ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

感動する心

2021年06月28日 | 随筆
 人間が生きて行くために何が必要なのか、最近ふと考えさせられる事がありました。体力なのか、気力なのか、助け合う心なのか、はたまた何が何でも頑張るという強い意志なのか。過去の歴史の中で「ナチスドイツの強制収容所で生き残った人はどういう人達だったか」について書かれた書物を思い出す機会がありました。

 アウシュビッツの収容所では捕虜達の食料は少なく、日々の使役は苛酷だったようです。多くの捕虜が飢えたり苛酷な使役に耐えられず痩せ細って死んでいきました。その凄まじい現状を密かに書き残した手紙(読んで貰えるのかどうか解らない手紙)を、彼らは監禁されていた捕虜収容所の部屋の入口の外の土中に埋め込んだりしたのです。
 そんな実物の手書きの資料が現在まで残っていて、現代社会で今も私達に語り継がれ、戦後に大勢の人達の証言が本になっています。
 私はきっと「強靱な肉体を持った人達が生き延びた」のだろうと勝手に思い込んでいました。ところが事実はそうではなかったのだそうです。残っていた僅かな事実を手繰り寄せて見ますと、最後まで生き残っていた捕虜は、決して肉体的に恵まれた体力を持ち、力がみなぎっていた人達では無かったと言うのです。
 土中から出て来た記録には、使役を終えて帰る時の夕焼け空がとても美しい事や、豪雨の去った後の空の青さ、そんな身近な美しさに心を引かれる捕虜達の救われる様な思いが記されていて、どのような苛酷な場面でも「美しいものを美しいと感じる心」の大切さをしみじみと感じさせられました。素晴らしい大自然の美しさに思いを馳せると、その様な美しさを感じ取る人間の感性の素晴らしさを思います。このように実は『感動する心』を持っていた人が、何とか長く生き延びてきたのだそうです。感慨深い話です。
 
 話は変わりますが、ロシアから引き上げて来られた方にお聴きした話ですが、非道な暴力行為を行ったロシア兵が、夕方帰営する時になると、隊列を組んでみんなで歌を歌い合唱しながら帰って行ったそうです。赤い夕陽に染まった満州平野の風景と彼たちのハーモニーが、きれいにマッチして不思議な感動を受けたそうてす。

 南洋で終戦を迎えた故郷の知人の日本兵達も、ひもじさを「歌を歌う」事で耐えたと聴きました。虎に襲われないように、決して列を外さずに隊列を作って歩いて帰ったと聞きました。私の実家の一軒隣家の主が、中国の南部から何百里となく徒歩で中国の北部の港まで帰って来たと直接聞いた事がありました。そんな帰途の行軍時に、口から零れ出たのが「軍歌」や「小学校唱歌」だったそうです。

 これは相対する話になりますが、優れた報道写真に与えられるピューリッツァー賞というのがあります。ハゲタカが今にも襲わんとしている一人の少女の恐怖に怯える写真が高く評価され、ピューリッツァー賞に輝いた事がありました。大きなハゲタカの前で動けない少女・今にも飛びかからんばかりのどう猛なハゲタカとの対峙の様子が生々しく見て取れる写真でした。
 ところがこの賞を授与された報道カメラマンは、「なぜ目の前の少女を助けなかったのか」と、写真を撮るのが先で少女を救おうとしなかった行為に対してゴウゴウたる非難が巻き起こり、その受賞者は耐えきれず後に自死しました。生か死か難しい場面を狙うのもカメラマンの使命かも知れませんが、私もカメラを投げ捨てて少女を救うカメラマンであって欲しかったと思いました。
  
 身の回りの美しい自然の景色だったり、忘れられない歌だったり、そのような事に人間は癒やされて、生きる元気が生まれるものなのですね。私も「感動する心や感謝の心」は最後まで持ち続けたいと思っています。
 時あたかもコロナウィルスに攻められて、人類は必死の戦いを挑んでいます。精神的・肉体的な苦渋に耐えている人も沢山居られるかと思います。でも幸いにも私達の周囲には、美術工芸・音楽・文学・自然美と感動させてくれるものが、沢山あります。この機会にじっくりと心に栄養を与えてやりたいと考えています。