ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

価値観は変わってゆく

2019年11月29日 | 随筆
 最近離婚が増えて、「3組に1組の夫婦が離婚している」とテレビで聞きました。愕然としました。本当か?と思って、何でも調べみたい私は、早速統計局のホームページなどを検索してみました。
 平成30年の婚姻と離婚の確定数をみると、矢張り大まかにみて3組に1組に近い数になっていました。統計を取り始めた1899年(明治32年)頃は、まだ少ないのですが。時代と共に離婚率が高くなってきています。この現実をどう理解したら良いのでしょうか。アメリカは現在2組に1組といいますから、今後日本も更に増えるのでしょうか。
 どうしてこのように離婚が多くなったのでしようか。理由としては、「性格の不一致」が第一番の理由だとありましたが、結婚は二人で合意して成立するものですから、結婚してから、それまで見えなかった性格の相違に気付くカップルが多いのでしょうか。それとも昔に比べて自己主張が強くなり、妥協しなくなってきたのでしょうか。欧米では、自分の主張をしっかり言えることが大切だといわれます。確かに自分の考えを主張することは良いことだと思いますが、お互いに相手の立場に立って耳を傾ける寛容さがなければ合意に至りません。
 離婚する年齢を見ると、歳を重ねるほど離婚は減るようで、一番多いのは20歳以前のカップルだとありました。それはアメリカと同じで、2組に1組だと書いてありました。
 明治の頃のやや早婚から、次第に晩婚化してきてはいますが、現代は本人の意思が尊重されるようになったこともあり、再び10代の結婚が増え、同棲も多くなっています。10代の結婚の内60%が離婚してシングルマザーだと聞きますと、二度と来ない青春時代を、よく学びよく遊んで、人間性を高めるべき良き時代を失ったままに過ごしてしまうのでしょうか。少し勿体ない気がします。
 近視眼的にならないように、時間をかけて相互理解を深め、これから先の長い人生を出来るだけ心豊かに過ごして欲しいと思うのです。
 性格の不一致と言われる一つは、身に着いた価値観の相違が大きいように思えます。歳をとった夫婦が、似たもの同志と言われるのは、長い人生の苦楽を共に過ごす間に価値観が似て来るのだと思います。
 また結婚までの間の学生生活や社会生活を通して、同じような時代を生きてきている訳ですから、若者も自ずと似た価値観を持っても不思議ではありません。
 私のとても尊敬していた友人は、病という苦境にあっても、夫婦お互いがいたわり合い感謝しあって暮らしていました。それは見事なご夫婦でした。「私達は価値観が同じ」と仰っていましたが、それが何より大切なことだと思います。もうお二人とも鬼籍に入られました。想い出すだけで温かく、私の心もほのぼのして来ると共に、シャンと背筋を伸ばさなければ、とも思います。
 離婚がもたらす弊害を思う時、一番気になるのは、子供の置かれる立場です。両親が離婚してしまうと、弱い立場の子供達はどうしたら良いのでしょう。大人ですら迷うところがありますのに、まして子供はどうして良いのか分からないことでしょう。小さな心を痛めて、自分の将来を不安に思うことでしよう。
 離婚が全て悪だとは言いませんが、自分たちの愛する子供達を置いて、自己都合と言うわけにはいきません。罪のない子供達の弱い立場を充分に考えてやって、将来一人で生きて行けるようになるまで、可能な限り手を尽くして守ってやるのが親の責任であり義務です。
 親の子供への教育熱心からの過干渉も、子供から心のゆとりを失わせ、追い詰めます。読書の環境などは整えてやっても、強いるものではありません。私自身も、文学全集や動物図鑑、植物図鑑など身近に置いてあった本を夢中になって読んだ経験があり、同じような環境作りをしました。育てられたように育てるものだと聞いたことがありますが、本当ですね。
 また子供が親の夫婦喧嘩の不満のはけ口になったりすることもあるようですが、どれ程小さな心を悩ますことでしょう。親にはそれなりの理由があったとしても、子供に罪はありません。離婚して一番大切な事は子供の心を大切に育てることでしょう。以前に増して心を配って、前の二倍の愛情を持って子育てに力を注がなければなりません。それが出来て初めて離婚の責任を果たしたことになると思っています。大変でしょうが、頑張って欲しいです。
 最近子供に対する虐待が増えて、痛ましい事件に繋がるケースも多々あります。しかし、親としては子育てほど大切なことは無い筈です。愛情不足の状態だけは、避けなければなりません。親の離婚によって、愛情不足の子ども達が増えることは、子供にとっても社会にとっても不幸な事です。
 心を痛める余り、偉そうに書き過ぎたようにも思いますが。以前、当ブログで「子育てが一番仕事は二番」等と書いたことを想い出しています。子供の居る家庭では、何よりも愛情に満ちた子育てが大切だと思うのです。私自身子育てに自信があったわけではありませんが、共働きが増えて主婦も自分の仕事に加えて、家事も育児もこなさなければならない人が増えました。
 最近は家事も育児も夫の手を借りやすくなってきたようですが、両親の協力によって、充分愛情を注いだ子育てが、子供を守り家庭を守ることに繋がると思っています。
 それには夫婦の充分な話し合いが必要です。心がしっかりと繋がった夫婦に、子育ての危機は訪れないとも思えます。また価値観も近くなって、苦楽を分かちあって過ごせるでしょうし、家族の誰にとっても幸せな日々を過ごせるのではないでしょうか。家族の会話の多い家庭でありたいですね。
 寒さがつのると夕暮れは一段と心細く感じられて、何かと心配事が増えるようです。しかし、元気な子供達が家の前の道路を駆けて行くのを見ると、つい応援したくなります。家の中にばかりいて、ネット中毒になる心配も最近言われています。子供は風の子、元気で走り回っていて欲しいです。何分にもこの国の未来を背負って走り回っている宝達なのですから。

 仲の良い夫婦ほど、お互いに難しい努力をし合っている、ということを見逃してはならない。
                                    野上弥生子(1885~1985)


必ず越せる心の峠道

2019年11月09日 | 随筆
 この度の豪雨の災害で、身内に亡くなられた人がおいでの方も居られることでしょう。心からお悔やみ申し上げます。かけがえの無い家族を失うことは、とても辛いものです。
 じっと耐えて居られる方達のご健康をお祈り申し上げて、出来るだけ早く、元の生活を取り戻されることをお祈りしています。
 
 私が娘を失った時に、以前上司だった人が、次のような言葉を掛けて下さいました。
 『私は妻を亡くした時に「三年辛抱すれば良い。そうすれば乗り越えられる。」と知人にそう言われたのです。私は「そういうものか」と思って3年間ひたすら努力しました。悲しみは次第に薄まって、矢張り3年経った頃には次第にやわらぎました。乗り越えられない悲しみはありません。きっと立ち直れる日が来ますよ。』
 私も「そういうものか」と思いましたが、とにかく娘を失った後は、悲しくて悲しくて、毎日気持ちの整理をするために、家を出て遠回りしてぐるりと一回り歩いて家に帰るのですが、道々涙が零れるのを止める事が出来ませんでした。夫も勤めていて、多くの時間は一人で耐えなければなりませんでした。
 病室でただ手を握って傍に居ることだけしか出来なかった頃を思うと、娘が亡くなってから今日までの20年ほどの年月は、夢のようです。当時は「こんなじゃいけない」と思うのですが、涙が零れるのをどうすることも出来なかったのです。
 今になって振り返ると、乗り越える迄には私には七年という歳月が必要だったと思えます。でも言われたように乗り越えられない悲しみはありません。「日にち薬」で、やがて穏やかに思い起こす事が出来るようになりました。今のように笑顔で振り返る日が来ようとは、そして反って「守ってくれて有り難う」と娘に感謝しているなんて、当時は想像もできなかったのでした。
 「苦しい思いをすればするほど人間は優しくなれる」と言われますが、本当にそう思えるこの頃です。
 「高倉健のひと言」として、澤地久枝が「昭和とわたし」(文春文庫)の中で、
 『「志村喬さんが亡くなってしばらくたった日、高倉健が弔問に訪れた。その帰りぎわ、夫人は「健さん私死にたい」と心の底にある思いを口にした。高倉健は言葉もなく立っていた。予期はしていても、現実に死と向き合ったとき、悲しみは生き残った者を狂わせる程はげしく襲って来る。志村夫人の涙を黙って受け止めていた高倉健は、「自分は明日、ロケで南極へ行きます。帰って来るまで死なないで下さい。」と言って去った。』とありました。
 日頃から寡黙で温かい、高倉健らしい言葉と思いやりです。死を思う人も、日が経つに連れてその悲しみが薄れていき、死なないで越せることを知っていたからでしょうか。心憎いほどの温かい言葉です。

 『人生の苦しみは、その当座はいつまで続くかと思うが、一年経ち、二年経つと、記憶の中から遠ざかってゆく、だから私は何か苦しい時は「いつかは消える、いつかは消える」と心の中でつぶやくことにしている。 遠藤周作「変わるものと変わらぬもの」 』
 
 みなこうして辛い日々を乗り越えてきています。私にも出来ない事では無い、と思えるのでした。しかし、「言うは易く行うは難し」で、これはなかなかの難行苦行ではありました。
 平穏な暮らしの中で過せる日々の有り難さを思うと、今日のような穏やかな晩秋の一日は、かけがえの無い大切な一日だと思えます。日々短歌を詠んだりブログを書いたりして忙しい思いで一日が暮れてしまうのも、多分実りある人生の一時なのだと思って、感謝しなくてはと考えています。
 愛する人を失って、悲しみのどん底に突き落とされても、必ず立ち直って生きて行けるように、神さまは守って下さっていると、私は信じています。