ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

ものごとの本質を見失わないで欲しいテレビ

2011年01月28日 | 随筆・短歌
 もう既に古いのかも知れませんが、草食系男子とか、肉食系女子という言葉が流行りました。草食系男子とは一般的に温和しくひ弱な男性を指すらしく、肉食系女子とは、元気一杯で活動的な女性を指すようです。
 私には、この言葉は侮蔑に聞こえます。そして又この様な表現の仕方は、適切ではないと思っています。農耕民族である日本人は、太古から主として草食だった筈です。精進料理といって、現在でも宿坊でもてなされていて、これはこれで正統な日本食です。むしろコレステロールの多い食事よりヘルシーだと、最近は高く評価されているくらいです。
 少し話を変えますが、毎年終戦記念日が近づくと、決まって戦争の体験が語られる番組が放映されます。私たちもこれを沢山録画しておいて、夜のビデオやテレビ番組の空き時間に見ることにしています。実話ですから胸を打つものがあり、見終えた後には何時も辛い気持になり、また現在の平和な日本を有り難いと思います。
 先の大戦では、名誉の玉砕をしたということになった為に、生きていることが許されなかった兵士達、特攻隊として散って行った弱冠十代の若い人々、飢餓の島から生還した人々、激しい闘いの中を生き抜いた人々、沖縄の終戦時の悲劇等、どれ一つ取っても重く悲しく、そして今でもその事実を語る人々は、自分が生き残った事に罪の意識さえ持って苦しんで居られます。戦争は何と大きな悲みと犠牲を生むことでしょう。しかし、その人々のお陰で私たちの今が在ることも、忘れてはなりません。
 その人達は、戦時中ですから、口に入るものは、殆どが植物だったはずです。即ち正しく草食系の人達だったはずなのです。その人達のように、激しい闘いに勇敢に散っていった人々や、耐えて生き延びてきた人々を、ひ弱な草食系といえるでしょうか。兎角お笑いに終始するらしいバラエティーという番組の中から生まれる、こういった軽薄な中身の無い虚しい言葉を、やたらに作り出して欲しくはありませんし、耳にしたくもありません。
 お笑いタレントは、頭の回転が速く、私のようにユーモアのセンスを持ち合わせていない、愚鈍な人間に比べて、優れているとしばしば感心するのですが、勢い余って不思議な言葉を生み出すのは頂けない思いです。
 テレビ局は率先して、正しい言葉や知識を教える番組作りに、是非力を入れて欲しいと思います。例えば、子宮頸ガンはウィルス感染であること。セックスの経験の無い子宮頸ガン患者は、今まで一例も無いということ。B型肝炎は、使い廻した注射針や汚れた血液製剤で感染したのですが、そういうことのない今は、大部分が性感染だということを、何故もっとはっきりと報道しないのでしょうか。現在では、医療関係者や救急関係者、事故や希に渡航者にありますが、その他は概ね性感染だと言われています。
 B型肝炎は、20~30%が急性肝炎で、1~2%が劇症肝炎となり、危険な状態に陥るそうです。そういう正しい知識を教えずに、14歳以上の女子に、子宮頸ガンの予防注射を義務づけるということは、考えものだと思っています。まるで青少年にフリーセックスを暗に認めているようで、私は本末転倒だと思っています。予防医療を悪いと言っているのではありません。未成年にも正しい知識をしっかり教えるべきだと言いたいのです。
 「私は子宮頸ガンです」と大っぴらに告白していた女優さんもいましたが、無知なのか、正しく理解してのことなのか首を捻りました。
 厚生労働省も、医療費を抑えるためにか、むやみやたらに効くかどうか解らないサプリメントのコマーシヤルの垂れ流しを野放しておかないで欲しいものです。例えば関節の痛みに呑むヒアルロン酸というのがありますが、「関節痛に良く効く」とテレビで言っているのは医師ではなく、素人や女優さんに言わせています。ヒアルロン酸は、現在注射以外は、効果が認められないのだそうです。医師が保証している訳ではない、とメーカーは逃げ道を作っているのでしょうが、効果の証明されていないものを効くと言って売るのは、詐欺に近いと思われます。家計の支出をそんな風に使うより、むしろ消費税として支払って、きちんと医療や福祉に使用して貰う方が、国民の幸せに繋がるのではないか、と考えるのは甘いのでしょうか。
 薬効について言う場合は、正しいデータに基づいて厚生労働省が認めた物に限って許されるという法律があったように思うのですが、そちらの方はどうなったのでしょう。 「誇大広告」も今や言論の自由、報道の自由とかで、野放しの時代になったのでしょうか。「言論の自由」とは、その言論が国民にとって有益な場合にのみ言える言葉だと思っています。偏向放送も国民の意思を知らず知らず蝕みます。青少年の漫画が、過激な性描写をしていると、東京都はこれを規制しましたが、私は大賛成です。業界は表現の自由たど言っている様ですが、もたらされる甚大な被害や汚染に、どう責任を持つ積もりなのでしょうか。売れさえすればよいというエゴが丸出しです。
 サッカーで日本の若者が決勝戦に臨むことになりました。優しい心を持っていると思われるあの青年達を、もう草食系などとは言えないでしょう。
 いつものように脱線しました。一日ずつ春が近づいている事だけは、事実です。辛抱強く春を待つことにしましょう。

老いゆけば自縛は次第にほどけゆき水仙の花芽伸びる気配す (本名で某紙に掲載)


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映画「ドライビング・ミス・デージー」に見るモーガン・フリーマン

2011年01月21日 | 随筆・短歌
 もう10年も前になりすが、レンタルビデオで観た「ドライビング・ミス・デージー」のモーガン・フリーマンがとても印象深く、以来私は彼の熱烈なファンになってしまいました。最近は、昔見た映画で感動した作品を時々織り交ぜて見るようになりました。「ドライビング・ミス・デージー」も心に残った作品でしたので、過日テレビで放映されました際に、再度観る事が出来ました。
 あらすじは、教員だった夫人(デージー)が退職して夫を失い、大きな家にメイドさんと二人きりで住んでいます。ところが自分が運転する高級車をバックさせて壊してしまいます。親孝行の息子(父親の後を継いだ会社の社長)は、もう運転は無理だと、母にお抱え運転手として、黒人のホーク(モーガン・ンフリーマン)を雇うのです。ところがデージーは「そんな贅沢なものは必要ない」の一点張りで、なかなか受け入れようとしません。ひょうひょうとしてあくまでも温かく接し、明るく話し掛けるホークに、やがて頑なだった老婦人デージーも心を開くようになっていきます。
 そうして、二人の間には、何物にも代え難い温かい友情と絆が生まれていくのです。停電になった極寒の朝に心配して駆けつけたのも、また年を取って認知症気味になったデージーの異常に誰よりも速く気付いたのもホークでした。更に年を経て、老人ホームで暮らすようになったデージーの元を尋ねたホークに「貴方は私の一番の友達」と言わしめるまでになるのです。ケーキを一口ずつ口元に運んでもらって、安心しきって美味しそうに食べている、老いて小さくなったデージーと、白髪のホークとの温かい心の交流のラストシーンには思わず涙しました。人間は相手への思いやりを深めていけば、ここまでいけるのだと大変感動しました。同時にモーガン・フリーマンの演技力に、再び魅せられたのでした。
 多くの映画ファンの方はご存じだと思いますが、モーガンフリーマンは、この作品でアカデミー賞の最優秀助演男優賞に輝いた人です。更に近年では、「ミリオンダラー・ベィビー」で受賞したり、「最高の人生の見つけ方」という、これも感動深い作品に出演しています。「インビクタス / 負けざる者たち」ではネルソン・マンデラを演じていますが、このネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の「自由への長い道」と題した原作を、もし映画化するとしたら誰に演じて貰いたいか、との質問に、元大統領は「モーガン・フリーマン」の名を挙げ、その縁で彼が演じたものだと聞いています。
 私たちの記憶にも残ってますが、南アフリカがオリンピックのラグビーで奇蹟の優勝を果たした時、多様な人種の国民の心が、ラグビーというスポーツを通して一つに溶け合った感動のドラマです。
 人種の平等が言われて久しいですが、「ドライビング・ミス・デージー」でも、キング牧師が「もう黙っているのは止めよう」と語りかけ、「いけないのは良識ある人が無言でいることだ」と言う演説を、ホークがデージーを送ってきた車の中で、一人じっと耳を傾けている姿がありました。この言葉は現代を生きる私達にも、そのまま通用するメッセージだと、深く心に残りました。
 少し横道ですが、名優アンソニー・ホプキンスは、アクターズスクールの役者の卵への講演で、「役柄の本人になりきる為には、脚本は250回以上読み返す」と言っていました。その努力があってこそ、「羊たちの沈黙」や「日の名残り」など正反対のタイプの作品の主人公を見事に演じ分けて、私たちを感動させてくれるのだと知りました。
 ところで、あの「日の名残り」は、カズオ・イシグロという人の同名の原作の映画化だとは知りませんでした。自分を愛してくれている女中頭に「愛している」と言えずに、ひたすらご主人様の有能な執事として励み、一生独身で過ごすことになる物語なのですが、何となく古い時代の日本人気質に似たものを感じていました。余りにも日本人的な価値観が、悲恋へと繋がっていくこのドラマのラストシーンにも涙しました。
 モーガン・フリーマンは、何度も「もう俳優を止めよう」と思ったか解らない。けれどもここまで頑張って来られたのは「自分の友人と神様から貰った運命」だと言っています。
 もう止めようと思うたび毎に、友人から、「諦めるな」と励まされ、「不思議な偶然が重なって」此処まで来られたのだと言っているのです。
 そんな話にも感動する、涙もろい歳なのでしょうか。毎日夜は、映画か、夫が選んだテレビ番組という生活は、時間の無駄遣いで勿体ないと思っていた時期もありました。今は毎週土曜日には、翌週のテレビの予定を調べて「何枚のビデオを借りる」と決める夫と共に、レンタルビデオ屋さんで映画選びをするのが楽しみな私です。

モーガン・フリーマンの柔和な瞳に引き込まれ映画に融け入る冬の独り居 (実名で某誌に掲載)
 

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各界に増殖してきた駄々っ子たち

2011年01月14日 | 随筆・短歌
 最近いかにも駄々っ子と思われる国家や人が多く見られるようです。北のさる国は、アジアの大国を味方にして、世界を相手に、益々駄々っ子と化しています。自分の非を認めず、他人の意見に耳を傾けず、許されざる行為の原因を全て他人のせいにすり替えて、自分の主張のみ通そうと我を張る人を駄々っ子と言います。それは自我に目覚めた頃の、幼い子供に良く見られるものです。
 けれども最近は、我が国においても、県単位で、或いは大物政治家と言われる人にも見られるようになりました。
 いわく、「もう生きるのもいやになった。全ては社会が悪いからだ。だから不特定多数の人を殺して自分も死ぬ」とか、さる県では「県内のどの駅にも新たに敷設される新幹線の全車輌を停車させよ、さもないと分担金を支払わない」と言って近隣の各県に迷惑をかけて平然としています。また、80%の国民が説明を求めているのにこれを無視して、何とか国会での説明を逃れようとして、あがく国会議員がいると思えば、これを支援する国会議員も多数いるという、何とも不可思議な政治家が増えて来ました。こんな国や県や人を見ていますと、本当に情けなくなると同時に、これから先はどうなるのかと心配になってきます。
 温和しい国民もそれぞれに意見は持っていますが、ごり押しするものが勝ちというのでは、何時まで経っても良くはなりません。また、それに味方したり、歩調を合わせる人や国は、矢張り自分の利益になるかどうかが最優先の行動基準となっているようです。 「もう子育てはいやになったから、子どもだけ捨てて出て行く」「幾つかの県にとっては良い事であっても我が県が困るから、裁判所の判定に異議を申し立てる」「言うことを聞かないと核兵器を使うぞ」 
 いやはや、なんと自分勝手な物言いでしょうか。次第にこういった戦術?がはばをきかせるようになって、おとなしい善人がおろおろしています。多くの人間が正しい心を持っていると信じていますから、いつかきっとこれは何処かで修正される時代が来ると思っています。けれども諦めて見逃していたら、何時まで続くか解りません。
 最近タイガーマスクの名前などを借りた善意が、多くの施設に届けられるようになったとニュースで話題になっています。善意も集まると、大きな力になります。でもこの善意は多分一般の個人で、ささやかな暮らしの中で行っていて、けっしてお金持ちではないのではないかと、感じていますがどうでしょうか。
 政党を解党した時に、党の数億円というお金を、自分の支持母体に当たる団体に入金した人もいると聞いています。その人がこのような活動をしていると聞いたことはありません。ご母堂から数億円の贈与があったのに、知らなかったからといって贈与税を支払わず、それが問題になった後で支払った人がいました。贈与を受けて5年以上経っている時効の分だといって、納付した税金のうち可成りの大金が戻ってきたのだそうですが、そのお金を寄付したとは聞いていません。「せめて寄付する良心があればね」と我が家では話題になりました。こういう金銭感覚の人は、庶民の暮らしが少しでも楽になるような政策など考えることが出来るものでしょうか。
 年金がスライド制で少なくなるかも知れないと聞きました。現役の方々が厳しい労働に耐えながら、給料を低く抑えられているのですから、私達のような年金生活者も、一ヶ月200円の減額は何とか工夫して暮らすことは可能なのではないか、と思います。高額所得者の方達は、少し沢山税金を取られても、それで救われる人のいることを思いやって欲しいところです。
 私達も少ない収入ですが、何か災害があると、家族全員で必ずお互いにポケットマネーを出し合って寄付します。去年もハイチの地震に始まって、夏には奄美大島の災害に義援金を送りました。その都度差出人は、家族代わる代わるの名義にしています。このような習慣はもう何年も続いています。
 去年は秋の終わり近くになって、突然奄美大島の市長さんから、丁寧な礼状が届きました。自筆の手紙のプリントでした。日赤を通すと、領収書の欲しい人には下さるのですが、僅かばかりなので申し出ません。でもこうしてささやかな気持にお礼状が届くと、私達の心が確かに届いたと思えて、とても嬉しいものだということが分かりました。こんなささやかな行為が、良いことをした後の満足感を与えてくれます。
 きっとタイガーマスクを名乗る人達も、ささやかな暮らしに感謝出来る人に違いないと思っています。こういうニュースが、多くの人々の心の善意を引きだし、力付け、大きく広がっていけば、駄々っ子のような人や国も利己的な事ばかり言ってはいられなくなるのではないでしょうか。そんな思いで過ごしています。
 今日も又この国のあちこちで、タイガーマスクの名前などを名乗る人達が、活躍していることでしょう。日本人の心の中にこのような温かい心を持った人達が沢山いることを知って、新しい年におおいに希望を抱く気持が湧いてきました。もう少し生きながらえて、この国がもっと多くの善意の人達によって支え合う、素晴らしい国であることを確かめたい気持が芽生えてきました。

温かき灯ともす心に励まさる紅梅の咲く季節(とき)近からん (あずさ)

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賀状に誘われて

2011年01月07日 | 随筆・短歌
 少しずつ減って来ていますが、今年も結構沢山の方から、年賀状を頂きました。気早の夫にせき立てられて、11月の終わりには、もう殆ど書き上げてあった賀状を、12月15日が来るのを待って近くの郵便局で投函しました。
 賀状は儀礼的だといって嫌う人も居られますが、私は年一回でも旧交を温め、消息を知って安心する上で、とても嬉しいものだと思っています。書く時も心を込めて書いている積もりです。
 一番長く賀状を交換している人の中に、高校時代の恩師が居られます。私が担任をしていただいた時にご結婚されて、クラスみんなで御祝いしたことを覚えています。その後ずっと絶えることなく賀状を交換して頂いています。さる高校の校長先生で退職されたのですが、奥様に先立たれてとてもお気の毒な時期もありましたが、今は悠々とした心の安らぎの時を、あるホームでお過ごしです。
 ずっと絵画を趣味とされていて、退職後の賀状には、ご自分の描かれた絵画を印刷してあります。ソフトタッチの柔らかく温かな色合いの絵で、お人柄がそのまま現れていると何時もそう感じています。住んでおられた市の周辺を描かれて絵画展に入選されたものや、折々に尋ねられた場所や、愛犬と自画像など、年ゝの賀状は何時も温かいものでした。
 私は、と云うと、夫が「これでよい」と言って聞かない「もう何年も同じゴム印」の賀状です。以前は、私が作るプリントゴッコに依るシルクスクリーンのものだったのですが、いつの間にか主導権を握られてしまいました。その代わり空きスペースを沢山残して、一人一人に心を込めて書き入れます。「自分の気持ちをどう伝えるかが大切なんだよ。色柄なんてどうでも良い」と言い張る夫に従いながらも、正直言って何となく気が引けます。
 大切な友人の賀状や、貴重な自作絵画や写真や絵手紙の労作は、矢張り想い出として別にして残しています。
 先頃夫の友人が心臓のバイパス手術をした年が何時だったか、ということになり、私が退職してから付けている日記を調べました。もう25年位前から書き始めた日記から探すのですから、読み始めたら止めることが出来なくなってしまいました。時まさに子供達が進学や就職、義父母の死、実母の介護などがあり、ここまでの人生で一番大変な時期でした。夫は公的にも多忙な時期であり、私は私で忙しく、喜びも悲しみもぎっしりつまった日々でした。すっかり忘れていた事柄も書いてあって、二日程虜になってしまいましたが、往時がありありと甦ってきて、けっして無駄な二日間ではなかったのです。
 夫も退職してから、日記を付けるようになり、大学ノートに書いています。私のは、3年日記が主なので、ごく僅かな事しか書けません。夫は非合理的だと笑います。けれども前の年に何をしていたか、良く解るところが気に入って、今年も3年日記です。私の日記の記録が不十分な場合は、夫が日記を出してきますが、それには、時刻から感想まで微に入り細に渡って書いてあります。家族や親戚の病気の様子や、外出の時の様子など良く解って、大変役立つことが多いのですが、それを読み上げる時の夫の顔は、実に嬉しそうです。
 話がそれてしまいました。絵も文字も、目も言葉も全て人そのものを表します。隠そうと思っても隠しおおせるものではありません。「目は口ほどにものを言い」とか、「書はその人を表す」と古人も言っています。 けれども必ずしも上手い文字が良いと言うことではありません。俳優にしても個性が豊かで、どうにも一筋縄ではいかないと思われる人がよい演技をします。曲がった木の曲がりを上手く使ってこそ優れた大工だと、古代建築の技法の復興に貢献された、宮大工の棟梁「西岡常一さん」も言っておられました。
 私もへそ曲がりですから、操っている夫の操縦が優れているのか、それとも操られていると思われる私の操縦が上手いのか、何とか今年も無事に迎えています。今年は取り分け周囲の皆さんに支えられて、もう二度と食べられないような仁左衛門のおせちも出来て、初日の出を拝んで、新しい年を迎えることが出来ました。家族して感謝しながら穏やかな日々を歩き始めています。どうぞ今年も宜しく御願い申し上げます。

 元日や上々吉の浅黄空 (小林一茶)

 元旦の空穏やかに明けゆけりこころ豊かに生きんと誓う(あずさ)

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