確に表明したがらない日本人の気 質によるものではないか、とも思えます。中間の選択肢があるとそこに集 中しやすい、と言えないでしょうか。
  それぞれに国民の意志ではありますが、聞き方一つで、結果が異なりど れとどれを合わせるか、によっても結論は異なります。

3)憲法改正についてどう思いますか。(日経新聞10月)<二択>
結果 改正すべきだ44% 現在のままでよい42% わからない、など1 4%

4)安倍首相のもとでの憲法改正に賛成ですか、反対ですか。
 (毎日新聞9月)<二択>
結果 賛成32% 反対53% わからない、など15%
  安倍首相のもとで、と限定された解答です。同じ二択で異なっています 。漠然と聞いた時よりも、シビアになっています。

5)集団的自衛権を使える様にしたり、自衛隊の海外活動を広げたりする安 全保障関連法案に賛成ですか、反対ですか。朝日新聞平成27年7月)  <二択>
 結果 賛成26% 反対56% わからない、など18%

6)安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を 強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備 に賛成ですか、反対ですか。
 (読売新聞平成27年7月下旬)<二択>
結果 賛成38% 反対51% わからない、など11%
 「安全を確保し、国際社会に貢献する」というところを強調したら、賛成 が増えました。設問はマスコミの姿勢によって異なり、解答に影響を与え ます。

このようにして、聞き方によっても結果は左右されるのです。
 世論調査は、解答の選択肢が幾つあるか、によって曖昧になったり、単純な設問でも個人名が上がると、その人の印象に反応するなど、実に不確実性の高いものになりやすいと思います。
 現実今年の秋に、わが家にもアンケートと称して電話がありました。たまたま夫が電話に出て、「そういう質問には答えたくありません」と言いましたら、「ではわかりませんの項目でいいですか」と言ったそうです。夫は、「わからないのではなく、答えたくないのです。間違わないで下さい。」と言ったら「はい。わかりました」と切れたそうですが、答えたくないと言う選択肢はなかったのでしょう。
 アンケート結果は、「留守で答えが貰えなかった」のか、「答えたくなかったのか」は判然としません。先の結果の「わからない、など」の「など」だったのかもしれません。
 今回のアメリカ大統領選でも、隠れトランプ氏支持者がいて、(はっきり意志表示をすると「何だそうなのか」と言われることを嫌ったとか、)世界中のマスコミも誤った判断をしたのですから、その原因を正さないと、次回から信用して貰えなくなるでしょう。
 ただし、総投票数では、クリントン氏が多かったので、あながち予想違いとは言えないかも知れませんが、アメリカの特別な選挙システムにも、原因がありそうです。票数の少ない人が当選することは、民主主義の国としては理解の出来ないことです。国民総投票の選挙なのですから、単純明快なシステムにならないのは何故でしょう。
 これからもいろいろの件について世論調査の結果が発表されますが、それをもって「民意」と単純に判断するのは危険だと思いました。「同じテーマ」についての調査であっても、報道するメディアによって、設問に可成りの違いがあることが証明されたと言えます。設問も注意深く良く見て考えて、正しく判断したいものだと思ったことです。

 
 

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