ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

或る友人の死

2009年09月28日 | 随筆・短歌
 もう50年も前のことになりますが、その頃まだ勤め初めて何年もしない私には、とても尊敬している二年先輩の女性がいました。聡明な彼女は、テキパキと仕事が出来る立派な先輩であり、時折ゆっくり話す機会があると、何時も穏やかにしっかりした意見を述べられ、それは未熟な私には大変良い勉強になりました。
 紅葉が真っ赤に染まった晩秋の頃、珍しく顔色の悪い彼女は、私と私より一歳年下の友人を前にして虚脱したような表情で「私はもう何もする気力が無くなった。」と言うのです。驚いて「どうしましたか?」と聞きますと、「何が原因かも分かっているし、どうすれば良いかも解っているけれど、気力が無くてそれが出来ないのよ」というのです。
 私達はただ驚いて、「貴女なら解決出来ない筈はないから、元気を出して下さい」等と今考えると何の役にも立たない言葉で熱心に励ましてしまったのです。
 そんなことがあった翌日、彼女は忽然と姿を消してしまいました。職場の上司も友人達も手を尽くして探しましたが、解らないまま二日が過ぎた時、彼女は少し離れた県境の温泉宿で、睡眠薬を多量に飲んで亡くなったと知らせが入りました。同じ温泉で泊まり合わせた人の話を伝え聞いたところ、彼女には少しも変わった様子は無く、笑顔で会話をしておられたそうですが、翌朝には蒲団の中で冷たくなっておられたそうです。私は彼女がそこまで深く悩んでいたのかと、その時になって初めて気が付いて、何故もっと悩みを真剣に聞いてあげなかったかと悔やみました 彼女が余りにも優秀な人だったので、彼女の心の中まで踏み込むのを遠慮してしまったのも事実です。 
 上司達は、彼女が鬱病に罹っていたのだと言い、北海道に行って、キリスト教の修道院に、修道女にして欲しいと申し出て、断られた事があったのだと言うことでした。間借りしていた部屋に残された荷物の中から、そのような事実が判明したそうです。
 なにもかも私の理解を超えていて、そんなに長い間を悩んで居られたのかと、身近に居てせめて真剣に悩みを聞いてあげられなかった自分の鈍感さが、とてもふがいなく思われました。当時は鬱病に対する知識も全く無くなく、それは不可能に近いことでしたが。
 彼女の実家で行われたお葬儀で、お母様の嘆きはそれはそれは大変なもので、出席者の多くが涙を誘われました。お母様は、「娘には、恋人がいたでしょうか」と聞かれましたので、「いいえ、そんな様子は見えませんでした」と言うと、「恋人が居てくれたら良かったのに、たとえ同棲でもいい、この歳まで生きて来て、恋も知らずに逝ってしまったかと思うと、可愛そうでなりません」と言って泣かれるのです。私には信じがたい事でした。 浮き名を流すだけでも恥とした時代でしたし、まして同棲なんて、理解出来ない私でしたから、お母様の言われた事が、その後ずっと心に残りました。母親というのは、娘に対してこのような考えを持つものなのだろうか、とある種の驚きを持って過ごして来ました。
 それから長い年月が経って、私も結婚して娘を持つ親となり、娘は結婚して四年後に亡くなりました。その時です。私は娘が結婚してから亡くなったことをせめて何よりの救いであったと思ったのです。愛する人に出会い、愛される幸せに満ちた家庭生活を送り 、短い年月ではありましたが、真実の愛を実感出来た事をとても嬉しく思いました。そしてその時になって、初めてあの時のお母様の心情が解りました。
 その方の告別式が終わった後に、上司は、大勢の部下を前にして、「亡くなられたことは、とても残念だけれども、人間がもし絶対死ねなかったら、果たして幸せだろうか」と仰ったことも忘れられません。その通りだと思うのですが、あの若さで自らの命を裁つよな悲劇が起きないように、上司も同僚も温かい思いやりを忘れてはいけないと思うのです。
 最近は自殺大国と言われる日本でもあり、より一層そう思わずにはいられません。今こうして、温かい家族や友人に守られて生きていることが幸せだと言える私は、本当に幸せ者なのだとしみじみと感謝しています。紅葉の季節になる度に、ふと想い出す忘れがたい悲しい出来事です。

   白き指組つほぐしつ語りゐし自裁せし友のしぐさ悲しも
   どうすれば良いか解れどできないと涙流しし友自裁せり  (あずさ)

 

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土門拳の「古寺巡礼」

2009年09月24日 | 随筆・短歌
 私が写真に興味を抱き始めたのは夫よりずっと遅くて、退職後になってからでした。思いがけず降った初雪を踏みしめながら、夫と二人で山形県の酒田市に「土門拳記念館」を訪れたことがあります。その頃はもう写真の魅力に引きつけられていましたが、その展示室で素晴らしい写真に出会い、まさに圧倒されてしまいました。
 それは殆ど私達が見て回った古寺であり。仏像でしたが、写真は、克明にその「特別な」一部を写し出し、その古寺や仏像の持つ「素晴らしい造形美」を撮っていて、普段は暗くて良く見えない部分も細部にわたってしげしげとゆとりを持って眺められ、それはそれは素晴らしい時間を持つことができました。
 帰りに土門拳の愛蔵版の「古寺巡礼」という写真集を買って来ました。分厚い写真集で、旅先としては重い荷物でしたが、古寺が好きで、土門拳のファンとしては、とても買わずにはいられなかったのです。
 その後その一冊を、折りに触れて出してきて、二人で良く眺めています。古寺や仏像を見に行くことが大好きな私達ですが、土門拳のファインダーから見た映像は、また特別に素晴らしく、土門拳の目を通して映し出されたものが何とも言えず心を打つのです。「この仏像は、こんな表情をしていたのか」とか「この古寺にはこのような荘厳さがあったのか」といった発見があって、何時見ても新しい発見のある写真集です。
 土門拳が宇治の平等院の鳳凰堂を写しに行って、帰りかけたとき、あかね雲に包まれた鳳凰堂が流れる雲と共に走っているのに気付いて、急いで鳳凰堂の棟瓦にカメラのピントを合わせるために、走る雲と一刻を争いながら、たった一枚の写真を写したというエピソードとともに、一瞬のシャッターチャンスしかなかったということを驚きをもって読んだりしたのでした。
 様々な仏像彫刻には、鼻の真ん中に木目の中心がきちんと合い、左右の頬に流れる木目が相似形になっているものもあり、左右の胸のふくらみや頬のふくらみ、または腕や腿の丸みと木目の円形がきちんと合っていて、仏師が木材の中の木目を見透かして彫った、その素晴らしい芸術家としての眼力に感動することが度々です。 土門拳も室生寺の弥勒堂の釈迦如来座像の、結跏趺坐(けっかふざ)の足の裏の五本の指や、膨れた部分やかかとに木目がきちんと丸く浮き出ているところを写していて、仏師の偉大さを鮮明に写した技術には、驚くばかりです。どの方向から光りを当てて、どの範囲までをどの角度に、と細かく計算されつくした芸術の極致には、感嘆しきりです。
 土門拳は、「被写体も撮られる視点を持っている」と言っています。「自分が被写体に対峙し、にらみつけ、時には語りかけ、被写体が自分をにらみつけてくる視点をさぐる、そして火花が散る、二つの視点がぶつかった時がシャッターチャンスだ」とも言っています。
 そういった真剣勝負の火花を散らして撮った、言わば魂のぶつかり合った仏像や寺院の写真なればこそ、深く心に響いて来るのです。
 後に雪の室生寺を写すのに、雪が降らず、幾日も幾日も待って、もうこれが最後という日の朝に雪が降って、涙を流して喜んだというエピソードも聞きました。それがきっと、うっすら雪の積もった「室生寺金堂全景」などなのでしょうし、先のたった一枚しか撮れなかったというのは、「平等院鳳凰堂夕焼け」なのでしょう。
 「法隆寺夢殿月の出」、「高山寺石水院冬日」室生寺の太鼓橋から撮った「精神ヶ峰の朝霧」など、私の好きな彼の「時間との勝負」の写真が愛蔵版にはあります。
 また、薬師寺東院堂の観音菩薩立像(聖観音)頭部、や東大寺戒壇堂の持国天立像の邪鬼、中宮寺の菩薩半跏像面相なども、「撮られる視点で火花が散った」作品として、とても好きなものです。
 素人の私がどのように表現しようとしても不可能な、土門拳の偉大な写真集を、今も家宝のように大切にしています。

 

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天寧寺の羅漢

2009年09月21日 | 随筆・短歌
 滋賀県の天寧寺という名刹へ行った時の事です。ここの羅漢堂には、京都の名工、駒井朝運(こまいちょううん)が作った五百羅漢が並んでいます。この中には会いたい人の面影を持つ羅漢が必ず見つかると言われていると聞いていて、私達は、早速亡き娘の顔を探し始めました。
 500体もの羅漢の中から、それを探し出す事は、とても大変でしたし、時間もかかりましたが、私達は、時の経つのを忘れて一つ一つ丁寧に探し続けました。
 「これが一番似ているんじゃない?」「いや、こっちの方がより似ているよ」等と言いながら、探し回りました。羅漢堂の左右の壁に、250体ずつ四角い形に並べられていて、見上げていると首が痛くなりました。
 けれどもようやく「これではないか」と思われる一体を探し出して、私達は満足して、それが娘の羅漢だと決めました。可笑しいと思われるでしょうが、私達はすっかり娘に会えた嬉しさに感激して合掌し、お互いに心の中で話し始めたのです。なにかしら、娘が答えているように思われて、心が安らかになり、会えた!という喜びに癒されていくのでした。 
 「そろそろ行こうか」と夫が声をかけたので、我に返って外に出ました。暮れの早い空はあかね色に染まっていて、小高い丘の上にいる私達を夕日がほの赤く照らしていました。
 沢山の人達がこうして私達のように、亡くなった愛する人の面影を探して訪れるのだろうかと思うと、この五百体の羅漢の存在意義は、大きなものがあるとしみじみと思いました。遠くに彦根城が小さく光って見えました。
 ところで最近80歳になる私の友達から電話がありました。その人は、ご主人が早くに亡くなられて、四人の子供さんを育てて来た人です。何かとご縁があって、ちょっとした私の一言が、一人の娘さんを大変な誤診から助ける事になったり、夫が他の一人の子供さんの一生の仕事をお世話することになったりしました。歳は私より上ですし、その方の生き方に感動して、何時もお手本にして生きてきた私でもあり、二人してお茶や食事をする機会も多かったのです。
 その女性がその時の電話で、「私の心の中には何時も夫が居て夫に守られているし、両親も又自分と共にあって、自分を守って呉れている」と仰ったのです。私も亡くなった娘には、実際に生きていた時間より遥かに多くの時間を、親孝行してもらっていると感じていますし、私達家族を常に守って呉れていると思っていますので、その人の考えを素直に納得出来ました。
 ご主人が亡くなられたのは、もう40年以上も昔の事ですが、今もはっきりと「夫は自分と共に生きていて、自分を守って呉れている」と仰るその深く確かな愛に感動しました。そして「夫に守られて、80歳の今の静かで心豊かな時間がある」というのです。姿は見えないけれど、そう感じられるということは、本当に素晴らしいことだと思いました。そう思えば孤独である筈もなく、いつも感謝して日々が過ごされると思うのです。私はあの五百羅漢の慈愛が、この人の心の中にも生きていると感じたことでした。
 
   会いたき人に似たる羅漢に会えるとふ天寧寺訪ひ亡き娘(こ)を探す
   亡娘(こ)の遺影多くを我に語る日は線香一本多く焚きたり
   よい香り立たせてケーキ焼きあがる老いて独りの友に送らむ   
                       (全て実名で某誌・紙に掲載)

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裁判員制度に思う

2009年09月17日 | 随筆・短歌
 私は原則として、裁判員制度に反対です。その理由の第1は、司法を天職としている専門家である筈の裁判官に、しっかりと自信を持って公平に裁いて欲しいと思うからです。 第2に、裁判員に選ばれた人には、大きな犠牲を強いることになるからです。勤務を休み、仕事を放り出して出向かなければなりません。大切な時間を潰さなければならない訳ですが、そればかりでなくストレスやトラウマを抱え込まなければなりません。生涯の守秘義務を負わされて、その苦しみを人に話して開放されることさえ出来ません。
 第3に、このように一般社会人に聞かないと民意が解らない司法関係者というのは、余りにも世情に疎く、法律の条文以外は縁のない生き方をしている証拠で、恥ずべきことではありませんか。裁判官たるもの、もっと人間の心情を深く理解していなければならないはずです。
 けれども一般的に、司法試験を受けるとか、医師国家試験を受けるとか、能力の高い人に、人間の心が理解出来ない人が多いとも聞きますし、私もそれは現実ではなかろうかと思います。これは大変困った事です。
 判例ばかりを参考にして裁いて、国民が理解に苦しむ判決が多いのも最近の特徴でしたが、これはひとえに裁判官が人間を理解していないところに問題があると思っていました。
 ところでこのところの裁判を見ていて、裁判員の加わった裁判が、実に納得のいく判決を下していて、その結果に驚いています。だからといって、私は決して裁判員制度に賛成したいとは思いません。
 判例ばかりを気にせずに、裁判官としてもっと勇気を持って、原告、被告、またそれぞれの家族の心の中に迄、思いを馳せ、自らを当事者の身に置き換えてみて、そこから感じ取ったことを元にして裁けば、裁判員という素人に助けて貰うような制度も不要なのではないかと思うのです。
 私は歳をとっていますし、多分裁判員にはならないでしょうが、もし若くて「裁判員になりなさい」と言われたらとても嫌です。出来たら断りたいですが、断ることも中々難しいようです。このような制度をつくらないと適切な判決が出せない程に、裁判官が人間の心情を理解する能力が落ちているのでしょうか。
 直ぐに精神鑑定に持ち込みたがる弁護士もいて、いたずらに裁判の期間を引き延ばし、裁判の結果がうやむやになりかけていることもありますが、無罪にすれば勝ち、と言う価値観も困ったものです。
 検察にしても、政治的に偏った摘発もあって、大いに問題があります。無罪に泣く人も出てきたりしている昨今、こんなに司法に信頼が置けないのでは、国民も安心して暮らせなくなります。
 有名人だから、刑が軽くなるというのも見受けられるようです。
 裁判員に頼る前に、司法に携わる人々にはもっと公正に起訴したり、国民が納得出来る判決を下して欲しいと思うのは、決して私一人ではないと思っています。時の政権におもねったり、罪をでっち上げたりでは、国民の信頼は得られません。
 三権分立と言いますが、一番公正でなければならないのが、司法だと思います。莫大な費用をかけて、更に裁判員の犠牲の上に立たないと、裁けないと言わないで、裁く側の人達ももっと勉強して、国民が納得できる公正な裁判が行われるように、努力していただきたいと願っています。司法が信じられなくなったら、国民は安心して生きていくことは出来ません。どうか国民の信頼を一心に担って、逞しい正義の旗手であって下さい。

   微風にもからだを揺らすコスモスよ哀しからずや吾も追従
   いはれ無き誤解に苦しみし夏の日の心の痛みまた疼きくる
                                   (実名で某誌に掲載)


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お隣の家の移り変わり

2009年09月14日 | 随筆・短歌
 我が家は此の市へ引っ越して来て、今年で44年になります。当時のこの団地は未だチラホラとしか家が建っていませんでしたが、既にお隣の家は建っていて、ご両親と小、中、高の三人の子供さんが住んでいました。
 ご主人はとても働き者で、器用な方でした。お庭を手作りされて、四季折々に美しい花の咲く樹を配置して、庭石を置き、春には鶯も来て啼く、立派なお庭でした。何時も庭師さんに頼まずにご主人自ら手入れをされていました。我が家へ来られる庭師さんとも親しく、仕事が済むと良く話をされていました。
 やがて子供さん達も成人し、それぞれ結婚して家を離れて暮らすようになりました。人は例外なく年をとりますから、我が家のある団地でも、或る家のおばあさんが亡くなられ、次いで我が家の両親が亡くなりました。団地は一斉に一年ずつ年を取っていきます。
 間もなくある時雨の降る日に、帽子もかぶらずに肌着のまま自転車で、大通りを通り過ぎて行くご主人とすれ違いました。私達は夫婦で歩いていましたので、挨拶したのですが、気が付かなかったようでした。何となく違和感を感じて、どうされたのだろうと心配したものです。
 その年の暮れのある日、子供さんの車が一斉に集まりました。何か行事でもあったのかと思っていたのですが、年が明けて間もなく、ご主人が凍死されたと伺って大変驚きました。暫く行方不明だったそうで、隣に居ながら気付かず、申し訳ない思いをしました。人それぞれに知られたくない想いも理解できますが、寂しい事でした。
 私達は全く気づかなかったのですが、出先から帰宅の方向感覚がわからなくなって、或る大きな会社の倉庫の裏で凍死の状態で見つかったという事でした。お正月で社員も気づくのが遅かったようでした。何ともお気の毒てしたし、何れ私達も年を取る訳ですから、人ごととも思えず、お悔やみに行き、告別式にも出席して、お参りさせていただきました。
 それから何年かの間、独り暮らしをして居られたおばあさんが、ある日我が家へ訪ねて来られました。丁度私達は旅行に出かけて留守でしたので、息子が応対したのですが、「年を取ったので、認知症の人が集まって暮らす、遠くのホームへ行きます。」と仰って、懐かしそうに私達の息子が子供だった頃の話をして、帰られたとの事でした。上品な方でしたし、認知症などとは思ってもいませんでした。
 私達が帰った時にはもう隣は空き家になっていて、夜になっても電気が付かず、寂しい思いをしていました。家の回りの道路の草取りや、下水溝の掃除など、お隣のよしみでして上げて、空き家と直ぐには気付かないように心掛けていました。
 何年かして、その家が売りに出されました。とてもしっかりと建てられた、良い家でしたし、入居される方が家の内外に手を入れて、綺麗な家になりました。我が家ではどなたが後に住まれるのか、期待していました。
 やがて、幼児とご夫婦の三人の家族が移りすみました。やっと真っ暗だった家にも明かりが灯り、笑い声や子供さんの泣き声が聞こえてきて、人間同志が寄り添って生きていく幸せが実感出来て嬉しく思いました。今ではすっかりうち解けて、女の子供さんとも仲良くなって、子供の声があまり聞かれなくなった団地に活気が戻ってきたようです。
 
   
     空き家に幼児と家族住みついて幸せさうな灯火見ゆる
     桜散る花びら集め幼児は一人三役のままごと遊び
     まどろまんと瞳閉じれば耳に入るそよ風小鳥幼児の声
         (実名で某誌・紙に掲載)
 



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