ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

信頼が深まる時

2017年10月30日 | 随筆
 家族を除いて、人間同士の信頼関係が築かれたと思えるようになった時ほど、頼もしく嬉しいことはありません。信頼は何よりも心を穏やかにさせてくれ、安心して話しが出来、生きる喜びを与えてくれます。そして出会った時はいつも楽しい時間を過ごすことが出来ます。
 このような信頼関係の構築された友達や知人は、話す時も考えている事を安心して素直に話せます。
 私の経験から二つの信頼関係について、考えてみたいと思います。一つは、まだスーパーが行き渡らなくて、魚は魚屋さん野菜は八百屋さんの頃のことです。
 若くて明るい娘さん(店主の娘で結婚しています)と、お母さんと二人で小さなお店の前にテントを張り出して、たっぷりと野菜を並べて売っていたお店がありました。
 この時代は、売る側の暗算が上手くないとなかなか買うのに時間がかかります。娘さんは暗算でてきぱきとお客様をこなし、お母さんの方も珍しい(上2、下5)珠のそろばんを持って、お客の買い物をさばいておられました。暗算も中々のものでした。
 私達には車はありましたが、歩いて行ける範囲でしたから、その頃から二人共黒いリュックで、買い物に出掛ける癖がついたようです。
 夫婦で買う野菜は大抵5~6品にはなりましたから、一人三品目くらいずつ手にして買って、お代を支払います。素早い計算能力と愛想の良い二人は、次々に来るお客を素早くさばき、まごついたり間違うことがありませんでした。
 もう少し家に近い所にも八百屋さんはあったのですが、テントのお店は農家から直接仕入れるので新鮮で安価でしたし、何よりも気持ちよく買えて安心感がありましたから、ついそちらに行くようになりました。
 そんな或る日、この八百屋さんを心から信頼する原因になった出来事がありました。八百屋さんは日常皆さんが良く行く所ですから、小さい子供さん連れのお母さんも、自転車の荷台などに子供を乗せて行きます。ある日の事、二人の子供さんをそれぞれ前と後ろの荷台に載せたお母さんが買い物に来ました。私が「小さい子供二人は危ないなあ」と思って見ていた時のことです。母親が道路の向かい側に自転車を止めて、買い物に離れたのです。 その直後子供の一人が自転車を揺らし始めたのです。「危ないッ」と思った途端の事です。
 八百屋さんの娘さんが一目散に道路を渡って掛け寄り、自転車を支えてやったです。そして更に感心したのは、お母さんが買い物をして戻って来る迄その手を離しませんでした。
 5分程して店から出て来た母親は、「済みませんでした」と云うと、荷物の袋をハンドルに掛けて、子供と一緒に自転車で去って行きました。
 これだけの咄嗟の事でしかありませんが、私は深く感動しました。自店の客を差し置いて、交通量の多い道路を横切って飛び出して行った勇気と、更に立派だと思ったのは、母親が戻る迄自転車を支え続けていた事です。
 この時以来私達は一層そのお店に通う様になりました。日曜日になると日頃はお勤めの娘さんのご主人も、時折お手伝いに現れます。当時から「ナポレオンズ」と云う手品師がTVに出ていましたが、ご主人は、背が高くてスラリとしている方に風貌が似ていて、何時も暖かな笑顔をしていました。私達は「ナポレオンさん今日も見えていましたね」と睦まじい夫婦に大変好感を持っていました。
 ごく些細な事が美談に思えたり、その事で全幅の信頼を寄せたりするようになるのも、現代社会が余りにも自己中心的で、温かみが減ってきているように思えたからでしょうか。
 別にもう一つ、私の住む家が古家になるに従い、何かと不具合な所が出て来ます。例えば僅かに戸の開け閉めが悪くなると、直ぐに頼む大工さんや建具やさんが必要になりました。何処の大工さんに相談したら良いか分からないので、たまたま近くにお住まいの大工さんに相談しました。
 するとその方は、建具屋さんなら○○さん、内装なら○○さん、屋根屋さんなら、塗装やさんなら・・・、と次々に紹介して下さり、「何かあった私に言って下さい。その人達を回します」とも云って下さいました。
 長い間に様々な手入れや、建て増しもありましたが、不思議なことに、この大工さんの選ぶ職人さん達は皆腕は確かで、人間的にも立派で良心的でした。大変な幸運だと思っていましたら、ある時大工さんが「私は腕がしっかりしていて、信頼出来る人でないと、仕事を頼まない事にしています。」と言われました。それで納得がいきました。この大工さんは仕事の依頼も多く、何時も忙しそうでした。でもごく小さな工事にも、何時も心良く、直ぐ適当な方を選んで回して下さったり、ご自分が来て下さいました。
 台風の直後で瓦が二枚ほど飛んだ時も、大工さんに電話しましたら、たまたま近くを車で走っていた屋根屋さんに携帯が繋がったと、素早く治して貰えました。僅かな雨樋の詰まりなどは、お昼休みの間などの、半端な時間に来て下さって、わずかな代金で治していただいたり、どれ程助かったか、分かりません。
 何よりも確かな技術がものを言い、その後同じ場所での不具合は起きませんでした。家を改装したいと思った時も、「先ず玄関が先」とか、「玄関前のアプローチは上部を広めにして・・・」等と、私達が知らない事を指導して下さるので、形や色やタイルなども、バランスや丈夫さ、見た目も良いようにして貰い、以前とがらりと変わって、住み心地が良くなりました。
 手を入れて頂く度に、家がスッキリとして来ました。注文する人の考えに「はいはい」と云う通りに工事をする人もいますが、それがが正しいとは限らず、経験の深い専門家の指導が、使い勝手の良い、バランスの取れた美しい家になっていく事を知りました。
 このように中心となる棟梁さんが、経験が豊かで、優れた職人さんを電話一本で回して下さり、工事を監督しても貰えましたから、本当に助かりました。注文者の云う通りの工事をするよりも、専門家として適切なアドバイスをするのは、真に客を大切にする人の基本だと云う事を学びました。
 最近は、「TVが見えにくくなったから見て下さい、と云われることもある」のだとか。矢張り何かと頼りにする人が多いのだと思います。
 この棟梁さんも老いには勝てません。「まだ少しはお役に立てるかも知れませんが、万一の事がありましたら」と職種に応じてある程度若い専門家の名前など、メモして持って来て下さいました。ご厚意に頭が下がりました。
 「これから先は本来の大工さんが居なくなって来ていて、家の修理にしても手の込んだ仕事は出来なくなって来ている」と聞きました。地域の人達の様々な相談に対応して下さった腕の良い大工さんが引退されると、今後の不便を不安に思います。人々の少しでも良い暮らしの為に、精一杯の努力をされた棟梁さんに、厚い感謝の気持ちを表したいと思っています。


「日の名残り」にみる日本人のDNA

2017年10月21日 | 随筆
「日の名残り」という映画をご覧になられたでしょうか。この度ノーベル文学賞を受賞されたカズオ・イシグロ氏の同名の小説の映画化作品(1993年イギリス )です。
 アカデミー賞作品賞にノミネートされましたが、惜しくも漏れて、主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)や主演女優賞(エマ・トンプソン)ほか脚色・美術・衣装などの賞を受けています。
 私達夫婦がこの作品を観たのは、2005~7年頃だったでしょうか。時代は1950年代半ば、イングランドに広大な屋敷を持っていたダーリントン卿が亡くなり,アメリカの政治家トレント・ルイスが買い取ります。
 元々このダーリントンの屋敷に使えていた執事ジェームズ・スティヴンス(アンソニー・ホプキンス)を残して、多くの使用人が去って、新しいご主人に使えるには、人手がたりません。
 大ホールで開かれる有名人達のとの会議や宴会に、万が一にも非礼があってはなりません。考え抜いた末に、彼が思い出したのは、元ハウスキーパー頭の、賢くて優しく良く気の付くケントン(エマ・トンプソン)です。
 此処から回想シーンとなり、二人が働いて居た頃のダーリントンの大邸宅に集まる、世界各国の元首などのとの会議や宴会の、生き生きとした催しや、こまごまと気を使う二人の働きぶりで、活気に満ちたお屋敷の様子が映し出されて行きます。
 真面目一方で、全身全霊でご主人に仕える執事は、その真面目さ礼儀正しさ、忠義深さに於いて、それはまるで日本人の武士道を見るようです。完璧な執事として、例えば卓上のコップさえも、一脚ずつ物差しで測って配置するほど細心の注意を払い、忠義一筋のジェームズです。また心優しく気配りの効くエマは、お互いに好意を持っているのですが、決して心の内を表に現さない彼との間で、心は行き違ってばかりです。
 彼は「秘するが花」の日本人の心に似ています。年老いた父親を執事の一人としてこのお屋敷に呼んで、気を使いつつも執事としての誇りが持てるように気配りするのですが、やがて父親は病に倒れます。
 ひたすら滅私奉公のジェームズは看病も思うように出来ず、エマに親切にして貰いながら、とうとう臨終にも立ち会えませんでした。父親も又執事としての働きを優先するように云うのです。
 これ以上の執事は居ないだろうと思える程です。エマもまた、ジェームズと共に完璧な迄にお屋敷の使用人を動かせ、重要な会議や催し物が日ごとに滞りなく行われて行くのです。
 しかし一心に奉公する傍ら、すれ違ってばかりの二人の心が、何とか上手く行くようにと、その折々に観客の心をハラハラさせながら、物語は続いて行きます。
 余りに素っ気ないジェームズに当てつけのように、請われるままに他の男性と結婚するエマですが、お屋敷を去ってから、やがて娘が生まれます。結婚や出産の折々にジェームズにエマは愛していると本心を伝えよえとするのですが、ジェームズは「おめでとう。良かった。」などと云うばかり、本心では心を引かれ彼女の愛を感じていても「愛している」と口に出せない
ジェームズです。
 そして20年、やがて画面は現実に戻って、年老いた二人がやっと再会出来た時に、エマの娘に赤ちゃんが生まれることが分かり、彼女は孫のお守りの手伝いの為に、折角会えたのに、また彼の元から去ることになります。
 激動の時代を共にあるじに精一杯仕え、その折節で心を動かされつつも、遂に通い合わせることが出来なかった二人です。しかし老執事には、お屋敷でエマと二人でお仕えした人生が、一生で一番充実して幸せだった事にやっと気づくのです。
 老執事の、叶わぬ恋の結末は、「日の名残り」という題にふさわしく、暮れなんとする雨の中での切ない別れのシーンがあります。折角会えたのに。孫誕生の知らせの為に、バスに乗って去るエマを、コウモリをさしかけて送るジエームズ。惜別の悲しさに耐えながら送るジエームズとエマの手が、ついにはなれて彼は日暮れの街に一人残されます。「人はみな人生に悔いが残ります。」とか、「夕暮れが人生で一番いい時間だといいます。」等というセリフと共に、観客の心に何時までも残る名場面です。二人共この名画に感動して、「何だか古い日本人の心に似ている」と云いながら、二回もDVDを借りてきて見ました。更に近日の事、またTVで放映されると番組表で知り、夫は録画しました。
 その数日後のことです。、原作者がノーベル文学賞を受賞すると発表されました。また略歴を見て、5歳まで日本に住んでいたということを知ったのです。
 私達は、「やっぱりネ」と納得しました。何処か日本人のDNAを感じさせる所があり、それが不思議に思えて,何度も「まるで原作者が日本人の様ね」と言い合っていたからです。
 科学的にみるとそれはあり得ないのかも知れませんが、私には日本人独特のDNAがあって、それが延々と引き継がれているのではないか、と思えたのです。
 カズオ・イシグロも日本人の血を継いでいる訳ですから、このような日本的な細やかな情緒に溢れた作品が出来たのではないか、と思えたのです。
 仙台の伊達政宗公の霊廟(瑞鳳殿)を尋ねた時に、正宗公亡き後に、切腹して殉死した家来のお墓が、煌びやかな霊廟を囲むように沢山ありました。更に哀しかったのは、その墓のかたわらに、そのあるじの後を追って切腹した、家臣の墓が寄り添って、一段小さな丸石の墓が建てられていたのを見た時です。正宗公の家来のまた家来の殉死ですから、日本人の忠義心は武士の人格の核であったのでしょう。家族や親族の哀しい迄の忠義心や悲しみが、伝わって来るようでした。
 仕事一途な執事には、「愛している」と口に出して言えない程のあるじへの心配りも察しられて、人生の最後の日々の名残を輝かしいものに出来ないまま、武士道に殉じたサムライのように、見えて来るのです。
 されども振り返れば、「あの時が一番幸せであった」としみじみ思う、そういう事を心に秘めての生き方も、また私にはある意味素晴らしいものに思えて来ます。
 私の大好きな名優アンソニー・ホプキンスが主演であったことも、私にとって忘れられない名作になった理由の一つです。
 未だご覧になられていない方には、お勧めしたい映画の一本です。

カラス考

2017年10月09日 | 随筆
 カラスと言えば、皆さんはどういう印象をお持ちでしょうか。カラスは賢い鳥であり、また狡い鳥であり、世界的には、吉兇を占う鳥のようでもあります。
 万有百科大事典20「動物」小学館(昭和49年初版)によると、南アメリカとニュージーランドを除く全世界に分布しているとあります。全100種類位と言いますが、私達が身近に見るものは、はしぶとカラスとはしぼそカラスのようです。
 日本では民俗学的には、カラスは神意を表す霊鳥とされ、建国神話では、神武天皇の道案内をする大カラスが見え、鳴き声や供物の食べ方から吉凶を占う習俗も盛んである、とあります。ヨーロッパでは、カラスは忌み嫌われる鳥であり、ギリシャ宗教では、予言する鳥として出ています。(同上百科事典)
 ところで、日経新聞の2017/7/23付の朝刊に、遊遊漢字学『「烏」が「鳥」にならない理由』( 阿辻哲次 漢字学者)が載っていました。
 <カラスはだいたいどこでもきらわれ者と相場が決まっているようだ。日本の昔話でゴンベが蒔(ま)いた種をほじくるのはカラスだし、またこの憎らしいカラスは木の枝に止まって、「アホー、アホー」と人を馬鹿(ばか)にしたように鳴く。だいたい意地悪でずるがしこい人物の代名詞的に使われる。 カラスは動物の死肉にむらがる習性があって、嫌われる理由は不気味な色だ>と書いています。
また<「甲骨文字」の時代から、《烏》は《鳥》より横線が一本少ないのも、「純黒」の故で、烏には「反哺(はんぽ)の孝」という美徳があり、ひな鳥が成長し、自分で餌を採って来られるようになると、育ててくれた老いた親の分まで餌を採って差し出すという。 カラスがもし「反哺の孝」を実践し、親を大切にしているのなら、ほめてやりたいが、生ゴミの袋を荒らすカラスは、自分でとった餌を自分で食べている。こんなカラスはさっさと追い払うに限る。>とあります。
 何時もこの「遊遊漢字学」は小気味よい文章で、私の未知な分野の話も載っていて、朝の楽しみの一つです。
 この辺りの烏は人怖じしないので、ゴミ袋を漁っている直ぐ傍を歩いたとしても、少しばかり離れるだけで、通り過ぎればただちに寄ってきて啄み始めます。
 ご近所の或る人は、カラスが突然頭の上をぶつかるように低空で飛んだので、たまたま近くにあった小石を投げて追い払いました。すると、次の日もその次の日も、同じと思われるカラスに追いかけられたと言います。私達がウォーキングで出会うカラスも、道路に降りているカラスは、ジロリと睨みつけて避けようとする気配を見せないことが多く、変に手出しをして怖い思いをしたくないので、目を合わせないようにしてソッと通り過ぎます。
 しかし困ったカラスも、最近何故か数が減った気がします。先の百科辞典に載っている、北海道の羅臼海岸の写真のような、多くの群れは見たことがありません。
 都市化が進んだせいか、雀も激減した気がしますし、ヒヨドリ・ムクドリ・土鳩、カッコウなども、声を聴くことが以前より少なくなりました。電線にズラリと一列に連なる雀やムクドリの様子も見られなくなって、何となく懐かしい土鳩やカッコウや、耳に優しい小鳥たちのせわしい鳴き声が消えてゆく様で、(鳴く時期が決まっているものもありますが)静かな秋の空は寂しいです。
 八咫烏(ヤタガラス)と言って、足が三本のカラスが、日本の神話に出て来ます。神武天皇が熊野から大和に進もうとして山中で道に 迷ったとき,天照大御神(あまでらすおおみかみ)が八咫烏をつかわして, 天皇の軍を導き,山中を抜け出させたといいます。
 このヤタガラスはサッカー日本代表のシンボルマークでもあります。 明治時代、日本に 初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助氏が、熊野那智大社がある和歌山県那智 勝浦町出身だったということで、日本サッカー協会は、1987年より日本代表のシンボルマークに決めました。
 火蟻とか、セアカゴケグモとか毒を持つ昆虫や、大形の外来魚など、いつの間にか日本に上陸して、生態系が崩れる心配もありそうですから、昔から身近なカラスなどは、可愛い方に入るのかもしれません。
 カラスには、私達の良く知らない能力もあるようです。
1)人間の言葉の真似をする鳥といえば九官鳥やオウム、インコなどですが、カラスもなつくと九官鳥以上に上手に人間の言葉を真似できるようになるそうです。また、人間の言葉も犬と同レベル程度には理解ができるのだとか。
2) 30年位生きることがある。犬や猫と比べるとかなり長く生きることができるようで、ペットとして飼うと長い間一緒に過ごせるという長所があります。
3) 木の実や貝を自動車にひかせて食べる。車のが少ない道路では高い場所から何度も落として中身を食べることもあるのだとか。
4) 木の枝を使って虫をほじくり出す。カラスは道具を使うことができると言われています。例えば、小さい穴に入った虫を食べるために、木の棒で中身をほじくり出して食べることが可能です。
5)覚えた知識を仲間や子に伝達できる。子は親の行動を見よう見まねで覚えることができますし、身の回りの危険や食料の場所などを何らかの手段で伝達し、共有することができます。
6)数字を6まで認識できる。数字を間違えなければエサを与えるという実験をおこなってカラスをトレーニング結果、6までの数字を認識できるようになったという研究結果があるそうです。
7) 仲間が死ぬと集合して危険を判断する。カラスは仲間が死んだ場所に集まる習性があります。これは「カラスは仲間の葬式をする」という都市伝説につながるのですが、実際は仲間で集まってその場所が危険な場所かどうかを判断し、危険だと判断した場合はその場所に近づかなくなったり、警戒をするようになるそうです。
8)遊ぶことができる。カラスはいろいろなことに興味を持ち、遊びを楽しむことができます。人間の動きを真似して公園の滑り台で遊んだりする様子が何度も確認されているのです。
9)人間になつきやすい。害鳥というイメージが強くなってしまっているカラスですが、実は人間にとてもなつきやすいのです。エサをあげたりすると「この人はエサを与える人」と認識し、近づいてきたり、肩に乗ったりしてくることもあります。
10) 助けると恩返しされる場合も。アメリカのシアトルで子供が毎日カラスにエサをあげていたら、カラスがビー玉やキレイな石など、さまざまな物をプレゼントとして持ってくるようになったことがあったそうです。これは色の付いた石などを集める習性から来るらしいです。
 真っ黒だとか、ゴミを漁るとか、嫌われ者のカラスですが、こうして調べて見ると、愛すべき長所もあって、「全ての生物は、必要があって、生まれて来ている」としみじみと思わせられます。何も人間だけが、地球を支配する生き物なのではなく、皆仲良く共存して、輪を描くように食べたり食べられたりして存在しているのですね。
 「虫がないている いまないておかなければ  もう駄目だというように鳴いている しぜんと  涙をさそわれる」八木重吉の詩ですが、ふと気付けば、このように<生の営みに励み切なく生きて居る>というような状態の季節は何時の間にか過ぎていて、コオロギ位しか残っていないようです。
 またこの「すだくような虫の音」を聞くには、一年待たなければなりません。身近なカラスの様子に心を寄せて、親しい気持ちで過ごすのも良いのではないか、と思っています。