ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

子供達の声が消えて

2019年04月21日 | 随筆
 いつの間にか私達の住んでいる団地から、子供達の声が消えました。全く子供達が居ないわけでは無いのですが、屋外で遊ぶ姿が見られなくなったのです。わが家の近くの二つの公園も、ブランコが暇そうにして、もう久しくだれ一人遊ぶ姿は見かけません。
 花が植えられた美しい公園には、夕方になると近くの老いたご婦人達がベンチに数人集まって、話に花を咲かせていますが、昼間は子どもをあやす若い母子の姿も全く見かけず、車の通りの少ない道路で自転車を乗り回す元気な男の子も消え、一体子供達は何処へ行ってしまったのかと思います。
 わが家へは、毎月一回菩提寺の住職が来られて、仏壇の前で先祖の回向に読経をして下さいます。私達は夫の両親と子供二人を加えて大家族ですごしましたし、先祖代々の菩提を弔うのは長男である夫の勤めだと、そう信じて過ごして来ましたし、私はお花を絶やさないように、気をつけています。
 現代人の宗教心が薄くなったのか、世帯交替で菩提寺を引き継いでいないのか、この団地に住んで50年程になりますが、月参りのお坊さんの姿も滅多に見かけなくなりました。
 私達が子育ての頃は、どの子供もピアノを習い、あちこちからピアノの音が流れて来ていました。でも今は、そのピアノの音も絶えてしまいました。
 空き地で草野球やサッカーの元気な男の子も消えました。単身赴任から帰ってきた夫が、息子と同級生や近所の子供達を集めて、草野球をしていた頃が懐かしいです。
 近くのコミュニティセンターの和室で、男性は囲碁・将棋をしたり、二階の部屋で習字やコーラスのお稽古をしていた女性達もいましたが、機密性の高い建物になったせいか、音が聞こえなくなって、何だか寂しく静かな団地と化しています。  
 小学生二人を持つ住職の話によると、最近の小学生は幾つかの塾通いをしていて、とても外で集団で遊ぶという暇は無いのだそうです。太陽を浴びて遊ぶのが、子供達本来の姿だと思って居ましたが、何時の間にか私の考えは時代遅れになっていたようです。世の中は急激に小子化に傾いて、一軒に二人は居た子ども数が、1.5人位に減り、老人は夫婦二人の世帯から独居の世帯が増えて来ています。短期間にこうも世の中が変わるものかと、ひしひしと寂しさを感じています。
 たまたま2019年4月20日付けの日経新聞に、2015年から、25年後の2040年には、世帯数が5333万世帯から、5075万世帯になり、75歳以上の高齢世帯が、平均44.2%(最高の秋田県は(47.1%)とありました。又、高齢者に占める一人暮らしの比率は、全国平均32.6%から40.0%に、(東京都は45.8%)になるとありました。寂しい高齢者の独居が気がかりです。
 75歳以上になれば、介護が必要になり、政府の推計では、2040年度には、2018年度と比べて6割近く費用が増えるそうです。これをどう支えるのか、気が遠くなりそうな数字です。2040年度には多分私達は生きていません。でも日本の未来や子孫が生きる将来を考えると、今からその対策を実行して行かなくてはなりません。早くから対策を実行すれば、それだけ負担額は減ります。いかに素早く実行するかを考えなければならないと思っています。
 やがて介護の労力はAIが代わってくれる等とのんきに考えていては、後悔することになるでしょう。AIはあくまで機械であって、人間に替わりうる範囲は、現在は自ずから限られています。「独居老人にとって最も必要とするものは何か」にも目を向けないと、便利ではあっても心を満たすものにはならないのではないでしょうか。
 「おもいやり」という人間の心を大切にして、未来を生きる人達の住みやすさを整えたいものです。今を生きる私達も、後世に多大な負担を残す訳にはいきません。そのように考えて、すこしでも役に立ちたいと思いつつ生きて行きたいと考えています。
 その為にも出生率の対策は喫緊の要事です。特殊出生率と云って、一人の女性が一生の間に産むこどもの数は1.43人(2018年6月1日厚生労働省の発表)と、2年連続して低下したそうです。当然ですが夫婦二人で2人産んで増減無しです。1.43人では急激に人口減になって行きます。社会は衰退して、ますます増える高齢者を支える事が難しくなっていきます。
 これには早急な対策が必要で、夫婦が子育てをしたいと思う環境整備に力を注がないと後の祭りになってしまい、後悔しても追い付かなくなると思えて心配です。
 生涯未婚率が上がって、男性は23.6%女性は14.1%だそうです。男性は4人に1人の割合、女性は7人に1人だそうです。結婚したくない訳ではなく、出会う機会が無いと、アンケートに答えている人が多いようです。男女共学で、恋愛も自由になったのですが、「出しゃばりおよね?」のような人が、今は居なくなったということでしょうか。
 最近は婚活が盛んだそうで、生涯の伴侶を選ぶ時は、二人の相性もあるでしょうし、理解し合って結婚する事は大切な事だと私は考えています。都道府県なども主催していると聞きますが、私の身の回りの人達も中々良縁に恵まれないようで、男性も女性も、とてもしっかりしている人達が、多くは独身で過ごしておいでです。
 一人の方が気楽で良い世の中になって来ているのか、経済的に夫一人が働いて、主婦は専業というわけには行かない低賃金だったり、格差の大きい社会になってしまっているようです。女性の社会進出願望もありますし、一概に何が良いとか悪いとか言えないようですが。
 それにしても社会から元気な子供達の声が聞こえなくなるのは、寂しい限りです。私達もご近所の女性がチワワという犬を散歩に連れて通るので、時折首など撫でさせて貰って喜んでいます。朝の庭仕事などに出ている私達を発見すると、綱を引っ張って駈けよって、身体をすり寄せたり手を舐めてくれて、素敵な時間を過ごさせてもらっています。
 あれほど旅好きで、あちこち出掛けて来た私達ですが、出かけるとグッと疲れを感じてしまい、つい出かける機会が減っています。テレビでも、高齢者はどんどん外出せよ、と云っていましたし、そう遠くない所へ、せめて世の中10連休ですから、その後あたりになったら、出かけようかと話しているところです。
 自分は健康だと考えている高齢者が多いと、統計から知りました。過日医院から出された処方箋を持って、調剤薬局へ行きましたら、「脳年齢を調べる機械」がありました。好奇心の強い私はすぐさま試してみました。すると10歳若い脳だとプリントされて出て来ました。お遊びだと思って居ますが、少し嬉しくもありました。
 最近は献立に美味しいものを並べ過ぎてしまい、家族は少し体重を減らさないといけないようです。ご馳走でも低カロリーであるように、献立を変更しました。何となくその日暮らしをするのではなく、もう少し計画的に、積極的に生きたいと考えて居るところです。
 こどもの日が近くなりました。子供達の誕生日には、大勢のお友達が集まってくれて、それはそれは賑やかでした。アイスクリームを手作りしたり、生クリームをホイップしてフルーツポンチを作ってご馳走にした事を想い出しています。これもご近所に子供が多かった古き良き時代の想い出です。 
 

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代々受け継がれた宝物

2019年04月06日 | 随筆
 桐箪笥の小引き出しに、鰐皮のやゝ大形の茶色の財布が、長い年月眠っています。これは33歳で亡くなった娘が、ドイツのある家庭のおばあ様から頂いて来たものです。鰐皮のデコボコした皮を上手く生かして作られていて、恐らくとても高価なものであり、古い時代のものです。
 娘は大学生の頃に、短期留学でドイツ人の家庭でお世話になっていた事がありました。その家は、共働きの小学校教師のご両親と、小学生の男女二人の四人家族でした。
 何しろ娘の初めての外国住まいでしたので、私達夫婦は時折電話をかけて安否を確認していました。今考えるととても可笑しいのですが、電話の向こうの娘の返事は、僅かばかり逡巡しているように、間が空くのです。何か悩みでもあるのか・・・と、ひと時の返事の遅れを心配しました。心の迷いなどでは無く、単なる時差によるものだとわかるのに、幾日か掛かるほど無知な私達でした。
 娘は一ヶ月以上をとても親切にして頂いて、大変楽しい時間を過ごさせて頂きました。夏休み中の二人の子供達とも仲良く過ごし、もうそろそろ帰り支度をする頃になった時、ある休日にご両親は、可成り遠いご実家に車二台に分乗して、家族揃って連れて行って下さったそうです。ケルンの郊外にあった家から、風光明媚な中を、まるで自分達の娘のように可愛がって同道して下さったのです。
 ライン川の河畔にあったその家へ、家族で訪れて楽しい時間を過ごした後に、そこのおばあ様が娘にその鰐皮の財布を下さったのだそうです。それはそのおばあさまの母親が、又その又母親からの記念品として、大切にして来た物だったのです。三代もの女性から、次々に記念品として受け継がれ、大切にして来たものでした。
 娘は「ドイツ人は、こうして物を大切にして受け継いで行く国民性なの」と云って、それを手渡して下さった時の、おばあ様の愛しそうな様子を想い出している様子でした。そして私に「日常使うには、少し大き過ぎるから、大切に持っていてね」と云って手渡したのです。今になって思うと、そういういきさつも共に教えてもらったことが奇蹟のように思えます。
 大学を卒業後に勤めた国会図書館で、娘はあるとき議員さんに「知り合いのドイツ人の女性の面倒を見てあげて欲しい」と頼まれた事がありました。何ヶ月か滞在していて、年頃が似た二人は、その後とても仲の良い友達になりました。
 彼女が帰国してから、娘は一人でドイツ旅行に行きました。勿論彼女が自宅に泊まるように招いてくれたのです。ところが娘がその人の家にお世話になっている時に、偶然ですがベルリンの壁が壊されたのでした。人間は何処でどような歴史的事件に巡り会うのか、本当に珍しい出来事でした。
 報道で知った娘は急いで駅に駆け付けて、列車でベルリンへ向かう積もりだったのですが、駅に入ってくる列車はどれも超満員で、直ぐには乗れなかったのです。
 その後東西を壁で隔てていたベルリンも、行き来出来るようになって、東ドイツへも行って見ることが出来ましたが、この時ばかりで無く、ヨーロッパを回って来た娘は、諸外国へ行く時は、日程と一緒に、必ず当地の大使館の住所、電話番号などを詳しく記して、「何事かあったら、此処へ電話してね」と云いました。その時初めて、大使館の方達のお世話になる場合があると云うことを知り、心強く思ったことでした。
 さらにその後、東京にある外国の大使館のパーティーに、上京していた私達までお招き頂いたりして、珍しい文化や食事を楽しませて頂いたりもしました。外国の優れた人達と触れ合って、その温かさや優しさや、立ち居振る舞いの上品さに感動しました。
 地球が少し狭く感じられて、どの国の人達も平和を愛する温かい人間の集まりだと思われ、ほのぼのとした気持ちを感じた、嬉しい経験でした。
 そろそろ終活の片付けをするようなり、箪笥の引き出しから出て来た鰐皮の財布に、温かいご一家の集まりと、良い出会いと記念品に恵まれた、娘の幸せを偲びました。私のように語学が最も苦手な親から、語学で一生を過ごしていこうとする娘が生まれるなんて、どう理解したら良いのか解りません。DNAも気まぐれな場合があると解釈したら良いのでしょうか。
 風邪が思いの外長引いています。たかが風邪と思っていましたが、抵抗力の落ちた高齢者には、手強い相手です。皆様もどうぞ御身お大事にお過ごし下さい。
 

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