ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

得意先から見た経営者の心

2023年02月22日 | 随筆
 まだ若かった頃の夫の思い出です。独身時代の夫に、毎日のように通っていた親しい喫茶店がありました。その日はその町内の祭りで、いつもの喫茶店に入ると可成り混んでいました。コーヒーを飲み終わった時、ツカツカとママさんが寄って来て「今日は混んでいますから席を空けて下さい」と言いました。
 ところが目が店内に慣れて来ていたので、一席の空き椅子が目に留まりました。近づこうとする夫に立ちふさがるように女将さんが「明日またおいで下さい」と言ったそうです。空いている一席が気になりましたが、言われるままに引き下がって帰ってきたけれど、何とも不快な念が残ったと聞きました。以来そのお店には行かなかったといいます。
 対応の言葉に顧客を大切にする心が不足していたように私には思えました。「あちらの席も今席をはずしている方がいますので、あいにく満員です」とか「残って居る席はあの隅一つですがよろしいでしょうか」とでもひと言あったらこのような行き違いも無かったかも知れないと思ったり、日常的にお客様を大切ににしないお店だっのか、と思ったりしました。なお数年後この喫茶店の前を通ったところ経営者が変わっていたそうです。
 またこんな事もあったと聞きました。夫が毎月通っていた理髪店の事ですが、丁度その日は台風の直撃に遭い、行くべきでなかったのですが仕事の都合上やむを得ず暴風雨の中を出掛けた事があったそうです。お店の前に着くと店主が出て来て「今日は台風なのでもう火を落としました。明日にでもおいで下さい」と言いながら目の前で店のカーテンを閉められてしまいました。まだ営業時間内であるにも関わらず、謝る訳でもなく一方的に業務を拒否した店主の態度に、夫は何年間にも渡る時間を無駄にしたような気持ちになって、以来この理髪店へは二度と行かなかったと聞きました。
 この理髪店の店主の行動は「損得」の問題ではなく、この嵐の中を濡れながら来て呉れた客に対する心の問題です。この理髪店がこの後営業を続けていたかどうか、夫は知らないと言います。
 最近も或る大学病院の教授の意向で、派遣先の消化器内科の医師を全員引き上げて、後任を補充しないと言う暴挙がありました。「消化器内科の医師がいなくなったので、消化器の患者さんの診察はできません」と玄関先に表示されたそうです。人事権を振り回す教授の横暴さと、専門医が不在だからこの分野は診ないという病院側の態度、どちらもどちらだと思います。
 これは医師の使命とは何か、両者とも心得ていない行為だと私は思います。診察してくれる医師を全員引き上げて後任を出さないというのは、患者の命に関わることですし、人事を私物化しているという気がします。
 たった一人の患者であっても、一時を争う救急処置に遅れが出たりする事は防がなければなりません。また、唯々諾々として命令に従う事が医師の役割ではありません。この病院もこの一件をどう解決するのか、私はとても関心をもって地元紙を読んでいます。医学は人類を病から救ってくれますが、このような人事の争いは人間を不幸にするばかりなのではないかと思っています。一刻も早い解決を願っていますが、取りあえず打つべき手は後任の専門医を補充する事でしょう。それなくしての解決は、罪のない患者に責任を押しつける最悪の手段となるのではないでしょうか。
 一事が万事と言うことばもありますし、ここの大学の教授には何かが欠けているのかも知れません。このまま放っておいて欲しくない事です。医学部も増えて来ていますから患者の存在を忘れた行為は、そのうち足元から滅びて行くことに繋がらないでしょうか心配です。
 

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長く生きることは幸せか

2023年02月01日 | 随筆
 人々の健康状態が向上して、寿命も年々永くなりました。2020年の厚生労働省の集計に依ると男性が81.47歳女性が87.57歳とあります。単に長生きになったということよりも、健康でなければなならないのは言うまでもありません。
 この事については可成り強い思い出があります。新卒で勤めたのは東京都だったのですが、その後父に勧められて故郷に戻り矢張り教職に就きました。やがて結婚しましたが、それぞれの職業を全うして引退致しました。旅行が趣味ですで沢山の旅行をしていましたが、在る時サラリーマンの第一歩を踏み出した懐かしい処も訪ねてみました。

 それは60代半ばの私達でしたが、愛車で出掛けた時の事です。そこは私が東京から帰ってきてから勤めた山あいの穏やかな農村でした。山あいの一番奥の農家の庭先の道も通りかかりました。
 すると庭先で、乾かした大豆を槌で叩いている老女に出会いました。ニコニコと会釈されたので、思わず車を止めて話しかけました。するとその女性は、かつて私がこの地に勤めていた頃の教頭先生のお姉さんであることが分かりました。
 初めて勤めた僻地でしたから、学校は列車を降りて約3キロ近く歩かなければならない或る集落にありました。冬に通る時は、斜面から落ちる雪にも「雪崩か」と注意深く歩くように言われていました。うっすら雪が降って路面が見えないので、道路から外れないように歩くのが、当時は精一杯だったのでした。
 そこ迄の幾つかの集落の真ん中辺りに、教頭先生のご自宅があって、ご夫婦で住んでおられましたから、雪の日など道が悪くてはかどらない時には、泊まって行きなさいと泊めて頂いた事も何度かあったのです。

 懐かしい話しがひとしきり終わったころに、老女が、今はこの地から街に近い処に息子の家があって、夏はここで過ごし、冬は息子の家に寄せて貰うのだと言われました。冬の一人暮らしの厳しさを思うと納得がいきました。
 その時です。老女が独り言つように言いました。「長生きするもんじゃないですね・・・」突然のその言葉に胸を突かれて応えに窮しました。厳しい冬に家の回りの雪よけをしたり、食品を求めて街まで出たり、それは確かに老いた人にはなかなかの苦痛だと思えました。若い頃の元気で楽しかった思い出をたどって来た私ですが、毎日この地に暮らすことがいかに大変か、という思いになったのでした。
 老女は息子の家であっても、「孫もお嫁さんもいるし、気を遣う」とふとつぶやきました。人間関係は複雑ですから、それなりのご苦労をされているのだと思いました。
 「長生き」が幸せだと簡単に割り切っていた私は言葉が出ませんでした。以来私はこの日本で「幸せに老いる条件」とは何か、と考えるようになりました。私は現在交通事故による足腰の痛みさえなければ、幸せの中で暮らしていますが、考えてみると年老いたこの先に何があるか、不安でもあります。ただこの先老女の呟いた言葉の奥に、どのような事情があるのか知りませんが、長生きを幸せと感謝出来ない人生があって欲しくないと、以来思い続けてきています。「無理せず穏やかに」をモットーに、残りの人生を感謝して過ごしたいです。

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