お正月の松の内も過ぎて、新年の街の空気でも吸おうかと、ぶらりと出掛けた時のことです。心ならずも詐欺まがい?の不愉快な買い物をしてしまいました。さしたる買い物でもなく、そう大げさに気にする程のことではないのですが・・・。うかうかと買った自分にも落ち度はあるのですが、何よりも世の中が悪い方向に変わっていくことが身にしみて悲しく思われました。
ある有名デパートで「大江戸職人芸」の催し物があり、買い物ついでに顔を出しました。特別に欲しい物がある訳でもなく、ブラブラ細やかな職人さんの芸を見て回っていました。ふと見ると片隅に家紋の小さな置物が飾ってありました。
縦横それぞれ10㎝余りの桐の板に、黒い○が彫られていて、黒地に金泥で描いてある家紋が並んでいました。立てて飾られるようになっています。その中の一枚に我が家の家紋「立沢瀉(たちおもだか)」を見つけました。
家紋は紋付を着る女性には興味がありますが、男性は余り興味がなさそうです。万一の時の大切な書き置きには書いてあるのですが、これがあれば、お葬儀の時にもまごつかないだろうと、一枚買うことにしました。
お店にすわっていた人は直ぐに箱に入ったものを手渡してくれ、私はそれを貰っていそいそと帰宅したのですが、家で箱を開けてビックリしました。家紋は素人のデコボコ塗りで、金泥は膨れてアワを吹き、黒地の塗りもザラザラしていてお話にもなりません。お店に飾ってあった見本とは別の物に思えました。飾ることも憚られ、そっとお仏壇に置きました。
オレオレ詐欺が流行って、もう長い年月が過ぎています。しかし残念なことに、去年は更に多くの人が詐欺に遭っているそうです。騙された人の中には「私は絶対大丈夫」と日頃から思っていた人も多いそうです。勿論私もそう思っていた一人です。
意外にあの手この手の小さな詐欺まがいの売り物に、私達は知らずに引っかかっていることに気付く結果になりました。
デパートの名物展で買い物をしたことは、近年これで三回目でしたが、三回共おかしなもの(有名店なのに、食べても名前ほどに美味しくない物など)を買って帰り、家族に「あれは特殊な業者が全国を回っているので、老舗とは関係ないのだそうだ」と聞いていました(何時か週刊誌にも出てたと記憶しています)が、今回ばかりはがっかりしました。箱の粗末な包装にも気付かず、包みを取ると真っ白なボール紙の箱で、中に店名もありません。包み紙の店名をみましたら、人形店の名前があるだけで、住所も無いのです。「松○」とありましたから、ネットで引きましたら確かに数代の老舗の人形店のようで、沢山の人形が出て来ました。桐の家紋を売っているとは書いて無く、人形店が作るとも思えませんし、第一こんな粗末なものを老舗が作る筈もありません。
去年金沢の県立工芸館で求めた九谷焼は、それは見事で、家族で使う度に嬉しく思い出していましたから、そんなイメージがあって、この家紋を良く見えるように床の間にでも飾ろうと思ったのです。私の夢は見事に砕かれました。
私はお人好しで、その場でお店について聞くでもなく、いそいそと箱を抱えて帰って来たのですから、自分の愚かさを知る良い機会でもありました。
しかし、考えてみると、騙されることは悔しいですが、疑わずに信じた自分を少しは褒める気になりました。ですからこんな買いもの一つでそう悲しむことも無いのです。ですが、これだけでは済まなかったのです。ついでに買って来た名物と言われるお団子も、矢張り表の紙を剥がすと、箱に店名も住所も製作日も賞味期限もなく、調べた訳ではありませんが、中身は違うもののようでした。こういった催し物にはレシートが無いこともあり、有名デパーとしては売り場を貸しているだけで、商品については責任を持たないのだと思われますが、客はデパート名を信用して来るものも居る訳ですから、もっとしっかり監督をして欲しいものだと思いました。
先日来、テレビで魚など、本来と異なる食品名をどうするか、ということが再び話題になっていました。鮭とあっても鱒であったり、銀カレイが全くカレイと関係無いことは知っていましたが、なじみが無いと言わずに、正しい名前で売って欲しいものです。消費者は必ず安くて美味しいものを見つけますし、やがてその名前は必ず覚えられます。
偽って粗悪品を売る等という商法で、会社が繁栄した例はありません。私は日頃から、スーパーに集まる主婦の眼力の鋭さに、脱帽することがしばしばです。商売は信用でなりたっていることは、今も昔も変わりません。正直なお店には人が集まりますし、廃れません。安くて良いものは、見る見る売り切れてしまいます。「皆さん良く勉強しておられるね」と買い物に同道してくれる夫と、時折感嘆しています。
年と共にのろまになって、人には遅れがちな私です。もっと賢くならないといけないのですが、人を信じることが出来なくなったら幸せは逃げて行くことでしょう。身のまわりには優しく親切な人達が多くおられて、何時もありがたいと思って居ます。
今読んでいる坂村真民の「二度とない人生だから」の詩に、「三不忘」というのがあって、ついさっき読んだところです。
貧しかったときのことを忘れるな
苦しかったときのことを忘れるな
嬉しかったときのことを忘れるな
とあります。 また、別の本には、
天才でない者は
捨ての一手で
生きるほかはない
雑事を捨てろ
雑念を捨てろ
とありました。大好きな坂村真民の本を三冊揃えて楽しんでいるところです。身にしみます。今の自分が恥ずかしくなります。
春はそこまで来て居ます。お天気の良い日はお買い物にも出掛けようと考えています。
ある有名デパートで「大江戸職人芸」の催し物があり、買い物ついでに顔を出しました。特別に欲しい物がある訳でもなく、ブラブラ細やかな職人さんの芸を見て回っていました。ふと見ると片隅に家紋の小さな置物が飾ってありました。
縦横それぞれ10㎝余りの桐の板に、黒い○が彫られていて、黒地に金泥で描いてある家紋が並んでいました。立てて飾られるようになっています。その中の一枚に我が家の家紋「立沢瀉(たちおもだか)」を見つけました。
家紋は紋付を着る女性には興味がありますが、男性は余り興味がなさそうです。万一の時の大切な書き置きには書いてあるのですが、これがあれば、お葬儀の時にもまごつかないだろうと、一枚買うことにしました。
お店にすわっていた人は直ぐに箱に入ったものを手渡してくれ、私はそれを貰っていそいそと帰宅したのですが、家で箱を開けてビックリしました。家紋は素人のデコボコ塗りで、金泥は膨れてアワを吹き、黒地の塗りもザラザラしていてお話にもなりません。お店に飾ってあった見本とは別の物に思えました。飾ることも憚られ、そっとお仏壇に置きました。
オレオレ詐欺が流行って、もう長い年月が過ぎています。しかし残念なことに、去年は更に多くの人が詐欺に遭っているそうです。騙された人の中には「私は絶対大丈夫」と日頃から思っていた人も多いそうです。勿論私もそう思っていた一人です。
意外にあの手この手の小さな詐欺まがいの売り物に、私達は知らずに引っかかっていることに気付く結果になりました。
デパートの名物展で買い物をしたことは、近年これで三回目でしたが、三回共おかしなもの(有名店なのに、食べても名前ほどに美味しくない物など)を買って帰り、家族に「あれは特殊な業者が全国を回っているので、老舗とは関係ないのだそうだ」と聞いていました(何時か週刊誌にも出てたと記憶しています)が、今回ばかりはがっかりしました。箱の粗末な包装にも気付かず、包みを取ると真っ白なボール紙の箱で、中に店名もありません。包み紙の店名をみましたら、人形店の名前があるだけで、住所も無いのです。「松○」とありましたから、ネットで引きましたら確かに数代の老舗の人形店のようで、沢山の人形が出て来ました。桐の家紋を売っているとは書いて無く、人形店が作るとも思えませんし、第一こんな粗末なものを老舗が作る筈もありません。
去年金沢の県立工芸館で求めた九谷焼は、それは見事で、家族で使う度に嬉しく思い出していましたから、そんなイメージがあって、この家紋を良く見えるように床の間にでも飾ろうと思ったのです。私の夢は見事に砕かれました。
私はお人好しで、その場でお店について聞くでもなく、いそいそと箱を抱えて帰って来たのですから、自分の愚かさを知る良い機会でもありました。
しかし、考えてみると、騙されることは悔しいですが、疑わずに信じた自分を少しは褒める気になりました。ですからこんな買いもの一つでそう悲しむことも無いのです。ですが、これだけでは済まなかったのです。ついでに買って来た名物と言われるお団子も、矢張り表の紙を剥がすと、箱に店名も住所も製作日も賞味期限もなく、調べた訳ではありませんが、中身は違うもののようでした。こういった催し物にはレシートが無いこともあり、有名デパーとしては売り場を貸しているだけで、商品については責任を持たないのだと思われますが、客はデパート名を信用して来るものも居る訳ですから、もっとしっかり監督をして欲しいものだと思いました。
先日来、テレビで魚など、本来と異なる食品名をどうするか、ということが再び話題になっていました。鮭とあっても鱒であったり、銀カレイが全くカレイと関係無いことは知っていましたが、なじみが無いと言わずに、正しい名前で売って欲しいものです。消費者は必ず安くて美味しいものを見つけますし、やがてその名前は必ず覚えられます。
偽って粗悪品を売る等という商法で、会社が繁栄した例はありません。私は日頃から、スーパーに集まる主婦の眼力の鋭さに、脱帽することがしばしばです。商売は信用でなりたっていることは、今も昔も変わりません。正直なお店には人が集まりますし、廃れません。安くて良いものは、見る見る売り切れてしまいます。「皆さん良く勉強しておられるね」と買い物に同道してくれる夫と、時折感嘆しています。
年と共にのろまになって、人には遅れがちな私です。もっと賢くならないといけないのですが、人を信じることが出来なくなったら幸せは逃げて行くことでしょう。身のまわりには優しく親切な人達が多くおられて、何時もありがたいと思って居ます。
今読んでいる坂村真民の「二度とない人生だから」の詩に、「三不忘」というのがあって、ついさっき読んだところです。
貧しかったときのことを忘れるな
苦しかったときのことを忘れるな
嬉しかったときのことを忘れるな
とあります。 また、別の本には、
天才でない者は
捨ての一手で
生きるほかはない
雑事を捨てろ
雑念を捨てろ
とありました。大好きな坂村真民の本を三冊揃えて楽しんでいるところです。身にしみます。今の自分が恥ずかしくなります。
春はそこまで来て居ます。お天気の良い日はお買い物にも出掛けようと考えています。