ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

奇跡的な出会い

2023年06月19日 | 随筆
 出会いとは何時も不思議なものですね。こんな処でこの様な人に出会うとは・・・、場所も不思議なら相手も折りに触れて不思議です。
 若い頃に勤め先の中学校の登山グループの仲間に混じって、立山に登った折のことです。私はかなり登って一休みしたくなり、ほぼ行列状態になっていた列の脇で、腰を降ろして休みました。既に相当な高さでしたから、道はつづら折れでしたが、傍に適当な石があり見晴らしも良く休むには丁度よかったのです。
 私は登山仲間の一人でしたが、やがて他の仲間達も追いついて来て、ほどよく繋がった列になりました。やがて仲良く登って来たのは、私の勤めていた中学校の同僚二人でした。その時初めて気付いたのですが、二人はお互いに好意を持って一緒に登っていたようでした。一人は男性の社会科の教師で、もう一人は国語科の女性教師でした。「あの二人なら価値観も同じ様だし良いカップルだなあ」と思いながら、その後は列のままに山頂にたどり付きました。
 夏でも雪のある場所もありましたし、登山経験の浅い私には全てが新鮮でした。雷鳥も岩場の茂みあたりを歩いて居たりして、ヒョコヒョコと歩いている様子は岩石と区別がつかないくらいに思えました。保護色とはこういう色のものかと、岩場を歩く雷鳥と近づいたり離れたりしながら歩いていました。素晴らしい登山の経験でした。
 やがて時は過ぎてその職場で三年の月日が流れ、私は転勤して新しい職場に移動しました。同じ学校区の同僚と研究会というか、折々に周辺の学校の職員が集まって研修をする事がありましたから、沢山の人達との仲間意識が次第に育まれていきました。
 そんな或る日の事です。突然の訃報が届きました。あの仲の良かった二人の教師の一人(Aさん)が突然自死してしまったのです。何故?何故?と思うばかりで、若かった私には当時の彼女の心を充分理解出来なかったのです。
 やがて日々の生活に戻って、世の中は何事も無かったように日々が過ぎて行くようになりました。そんな或る日、私に突然の来客がありました。年配の女性はあの時の彼女のお母様でした。職場で何があったのか聞かれたのですが、私は上手く答える事ができませんでした。
 「噂になるような好きな人はいたのでしょうか?」とお母様が聞かれました。「いいえ」と私はオウム返しに否定しました。当時は今と違って、古い価値観に支配されていましたので、特に男女関係には敏感に反応していましたし,当然のことと思って胸を張ってしっかり答えたつもりでした。
 するとお母様は一瞬黙ったのですが「私はそのような事があって欲しかったです」といわれたので、私は絶句してしまいました。「あの年まで生きていて、好きな人が一人もいないと云うのは不憫です」とうつむき加減にお母様が仰いました。私は何も言えず、<母親とはこう言うものなのか>と胸を突き動かされる思いがしました。当時の私はそのような親心を察する事が出来なかったのでした。
 その後私は再び立山に登る機会に恵まれました。私の故郷の家のお隣に、冬の立山で遭難された男子医学生の父上と云われる人が、時折尋ねて見えました。その頃には、私も年齢を重ねていましたし、他人の私生活にとやかく口を挟まないように、母にも教えてもらっていましたから、見て見ぬ振りになりました。
 この人達は皆さん善良で、回りの人々の幸せを願い、気を遣って暮らして居る事が良く解ったのでした。遠くて近い思い出です。 一人一人が自分の人生に責任を持つことをしっかり考えて、一生懸命生きて居た時代でした。若いと言う事は今も昔も同じで、きっとそれぞれの人生を精一杯生きていたのだと思っています。
 時には立山の雷鳥の様に、<保護色>になって、安全な場所で安心して生きて行けるようだったら良いなと思っています。