ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

哀しみの季節

2022年01月11日 | 随筆
 今日も寒い日です。外はみぞれが降っています。

これはずっと遠い昔の想い出です。
 私は大学を卒業してから、東京都の大田区の中学校や品川区の中学校などで教師として勤めました。
向学心に燃えた生徒達で、授業が終わると廊下を歩く私に付いて来て、様々な質問をして来ました。一つには若くて新米だったので、生徒の興味と関心を引いたのかも知れません。それはとてもやり甲斐のある楽しい経験でした。私と生徒の間も次第に打ち解けて、生き生きとした日々が続いて本当にやり甲斐があって楽しかったです。
 ところが父は若い娘を一人都会に手放すことが心配だったのでしょうか、それとも私は父のステッキガールの様なところがあって、良く二人で遠いのですが大きな市の本屋巡に行ったりしていましたので、その生活を楽しみたかったのでしょうか。しきりに戻ってくるように云い、手元に置きたがりました。母は特別何も言いませんでした。普通は反対の様な気がしますが。
 そのためにやがて実家に戻って近くの中学校に勤めました。年度中途でしたから、次の年に県の中学校の教員採用試験を受けて正採用になりました。その頃の採用試験は可成り合格率が低く、更に採用の条件として僻地勤務があったのですが、何とか乗り越えました。運が良かったのでしょう。
 その後結婚して、今住んでいる市に家を建てたりしましたから、又転勤しました。思えば何処も懐かしい良い想い出が詰まっています。転勤の後に、今の子供達が生まれ、義父母と6人の楽しい暮らしが出来ました。
 
 処で新任の教師は研修が欠かせませんので、当時はあちこちの学校へ出張させて頂いて、研究授業を見学する機会も何度か作って頂きました。そんな中で在る秋、大きな川のほとりの景勝地の学校へ出張命令が出ました。一帯は名のある温泉地で有名な所でした。
 当然宿泊しないとその学校へはいけなかったので、近くの大きな旅館に予約しました。そこには私のように授業を見学する人も、授業の指導をする指導主事の方達も、遠隔地から来た人達が同じ宿に泊まったのです。案内されたこじんまりした部屋がとても気に入りました。
 やがてお布団に入って、グッスリと眠りに付きました。ところが夜中に隣の部屋から、すすり泣きのような声とか、誰かに強い口調で抗議しているらしい声が微かに聞こえて来て目が覚めました。勿論話しの内容は解らないのですが、「私いやよ」と云う声があって、続いて押し殺すような「仕方ないじゃ無いか」と云う男性の声が部屋の境の壁を通して聞こえて来たのでした。何だか意見の違いがあるようだ、と思ったのでしたが、何しろ疲れると熟睡でしたからやがて眠ってしまったのでした。
 
 翌朝の事です。廊下で女性の指導主事にすれ違いました。挨拶をしましたら「昨夜心中事件があったのを知っていますか?」と聞かれたのでした。何も知りませんでしたから「えっ?」と聞き返しましたら、「昨夜此処に」と隣の部屋を指さして「泊まったお客様が心中したのだそうです」と云われました。私は声を失う程驚きまました。
 心中という非日常の事件は、私の心に深く沈み込みました。今思い起こしても、そうしなければ成らなかった二人の悲しみが、理由を問わず人間として伝わって来る気がします。
 あの美しい景色と心中事件は全く相容れないものの様にも思いますが、生きてる人間としていつ何事に出会うかは、神様しか知り得ません。
 記憶に残るとても美しい緩やかな川と、不幸な心中事件はやがて私の記憶の遠いところに置き去りになりました。ところがです。夫の勤め先の親しかった人が、或る女性と心中して亡くなられたのです。 
 鳥取砂丘へ行って亡くなられていたそうです。その頃はその場所へ行ってお詣りする事も出来なかったのですが、ずっと後に私と夫は鳥取砂丘へ行く機会に恵まれました。夫は当時のその人の様子を話して、二人で長靴を借りて高い砂丘の頂上へ登りました。海からの強い風を背中に受けて、砂丘の盆地を眺めるように腰を下ろしました。その時です。急に心中されたと聞いた人達の哀しみが身近に感じられる気がしたのです。
 後に砂簾(されん)と云って、積み重なった砂がある時自らの重さに耐えきれずに、一気に崩れ落ちて、砂の簾(すだれ)のように見える現象が在ることを知りました。耐えきれずにザッと崩れ落ちてしまう砂簾に、その時初めて亡くなられたお二人の気持ちが何となく理解出来たような気がしたのです。
 この事件は、どちらも私の知らない人達ですが、人間の運命というか、たまたまそう言う運命を辿らなければ成らなかった人達に、私は心からの哀悼の意を捧げたのでした。
 名前も知らない過去の人達に、何十年後になるのか、今又このように悲しみを感じていると云う不思議なご縁に、新たに祈りを捧げています。
 雪がチラチラと降っていて、積もるわけではありせんが、戸外は寒くて凍えそうです。冬と云う季節の持つ、独特の寂しさが胸を締め付けるようです。せめて心は温かく過ごしたいです。


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