ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

み仏の心を生きる人々

2013年11月22日 | 随筆・短歌
 この秋、娘のお墓参りの帰途、鎌倉の東慶寺と円覚寺へ立ち寄ったこと、その折り東慶寺の鈴木大拙博士のお墓の直ぐ傍の木にしがみついていた蝉の抜け殻を、そっと外して頂いて来たこと、コーヒー店の女性のご厚意で無事に我が家の床の間に到着し、緑のシダの葉に止まった形でビンに納まったまま飾られていることを書きました。
 その折りに円覚寺では無学祖元の開山法要が行われていて、管長さんの横田南嶺さんの法要のお姿をも拝見して来ました。私は円覚寺のブログ「居士林だより」を愛読させて頂いていますから、一層親しく感じられました。
 11月18日付けの居士林だよりに、横田南嶺管長様が、居士林で提唱されたことの纏めの中に「ランドセル俳人の五七五」を取り上げられて「抜け殻や声なきセミの贈り物」という俳句をひいておられました。
 私はこの小学生の俳句と、それをひかれた横田南嶺管長様のお話に強くひかれるものを感じました。
 思えば声なきセミの声として、様々な方々が偲ばれるのですが、中には既に鬼籍に入られた人、今もお元気でご活躍の方、そして生後1年を過ぎたばかりの幼児に、み仏の心を見る思いがして、胸が熱くなるのを感じます。
 一人目は、我が家の娘が幼い頃に原因不明の微熱が続き、お世話になった小児科医師です。何十年も元旦以外は休んだ事がなかったと言われる有名な医師で、心優しく怒った顔を見た人が居ない、と言われる温厚な方でした。娘が亡くなった時に、長野県の「無言館」の画集を何冊か、以前同じ病院に勤めていた夫に送って下さって、丁寧な慰めのお手紙を何通も頂戴しました。お手紙に依って初めて特攻の生き残りであるということを知りました。 重い過去を背負って生きて来られた先生の、無償の奉仕の精神の強さに触れた思いがしました。
 まだ医大の学生の頃に、朝登校の途中に、道端で野菜を売る老婆のお手伝いを毎日しておられたという話も聞きました。まだとても幼かった娘さんをあっという間に亡くされて、小児科の医師として我が子を助られなかった無力感に号泣され、ご自分を責められたこと。以来「実る程頭の垂れる稲穂かな」を地でいく医師になられました。院長になって欲しいと言われて「だったら病院を止める」と言って回りが困り果てた程で、さんざん口説かれてやっと最後は仕方無く院長を引き受けて下さった、名院長さんでした。子供たちには本当にみ仏の化身のように慈悲深く、有り難い人でありました。
 二番目は、これも夫と一緒に勤めておられた内科の医師で、後に院長に成られた人です。どんなにひどい熱が出ていても、診察日は決して休まず、よろよろと病院の柱に伝わりつつやっと歩いて、診察に出られる様子を夫が目撃したこともあるそうです。
 この方は、先の大戦の時に、南方に向かう軍用船に軍医として乗っていて、攻撃によって船が沈没して海に投げ出され、たまたま部下の手を引いて、暗い海を陸地に向かって泳いだそうです。しかし、疲労ますます激しく、このままでは二人とも沈む以外無いと判断して、致し方なく手を放してしまいました。二人ともその後も泳いでいましたが、いつの間にかその兵士の姿は暗闇の波間に消えてしまっていました。
 「あの時死ぬ迄手を放すべきではなかった。とうとう手を離してしまったことを思うと慚愧に堪えない。この償いをどうしたら良いか。せめて命を削ってでも患者さんの為に尽くすことが私の使命だ」と仰って、職務に励む姿は神々しいばかりであったということです。「なぜあの時もっと頑張れなかったのか、少なくとも自分は医師ではないか」という悔恨の思いが生涯を貫いて、自分の命よりも患者さんを大事にするようになったのだそうです。こんな院長に職員の総てが、尊敬の念を持って居たといいます。これも矢張りみ仏の心を持った人といえます。私は夫に何度もなんどもこの話を聞き、そのたびに涙が溢れました。
 もう一つは、つい先日のことです。私と夫が例のようにウォーキングをして、帰りにスーパーへ寄りました。スーパーの出口を出た広場に、おばあちゃんに連れられて1歳後半と思われる男の子がいました。よちよちと歩いて来たと思うと、満面の笑みを浮かべて、私の指を一本ギュッと握ったのです。可愛くて可愛くて、「良い子ねぇ」と思わず声が出ました。すると今度は夫の方に手を出しました。夫が大喜びで手を差し出すと、その男の子は今度はしっかり握手したのです。夫の喜びは云う迄もないですが、全く見ず知らずの老人夫婦と、ニコニコと握手をする姿は無心で、本当にみ仏そのものに思えました。孫を持たない私達には、こんな嬉しい出来事はありませんでした。
 男の子は笑顔で無心に歩きまわり、おばあさんがいることに安心しきっているようでした。するとそのおばあさんが「この子の将来がどうなるのか、とても心配しています」と仰ったのです。私はハッとしました。私は男の子が生まれた時「男のお子さんです」と知らせを受けて、最初は嬉しいばかりでしたが、やがて「この子が15歳になる頃に、徴兵制度が復活していないように」と祈る気持ちで過ごしてきたのです。ずっと長くその心配は続きましたが、ようやく徴兵の年齢を過ぎて、ホットしている処に、再びその心配が頭を出し始めた事に気づいてそのおばあさんの心配に心を痛め、私もまた暗澹たる気持ちになりました。
 昭和時代を生きて来た私には、言論統制・憲法改正・徴兵制度と、つい次々に連想されてしまい、加えて何万年までも消えない放射能汚染、それが又ベールに包まれる恐れ、南海トラフの地震の怖さなど、うち続く不安に、心がつまりそうになりました。
 無心な子供の笑顔はそのまま美しいみ仏のようですが、「どうかこのまま美しい心が持ちつづけられますように」と願わずにはいられませんでした。

円覚寺無学祖元の開山忌儀式に出会ひし秋の好日(実名で某紙に掲載)

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野球から受けた感動

2013年11月09日 | 随筆・短歌
 アメリカの大リーグのワールドシリーズが終わり、上原の力投が光りました。日本シリーズも楽天イーグルスが優勝して終わりました。今年の野球は、私のような野球の素人まで、ハラハラドキドキで面白く、感動の場面が沢山ありました。
 日本シリーズで楽天イーグルスが優勝して、喜んだのは東北地方の人ばかりではなく、全国の大勢の日本人が楽天を応援していたと思います。大災害の後でしたから、「東北頑張れ」という気持ちが大きかったのではないでしょうか。そしてそれが実現して、東北の人々の多くは「自分達にも出来るんだ」との自信と勇気を与えられ、災害から立ち上がる元気が、新たに生まれたことでしょう。
 楽天優勝の翌日にスポーツジムへ行きましたら、楽天優勝を喜ぶ人達で盛り上がっていました。普段は野球の話などしたことがない人も、大いに話し、喜ぶ姿に私は感動すら覚えました。やっぱり日本人は、温かい心をもった人が多いのだなぁ、と思ったからです。巨人ファンの人も多かったと思うのですが、その人達の中にも、今回ばかりは楽天応援という人もいたのでしょう。
 楽天が3勝2敗で仙台に帰り、次はエース・マー君で楽勝と思えましたのに、調子を狂わせたマー君が、9回まで続投する過酷なゲームを投げ抜き、結局その戦いは敗北してしまいました。戦績が五分になった時、私は巨人に優勝が傾いたと思いましたが、どっこい最後まで諦めない東北人の粘りを発揮して、とうとう優勝をもぎ取ったのでした。最後の締めくくりも、田中投手が前日の疲れも見せずに登板して、最後をカラ振り三振で優勝しました。
 家族で手に汗を握って見ていましたので、優勝の瞬間は、私は思わず拍手をして喜び、みんなで良かった良かったの連発でした。
 我が家は以前から野村監督の大ファンであり、以前日本の野球を見ていた頃は、ヤクルトをそして阪神を応援していました。野村監督が楽天に移り、以来日本の野球では楽天を応援していました。
 近年はもう日本の野球は見なくて、専ら大リーグ一本でしたから、最近の日本の野球はどのチームが優勝したか、ということさえ覚えていない位でした。仙台へ旅行に行った時も、駅に楽天グッズのショップがあり、何となく親しみを感じて眺めた程度です。
 今年は大リーグがとても面白くて、ハラハラドキドキの毎日でずいぶん楽しませてもらいましたし、日本人選手には、特に力を入れて応援していました。大リーグが終わりこれで又来年三月まで野球の楽しみはお預けと思っていましたら、日本シリーズに向けて、楽天が勝ち残りました。そこで何年ぶりかで日本シリーズを見る気になりました。
 去年の8月以来勝ち続けという田中将大投手の大活躍がありました。勝つためには、ピッチャーの力だけではなく、チャンスに強い打線があって、守りの堅さもないと出来ないことです。ですから、きっとチーム一丸となって戦っていたのでしょう。  
 今回は星野監督が率いましたが、キャッチャー出身の野村監督がキャッチャーの嶋選手を育て、田中将大という稀な才能のピッチャーに恵まれて、選手一同の気持ちがピッタリと合い、加えて東北の熱い応援があって、なるべくして成った優勝だったと思いました。
 優勝した時に、あの大震災後の、嶋捕手の挨拶の一部が放映されて、強い感動を受けると共に、一層勝って良かったという思いが、体を駆け巡りました。
当時有名になった嶋選手の挨拶を以下にご紹介いたします。

嶋基宏選手 2011年4月 公式戦を前にしてのスピーチ

「あの大災害、本当にあった事なのか・・・、今でも信じられません。僕たちの本拠地であり、住んでいる仙台、東北が今回の地震、津波によって大きな被害を受けました・・・。地震が起きた時、僕らは兵庫県で試合をしていました・・・。家がある仙台にはもう1ヶ月も帰れず、横浜、名古屋、神戸、博多、そしてこの札幌など全国各地を転々としています。先日、私達が神戸で募金活動をした時に、「前は私たちが助けられたから、今度は私たちが助ける」と声をかけてくださった方がいました。今、日本中が東北をはじめとして、震災に遭われた方を応援し、みんなで支え合おうとしています。.
 地震が起きてから、眠れない夜を過ごしましたが、選手みんなで「自分達に何ができるか?」「自分達は何をすべきか?」を議論し、考え抜きました。.
 今、スポーツの域を超えた「野球の真価」が問われています。.
見せましょう、野球の底力を。見せましょう、野球選手の底力を。.
見せましょう、野球ファンの底力を。共にがんばろう東北!.
支え合おうニッポン!.
 僕たちも野球の底力を信じて、精一杯プレーします。被災地のために、ご協力をお願いいたします。」

 スポーツマンらしい、すがすがしく力強い、何と言う素晴らしい挨拶でしょう。その宣言通りに、楽天は優勝し、東北に元気をもたらし、日本は東北の復興の為に手を携えようとする気持ちで一つになったとも言えます。
 私は今までスポーツは社会生活と切り離して、一種の娯楽として見て来ました。しかし、今回の楽天の優勝と田中投手の力投、そして嶋捕手の心を打つスピーチを通じて、何事であれ全力で取り組む姿は、観る者に多くの感動と自信を植え付ける偉大な力を与えるものである、と改めて考え直しました。
 海を渡って大リーグへ行った選手達も、素晴らしい働きをしました。オバマ大統領が上原投手を評して、素晴らしい投球だと絶賛しました。もう今から来年4月が待ち遠しいです。

野球観戦心激しく揺れし日は親しき友に長きメールす(あずさ)


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