突然のアクシデントに見舞われると、誰もが咄嗟には呆然自失の状態になります。先日私もそのアクシデントに襲われました。一緒に買い物に出掛けていた夫が、少し下り坂になっているスーパーの駐車場への近道で倒れたのです。前のめりでしたので、額が割れて出血し起き上がれないので、どうしたらよいか気が動転したまま、私は目の前の医院のブザーを押していました。
丁度その日は日曜日でしたのに、医師が直ぐに出て来られ、たまたま近くを通りかかった若い女性が、自らの判断で救急車を呼んでくださいました。
医師はてきぱきと救急隊員に状態を観察しながら説明「意識はある、傷は縫合の要あり、脳外科が専門の○○病院で検査するのが良いだろう。血液サラサラの薬を飲んでいるそうだが、頭だから止血が上手く出来ないと後が怖い」と仰って居られ、救急隊員がメモして聴いて、本部へ連絡しているようでした。
その結果、多くの人々にお世話になって、○○病院の脳外科に入院し、頭蓋骨の右側の登頂部近くに、ドリルで穴を開けて、溜まった血液を一日以上かけてゆっくり抜き出すことになりました。穿頭ドレナージという手術です。「順調にいけば約一週間先の23日(月曜日)には退院出来るでしょう」とのことで、家族一同ホッとしました。正式な病名は、慢性右硬膜下血腫と説明がありました。頭の右側に血液が溜まり、脳を圧迫したので、左側の体に異変が起きたのです。左側の足を引きずったり、左によろめいたり、転んだりするようになっていました。
一般に転倒して頭を打って、2ヶ月ほどして血腫のための症状に気付き、初めて診察して貰うことになる人が多いようでした。原因が突き止められないままに死に到る人もあるのだそうです。夫も初めは筋力が歳と共に落ちてきたのかと、フイットネスジムへ入会したりしていました。入院先の医師の聞き取りと、丁寧な説明をお聞きして解ったのですが、夫が凍結した道路で転倒して頭を強打し、今回の転倒・手術に繋がったのでした。それは一月下旬の出来事だったと自宅へ戻って日記を調べて納得しました。
夫は出会った多くの皆さんのご好意により、運良くテキパキと手術をして頂き、優秀な医師と看護師のチームワークで、予定通り退院できました。元もとは血腫の為にフラフラしていたりしただけですから、血液を抜いてからは、やや体力は落ちましたが、口は達者で、看護師さんたち周囲の人々を笑わせてご機嫌でした。
今回の経験から、健康のありがたさを改めて感じました。義父母が入院していた頃とは、医療も看護も大きく変わり、電子カルテで管理されるようになっていて、看護師さんたちは、全員パソコンを台に乗せて、回ってこられました。3日程、感染症予防の点滴等があったりしましたが、その後は自分で用足しも出来、看護が行き届いていて、私達家族は特別何もすることもなく、長い病院の一日の退屈を凌ぐ話相手でした。
しかし、病院から帰宅して、食事も済ませ、夜が深まって来ると、容態が変わっていないか、と不安の虜になってしまうのです。翌朝早くに病室に駆けつけて、元気な顔を見て、ホッとして一気に力が抜けていくという、毎日そのような日々の繰り返しでした。
「この時期にこんな経験が出来たことは、今後の人生に健康面からの警告となり、少なくとも一層転倒に気を配り、一日一日を大切に生きなければならない」と改めて思うようになりました。同時に周囲の人々の優しさに接して、「人には優しくしなければならない」と一層強く思うようになり、有り難い経験をさせて頂いたと思っています。
今迄夫が助けて呉れていた家事なども、息子が率先してするようになったり、家族の団結が一層強まりました。いたわり合いが行き届き、今ある幸せに感謝の念すら湧いて来たのです。
退院後になった所もありましたが、それぞれお世話になった方達の所へ出向いて、感謝の気持ちをお伝えすることが出来ましたし、今迄全く見知らぬ人であった人達に、「良かったですね」と喜んで頂いたり、人との出会いや繋がりに、これ程感謝出来たことを家族で喜び合いました。
「有り難う」という言葉が多用され、喜びや感謝が共有できる幸せをこのように強く意識したのも、嬉しい事でした。「禍(わざわい)転じて福となす」という諺を身を持って体験出来たのです。今は目に見えて回復し歩き方も正常になった夫と共に、以前よりも一層濃い家族の団らんが展開されています。
全く私的なエピソードの報告になりましたが、病院へ毎日通ったり、変則的な生活にすっかり疲れましたが、次第に自己本位になっていく今の社会に、絶望的な気持ちを抱きがちな私でしたが、日本人の心の本質は、まだまだ他人への温かい配慮が息づいていることを教えて貰い、安心することが出来ました。
この事は、大きな収穫でした。これからはご恩返しの積もりで、出来る限り心配りをしながら生きて行きたいと思っています。
丁度その日は日曜日でしたのに、医師が直ぐに出て来られ、たまたま近くを通りかかった若い女性が、自らの判断で救急車を呼んでくださいました。
医師はてきぱきと救急隊員に状態を観察しながら説明「意識はある、傷は縫合の要あり、脳外科が専門の○○病院で検査するのが良いだろう。血液サラサラの薬を飲んでいるそうだが、頭だから止血が上手く出来ないと後が怖い」と仰って居られ、救急隊員がメモして聴いて、本部へ連絡しているようでした。
その結果、多くの人々にお世話になって、○○病院の脳外科に入院し、頭蓋骨の右側の登頂部近くに、ドリルで穴を開けて、溜まった血液を一日以上かけてゆっくり抜き出すことになりました。穿頭ドレナージという手術です。「順調にいけば約一週間先の23日(月曜日)には退院出来るでしょう」とのことで、家族一同ホッとしました。正式な病名は、慢性右硬膜下血腫と説明がありました。頭の右側に血液が溜まり、脳を圧迫したので、左側の体に異変が起きたのです。左側の足を引きずったり、左によろめいたり、転んだりするようになっていました。
一般に転倒して頭を打って、2ヶ月ほどして血腫のための症状に気付き、初めて診察して貰うことになる人が多いようでした。原因が突き止められないままに死に到る人もあるのだそうです。夫も初めは筋力が歳と共に落ちてきたのかと、フイットネスジムへ入会したりしていました。入院先の医師の聞き取りと、丁寧な説明をお聞きして解ったのですが、夫が凍結した道路で転倒して頭を強打し、今回の転倒・手術に繋がったのでした。それは一月下旬の出来事だったと自宅へ戻って日記を調べて納得しました。
夫は出会った多くの皆さんのご好意により、運良くテキパキと手術をして頂き、優秀な医師と看護師のチームワークで、予定通り退院できました。元もとは血腫の為にフラフラしていたりしただけですから、血液を抜いてからは、やや体力は落ちましたが、口は達者で、看護師さんたち周囲の人々を笑わせてご機嫌でした。
今回の経験から、健康のありがたさを改めて感じました。義父母が入院していた頃とは、医療も看護も大きく変わり、電子カルテで管理されるようになっていて、看護師さんたちは、全員パソコンを台に乗せて、回ってこられました。3日程、感染症予防の点滴等があったりしましたが、その後は自分で用足しも出来、看護が行き届いていて、私達家族は特別何もすることもなく、長い病院の一日の退屈を凌ぐ話相手でした。
しかし、病院から帰宅して、食事も済ませ、夜が深まって来ると、容態が変わっていないか、と不安の虜になってしまうのです。翌朝早くに病室に駆けつけて、元気な顔を見て、ホッとして一気に力が抜けていくという、毎日そのような日々の繰り返しでした。
「この時期にこんな経験が出来たことは、今後の人生に健康面からの警告となり、少なくとも一層転倒に気を配り、一日一日を大切に生きなければならない」と改めて思うようになりました。同時に周囲の人々の優しさに接して、「人には優しくしなければならない」と一層強く思うようになり、有り難い経験をさせて頂いたと思っています。
今迄夫が助けて呉れていた家事なども、息子が率先してするようになったり、家族の団結が一層強まりました。いたわり合いが行き届き、今ある幸せに感謝の念すら湧いて来たのです。
退院後になった所もありましたが、それぞれお世話になった方達の所へ出向いて、感謝の気持ちをお伝えすることが出来ましたし、今迄全く見知らぬ人であった人達に、「良かったですね」と喜んで頂いたり、人との出会いや繋がりに、これ程感謝出来たことを家族で喜び合いました。
「有り難う」という言葉が多用され、喜びや感謝が共有できる幸せをこのように強く意識したのも、嬉しい事でした。「禍(わざわい)転じて福となす」という諺を身を持って体験出来たのです。今は目に見えて回復し歩き方も正常になった夫と共に、以前よりも一層濃い家族の団らんが展開されています。
全く私的なエピソードの報告になりましたが、病院へ毎日通ったり、変則的な生活にすっかり疲れましたが、次第に自己本位になっていく今の社会に、絶望的な気持ちを抱きがちな私でしたが、日本人の心の本質は、まだまだ他人への温かい配慮が息づいていることを教えて貰い、安心することが出来ました。
この事は、大きな収穫でした。これからはご恩返しの積もりで、出来る限り心配りをしながら生きて行きたいと思っています。