ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

幸せの原点

2016年01月29日 | 随筆
 この年まで生きて来ると、あの時に選択肢は未だ他にもあったのに、何故こちらを選んだのか、別の道は何処に繋がっていたのか、こちらを選んだことが結果的に今の運命を決めている、等と考えたりする事があります。それも一回や二回ではなく、進学・就職・結婚と重要な選択が、比較的「悩みに悩んで」ではなく、さらりと決めて通り過ぎて来たように思えます。思えば不思議なことです。
 確かに選択するということは、運命を決めることに繋がる訳ですから一大事ではあるのですが、未だ若かったことや、失敗も勉強の内と思ったり、この先未だ充分やり直せるとも考えたり、怖さを知らずに安易に決めて来たようにも思えます。
 ではその結果をどう評価するか、と言えば、もう一度原点に戻ってやり直す以外証明は出来ませんので、事実上不可能です。これで良かったのだと受け入れられる人は幸せです。時間を巻き戻すことが出来ない以上、これが私の運命だったのだと受け入れる以外、他にどんな道があるでしょう。
 どの道を選んだとしても、良かったとも悪かったとも言えません。むしろこれで良かったのだと肯定して、前向きに生きて行くのが理想でしょう。
 苦難は何時も身近に潜んでいて、想像だにしない様相で思わぬ時期に降りかかることもあります。同時に幸せも身近にあって、「私は幸せだ」と思う心があれば、その人は間違いなく幸せな人なのだと思います。
 幸・不幸は外部から与えられるばかりではなく、自らが選択するものでもあると云ったら、言い過ぎでしょうか。
 困難な中にあって、「それでも私は幸せだ」と思える人は本当に幸せな人です。私の母は、父が亡くなって弟と暮らして居た頃、私は頻繁に訪ねて話相手をして来ました。そんなある日、「私は日本一幸せ者だ」と言ったのです。驚いた私は咄嗟に「そうね。そう考えられることは幸せね」と言いました。弟が出勤中で昼間は一人ぽっちの留守番でしたから、寂しいと言えば寂しい暮らしであった筈です。弟の愛情の籠もった手作り弁当と、読みたいだろうと選んで買ってきてくれてある本と、そんなささやかな暮らしに満足して、「幸せだ」と言えることが、温かく大らかだった母の立派なところだと、しみじみと感動したのです。勿論私もそうあらねば、と教えられたことでした。
 「お父さんには、必ず最後まで面倒を見て上げるから、そのかわりに、きっと早く迎えに来てね、と言っておいたのに」と時折云っていました。「あちらにどの様な良い人が居られるのやら、なかなかお迎えに来てくれない」と本気とも冗談とも付かぬ笑顔でこぼしていました。そこには今が苦しいからと云うのではなく、愛する夫への思慕の念が伝わって来て、私はただ笑って頷く以外に答えようがありませんでした。
 母はそう言いつつ20年を過ごして、安らかに旅立ちました。残された20年という年月は、今の私には長すぎると思われます。私も夫には、同じような約束をしていますが、母の20年を偲ぶ時、「心ゆくまで看病したから、寂しくはない」と言ってはいましたが、必ずしもそれは本心とは言い切れないと思っています。
 日頃私が愛読しているブログ「心の原風景 ー こころの故郷」(筆者スエナガアマネ)の今年の1月15日付けに「丁度よい」と言う次のような詩が載っていました。  

 丁度よい
       藤場美津路・作

 お前はお前で丁度よい
 顔も体も名前も姓も
 お前にそれは丁度よい
 貧も富も親も子も
 息子の嫁もその孫も
 それはお前に丁度よい
 幸も不幸もよろこびも
 悲しみさえも丁度よい
 歩いたお前の人生は
 悪くもなければ良くもない
 お前にとって丁度よい
 地獄へ行こうと極楽へ行こうと
 行ったところが丁度よい
 うぬぼれる要もなく卑下する要もない
 上もなければ下もない
 死ぬ月日さえも丁度よい
 仏様と二人連れの人生
 丁度よくないはずがない
 丁度よいのだと聞こえた時
 憶念の信が生まれます
 南無阿弥陀仏

 何と素晴らしい詩でしょう。思わず心を引きつけられました。繰り返して読む度に胸の奥までしみこんで来ます。
 幸せになるのは決して難しい事ではないのだ、考え方一つだと教えてくれています。くよくよ思い悩まずに、あるがままを肯定して生きて行こうと元気が出て来ます。もうすぐ立春です。今ある幸せに感謝して過ごしたいと思います。


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温かい心の通う政治を

2016年01月17日 | 随筆
 気温が低くなって、冬らしい寒い日が訪れています。こんな日は心温まるお話でも聞きたいところです。そんな願いが無残に打ち砕かれた一昨夜でした。BSのプライムニュースの時間に、日頃から折に触れて感じて、胸を痛めていたことを、ズバリ指摘されて、前途に明かりを失う気持ちになりました。
 一言で言うと、現在の政治には愛情が不足している。政権の維持に熱中する余り、国会に対し、ひいては国民に対する愛情が欠如しているというのです。
 安保法案しかり、憲法改正しかり、中身の見えない中で、強行採決では、国民の不安は払拭出来ません。
 今回の低所得の高齢者に対する一律三万円の一時金支給という政策は、参院選の選挙前のばらまきでしかなく、選挙を有利にしようとするものでしょう。選挙に行ってくれそうな高齢者に一時金を与えて、片やばらまきの前の増税は、政策としてはちぐはぐであり、票を買うためなのかと言いたくなって来ます。
 若者こそ暮らしにくく、結婚も子育ても思う様に出来ない雇用形態であり、賃金です。国民が求める社会とは、人間同士助け合いいたわり合って、暮らす事の出来る社会なのです。差別やいじめを無くする社会なのです。
この国民が求める社会を造る為に、政府は何をし、国民は何をしたでしょうか。
 これ程長く一党支配の続いた国は、世界では社会主義の国しかなく(3年ほどの政権交代がありましたが)、外国から見ると、日本は一党独裁の国に見え、民主主義国とは理解しにくいということです。
 元衆議院議長にまで成られた河野洋平氏が言われたので、私も日頃からそう考えていましたから、良く言って下さったと思いました。又、現在首相の意見に反対の人は、次の選挙に公認しないとか、役につけないとか、様々ないわゆる押さえ込みがあって、議員はすっかり萎縮してしまって、何も言えなくなっているのが実態のようです。
 それではかつてのドイツ国民のように、独裁主義者によって、言論や行動が統制されて、戦争に巻き込まれたのと基本的には同じであります。ドイツに例を引く迄もなく、日本でも同じ経験をしたのでしたね。国民は、一方的に時の政権に都合の良いことばかり知らされて、「一億火の玉」となって、戦いに向かって行ったのでした。その結果300万人の尊い命を亡くしたのでした。
 同じことが繰り返されようとしています。「一億総活躍社会」といえば、確かに元気そうにきこえますが、ある新聞で名高いコメンテータが、「高齢者に死ぬ迄働けということか」と書いていました。揚げ足取りはしたくないですが、確かに国民に対する愛情に乏しく、優しさがたりないように思います。
 政策に反論すれぱ、直ぐに頭を叩かれるのでは、強権政治です。黙して語らずが一番平穏なのでしょう。一人また一人と元気のあった議員が元気をなくして、黙ってしまったのが現状です。
 国会を無視されたら、国会議員は存在する意義を無くしてしまいます。議員の皆さんには、どうか勇気を出して、自分が正しいと思う意見を述べて、大いに議論を尽くして下さい。私達国民もよく聞き、よく考えて、行動するでしょう。
 憲法改正論も、中身が見えないまま変えると言われても、どこをどう変えるのか、判断出来ません。安保法制の袋の中に、沢山紛れ込まれた法案があって、手も足も出なくなりつつあるのではないか、と不安に思っても仕方無い状態です。
 私の残り時間は短いので、後の日本に住む人、または地球上に住む人達に、健康で心安らかな暮らしが出来るように、少しでもお役に立てればと思います。その為には国民に愛情を持った勇気ある人に投票して、明るい未来を期待したいです。
 どうか為政者には大所高所に立って、温かい血の通った政治をして頂きたいと思っています。
 先に書いた「日本は民主主義の国に見えない」ということについてですが、ずっと一党支配であった訳ですが、実は、同じ政党の中に様々な考えの人がいて、次々に首相が変わったので、「強権な中曽根さんの次に優しい竹下さん、のように入れ替わり立ち替わり、政権を担ったので、必ずしも現実は一党支配とは言えない状態であったのだ」と聴かされて、幾分気持ちが安らぎました。
 首相が短命で政治がクルクル変わるのも困りますが、困った思想で長期独裁は最も国民は不幸です。今我が国は、戦後最も大きな曲がり角に来ています。我が国もようやく民主主義が根付いて来たかと思っていたら、一人の首相の交代によって、みるみる独裁主義に塗り替えられて行く姿を、国民は呆然と見つめています。国民の意見を代表している国会議員の皆さんの責任は重大な時なのです。これから生まれて来る人達の幸・不幸はあなた達の双肩にかかっていることをどうか忘れないで下さい。
 

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我が家の大晦日

2016年01月07日 | 随筆
 平成28年が明けて、もう一週間になります。皆さんは大晦日を何処で、誰と、どの様に過ごされましたか。地球上の何処かでは、戦の最中の人達が居るのが現実ですが、幸いにして日本では、少なくとも約39%の人達が、NHK紅白歌合戦を見ながら大晦日を過ごされたようです。
 何時の頃からか、我が家では手作りのおせちのお重をテーブルに出して来て、紅白歌合戦を見ることなく、別の番組や映画を観るのが習慣となっています。今年は家族で話し合って、映画では世界一の作品と言われる「東京物語」を観て過ごすことにしました。もう4回くらい見ることになるのですが・・・。
 原節子が亡くなったということもあり、大女優の演技も見たかったので、私も一も二もなく賛成でした。(私は好奇心の強い処もあり、紅白に出るほど?の新人歌手や、ベテランの歌もどのようにして歌われるのか聴きたい気持ちもあって、録画して後ほど飛び飛びに見ました。)
 幸い大晦日は穏やかな夜でした。しみじみとした人間模様が心の底に沈んで行くこの作品は、「やっぱり世界一と言われるだけありますね。」と改めて原節子の気品のあるしっとりとした演技に感動したのです。
 原節子は戦争で亡くなった次男の嫁という役柄ですが、この物語の山場のところを演じていて、存在感に溢れ、自然なセリフや動作の奥ゆかしさに、「これぞ大女優」と感激させてくれました。
 物語は、老いた笠智衆と東山千栄子の夫婦が、成人して家庭を持つ長男長女に会いに尾道から上京する物語です。
 上京してきた両親に、開業医の山村聡夫婦は、急患があり何処へも連れて出掛けられません。美容院を切り盛りしている長女も、何かして上げたいと思っても、多忙な為にゆっくり面倒を見られません。長女は兄と相談して、二人を熱海の温泉にやります。ところが温泉は団体旅行の客が賑やかで、老夫婦は夜もゆっくり眠れません。
 疲れて長女(杉村春子)の営む美容院に行っても、泊まる部屋は会合でふさがっています。結局泊まる処もなくなり、次男の嫁で、今は戦争未亡人となってアパートに一人暮らしをしている、原節子のところに母親が泊まり、父親は旧友を訪ねることになります。
 原が実の子達より優しく接してくれて、休暇を取って「はとバス」で東京見物を共にしてくれたり、肩を揉んでやるという結果になるのです。旧友と夜通しお酒を飲み歩いた父親は、早朝交番の巡査に送られて長女の元へ帰るのですが、長女の遠慮のない厳しい叱責に会うのです。
 どうにか無事に東京見物を終えて、尾道へ帰った夫婦でしたが、突然母親が倒れ危篤の状態になって、子供たちに電報が届きます。
 主演の笠智衆が、背中で現す老人の哀愁はみごとです。杉村春子の悪げは無いのだけれど、物事をはっきりと言う実の娘の遠慮のない姿や、長男の開業医夫婦の多忙で充分なもてなしが出来ない心残りな思いも、良く表現されています。「昔はもっと優しい子だった」と二人で話す姿に、老いた夫婦の侘びしさが滲みます。「私達はまだ良いほうですよ」と互いに慰め合う姿にも、ほろりとさせられます。
 多忙で母親の死に目に会えなかった関西の末の息子も尾道の家に集まり、葬儀が営まれました。両親のもとで暮らす、純粋で潔癖な末娘の香川京子には、お形見をと着物を要求、忙しいからとさっさと帰って行く姉の態度に不満です。兄達も忙しいからと潮の引けるように帰って行く姿に、つれないのではと思っていす。
 「誰もがそうなりたいとは思っていないのだけれど、やがて皆そうなっていくのよ」と原がとりなします。後に残ったのは、原と香川と笠です。
 最後まで温かかった原に、父は妻の時計を取り出して与えます。遠慮する原に「血の繋がらないあんたが一番親切にしてくれた。形見だと思って受け取って欲しい。母さんもきっと喜ぶだろう。有り難う。」とお礼を言います。「一人のあんたがとても気がかりだから、どうか是非誰か良い人と暮らして欲しい」と父は切々と言います。二人の間に温かい時間が流れます。自分は立派な人間ではない、ずるいのです。と原が泣くシーンは、何度見ても泣けます。ここでの原の演技が取り分け素晴らしかったと思いましたし、実に様々な人間模様が悲しくも、またいとしくも感じさせられました。「とうとう一人になってしもうた」と瀬戸内海の見える庭で言いながら歩いている笠の姿に、さびしさがにじみ出て、見る者の胸を締め付けます。
 今もどこにでもありそうな、またはだれもが経験するようなことを丁寧に写し、温かい血の通うやり取りや、様々な人間模様をちりばめて、「大晦日には相応しい良い映画だった」というのが、我が家の感想でした。

 さてそこで時間が余ったので、紅白歌合戦に切り替えました。大勢の歌手が出る映像が続きましたが、歌手の仲間まで集まって、大騒ぎのような舞台でした。紅白に出場した歌手はギャラも違うといわれたものですが、今は、なにもなくても友達という資格で出場出来るようです。
 紅白で歌いたいと思って日頃から研鑽に励む歌手にとっては、機会が減ったようで、気の毒な気がしました。日頃のバラエティの大騒ぎの拡大版のようで、見る気が失せて消してしまいました。
 「とうとう紅白歌合戦も瓦解の気配だ」とつい家族に愚痴ってしまいましたが、みんなも同じように感じたそうです。
 紅白に出られなかったと言って悲しむなかれ。しっかりと心を込めて歌い上げれば、やがて認められる筈だと思いましたが、選別の基準は歌の上手い下手ではなくて、別の処にあるのでしょう。
 やがて録画を早送りして飛び飛びで見ました。私達が上手いと思う、「帰らんちやよか」を歌った島津亜矢と、「津軽海峡冬景色」の石川さゆりのところできちんと聴きましたが、他にこれは、という人が居たのか居ないのかよく解りませんでした。
 おおとりの時間に再びつけましたが、おおとりに相応しい歌手だとは、私の感覚では思えませんでした。番組の目的や価値観が変わったのでしょうか。それとも現代の若者に迎合したのでしょうか。視聴者から集めたお金で作った番組である以上良く配慮して創って欲しいものです。
 視聴率を気にする余り、徐々に番組の質が低下していっているようで気になります。良い番組を作る研究をしっかりして、番組作りに視聴率を気にし過ぎないようにして欲しいと思います。「こういうのが、良い番組なのです」と教えて呉れる位に、誇りが持てる番組を創って欲しいのです。
 テレビは否応なしに民衆の教育をしています。テレビ放送が始まった時に、テレビは人間を駄目にするといって、一日何時間子供たちにテレビを見せるか、話題になりました。又「我が家はテレビを見せません」とか、「テレビはありません」という家庭もありました。 今スマホ中毒の子供も大人もいて、それよりも良いテレビ番組を、と思ったりしますから、矢張り時代はどんどん変わって行き、私は古いのですね。
 若い人の中にも歌の上手い人は多いでしょうし、私達がたまたま今日購入して配達された「徳永英明」という人も、歌に心が籠もっていて、良い歌い手だと思います。VOCALIST VINTAGEというアルバムの最後の「真夜中のギター」などなかなか聞かせてくれました。
 日頃フォレスタの「こころのうた」を良く聞きますが、とても美しく綺麗な声で上手いですし、好きな時間です。出来たらもう少し味わい深く歌って欲しいと思いますが、これはオペラなどを歌う訓練を受けている人達には、邪道なのでしょうか。
 徳永の歌を聴いていると、歌詞がとても心に響き、曲の素晴らしさが際立つ気がします。日本語の抑揚に逆らわず、自然な流れでとても心地良く聞こえるのです。味わいは個個別々で、同じ歌でもこうも違うかと思います。
 次の大晦日の映画を何にしようか。という話しが出て、原節子の「晩春」が良いのでは、と候補に挙がっています。野の花は誰に見られずとも、綺麗に咲いています。幸福という花も、常に心の奥に咲いています。大切に育てて行きたいものです。 
 心から皆様のご多幸をお祈りしています。 



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