珍しくお花見にでかけて来ました。桜の季節には手近な学校の桜並木や水道公園辺りで、満開の桜を眺めて写真を撮ってくるのが精一杯でしたのに、今年は何故か残り少ない人生だと思うと、一度くらいは遠くの桜の名所へ、お花見に出かけても悪くはないのではと思えて来ました。美しいということで有名な公園から川沿いの桜見物に、ウォーキングを兼ねて、わざわざバスに乗って出かけたのです。
お天気の良い日を見計らっての外出でした。桜は丁度満開で、ごく僅かに散り始めたばかりといったところでした。
樹齢何百年という桜ではなく、30~40年くらいの元気な桜が、すき間なく花を付けていて、実に見事でした。大阪の造幣局の桜のトンネルは有名ですが、ここの公園の桜は、園一帯が桜で、身の回りがピンク一色となり、見あげても青い空も見えず、ただただピンクに煙る桜に包まれているようで、何とも表現しがたい美しさでした。予想を遙かに超えた美しい桜に出会い、本当に至福の一時でした。
道続きの川の土手に出ると、歩行者専用の桜並木とチューリップが美しく、所々にあるベンチで一休みしつつ、身近な桜の美しさや、対岸の風景と満々と水を湛えた川の流れも楽しみました。思いがけず幸せな一日を頂きました。
隅田川の桜も有名で、船からの眺めが素晴らしと聞いていますが、何時か眺めて見たいと思いつつ果たせないままで居ます。日本人が桜を意識的に美の対象として珍重したのは、何時の頃からのことなのだろうか、と帰宅して一休みしてから、美術全集で調べてみたりしました。無学な私にはその答えは見つかりませんでしたが、国宝の尾形光琳の「紅白梅図」に見るように、長い歴史の中では、桜よりも梅が珍重された時代もあったのかと思います。
しかし、長谷川等伯の長子の久蔵の「桜図」もなかなかの迫力です。これはいずれも実物を見ています。豊臣秀吉が醍醐の桜を見物した話は有名ですが、パッと咲いてパッと散る潔さが、日本人の価値観や感性と一致するのかも知れません。特に散ることを惜しまない武士道の精神が、桜の散り際の美しさに引かれたのかも知れないと思ったりしています。
浮世絵にもしばしば桜が描かれていて、手元の美術全集には、石川豊信の「花下美人図」なども載っています。陶芸では、やはり江戸時代の仁阿弥道八(にんあみどうはち)の「色絵桜楓文鉢」など、鮮やかな色彩に惹かれます。小袖や帯、襖絵などに描かれた繊細な桜の図を見ていますと、これはこれでなかなか興味深く見応えがありました。
私たちがあちこちと旅行した中で強く印象に残っている桜は、奈良の室生寺へ行く途中の、大地にまで届く豪華な「大野寺のしだれ桜」です。ここには大きなカメラを担いだ写真家が大勢集まっていました。又、奈良の広大な長谷寺の、一山煙るような桜、そして京都の嵯峨野の桜、とりわけ二尊院辺り、竜安寺の桜園の濃いピンクの桜などです。哲学の道の桜は、地味ながら落ち着いた雰囲気が印象的でした。吉野の桜も見ていませんし、桜の咲く頃の旅行が少ないので、有名な福島県の三春の滝桜も知りませんので、見た限りの貧弱な体験でしかありません。
どの桜もやや木から離れた位置から眺めた桜であり、今回のように桜にすっぽりと包まれて眺めたのは、初めてでしたので、桜の美しさを再認識したのです。
帰りにはホテルのフレンチレストランでお昼を頂き、近くのデパートのプレイガイドで歌舞伎やコンサートのチケットを買って帰りました。一休みして疲れが取れたら、急にケーキを作りたくなって、趣味のチーズケーキを作ったりして、久しぶりに贅沢な時間を楽しみました。
あのピンクの微風に抱かれたような桜を思い出しながら、短い時間に多くの人々に感動を与えて散っていくのが、桜の「存在理由」なのかと今さらのように印象づけられた一日でした。
散る桜残る桜も散る桜 良寛
お天気の良い日を見計らっての外出でした。桜は丁度満開で、ごく僅かに散り始めたばかりといったところでした。
樹齢何百年という桜ではなく、30~40年くらいの元気な桜が、すき間なく花を付けていて、実に見事でした。大阪の造幣局の桜のトンネルは有名ですが、ここの公園の桜は、園一帯が桜で、身の回りがピンク一色となり、見あげても青い空も見えず、ただただピンクに煙る桜に包まれているようで、何とも表現しがたい美しさでした。予想を遙かに超えた美しい桜に出会い、本当に至福の一時でした。
道続きの川の土手に出ると、歩行者専用の桜並木とチューリップが美しく、所々にあるベンチで一休みしつつ、身近な桜の美しさや、対岸の風景と満々と水を湛えた川の流れも楽しみました。思いがけず幸せな一日を頂きました。
隅田川の桜も有名で、船からの眺めが素晴らしと聞いていますが、何時か眺めて見たいと思いつつ果たせないままで居ます。日本人が桜を意識的に美の対象として珍重したのは、何時の頃からのことなのだろうか、と帰宅して一休みしてから、美術全集で調べてみたりしました。無学な私にはその答えは見つかりませんでしたが、国宝の尾形光琳の「紅白梅図」に見るように、長い歴史の中では、桜よりも梅が珍重された時代もあったのかと思います。
しかし、長谷川等伯の長子の久蔵の「桜図」もなかなかの迫力です。これはいずれも実物を見ています。豊臣秀吉が醍醐の桜を見物した話は有名ですが、パッと咲いてパッと散る潔さが、日本人の価値観や感性と一致するのかも知れません。特に散ることを惜しまない武士道の精神が、桜の散り際の美しさに引かれたのかも知れないと思ったりしています。
浮世絵にもしばしば桜が描かれていて、手元の美術全集には、石川豊信の「花下美人図」なども載っています。陶芸では、やはり江戸時代の仁阿弥道八(にんあみどうはち)の「色絵桜楓文鉢」など、鮮やかな色彩に惹かれます。小袖や帯、襖絵などに描かれた繊細な桜の図を見ていますと、これはこれでなかなか興味深く見応えがありました。
私たちがあちこちと旅行した中で強く印象に残っている桜は、奈良の室生寺へ行く途中の、大地にまで届く豪華な「大野寺のしだれ桜」です。ここには大きなカメラを担いだ写真家が大勢集まっていました。又、奈良の広大な長谷寺の、一山煙るような桜、そして京都の嵯峨野の桜、とりわけ二尊院辺り、竜安寺の桜園の濃いピンクの桜などです。哲学の道の桜は、地味ながら落ち着いた雰囲気が印象的でした。吉野の桜も見ていませんし、桜の咲く頃の旅行が少ないので、有名な福島県の三春の滝桜も知りませんので、見た限りの貧弱な体験でしかありません。
どの桜もやや木から離れた位置から眺めた桜であり、今回のように桜にすっぽりと包まれて眺めたのは、初めてでしたので、桜の美しさを再認識したのです。
帰りにはホテルのフレンチレストランでお昼を頂き、近くのデパートのプレイガイドで歌舞伎やコンサートのチケットを買って帰りました。一休みして疲れが取れたら、急にケーキを作りたくなって、趣味のチーズケーキを作ったりして、久しぶりに贅沢な時間を楽しみました。
あのピンクの微風に抱かれたような桜を思い出しながら、短い時間に多くの人々に感動を与えて散っていくのが、桜の「存在理由」なのかと今さらのように印象づけられた一日でした。
散る桜残る桜も散る桜 良寛