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ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

三度巡った四国遍路

2024年08月24日 | 随筆
 もう数十年前の事になりますが、或る日突然私の先輩の女姓教師が私に笑顔を向けて「貴女は四国遍路に行かれた事がりますか?」と問いかけられました。「いいえ」と答えましたら一枚の写真を私に見せて「とても良いものですよ。貴女も機会があったら是非行っていらっしゃい。」と言われました。
 写真は40人位の団体旅行の集合写真で、ガイドさんや添乗員さんも加わってどこかの砂浜らしいところ(後に四国の「桂浜」だと気付きました。)での記念写真でした。「四国遍路」と言う言葉は知っていましたが、それは私の日常生活からは遠くかけ離れた言葉でしたし、突然云われましたので少し戸惑い気味に聞きました。
 私も夫もそれぞれの勤めがあって「共働き」でしたが、やがて二人とも退職して、自由な身になりました。夫も私も旅行が好きでしたし、国外へは行きませんでしたが、ごく身近への家族旅行や国内の旅行によく出掛けるようになりました。
 夫が運転する車でソーメン流しのある所へ行ったり、登山やキャンプをしたり、家族で良く出掛けてだんだん遠くへ行くようになりました。やがて暇人の私と夫は、二人で九州や北海道へも足を延ばす様にもなったのでした。
 現在手元に在る四国八十八カ所巡りの時の私達の資料を見ますと、四国では合計38ヶ寺回ったことになります。88ヶ所の約半数でしかありませんが、普段の旅行とはひと味違って想い出深い旅になりました。あの時勧めて下さった先輩教師に今も感謝しています。
 遍路に出掛ける人達は、先ず一番札所の近くにある遍路の支度が調えられる売店で、白衣とか、納経帳とか、納め札とか様々な必要品を買い整えるのです。私が嫁いだ家が真言宗でしたから、生家の浄土真宗とはしきたりも違います。そのお寺の住職さんが、私達が遍路に出掛けると言うことを知って、そのお寺の紋が刺繍されている紫の輪袈裟(首に掛ける)を私と夫の分の二本を持って来て「気を付けて行って来て下さい」と言われました。お心遣いに深く感謝しました。
 遍路の白衣は、一番札所の近くの売店で整えました。珍しかったのは、「納め札」というお札があり初回の人は「白」二回目の人は・・・と回数で納め札の色が変わって最高は金色になるそうです。
 今、我が家の箪笥には、当時着た遍路の白衣が糊付けされて入れてありますが、家族には「もし私達が亡くなったら、それぞれ襟の下端に名前の入った白衣を、各々の棺に入れて欲しい」と頼んであります。あの世まで同道して頂く積もりです。
 
 ところで不思議なのは、一回目の遍路の旅から帰った時の事です。留守を守ってくれていた息子にはとても感謝しました。幾日も不在にしていると、私達の地域では当時回覧板が回って来たりしましたし、会合もありました。何とかそのような行事もなく、無事に過ごせました。
不思議なことに帰宅して暫く身体を休めていると、幾日もしないうちに又遍路の旅に行きたくなって来るのです。本当に不思議なことですが・・・。結局今までに3回遍路の旅に出たことになります。

 遍路の旅は、想像していた以上に何だか心が落ち着いて、とても気分が良い日々でしたし、何故かホッとした充実感を覚えたりして、参詣したお寺のご本尊の前では「お会い出来て有り難う御座います」とか「お守り頂いて有り難う御座います」と掌を合わせました。本当に心安らぐ良い経験でした。
 旅を終えて少し感慨にふけっている内に、直ぐに又遍路の旅に行きたくなるのです。本当に不思議なのですが、三回回った遍路旅で、三回とも又直ぐに出掛けたくなりました。しっとりと心にしみわたるように、各お寺の雰囲気と祈りの日々の充実感が心の底に静かに溜まっていくのが解りました。多分この感情は、遍路として四国路を巡った人でないと解らないかも知れないと思う位です。
 遠い昔、遍路の途中で亡くなられた人も居られて、その様な人の小さな墓が道の傍にありまた。掌を合わせてお参りしたりしました。土佐の高知では、お手洗いへ寄って出てきましたら「お遍路さん何処か具合がわるいのですか?」と声を掛けて頂いたり、4番札所の近くでは、「丁度そちらの方へいきますから、乗りませんか?可成りとおいですから」と自家用車に乗せて頂いたりもしました。四国と言うところは誰もがお遍路さんには優しい様でした。ご本尊の前でお参りして、太子堂でお参りして、又ご本尊の前に戻って又お参りして、納経帳を記載して下さる方達のところへ行って記帳して頂くのです。時には団体のバスが着いて、記帳までに時間が掛かることもありましたし、その様な団体の方達は別に記帳のノートだけ回して・・・などというやり方もあったようです。私達は個人でしたから、一つ一つ時間を掛けてお参りし、記帳して貰って次へ行く、と言う繰り返しでした。祈りの時間も又趣きの深い処があって、一つ一つが豊かな時間でした。
 
 この様な経験を積み重ねての遍路の旅でしたが、多くの住人の方達は優しく温かく、何くれとお世話になりました。有り難いことでした。



南無大師お遍路道に鈴が鳴る野火焚く見ゆる菜の花の道


桂浜寄せ来る波の問いかけに答えの見えぬ我が遍路道

                         
                          あずさ