ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

トルストイの言葉から

2010年06月29日 | 随筆・短歌
 過日図書館から、「映像の世紀」というDVDを借りて来て観ました。世界最初の映像は、1885年の或る工場から退出する人々を写したもので、フランス人によって写されたものでした。その後1909年にトルストイが、モスクワ駅に降り立った時の映像を見せてくれました。当時は作家が大衆のヒーローで、数万人が集まった駅に、78歳の白髭のトルストイが降りて来ました。
 動くトルストイの映像を初めて観た私は、とても感動しました。1904年にタイムズに寄稿した彼の、日露戦争を批判した「思い直せ」には、「一方は一切の殺生を禁じた仏教徒、一方は世界の人々の兄弟愛を公言するキリスト教徒である。むごたらしい方法で互いに傷つけ合い殺戮を重ねようと、陸に海に野獣のように相手のスキを伺っている。これは夢ではない」と書いていました。
 続いて日露戦争の時の東京の街の様子も写していました。時あたかも与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」が書かれた頃と一致します。路面電車が動いていて、昔懐かしい思いを起こさせる映像です。
 1909年、82歳のトルストイは、「人間には他者への義務だけでなく、自らの中に宿る精神に対する義務がある」とも言っいます。これは現在を生きる私達にも、またこれからをら生きる人達にも大変教訓に富む言葉だと、深く感動いたしました。「自らの中に宿る精神に対する義務」といったことなど、見失ってしまった人達がこの地球に溢れる日が、何時かやってくるかも知れないことを、トルストイは予感していたのでしょうか。
 トルストイが最後に書いた手紙は、南アフリカ民族解放運動にいた、ガンジーに宛てた手紙だそうです。「貴方の雑誌インデアン オピニオンを受け取りました。そこに書かれている無抵抗主義の人々のことを知り、喜んでいます。そこで私の心に生まれた考えを貴方に聞いて頂きたくなりました。それは無抵抗と呼ばれている事が、愛の法則に他ならないということです。愛は、人間の生涯の最高にして唯一の法則であり、この事は、誰でも心の奥底で感じていることです。私達は、子供の心の中にそれを一番明瞭に見出します。 愛の法則は、ひとたび抵抗という名のもとでの暴力が認められると、無価値となり、そこには権力という法則だけが存在します。ですから私は、この世の涯と思われるトランスバーグ(南アフリカ)での貴方の活動こそ、現在世界で最も重要なものと信じます」
 これは1914年のサラエボ紛争の最中に書かれたものです。やがてトルストイは旅に出て、小さな駅で亡くなりました。「戦争と平和」を書いたトルストイらしい言葉だと、感激の余り映像をストップさせて何度も読み直しました。
 現在でも世界のあちこちで紛争が起きていて止むことはありません。戦争は勝者敗者を問わずに、多くの犠牲者を生みます。もう一ヶ月もすれば、また終戦記念日がやって来ます。私達の祖国は、あの悲惨な戦争によって、何百万人もの尊い命を失いました。民主主義が消えた国家の末路を、私達は多くの掛け替えのない代償を払って学んだのです。
 こんなばあさまには、偉そうなことを言う資格はありませんが、戦争を経験し、原爆の被害に遭った日本人として、各々がどう行動していったら良いのでしょう。そして将来を生きる子供達に、何を残していくべきなのでしょう。そんなことを考えています。

 幾千年人の世の争ひ見続けし土偶の眼(まなこ)は哀しく虚ろ (某誌に掲載)



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人材は誉めて育てよ

2010年06月23日 | 随筆・短歌
 サッカーのW杯で、日本は0対1で惜しくもオランダに敗れました。日頃からサッカーは殆ど観たこともなく、ルールさえ良くは知らないのに、W杯ともなると、矢張り観ないでは済まされません。夜はレンタルビデオと殆ど決めているのに、この日は夫と二人でテレビに釘付けでした。
 翌日の新聞の一面トップは、多くはこのニュースでしたが、日経は流石に中国の人民元が話題になっていて、サッカーは中央下に小さめに載っていただけです。その日経では、日本が失った一点について、後半の2ページを割いて「守護神川島の 痛恨」と大きな見出しで書いてありました。先の試合から神がかりのような気迫で頑張っていた川島にとっては、確かに痛恨の一打だったでしょうが、あの弾丸シユートを誰が止められたでしょうか。川島の責任とは書いてありませんでしたが、少し気の毒な気がしました。
 ある人が「勝てば選手が誉められ、負けると監督が責任を問われる」と言っておられましたが、様々な表現によって、マスコミなどに大きく持ち上げられたり、責められたりする人々が気の毒にも思えました。
 多くの英才を育てた吉田松陰の教育法は「人は誉めて育てよ」に徹していたそうです。また、「やって見せ、誉めてやらねば人は動かぬ」と山本五十六は言いました。人材を育てるということは、なかなか至難の業です。けれども日本が、これ程短期間に選手を育て、勝ち抜いて来たことに、選手の努力は勿論のこと、指導者の方々に敬意を表したい思いです。
 ところで、鹿児島の西郷隆盛の墓地へ行った時に、南州の顕彰館へ立ち寄って、西郷南州の遺訓集を買って来ました。その中に「徳の高いものには官位を与え、功績の多いものには報償をもって報いよ」という意味の部分があって、私はその言葉が今だに忘れられず、強く印象に残っています。
 日本では、年功序列の給与から、成果本位の給与になって、次第に育児や教育にお金がかかる年代の人には、厳しい世の中になりました。確かに成果を上げた人に多くの給与を与えるのは、良い面もありますが、それだけを重視すると、人間関係もギクシャクして来ます。その成果によって地位が決まるとなると、そこで働く人の心はどうなって行くのでしょうか。このようにして出世してきた幹部の人達とは、どういう人間像を持つ集団となっているのでしょう。
 南州の言うように、高い成績を上げた人には報償を与え、信望の厚い人に人を上司にしないと、愛社精神など生まれないのではないでしょうか。効率第一主義は、人間から慈悲の心を失わせ、自己本位で、孤独な人間の集まりと化して行くような気がするのです。
 部下に愛情を持って接する上司につけば、サラリーマンとして、これ程幸せなことはありません。ノルマのある営業関係などの人達は悲惨です。ノルマは年ごとに上乗せになって、際限がありません。成績の良い人も、何時かは必ず達成出来ない日がやってきます。 そうなった時、効率第一主義の上役はどういう態度を取るのでしょう。またライバルであった同僚達は、どういう態度を示すのでしょう。想像しただけで辛くなって来ます。日本人の自殺者がここ10年以上に渡って、3万人を越えている理由が分かるような気がします。
 そろそろ成果主義のみという考え方から脱皮して、働くことに喜びを感じ、生きていることに意義を感じる社会に変えて行かないと、この国の人々の心は、殺伐とした砂漠の様になっていくのではないでしょうか。繰り返しますが、誉めて育てることで自信を持たせ、豊かな人間性を育む、幼児教育、学校教育、地域教育、職場教育が大切なのではないでしょうか。素晴らしい試合を見せて下さった両国の選手の皆さんに、教えられ考えさせられた一夜でした。

 サッカーに汗流したる男(お)の子より命の発芽の湯気立ちのぼる (某誌に掲載)



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引き出しの髑髏(どくろ)

2010年06月17日 | 随筆・短歌
 まがまがしい題で書き始めてしまいました。「引き出しの髑髏(どくろ)」とは、見えないようにそっと隠しては置くけれど、だれもが持っている哀しみや苦しみを言います。多くの人は幾つもの辛く悲しい思いを抱きながら、それをそっと引き出しに納めて、日常は何事もないように明るく振る舞って暮らしています。
 私くらいの年齢になると、何の苦しみも悲しみも病気もないという人は、ごく希のようです。その上若かった頃は考えもしなかった死が身近に感じられるようになって来ますと、その時の為の心の準備や、後に残る人が困らないように片付けもしなければなりません。 けれどもそれらは不思議なことに悲壮感は無く、過ごして来た日々を思い出しながら、むしろ充実した時間でもあるのです。我が家では物置の壁の書棚に、ズラリと並んだアルバムがあります。出入りする序でに一寸眺めたりすることがあります。すると写真の時代にタイムスリップして、楽しかった日々や悲しかった想い出に出会います。
 それ等は娘や息子が誕生した、喜びの時代のものであったり、娘の結婚式や、息子が大学に入学して独り暮らしを始めたアパートでの記念写真であったり、義父母や娘の葬送の哀しみの写真であったりします。そして、そのアルバムの半数は、私達夫婦の旅の記念写真です。一気に様々な時代を通り抜けて、そっと閉じる時は、もういつもの顔に戻っています。
 私達が此処に家を建てた頃は、未だ周りは開発途中で、我が家の前の道路の両側も少し行くと田畑が広がっていましたが、今はすっかり個人住宅とアパートが密集する地域となり、近くにはマンションも建つようになりました。土地を決める時に60m位離れた所に高校があるのが気に入って決めたのですが、それは今でも賢明な選択だったと思っています。
 今でも町内には、昔の付き合いが残っていて、近くの家の方が結婚したとか、赤ちゃんが生まれたと聞けばお祝いをあげ、亡くなられると通夜や告別式に出席します。勿論日頃会えば、挨拶や立ち話もするので、マンション暮らしのように、隣は何をする人か解らないという生活ではありません。
 夫には「ゴミ出し友達」と夫が呼んでいる人達がいます。それは、幼稚園や小学校に通うような子供であったり、若い奥様や、年配の男性です。最近はばゴミ捨てが男性の役目になって、かなりの数の男性とも出会うのです。そんな人達と言葉を交わし、時には立ち話をして帰ってきます。ゴミ捨て場は、80m程の所ですし、毎日時間がほぼ決まっているので、決まった人に会うことが多いのですが、時折思いがけない情報を持って帰ってくることもあります。
 そんなことから、同時期に住み着いたこの周辺の人々の幸不幸も自然に耳にして、どの家でも日常は、明るく過ごしていますが、何の悩みも無いと思われる家の方に「お宅はお幸せですね」と言うと「外からは見えないかも知れませんが色々と悩みがあるのです」とお聞きして、驚いたりします。意外な男性や女性の口からそう言った言葉をお聞きして、「苦しみを背負って生きるのが人生というものか」と今更に思うのです。
 精神科医の神谷美恵子氏が「悩みの無い人はごく希であって、殆どの人は苦しみの中を生きている」といっていますが、その通りだとこの頃つくづく思うのです。
 けれども哀しみも苦しみも耐えて乗り越えてくれば、それは決してマイナスでばかりはなく、自分の心を育ててくれています。哀しみや苦しみを味わえば、人の哀しみも理解出来、思いやりの心も育ちます。又今の自分が如何に幸せか、ということにも気が付いて、感謝せずにはいられなくなります。
 兎角「それは予期不安だ。先の事は、何事か起きたらその時に考えれば良い」と夫に諭されることが多い私ですが、少しずつ開き直り、怖れることはない、残された時間を前向きに生きて行こうと思う様になりました。
 先年高野山金剛峯寺を訪ねた時、本堂の掲示板に書かれていた「小雨が大地を潤すように、少しばかりの悲しみが人間の心を優しくする。心配しなくても良い。必ずよいようになるものである」の言葉を噛みしめて過ごしています。

 老い先の限(きり)なき不安を払はんとお香聴きゐる初夏の独り居
 引き出しに髑髏をそっと押し込めてあの家この家静かに暮れる (全て某誌に掲載)



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待てないこの国の人々

2010年06月11日 | 随筆・短歌
 地球の自転が速くなった訳ではないし、一日の時間が短くなった訳でもなく、まして人生は長生きの方向に向かっているのに、何だかこの頃は、速く速くと心急く人が多くなっている気がします。
 次の仕事に移るのに時間が掛かり、いわゆるしりの重い私は、夫に「速くしなさい」と日に何度も云われて、追い立てられるように暮らしています。
 しかし、このせっかちは夫だけではなく、現在の日本人に共通して言えることのように思います。政治に対しても、結果を求めるのに待ちきれず「公約違反だ」と直ぐに云います。近年段々その傾向が烈しくなって、私などは、何故もっとじっくりと待ってやれないのか、と思います。
恐らく日本中がせわしくなって、何事につけてもその結果を速く出さないと、我慢が出来なくなってきているのでしょう。これは心のゆとりが無くなって、ギリギリの精神状態で生きている証拠でもあり、「成果主義の社会がもたらした、常に追い立てられて生きている日本人」の現実を垣間見る気が致します。
 ある高名な評論家が新聞に「直ぐに結果を求めずに、もっとじっくりと待ってやる心のゆとりが必要だ」とも「政府にだけ責任を求めるのではなく、自分が出来ることは自分で行い、みんなで社会を作り上げる心掛けが大切だ」と書いておられました。
私はこの記事を読んで、救われた思いでした。云ったことが直ぐに実現されないと、「駄目だ」と云って切り捨ててしまうのではなく、如何に努力しているか、をじっくり見ながら待つことも、良い政治を実行して貰う為には大切なのではないかと思うのです。
 生き急ぐことは、死に急ぐことでもありますから、もっと心にゆとりを持って、ゆっくりと、だが、しっかりと見、聞き、考えていきたいものだと最近とみに感じています。
 一方何より急を要する「口蹄疫病」の処置などは、「住民の協力が得られない」といっている内に、感染を拡大してしまいました。いつもは「地方のことは地方に任せよ」が口癖の人達も、こうなると急に「国がどう責任を取ってくれるのか」と云います。一刻を争う事態では、先ず地方が初期的な対応を行うべきものであって、国の対応ばかり非難するのは、いささか見当はずれのように思います。現地の初期対応がもっと適切であれば、感染拡大をせずに、結果的に多くの人達を守れた筈なのに、と残念に思います。地方分権を主張するには、権利と共に責任も付随するのであって、今回の事件を見ていて、これでは地方の事は地方に任せよ、とは言えなくなるのではないかと思ってしまいました。
 スポーツ選手が良い結果を出せないと、直ぐにブーイングが出たり、降ろされたりは、日常のことですが、此処までくるのにどれ程の努力があったのか、それを讃える気持も欲しい気がします。負けて去っていく人にも惜しみない拍手を送りたいと、日頃から心掛けている積もりです。
 話が少し横道にそれてしまいました。速く速くとせっかちに要求をするだけでなく、自分に出来る事が無いかを考えて欲しいと思います。何も協力しないで、要求ばかりするのはす慎みたいことです。そうでないと、次に自分の所へ立場が回って来た時に、同じように困るのではないでしょうか。
 民主主義というのは、成熟すればするほど、決定に時間がかかるものだと思っています。
国政は国民のためのものですから、国民に対して良いことには、野党だとか、与党だとかは関係なく、協力していく態度も必要です。マスコミも短所ばかりを追求するのではなく、評価すべきところは、正しく評価する報道をしてこそ、国民に取って有益なマスコミと言えるのではないでしょうか。
 みんなでこの国をつくるという立場に立って、要求するばかりでなく、お互いに温かく見守りながら、一人一人が自分の出来る範囲内で協力して行く、そんな国の実現を夢見ています。



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靴に歩かされる

2010年06月05日 | 随筆・短歌
 この春私は自分の使っていたスニーカーを買い換えました。勿論日頃のウォーキングに履くものですから、ウォーキングシューズです。
 初めてウォーキングシューズを買ったのは、もう10年位前の事です。息子に「毎日歩くには、しっかり歩けて更に転倒予防にもウォーキングシューズを履くべきだ」と云われ、それも普通の靴店ではなく、「スポーツ用品専門店から買う方が良い」と云われました。歩く靴には不便を感じていなかったのですが、この際試してみようと思い、何時も私の買い物に付き合ってくれる夫と二人で選びに行きました。大手のスポーツ用品専門店から、店員の薦めてくれたシューズを買って来ましたら、息子は「まあまあだけれど、もっと価格が高くてもしっかりしたメーカーのものの方が良かった」といいました。
 翌日から早速履いてウォーキングに出て、私は大変驚きました。それはもう感動と云える程でした。足が独りでにホイホイと前に出て、何だか「さあ歩きましょう」と靴が勝手に先導している感じなのです。すっかりウォーキングシューのファンになってしまいました。それからは、旅行はウォーキングシューズにリュックとなり、四国遍路も京都・奈良も旅はみなウォーキングシューズになりました。
 とかく歩いているときに躓きやすかったのに、ウォーキングシューズは、靴先がやや反り返っているので、躓くことも無くなり、踵が少し丸くなっているので着地姿勢も良くなり、背筋を伸ばしてとても快適に歩けるようになりました。
 以来買い換える度に少しずつ良いものを選び、年を取ると共に革靴よりもウォーキングシューズでの外出が多くなっていきました。この度買い換えるに当たり、矢張りスポーツ用品の専門店で、日頃節約を旨としている私としては、思い切って一段と高価な靴を選びました。店員さんが足のサイズを測って、持って来られた靴を履いた時に、初めてウォーキングシューズを履いた時の感動が甦ったのです。靴が「さあ、歩きましょう」といっているあの感触です。軽くて足に馴染んで、もう何年も履いていたような気持にさせる程、履き心地の良い靴でした。
 スポーツ選手が自分の履くスポーツシューズを左右とも足に合わせて特注するということは、以前から知っていましたし、或るマラソン選手が素足で履いたシューズで靴擦れを起こし、良い結果に結びつかなかったことも聞いていました。けれども私のような素人には、そんなことは無関係だと思っていたのです。ところが自分の足に合った靴を選ぶことが、長い時間姿勢良く歩けて疲労も少ない、と云うことにやっと気付いたのでした。
 安物買いの銭失いという言葉がありますように、「私などには勿体ない」と思う気持ちが比較的安い靴を選んでしまうことになり、何足目かの今回になって、やっと息子のいう「高くても信頼出来るメーカーの良い靴」という言葉の意味が解ったのです。
 この話を息子にしましたら、「靴に歩かされるという感じだよね」と云いました。ほんとうにそうなのです。こんな事くらい皆さんはとうにご存じかと思いますが、ますます足の痛みによって、歩くのが辛くなってきている私には、救いの神でありました。
 登山の時に登山靴を履くと、足がピタリと地に吸いついて、滑らず怪我をしないように、又スキーにはスキー靴が必要なように、毎日のウォーキングにこそ、高くても良い靴が必要なのだと知らされたのです。最近万歩計を付けて歩いてみているのですが、今日は何時もどおりのウォーキングと日常生活で、夜8時現在約1万2000歩を示しています。毎日のウォーキングそのものは、7千歩程度ですから、家事労働も可成りの歩数になるのだと感心しているところです。
 ウォーキングシューズのお陰で、足の痛みも少しずつ軽減して来ました。「また旅に出かけられるかな」との希望を抱いています。二回目三回目の古刹を含めて、行きたい所がまだまだ沢山あります。弾む足に弾む心を載せて、仏さまの前に立ち心を通わせるあの感動に、また出会いたいのです。

 我が存在無視するが如阿修羅像に取り込まれゆく夫の魂
 アシュラアシュラ我が哀しみをそのままに長きその手で受け止め給へ (某誌に掲載)
 

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