家族を除いて、人間同士の信頼関係が築かれたと思えるようになった時ほど、頼もしく嬉しいことはありません。信頼は何よりも心を穏やかにさせてくれ、安心して話しが出来、生きる喜びを与えてくれます。そして出会った時はいつも楽しい時間を過ごすことが出来ます。
このような信頼関係の構築された友達や知人は、話す時も考えている事を安心して素直に話せます。
私の経験から二つの信頼関係について、考えてみたいと思います。一つは、まだスーパーが行き渡らなくて、魚は魚屋さん野菜は八百屋さんの頃のことです。
若くて明るい娘さん(店主の娘で結婚しています)と、お母さんと二人で小さなお店の前にテントを張り出して、たっぷりと野菜を並べて売っていたお店がありました。
この時代は、売る側の暗算が上手くないとなかなか買うのに時間がかかります。娘さんは暗算でてきぱきとお客様をこなし、お母さんの方も珍しい(上2、下5)珠のそろばんを持って、お客の買い物をさばいておられました。暗算も中々のものでした。
私達には車はありましたが、歩いて行ける範囲でしたから、その頃から二人共黒いリュックで、買い物に出掛ける癖がついたようです。
夫婦で買う野菜は大抵5~6品にはなりましたから、一人三品目くらいずつ手にして買って、お代を支払います。素早い計算能力と愛想の良い二人は、次々に来るお客を素早くさばき、まごついたり間違うことがありませんでした。
もう少し家に近い所にも八百屋さんはあったのですが、テントのお店は農家から直接仕入れるので新鮮で安価でしたし、何よりも気持ちよく買えて安心感がありましたから、ついそちらに行くようになりました。
そんな或る日、この八百屋さんを心から信頼する原因になった出来事がありました。八百屋さんは日常皆さんが良く行く所ですから、小さい子供さん連れのお母さんも、自転車の荷台などに子供を乗せて行きます。ある日の事、二人の子供さんをそれぞれ前と後ろの荷台に載せたお母さんが買い物に来ました。私が「小さい子供二人は危ないなあ」と思って見ていた時のことです。母親が道路の向かい側に自転車を止めて、買い物に離れたのです。 その直後子供の一人が自転車を揺らし始めたのです。「危ないッ」と思った途端の事です。
八百屋さんの娘さんが一目散に道路を渡って掛け寄り、自転車を支えてやったです。そして更に感心したのは、お母さんが買い物をして戻って来る迄その手を離しませんでした。
5分程して店から出て来た母親は、「済みませんでした」と云うと、荷物の袋をハンドルに掛けて、子供と一緒に自転車で去って行きました。
これだけの咄嗟の事でしかありませんが、私は深く感動しました。自店の客を差し置いて、交通量の多い道路を横切って飛び出して行った勇気と、更に立派だと思ったのは、母親が戻る迄自転車を支え続けていた事です。
この時以来私達は一層そのお店に通う様になりました。日曜日になると日頃はお勤めの娘さんのご主人も、時折お手伝いに現れます。当時から「ナポレオンズ」と云う手品師がTVに出ていましたが、ご主人は、背が高くてスラリとしている方に風貌が似ていて、何時も暖かな笑顔をしていました。私達は「ナポレオンさん今日も見えていましたね」と睦まじい夫婦に大変好感を持っていました。
ごく些細な事が美談に思えたり、その事で全幅の信頼を寄せたりするようになるのも、現代社会が余りにも自己中心的で、温かみが減ってきているように思えたからでしょうか。
別にもう一つ、私の住む家が古家になるに従い、何かと不具合な所が出て来ます。例えば僅かに戸の開け閉めが悪くなると、直ぐに頼む大工さんや建具やさんが必要になりました。何処の大工さんに相談したら良いか分からないので、たまたま近くにお住まいの大工さんに相談しました。
するとその方は、建具屋さんなら○○さん、内装なら○○さん、屋根屋さんなら、塗装やさんなら・・・、と次々に紹介して下さり、「何かあった私に言って下さい。その人達を回します」とも云って下さいました。
長い間に様々な手入れや、建て増しもありましたが、不思議なことに、この大工さんの選ぶ職人さん達は皆腕は確かで、人間的にも立派で良心的でした。大変な幸運だと思っていましたら、ある時大工さんが「私は腕がしっかりしていて、信頼出来る人でないと、仕事を頼まない事にしています。」と言われました。それで納得がいきました。この大工さんは仕事の依頼も多く、何時も忙しそうでした。でもごく小さな工事にも、何時も心良く、直ぐ適当な方を選んで回して下さったり、ご自分が来て下さいました。
台風の直後で瓦が二枚ほど飛んだ時も、大工さんに電話しましたら、たまたま近くを車で走っていた屋根屋さんに携帯が繋がったと、素早く治して貰えました。僅かな雨樋の詰まりなどは、お昼休みの間などの、半端な時間に来て下さって、わずかな代金で治していただいたり、どれ程助かったか、分かりません。
何よりも確かな技術がものを言い、その後同じ場所での不具合は起きませんでした。家を改装したいと思った時も、「先ず玄関が先」とか、「玄関前のアプローチは上部を広めにして・・・」等と、私達が知らない事を指導して下さるので、形や色やタイルなども、バランスや丈夫さ、見た目も良いようにして貰い、以前とがらりと変わって、住み心地が良くなりました。
手を入れて頂く度に、家がスッキリとして来ました。注文する人の考えに「はいはい」と云う通りに工事をする人もいますが、それがが正しいとは限らず、経験の深い専門家の指導が、使い勝手の良い、バランスの取れた美しい家になっていく事を知りました。
このように中心となる棟梁さんが、経験が豊かで、優れた職人さんを電話一本で回して下さり、工事を監督しても貰えましたから、本当に助かりました。注文者の云う通りの工事をするよりも、専門家として適切なアドバイスをするのは、真に客を大切にする人の基本だと云う事を学びました。
最近は、「TVが見えにくくなったから見て下さい、と云われることもある」のだとか。矢張り何かと頼りにする人が多いのだと思います。
この棟梁さんも老いには勝てません。「まだ少しはお役に立てるかも知れませんが、万一の事がありましたら」と職種に応じてある程度若い専門家の名前など、メモして持って来て下さいました。ご厚意に頭が下がりました。
「これから先は本来の大工さんが居なくなって来ていて、家の修理にしても手の込んだ仕事は出来なくなって来ている」と聞きました。地域の人達の様々な相談に対応して下さった腕の良い大工さんが引退されると、今後の不便を不安に思います。人々の少しでも良い暮らしの為に、精一杯の努力をされた棟梁さんに、厚い感謝の気持ちを表したいと思っています。
このような信頼関係の構築された友達や知人は、話す時も考えている事を安心して素直に話せます。
私の経験から二つの信頼関係について、考えてみたいと思います。一つは、まだスーパーが行き渡らなくて、魚は魚屋さん野菜は八百屋さんの頃のことです。
若くて明るい娘さん(店主の娘で結婚しています)と、お母さんと二人で小さなお店の前にテントを張り出して、たっぷりと野菜を並べて売っていたお店がありました。
この時代は、売る側の暗算が上手くないとなかなか買うのに時間がかかります。娘さんは暗算でてきぱきとお客様をこなし、お母さんの方も珍しい(上2、下5)珠のそろばんを持って、お客の買い物をさばいておられました。暗算も中々のものでした。
私達には車はありましたが、歩いて行ける範囲でしたから、その頃から二人共黒いリュックで、買い物に出掛ける癖がついたようです。
夫婦で買う野菜は大抵5~6品にはなりましたから、一人三品目くらいずつ手にして買って、お代を支払います。素早い計算能力と愛想の良い二人は、次々に来るお客を素早くさばき、まごついたり間違うことがありませんでした。
もう少し家に近い所にも八百屋さんはあったのですが、テントのお店は農家から直接仕入れるので新鮮で安価でしたし、何よりも気持ちよく買えて安心感がありましたから、ついそちらに行くようになりました。
そんな或る日、この八百屋さんを心から信頼する原因になった出来事がありました。八百屋さんは日常皆さんが良く行く所ですから、小さい子供さん連れのお母さんも、自転車の荷台などに子供を乗せて行きます。ある日の事、二人の子供さんをそれぞれ前と後ろの荷台に載せたお母さんが買い物に来ました。私が「小さい子供二人は危ないなあ」と思って見ていた時のことです。母親が道路の向かい側に自転車を止めて、買い物に離れたのです。 その直後子供の一人が自転車を揺らし始めたのです。「危ないッ」と思った途端の事です。
八百屋さんの娘さんが一目散に道路を渡って掛け寄り、自転車を支えてやったです。そして更に感心したのは、お母さんが買い物をして戻って来る迄その手を離しませんでした。
5分程して店から出て来た母親は、「済みませんでした」と云うと、荷物の袋をハンドルに掛けて、子供と一緒に自転車で去って行きました。
これだけの咄嗟の事でしかありませんが、私は深く感動しました。自店の客を差し置いて、交通量の多い道路を横切って飛び出して行った勇気と、更に立派だと思ったのは、母親が戻る迄自転車を支え続けていた事です。
この時以来私達は一層そのお店に通う様になりました。日曜日になると日頃はお勤めの娘さんのご主人も、時折お手伝いに現れます。当時から「ナポレオンズ」と云う手品師がTVに出ていましたが、ご主人は、背が高くてスラリとしている方に風貌が似ていて、何時も暖かな笑顔をしていました。私達は「ナポレオンさん今日も見えていましたね」と睦まじい夫婦に大変好感を持っていました。
ごく些細な事が美談に思えたり、その事で全幅の信頼を寄せたりするようになるのも、現代社会が余りにも自己中心的で、温かみが減ってきているように思えたからでしょうか。
別にもう一つ、私の住む家が古家になるに従い、何かと不具合な所が出て来ます。例えば僅かに戸の開け閉めが悪くなると、直ぐに頼む大工さんや建具やさんが必要になりました。何処の大工さんに相談したら良いか分からないので、たまたま近くにお住まいの大工さんに相談しました。
するとその方は、建具屋さんなら○○さん、内装なら○○さん、屋根屋さんなら、塗装やさんなら・・・、と次々に紹介して下さり、「何かあった私に言って下さい。その人達を回します」とも云って下さいました。
長い間に様々な手入れや、建て増しもありましたが、不思議なことに、この大工さんの選ぶ職人さん達は皆腕は確かで、人間的にも立派で良心的でした。大変な幸運だと思っていましたら、ある時大工さんが「私は腕がしっかりしていて、信頼出来る人でないと、仕事を頼まない事にしています。」と言われました。それで納得がいきました。この大工さんは仕事の依頼も多く、何時も忙しそうでした。でもごく小さな工事にも、何時も心良く、直ぐ適当な方を選んで回して下さったり、ご自分が来て下さいました。
台風の直後で瓦が二枚ほど飛んだ時も、大工さんに電話しましたら、たまたま近くを車で走っていた屋根屋さんに携帯が繋がったと、素早く治して貰えました。僅かな雨樋の詰まりなどは、お昼休みの間などの、半端な時間に来て下さって、わずかな代金で治していただいたり、どれ程助かったか、分かりません。
何よりも確かな技術がものを言い、その後同じ場所での不具合は起きませんでした。家を改装したいと思った時も、「先ず玄関が先」とか、「玄関前のアプローチは上部を広めにして・・・」等と、私達が知らない事を指導して下さるので、形や色やタイルなども、バランスや丈夫さ、見た目も良いようにして貰い、以前とがらりと変わって、住み心地が良くなりました。
手を入れて頂く度に、家がスッキリとして来ました。注文する人の考えに「はいはい」と云う通りに工事をする人もいますが、それがが正しいとは限らず、経験の深い専門家の指導が、使い勝手の良い、バランスの取れた美しい家になっていく事を知りました。
このように中心となる棟梁さんが、経験が豊かで、優れた職人さんを電話一本で回して下さり、工事を監督しても貰えましたから、本当に助かりました。注文者の云う通りの工事をするよりも、専門家として適切なアドバイスをするのは、真に客を大切にする人の基本だと云う事を学びました。
最近は、「TVが見えにくくなったから見て下さい、と云われることもある」のだとか。矢張り何かと頼りにする人が多いのだと思います。
この棟梁さんも老いには勝てません。「まだ少しはお役に立てるかも知れませんが、万一の事がありましたら」と職種に応じてある程度若い専門家の名前など、メモして持って来て下さいました。ご厚意に頭が下がりました。
「これから先は本来の大工さんが居なくなって来ていて、家の修理にしても手の込んだ仕事は出来なくなって来ている」と聞きました。地域の人達の様々な相談に対応して下さった腕の良い大工さんが引退されると、今後の不便を不安に思います。人々の少しでも良い暮らしの為に、精一杯の努力をされた棟梁さんに、厚い感謝の気持ちを表したいと思っています。