ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

先んじてやるべきことは

2013年07月31日 | 随筆・短歌
 先日来「過去に経験した事の無い豪雨」と気象庁が発表した豪雨が日本のあちこちで降っています。何時何処に降るかという予想が、現在の気象学でも計りがたく、降ると思っていないのに突然降り出し、一時間当たりの雨量も、24時間の積算雨量も「過去に経験した事のない」量になっています。
 突然の災害に遭われた方は本当にお気の毒です。地震や津波のように大災害で亡くなられた方も、今回のたった一戸が流されて跡形もなくなり、そこに住んで居られた方が亡くなられたという事故も、犠牲者の数は少なくても、その家庭にとっては或いはその個人としては、同じ悲しい出来事です。
 大きな災害には寄付など大勢の国民も繰り返して拠出しますが、全国各地で起きているこのような災害には、人々もなかなか手が出せず、ひたすらに残された皆さんのご無事を祈るだけです。
 今回の災害と、国の大規模な公共事業の計画について、政治は聞きかじり程度の私ですが、先ず先んじてやるべき事は、災害からの復旧復興だと思います。
 このことについては、きっと皆さんも同じ考えかと思いますが、景気浮揚のために、全国的に公共事業が始まるということで、今まで東北地方の復旧工事をしていた人も居住地に帰ってしまい、人手不足で東北の復旧復興は、大幅に遅れていると聞きます。私の友人も未だに復興住宅暮らしです。大勢の被災者がこれから夏の酷暑を凌ぎ、又冬の寒さを凌ぐのかと思うとたまりません。
 一日も早く、心落ち着く我が家で暮らせるようにするにはどうしたら良いのでしょう。公共事業の予算を災害の復旧復興に当てられるように、出来ないものでしょうか。今まで無かった新しい高速道路を作るよりも、今までの暮らしを先ず被災者に提供する事こそ、最優先だと信じます。
 ところが今日のお昼のニュースによると、去年の東北の復興予算が使われないままに3.4兆円以上余ってしまっているそうです。友人の被災者や識者の話では、災害復旧に当たり、都市計画が具体化せず、予算要求の仕方も難しく、なかなか予算を使うことが難しいのだそうです。縦割り行政のせいだとある人は言っていました。「お金が無くて出来ない。人がいなくて出来ない。融通がきかなくて予算が使えない。」では、なかなか復興が進まないのも無理はありません。
 そして、次々に明るみに出てきているトンネルや橋などの老朽化に対する対応を進めなければ、現在手にしている安全さえ保てない、という不安に駆られます。このまま放置しておくと、年年老朽化は進むぱかりです。
 復興復旧や老朽化の手当の公共工事を最優先して取り組み、目途が付いてから、計画的な公共事業に取りかかれば良いではありませんか。労働力が分散しては、なかなか工事ははかどりません。
 国と地方との管理や負担の問題があるとは思いますが、現在孤立中の集落のある津和野では、道路の決壊と土砂崩れの山で、当分孤立が続き、大切な水道の復旧の目途も立たない状態のようです。
 全国的に見て、今一番置いていかれそうなのは、天災の上に放射能迄こうむった東北地方ではないでしょうか。あれからもう2年4ヶ月にもなります。復旧を待たずに亡くなっている人も多いのです。せめて私達がそんな人達にしてあげられることは、声を大にして、復旧復興を最優先して上げて下さいと言うことではないかと思っています。
 明日は我が身と言われます。現に予測しない豪雨の被害に遭っててしまった人達が居られる訳ですから、矢張り安全安心に住めることに、公共工事の費用を先ず充てなければならないと思います。
 私達はすでに復興の為の税金を納めています。なのに一向にはかどらないのは、行政の怠慢と言われても仕方がありません。
 「美しい日本」というのが第一次安倍内閣のスローガンでした。それが今傷だらけになっています。ところが第二次安倍内閣は、経済成長に重きを置き、最近は復興の方はトーンが落ちた感じです。
 ねじれ国会が解除されたのですから、今後を大いに期待しています。議会から復旧という議題が消えないように、選挙に勝ったお礼とか、利権がらみの公共工事は、国民も厳しく目光らせていることでしょう。「美しい日本」から更に一歩踏み込んで、温かい政治に、そして素早い予算執行をお願い致します。
 参院選挙で大声を張り上げて居られた「先ず復旧復興」を「できなかった、又はしなかった」にせず、どうか実践をお願い致します。今日も災害現場で酷暑の中を、被災者でない人達も協力して復旧に努力して居られる人々に、心からの感謝を申し上げたいと思います。


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リベラ投手と野球精神

2013年07月21日 | 随筆・短歌
 大リーグのファンとして、先日(7月16日)のオールスターゲームはとても楽しいものでした。感激する場面が多々ありました。私の大ファンのリベラ投手が最後にMVP(最優秀選手賞)に輝きました。
 リベラはパナマ出身の選手で、スラスラとヤンキースの選手になった訳ではないようですが、153㎞を投げる投手として、ヤンキース一筋に来た人です。最後は偉大なクローザーとしての輝かしい成績を残しました。私達夫婦は9回にリベラが出てくると「もうこれでこの試合はお終い」というほどの名クローザーになったのです。勿論多くの人が同じことを言ったに違いありません。
 リベラは自らの研究で編み出した、カッター(カットボール)の技を身に付け、この一球種だけで成功した投手です。四つのコーナーに正確に思う様に投げる事ができるコントロールを身に付けていました。
 たった一球種では簡単に打たれそうですが、それが150㎞を越える速球で、バッターの手元で急に約20㎝も落ちるので、その落差が激しく、多くの打者は滅多に打てないのです。
 彼が素晴らしい選手だと思うのは、この成績ばかりではありません。とても礼儀正しく、決して驕らず、いつも謙虚だということです。
 背番号は42番ですが、これはかつての名選手ジャッキー・ロビンソンの栄誉をたたえて、大リーグ全球団で永久欠番になっているそうですが、リベラはその時点で42番を付けていたので例外となり、リベラがメジャー最後の背番号42番なのです。誇らしいことです。
 今までには当然不振の時もあり、当時ヤンキースの監督であったトーリ監督が「ここに居る限りクローザーはお前だぞ」と言われて、不振から立ち直ったと聞きました。そしてその言葉通りに今もクローザーとして活躍しています。
 彼は今年が最後だと、春先に宣言しましたから、オールスターは彼にとって、どれ程重く、感慨深い試合だったことでしょう。1イニング無失点で切り抜けた所は実に見事で、私も思わず拍手していました。
 見て居られた人達は気付いたと思いますが、いつものようにリベラが出る時の曲が流れて、万雷の拍手の中を彼が出て来てから、暫くグラウンドに守備の選手が出てこなくて、マウンドに彼一人立っていました。なぜ?と不思議がった私に、夫は「観客と彼にオールスター最後の時間を与える為に、わざと出て来ないのだ」と言いました。尊敬する大投手に最後の晴れ舞台を作ってやる同僚達の温かい心に、深い感動を覚えました。
 リベラはスタンドを埋め尽くした観客にわずかなほほ笑みを浮かべて、一巡りその応援の拍手に感謝を示すと、マウンドで手の中のボールを数回握り直して、ボールの感触を愛しんでいるかのようでした。オールスターゲームの最後のマウンドになるのですから、野球選手としてこの栄誉に最後に握るボールです。しっかり確かめてから投げ始めました。そうしていつものように、三者凡退に切り取ったのです。
 惜しみない拍手が送られ、やがてMVPのトロフィーを高々と上げて、観客の祝福を受けたリベラが、ダグアウトに戻って多くの選手と握手し、肩を抱き合い祝福を受けながら、眼をぬぐっていたように見えました。私も思わず涙が湧きました
 43歳まで、19年間をヤンキース一筋に、最後は押さえの神様として君臨したのですから、そのMVPは誰にも納得のいくものだったと思います。
 リベラは敬虔なキリスト教徒だそうです。だからと言うわけではありませんが、リベラの野球人生を見ていて、「いつも変わらない姿勢でプレーをする姿、打たれたことを何かのせいにしない、大げさなプレーはなく、淡々としているがその集中心は確かで信頼できる、言動の控えめな紳士である」と言う点で、人間的にも立派な人物だと聞いています。
 この人間的な尊敬と言えば、松井秀喜選手もそうです。当日は解説していましたが、彼もヤンキース最後の大リーグワールドシリーズの決勝戦でMVPに輝いたあの時の感激が、胸をよぎったに違いありません。彼もまたリベラに惜しみない賞賛を送っていました。
 日本の相撲に相撲道という精神的な心得が存在するように大リーグにはアメリカの野球道(と言って良いでしょうか)があります。例えば、デッドボールを受けた選手は、痛みをこらえて、一塁に走ります。痛がる様子は、相手の投手を非難することになるという思いやりからでしょう。また、ホームランを打っても、大げさなガッツポーズをしません。相手のピッチャーに無礼な行為になるからでしょう。
 こんなものもあります。点差が開いている場合、スリーボールノーストライクの場合には、投手はストライクを投げるしかありませんから、それを打つのは思いやりに欠けることになるので、見逃すのだそうです。また点差が開いていた場合、盗塁もセーフティバントもしません。ここが大リーグ野球道の誇りなのでしょう。
 過日、日米大学野球がありましたが、この時デッドボールを受けた日本選手がヘルメットをたたきつけ、あわや乱闘になりそうになりました。これは先に書いたように、アメリカ野球のスポーツマンシップを良く理解していなかった日本の選手の方に問題があります。
 私もこのような精神論的な話は、総て家族からの折々の耳学問で知ったことであり、このような年寄りが初めから知っていた訳でも勉強して解った訳でもありません。それでもいつの間にか、このくらいの事を知った訳ですから、日本の選手を指導する立場の方は、技術ばかりでなく、人間としての教育もして欲しいと思っています。
 かつて松井秀喜が高校時代に甲子園で戦った時、4打席総て敬遠されたことがありました。高校野球は教育の一環として行っている筈ですから、相手が強いからといって、4回とも逃げる指示は正しいでしょうか。敬遠を指示した監督は恥ずべきだという気がします。勝つことが総てとはいっても正々堂々と戦ってこそではありませんか。敬遠の指示に従わざるを得なかった投手も、さぞ無念だったことでしょう。
 何時でしたか、松井選手がその内に、元マリナーズのオルルッド選手のように「紳士としての賞」を受賞するだろうとこのブログに書いたことがありましたが、その後そういう賞はなくなったのか、誰も貰ったとは、聴いていません。
 松井選手は、ヤンキースの選手会長のジータととても仲が良く、ジータは、「松井は、チームメイトの誰もが彼を愛している。毎試合変わらない準備をする。言い訳をしない。走者を進める打撃、還す打撃が出来る。」と言い、とても尊敬していると言います。
 松井も同じことをジータに対して言います。二人は似ていて、野球ばかりでなく、その生き方も立派なのです。
 アメリカで愛されている日本人選手には、現在イチローやダルビッシュ、青木や、黒田、岩隈、上原、川崎などがいます。彼らが多くのファンに愛されている様子が、映像から伝わって来ます。今後素質のある日本人がどんどん大リーグに挑戦して、日本人の相手への思いやりを、スポーツマンシップとして見せて頂きたいものです。


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命を繫ぐ

2013年07月10日 | 随筆・短歌
 猛暑の地域が広がって、全国的に熱中症が増えています。私も過日自分で気付かぬ内に脱水症になっていて、医師の点滴を受けて元気になりました。たまたまかかりつけの医師の診察日で、待合室にいて急に脱力感に襲われ、ぐたぐたになったのです。受付の女性が異常に気付いて下さって幸運でした。前日夕方から水分補給が不足していた事に、具合が悪くなるまで自分では気付かなかったのです。
 本人が自分の異常に気付いた時は、もう動けなくなっているのでだということを経験的に知りました。重症の熱中症は余程気をつけていないと、気付いた時には意識が遠のいていて、自分では水分を補給出来ない状態になっているのではないかと思いました。大げさに聞こえるでしょうが、この時私は「生きている」と実感したのは事実です。 
 今私が生きていると言うことは、ずっと長い年月をさかのぼって太古の昔からの遺伝子を、確実に受け継いで存在している訳です。両親から半分ずつ引き継いだ遺伝子を持つ者同士が結婚して、その子が生まれる。そしてやがて結婚して、とこれを延々と繰り返して引き継がれてきた命を、生きている訳です。
 同じ親から生まれても、受け継いだ遺伝子に依って、当然性格が異なります。でもそれは総て親が持つものでありますから、親に似るのは当然です。もし何代か前の家族の中に、祖先と違う人が入ったとしたら、今の私は存在しないと思うとこの世は神秘に包まれていると思えて来ます。
 そう思うと、偶然の積み重ねであっても、親子として家族を成して、仲良く暮らしてゆくということは、本当に不思議なことであり有り難い事です。
 万葉集に山上憶良の歌として「瓜食めば子供思ほゆ栗食めばまして偲ばゆいづくより来たりしものぞ眼(まなかひ)にもとなかかりて安眠(やすい)し寝(な)さむ」「白銀も黄金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」という歌があります。皆さんも良くご存じの歌ですが、私が大好きな歌です。
 子供は親にとってかけがえのないものですし、育てる楽しみは、何ものにも代え難いものがあります。「生まれて来てくれて有り難う。育てさせて貰って有り難う」というのが偽らざる気持ちです。でもそれは成人まで。後は元気で生きて居てさえ呉れれば、何処で何をしていてもいい、喜びを持って生きていてくれれば、それだけで嬉しい。<困った時は、ここが港>それを忘れなければ、何処でどのように生きて居てもそれだけで十分有り難いのです。
 私が好きな相田みつをも言っています。

子供へ一首
 どのような道をどのように歩くとも
 いのちいっぱいに生きればいいぞ   みつを
~~~~~~~

いま泣いたカラス
   柔 軟 心

いま泣いたカラスがもう笑う・・・
子供の世界はいつでもそうだ
大人のわたしは
そうあっさりとはゆかない
面子やら体裁やら照れくさい
なんてことが
いつでもつきまとって
そんな早わざはできない

面子、体裁、照れくさい
みんなまわりを気にしてのこと
なんで気にするの・・・
少しでも自分を
カッコよく見せたいと思うから
誰に見せたいの・・・
それは人間
常識豊かな人間
分別豊かな人間
相手はいつも人間

幼い子供は
仏の世界にいるから
人間の常識を相手にしない
泣くときは全身で泣き
笑う時は全身で笑う
一所懸命泣いて
一所懸命笑う
しかも泣くことから
笑うことへの
転換がすばやい
頭の切り替えが速い
なぜ・・・?

子供の頭がやわらかいから
子供はこころがやわらかいから
やわらかい仏のこころを
生きているから
柔軟心を生きているから

いま泣いたカラスが
もう笑う・・・

大人のわたしは
それができない
からだばかりでなく頭が固いから
心が固いから          「にんげんだもの」から

 もう最終コーナーを回った私には、子供の柔軟心を取り戻すことは出来ません。ここまで生きて来る間に、親から授かった本来の心に見栄とか欲望とかいう衣を幾重にも重ね着をしてしまいました。これからは、その一枚ずつを脱ぎ捨てて、出来るだけ本来の子供の心(仏のこころ)に還るように努力したいと願っています。そうすればきっと幸せに近づけるでしょうし、命の繋がりに感謝して次代の人達に、のびのびとして温かい心を引き継いでいけるのではないかと考えています。



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