ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

形見とて何か残さん

2020年08月16日 | 随筆
 立秋(8月7日)も過ぎて、13日は盂蘭盆会でした。回り灯籠が青・赤・黄などさまざまな色を放って、仏前の左右で回っていましたが今は片付けました。暑い夏もいつしか遠い日々になって行くでしょう。書棚から川端康成の「美しい日本の私」を取り出して眺めています。
この本は川端康成がノーベル文学賞を受賞した時の記念公演を載せたものです。「美しい日本」と言っていますが、私は本当に日本は四季の彩りも美しく、人々は穏やかで慎み深く、良い国だと思います。
 川端康成はこの本の冒頭に

 春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり 

と道元の歌を引いています。川端康成はこの歌を「四季の美を歌いながら、実は強く禅に通じたものでしょう」と書いています。
 
 ご先祖のみ霊をお迎えして過ごす「お盆」の数日間は、特に家族がつつがなく揃って「命のありがたさ」に感謝し、更に「自らの生き方」について静かに考える日々として過ごしたいものだと私は思っています。
 
 形見とて何か残さん春は花 山ほととぎす秋はもみじ葉 

 これは良寛の歌です。大自然のありとあらゆるもの全てを、そのまま形見として残していこう、というのですから、無限のスケールといいますか、大きな歌です。川端康成は「ありきたりの事柄とありふれた言葉を、ことさらもとめて、連ねて重ねるうちに、『日本の神髄』を伝えたのだ」と書いています。
 良寛は、私が心から崇拝する人です。かつてNHKの「生涯学習講座」でかなり沢山の講座を学び、数十年に渡る受講生でありました。その中に、「尊敬する人について調べ、そのお墓を訪ねてリポートせよ」といったものがありました。
 私は迷わず「良寛」を選んだのでした。川端康成が受賞公演に良寛を取り上げて下さった事が、良寛ファンの一人としてとても嬉しく、この度のブログに取り上げてお礼の意を表したかったのです。
良寛と言えば、

 霞み立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつこの日暮らしつ  

 風や清し月はさやけしいざ共に 踊り明さむ老いの名残りに

があります。川端康成は「日本古来の信条がこもっているとともに、良寛の宗教の心も聞こえる歌だ」と言っています。

68歳になった良寛が29歳の貞心尼と出会って、

 いついつと待ちにし人は来りけり 今は相見てなにか思はん

という素直な恋心ともとれる歌をも残しています。

 私には「良寛は幼い子等と日がな一日手毬をついて楽しんだ人」としての認識はありましたが、その真の姿とか身につけて居た宗教心や教養の深さなどについては、当時は詳しくは知らなかったのでした。
 早速図書館へ行って、さまざまな資料を読みふけったりして、調べてやっと解った良寛のお墓へも、遠かったのですがお参りに行って来たのでした。それは或る年の8月の降るような蝉時雨の午後でした。
 良寛は、曹洞宗の托鉢僧で、師の大忍国仙や高祖道元の教えを守り、生涯寺を構えず、妻子をもたず、物質的にも無一物に徹して、清貧の思想を貫いた人でした。
 その住まい「五合庵」( 一日五合の米があれば良い、と農家から貰い受けたことからこの名が付けられた)は大変質素な板敷きのすまいで、私も訪れた事がありました。
 70歳になって身体が弱った良寛は、島崎村(現新潟県長岡市)の木村元右衛門邸内に身を寄せました。
 良寛のお墓を実際に訪ねた時は、「僧伽(そうぎや)」という良寛の漢詩の大作の詩碑も見て来ました。図書館で僧伽の漢詩に出会った時は、その長さや詩の高尚さに驚いたものです。良寛は学問にも造詣が大変深かったのでした。
 良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」だと解釈して、子供達と遊ぶことを好み、かくれんぼや手毬をついたりしてよく遊んだといいます。名書家として知られた良寛でもありましたが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったそうです。子供達から「凧に文字を書いて欲しい」と頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書き、現在でもその凧は残っているそうです。
 お盆という古くからの心安らぐひと時に寄せて、思うままに書き散らしました。どうぞ皆様も最近の暑さに負けずに、良い日々を過ごされますように。最後に良寛が最も残したかった言葉ではないかと思われる辞世の句を載せて吾が身に言い聞かせたいと思っています。
 
 散る桜残る桜も散る桜


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする