人は誰しも思いがけなく、温かい手に触れた想い出があることでしょう。たとえ冷たい皮膚の感触であっても、しっかり握手したときなどに、握りしめた掌の温かかったことなど、忘れられない想い出があるのではないでしょうか。
私には、折りに触れての温かい手の想い出があります。何時もそれは不思議な感覚で、後々まで掌にも心にも残っています。
まず第一の想い出は、初めてお会いした方との握手です。その方は夫の学生時代のクラスメイトでありました。私達夫婦はそれぞれに友人と、メール交換もかなり頻繁でしたし、電話で話すこともあります。夫婦ですから、当然どういう電話だったとか、メールも場合によってはコピーして、ファイルすることもありますから、お互いつき合いの濃淡が良く分かります。お互い直接繋がっていなくても、旧知のような親しさをもって、日常の話題になるのです。
夫が「愚痴庵閑話」と題して、メール交換していて、とても親しくしていた友人がいました。奥様が外出されて一人の時など、良く電話が来ました。残念なことに已に鬼籍に入られましたが、ある大学の医学部の助教授になって居られた方です。何となく馬が合うというのか、価値観が近いのか、わざわざ急行電車で5~6時間の距離を会いに出かけたり、あちらからおいでになったりして、旧交を温めて来ました。
以前触れましたが、越路吹雪が好きな彼のために、越路吹雪を中心に何人かの歌を、テープにコピーして送りました。とても喜んで下さって、一人で寂しい時や、夜お布団に入ってから何度も聞いて、とうとう擦り切れる程聞いたとお聞きしました。(当時CDもあったのですが、良い曲を選んでテープに纏めました。)
その方の他に同級の女性も数人いて、或る時特急で数時間離れた駅頭で落ち合うことになりました。お互いメールや電話の行き来はありましたが、再会するのは卒後初めてだったと聞きました。そろそろ人生の残りの時間も少なくなりましたし、このあたりで会っておかないと後悔しそうでした。
私は初めてお会いする方だったのですが、日頃からの夫の親しいおつき合いを通して知っていましたので、お合いした瞬間、思わず手を握って「何時もお世話になっています」と、何故か固い握手になりました。不思議でしたが、すんなりとその方の温かい手に包まれて、とても嬉しかったことを覚えています。
何だか久しぶりにお会いしたような、不思議な感覚でした。初めて出会う人と、このように親しく握手をしたのは、生まれて初めてでした。でも、ハグせんばかりに受け入れて下さって、固い握手になったことを、今考えるととても不思議に思います。良い出会いでした。きっと前から出会うべくして出会ったからなのか、と思ったりしています。
二番目は、私の家庭医の看護師長さんとの握手です。去年私は思いきって股関節の置換手術を受けました。何と言うのか、奇跡的に出会った人から「私も手術したのです。とてもよくなって助かっています」とお聞きして、たまたま当日は股関節の、半年に一回の定期検査で、病院へ向かっていたのです。自分が手術することは余り考えていなくて、このまま行けたら、そうしたいと思って居たのですが、出会ったその方の「手術して良かった」と言う感想をお聞きして、その時ハッキリ「私も手術して頂こう」と思ったのでした。ベテランの医師でしたし、私にはまだ体力がありました。夫も元気でしたから、家族的にも恵まれていました。この三拍子が揃っている今が最適な時期だ、と気が着いたのでした。
たまたま主治医も「そろそろ手術したらどうか、時期的にも寒くなる前だし」と考えて居られて、その日に手術の日が決まったのでした。
さて入院するとなると、家庭医にも入院の期間中の、日頃の薬を処方して頂かなくてはならず、或る日その医院に出かけました。その時看護師長さんが「手術ですって?」と出て来られて、私の手を握って「どうぞ頑張って」と仰いました。そして「大丈夫。必ず良くなりますから。」と仰った言葉と共に、あの時の手の温もりが、今もなお思い出すたびによみがえって来ます。
人には時として強い感動と共に思い出す、さまざまな想い出があるようです。以後無事に退院してきて、時々お会いするのですが、以前とは、またひと味違ったおつき合いになった気がしています。
次はフォレスタの今井さんとの握手です。近くのコンサートホールで、二回目のコンサートがあった時です。その年私は二階席しか取れずに、丁度通路脇に座りまし。ところが後半になって、出演者と観客との交流で、歌手の皆さんがそれぞれ席近くに回って来られた時です。私の脇に今井さんが来られたのです。合唱の時は声を合わせるので、ハーモニーに気をつけられて、そう大声では歌われないのですが、席に回って来られた今井さんは、オペラ歌手ですから、マイクなしでホール全体に響き渡る程の声でした。
私の身体の周りと言うより、二階席全てが今井さんの声に満ちあふれて響き渡りました。そのボリュウムに驚き、目を見張ったのです。そして、今井さんの手に幸運にもハイタッチ出来ました。 この感激は、またひとしおでした。とても温かく柔らかなタッチでありました。あの声の温かさが、身体を巡り掌にも温かい血液や心までも伝わって来ている感じが、良く分かりました。「身近で聴く生の歌声は素晴らしい!」と感激もひとしおで、その声に身をスッポリ埋めていました。幸せで忘れられない想い出です。
夫は、若くして亡くなった娘が、夢に出て来て、足を揉んでくれた事が忘れられないと言います。丁度娘の命日の日だったそうですが、その時、温かい手の感触を、ありありと感じたと言います。目覚めた後も暫く温かい感触は続いたそうです。
心の奥で生まれた感情が、血流に乗って手の先まで来て、「温かい手」として相手に伝わっていく、心の使者のように思えて、「この想い出は大切にしなければ」と思ったと言います。目覚めた後も暫く温かい感触は続いたそうです。「もう来られないけれど」と言ったようだったと夫は言いますが、事実娘はそれきり夢に出て来ないといいます。「国立(くにたち)って良いところだね」とも言ったといいます。娘の新築マンションは「吉祥寺」にあり、何故国立なのか、不思議だと言いつつ現在に到っています。
手の温もりをしみじみと味わった事は、その後の忘れられない想い出になったようでした。温かい手の想い出は、誰にも有難く嬉しいものですね。
心の奥で生まれた感情が、血流に乗って手の先まで来て、そこで「温かい手」として相手に伝わって行く心の使者なのだと思うと、その想い出は大切にしなければならないと思っています。
私には、折りに触れての温かい手の想い出があります。何時もそれは不思議な感覚で、後々まで掌にも心にも残っています。
まず第一の想い出は、初めてお会いした方との握手です。その方は夫の学生時代のクラスメイトでありました。私達夫婦はそれぞれに友人と、メール交換もかなり頻繁でしたし、電話で話すこともあります。夫婦ですから、当然どういう電話だったとか、メールも場合によってはコピーして、ファイルすることもありますから、お互いつき合いの濃淡が良く分かります。お互い直接繋がっていなくても、旧知のような親しさをもって、日常の話題になるのです。
夫が「愚痴庵閑話」と題して、メール交換していて、とても親しくしていた友人がいました。奥様が外出されて一人の時など、良く電話が来ました。残念なことに已に鬼籍に入られましたが、ある大学の医学部の助教授になって居られた方です。何となく馬が合うというのか、価値観が近いのか、わざわざ急行電車で5~6時間の距離を会いに出かけたり、あちらからおいでになったりして、旧交を温めて来ました。
以前触れましたが、越路吹雪が好きな彼のために、越路吹雪を中心に何人かの歌を、テープにコピーして送りました。とても喜んで下さって、一人で寂しい時や、夜お布団に入ってから何度も聞いて、とうとう擦り切れる程聞いたとお聞きしました。(当時CDもあったのですが、良い曲を選んでテープに纏めました。)
その方の他に同級の女性も数人いて、或る時特急で数時間離れた駅頭で落ち合うことになりました。お互いメールや電話の行き来はありましたが、再会するのは卒後初めてだったと聞きました。そろそろ人生の残りの時間も少なくなりましたし、このあたりで会っておかないと後悔しそうでした。
私は初めてお会いする方だったのですが、日頃からの夫の親しいおつき合いを通して知っていましたので、お合いした瞬間、思わず手を握って「何時もお世話になっています」と、何故か固い握手になりました。不思議でしたが、すんなりとその方の温かい手に包まれて、とても嬉しかったことを覚えています。
何だか久しぶりにお会いしたような、不思議な感覚でした。初めて出会う人と、このように親しく握手をしたのは、生まれて初めてでした。でも、ハグせんばかりに受け入れて下さって、固い握手になったことを、今考えるととても不思議に思います。良い出会いでした。きっと前から出会うべくして出会ったからなのか、と思ったりしています。
二番目は、私の家庭医の看護師長さんとの握手です。去年私は思いきって股関節の置換手術を受けました。何と言うのか、奇跡的に出会った人から「私も手術したのです。とてもよくなって助かっています」とお聞きして、たまたま当日は股関節の、半年に一回の定期検査で、病院へ向かっていたのです。自分が手術することは余り考えていなくて、このまま行けたら、そうしたいと思って居たのですが、出会ったその方の「手術して良かった」と言う感想をお聞きして、その時ハッキリ「私も手術して頂こう」と思ったのでした。ベテランの医師でしたし、私にはまだ体力がありました。夫も元気でしたから、家族的にも恵まれていました。この三拍子が揃っている今が最適な時期だ、と気が着いたのでした。
たまたま主治医も「そろそろ手術したらどうか、時期的にも寒くなる前だし」と考えて居られて、その日に手術の日が決まったのでした。
さて入院するとなると、家庭医にも入院の期間中の、日頃の薬を処方して頂かなくてはならず、或る日その医院に出かけました。その時看護師長さんが「手術ですって?」と出て来られて、私の手を握って「どうぞ頑張って」と仰いました。そして「大丈夫。必ず良くなりますから。」と仰った言葉と共に、あの時の手の温もりが、今もなお思い出すたびによみがえって来ます。
人には時として強い感動と共に思い出す、さまざまな想い出があるようです。以後無事に退院してきて、時々お会いするのですが、以前とは、またひと味違ったおつき合いになった気がしています。
次はフォレスタの今井さんとの握手です。近くのコンサートホールで、二回目のコンサートがあった時です。その年私は二階席しか取れずに、丁度通路脇に座りまし。ところが後半になって、出演者と観客との交流で、歌手の皆さんがそれぞれ席近くに回って来られた時です。私の脇に今井さんが来られたのです。合唱の時は声を合わせるので、ハーモニーに気をつけられて、そう大声では歌われないのですが、席に回って来られた今井さんは、オペラ歌手ですから、マイクなしでホール全体に響き渡る程の声でした。
私の身体の周りと言うより、二階席全てが今井さんの声に満ちあふれて響き渡りました。そのボリュウムに驚き、目を見張ったのです。そして、今井さんの手に幸運にもハイタッチ出来ました。 この感激は、またひとしおでした。とても温かく柔らかなタッチでありました。あの声の温かさが、身体を巡り掌にも温かい血液や心までも伝わって来ている感じが、良く分かりました。「身近で聴く生の歌声は素晴らしい!」と感激もひとしおで、その声に身をスッポリ埋めていました。幸せで忘れられない想い出です。
夫は、若くして亡くなった娘が、夢に出て来て、足を揉んでくれた事が忘れられないと言います。丁度娘の命日の日だったそうですが、その時、温かい手の感触を、ありありと感じたと言います。目覚めた後も暫く温かい感触は続いたそうです。
心の奥で生まれた感情が、血流に乗って手の先まで来て、「温かい手」として相手に伝わっていく、心の使者のように思えて、「この想い出は大切にしなければ」と思ったと言います。目覚めた後も暫く温かい感触は続いたそうです。「もう来られないけれど」と言ったようだったと夫は言いますが、事実娘はそれきり夢に出て来ないといいます。「国立(くにたち)って良いところだね」とも言ったといいます。娘の新築マンションは「吉祥寺」にあり、何故国立なのか、不思議だと言いつつ現在に到っています。
手の温もりをしみじみと味わった事は、その後の忘れられない想い出になったようでした。温かい手の想い出は、誰にも有難く嬉しいものですね。
心の奥で生まれた感情が、血流に乗って手の先まで来て、そこで「温かい手」として相手に伝わって行く心の使者なのだと思うと、その想い出は大切にしなければならないと思っています。