日本人の平均寿命が大きく延びて、元気な老人が増えました。それはとても喜ばしいことです。しかし若者にとってみれば、そう言った人達の年金を支え、医療費を支えなければならないということになり、大きな負担を強いることになります。
私は最近「老後をどう生きるか」ということを、自分本位ではなく、社会における自分として考えるようになりました。私はもう年金暮らしになってしまっていますから、私が社会のお役に立てることは、本当に少なくなっています。些細なことかも知れませんが、それでも心掛け次第で少しはお役に立てるのではないかと思い、次の様な努力をして行こうと考えています。
1)自分の健康維持に努力して、出来る限り医療費を使わずに済むようにすること。(少々のことで医療機関に出向いたりせずに、冷静に考えて、売薬で対応出来る範囲のものはそうする。)
2)最後まで介護の必要がないように、自分のことは自分で出来るように、日頃から鍛錬を怠らないように心掛けること。やむなく介護施設を利用せざるを得ない場合でも、最小限を心掛ける。
3)同居の家族に感謝し、友人やご近所の人達とも親しく交わり、お互いに助け合う社会の発展に寄与する。
そんなところでしょうか。
世の中には、死ぬまで現役という働きをしている立派な人達が居らます。例えば、日本人特有の優れた技術を身に付けて、社会に貢献しておられる人がいます。こういう人達の優れた技術は、日本の誇りです。芸術の類もその仲間です。
しかし、私のように、そういった能力の無い人が、何時までも仕事にしがみついていることは、未来を担う若者の仕事を奪います。厳しいようですが、天下りして、殆ど仕事らしい仕事をせずに高い給料を貰っている人、こういう人も結構居られるようです。その一人分で何人もの若者の給料が出るのです。何時までも自分の利益にこだわっている姿は見苦しく、晩節を汚す生き方だと思います。
また近くに目を向けますと、高齢な医師が時代遅れの医療を続けておられ、時折潜在していた病気を見逃し、取り返しのつかない結果を招いた例を耳にします。高齢の医師にはそれなりの働き方があり、診療の第一線を退いて、健康診断医として活躍され、聞き役に徹して、心のケアをしておられる人もいます。長い人生経験から紡ぎ出される、豊かで温かい言葉によって、その医師は多くの人々に慕われています。
私も親戚も、弁護士の御世話になったことはありませんが、身近に裁判沙汰があって、年老いた弁護士が、全く勝ち目の無い裁判を、最高裁まで引きずったということがありました。気の毒なのは、高い弁護士費用を支払うはめになった人です。
しなくて良い検査をしたがる病院、不要な薬を沢山飲ませる医師。そういう所の診療を受けないようにすることも、消極的ではあっても、世の中の役に立つという生き方に通じます。すさまじい早さで高齢化が進んでいるこの国にあって、一人一人が少しでも経費削減に心掛ければ、それだけでも可成りの助けになるでしょう。
長く働くことは、悪いことではないのですが、何処で若い人にバトンタッチすべきか、判断することも大切です。そういう意味で、政治家の定年制はとても良いことです。バイタリティー溢れた若者が、バリバリ仕事を進めることが、世の中に活気をもたらします。 しかし、年金の支給がだんだん遅くなり、支給開始が70歳とか、それ以上になるかも知れないと聞くと、矢張り年金の支給開始年齢まで働かなくてはならなくなり、その為若者が働けなくなることが起きて来ます。
一般の労働者や公務員などは、60歳を過ぎたら、次第に、給料を今までの80~50%のように体力や仕事を考えて減らしていき、年金までをつなげることも考えて良いのではないかと思います。子育て中は、そうはいきませんが、子供が一人前になれば、もう余分な収入は不要な筈です。
良くお金持ちほど、もっと沢山お金が欲しいものだと聞きますが、程々の旅行や娯楽が出来れば、後は食べて行ければそれ以上はあっても無くても同じです。
老後の蓄えと言われますが、年金で暮らせる保証が確立していれば、それ以上は必要ないのです。
そうなれば国民も安心して暮らし、旅行にも娯楽にもお金も使い、ひいては景気の向上に繋がっていくことでしょう。
私の友人に、とても生き方の上手い人がいて、良く旅行をし、見聞を広め、サークル活動を楽しみながら、日頃は健康の為の努力を欠かさない、という人がいます。私はその人をお手本にしています。
私たちは将来を担う子供達に、沢山の借金を残してはいけないのです。長い間、行政がむやみやたらと身の丈知らずの公共工事をしたり、不要な箱物を作ったり、権益の確保に躍起になって来ました。その結果の大借金です。これはぜひ改めなければなりません。
又、大企業が沢山の利益を得ても、それは単にその企業だけの努力のせいでしょうか。その製品を買って、育ててくれた消費者あってのことではないでしょうか。利益の一部は、社会に還元して、消費者に感謝する心を忘れてはならないと思います。
少し筆が滑りましたが、不都合なことは、他人のせいにばかりしないで、身の回りの小さなことから、自分に出来ることはしていくことが、これからの高齢化社会を生きていく、私たちの勤めではないかと、考えています。
私は最近「老後をどう生きるか」ということを、自分本位ではなく、社会における自分として考えるようになりました。私はもう年金暮らしになってしまっていますから、私が社会のお役に立てることは、本当に少なくなっています。些細なことかも知れませんが、それでも心掛け次第で少しはお役に立てるのではないかと思い、次の様な努力をして行こうと考えています。
1)自分の健康維持に努力して、出来る限り医療費を使わずに済むようにすること。(少々のことで医療機関に出向いたりせずに、冷静に考えて、売薬で対応出来る範囲のものはそうする。)
2)最後まで介護の必要がないように、自分のことは自分で出来るように、日頃から鍛錬を怠らないように心掛けること。やむなく介護施設を利用せざるを得ない場合でも、最小限を心掛ける。
3)同居の家族に感謝し、友人やご近所の人達とも親しく交わり、お互いに助け合う社会の発展に寄与する。
そんなところでしょうか。
世の中には、死ぬまで現役という働きをしている立派な人達が居らます。例えば、日本人特有の優れた技術を身に付けて、社会に貢献しておられる人がいます。こういう人達の優れた技術は、日本の誇りです。芸術の類もその仲間です。
しかし、私のように、そういった能力の無い人が、何時までも仕事にしがみついていることは、未来を担う若者の仕事を奪います。厳しいようですが、天下りして、殆ど仕事らしい仕事をせずに高い給料を貰っている人、こういう人も結構居られるようです。その一人分で何人もの若者の給料が出るのです。何時までも自分の利益にこだわっている姿は見苦しく、晩節を汚す生き方だと思います。
また近くに目を向けますと、高齢な医師が時代遅れの医療を続けておられ、時折潜在していた病気を見逃し、取り返しのつかない結果を招いた例を耳にします。高齢の医師にはそれなりの働き方があり、診療の第一線を退いて、健康診断医として活躍され、聞き役に徹して、心のケアをしておられる人もいます。長い人生経験から紡ぎ出される、豊かで温かい言葉によって、その医師は多くの人々に慕われています。
私も親戚も、弁護士の御世話になったことはありませんが、身近に裁判沙汰があって、年老いた弁護士が、全く勝ち目の無い裁判を、最高裁まで引きずったということがありました。気の毒なのは、高い弁護士費用を支払うはめになった人です。
しなくて良い検査をしたがる病院、不要な薬を沢山飲ませる医師。そういう所の診療を受けないようにすることも、消極的ではあっても、世の中の役に立つという生き方に通じます。すさまじい早さで高齢化が進んでいるこの国にあって、一人一人が少しでも経費削減に心掛ければ、それだけでも可成りの助けになるでしょう。
長く働くことは、悪いことではないのですが、何処で若い人にバトンタッチすべきか、判断することも大切です。そういう意味で、政治家の定年制はとても良いことです。バイタリティー溢れた若者が、バリバリ仕事を進めることが、世の中に活気をもたらします。 しかし、年金の支給がだんだん遅くなり、支給開始が70歳とか、それ以上になるかも知れないと聞くと、矢張り年金の支給開始年齢まで働かなくてはならなくなり、その為若者が働けなくなることが起きて来ます。
一般の労働者や公務員などは、60歳を過ぎたら、次第に、給料を今までの80~50%のように体力や仕事を考えて減らしていき、年金までをつなげることも考えて良いのではないかと思います。子育て中は、そうはいきませんが、子供が一人前になれば、もう余分な収入は不要な筈です。
良くお金持ちほど、もっと沢山お金が欲しいものだと聞きますが、程々の旅行や娯楽が出来れば、後は食べて行ければそれ以上はあっても無くても同じです。
老後の蓄えと言われますが、年金で暮らせる保証が確立していれば、それ以上は必要ないのです。
そうなれば国民も安心して暮らし、旅行にも娯楽にもお金も使い、ひいては景気の向上に繋がっていくことでしょう。
私の友人に、とても生き方の上手い人がいて、良く旅行をし、見聞を広め、サークル活動を楽しみながら、日頃は健康の為の努力を欠かさない、という人がいます。私はその人をお手本にしています。
私たちは将来を担う子供達に、沢山の借金を残してはいけないのです。長い間、行政がむやみやたらと身の丈知らずの公共工事をしたり、不要な箱物を作ったり、権益の確保に躍起になって来ました。その結果の大借金です。これはぜひ改めなければなりません。
又、大企業が沢山の利益を得ても、それは単にその企業だけの努力のせいでしょうか。その製品を買って、育ててくれた消費者あってのことではないでしょうか。利益の一部は、社会に還元して、消費者に感謝する心を忘れてはならないと思います。
少し筆が滑りましたが、不都合なことは、他人のせいにばかりしないで、身の回りの小さなことから、自分に出来ることはしていくことが、これからの高齢化社会を生きていく、私たちの勤めではないかと、考えています。