ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

高齢化社会にあって私に出来ること

2011年10月26日 | 随筆・短歌
 日本人の平均寿命が大きく延びて、元気な老人が増えました。それはとても喜ばしいことです。しかし若者にとってみれば、そう言った人達の年金を支え、医療費を支えなければならないということになり、大きな負担を強いることになります。
 私は最近「老後をどう生きるか」ということを、自分本位ではなく、社会における自分として考えるようになりました。私はもう年金暮らしになってしまっていますから、私が社会のお役に立てることは、本当に少なくなっています。些細なことかも知れませんが、それでも心掛け次第で少しはお役に立てるのではないかと思い、次の様な努力をして行こうと考えています。
1)自分の健康維持に努力して、出来る限り医療費を使わずに済むようにすること。(少々のことで医療機関に出向いたりせずに、冷静に考えて、売薬で対応出来る範囲のものはそうする。)
2)最後まで介護の必要がないように、自分のことは自分で出来るように、日頃から鍛錬を怠らないように心掛けること。やむなく介護施設を利用せざるを得ない場合でも、最小限を心掛ける。
3)同居の家族に感謝し、友人やご近所の人達とも親しく交わり、お互いに助け合う社会の発展に寄与する。
そんなところでしょうか。
 世の中には、死ぬまで現役という働きをしている立派な人達が居らます。例えば、日本人特有の優れた技術を身に付けて、社会に貢献しておられる人がいます。こういう人達の優れた技術は、日本の誇りです。芸術の類もその仲間です。
 しかし、私のように、そういった能力の無い人が、何時までも仕事にしがみついていることは、未来を担う若者の仕事を奪います。厳しいようですが、天下りして、殆ど仕事らしい仕事をせずに高い給料を貰っている人、こういう人も結構居られるようです。その一人分で何人もの若者の給料が出るのです。何時までも自分の利益にこだわっている姿は見苦しく、晩節を汚す生き方だと思います。
 また近くに目を向けますと、高齢な医師が時代遅れの医療を続けておられ、時折潜在していた病気を見逃し、取り返しのつかない結果を招いた例を耳にします。高齢の医師にはそれなりの働き方があり、診療の第一線を退いて、健康診断医として活躍され、聞き役に徹して、心のケアをしておられる人もいます。長い人生経験から紡ぎ出される、豊かで温かい言葉によって、その医師は多くの人々に慕われています。
 私も親戚も、弁護士の御世話になったことはありませんが、身近に裁判沙汰があって、年老いた弁護士が、全く勝ち目の無い裁判を、最高裁まで引きずったということがありました。気の毒なのは、高い弁護士費用を支払うはめになった人です。
 しなくて良い検査をしたがる病院、不要な薬を沢山飲ませる医師。そういう所の診療を受けないようにすることも、消極的ではあっても、世の中の役に立つという生き方に通じます。すさまじい早さで高齢化が進んでいるこの国にあって、一人一人が少しでも経費削減に心掛ければ、それだけでも可成りの助けになるでしょう。
 長く働くことは、悪いことではないのですが、何処で若い人にバトンタッチすべきか、判断することも大切です。そういう意味で、政治家の定年制はとても良いことです。バイタリティー溢れた若者が、バリバリ仕事を進めることが、世の中に活気をもたらします。 しかし、年金の支給がだんだん遅くなり、支給開始が70歳とか、それ以上になるかも知れないと聞くと、矢張り年金の支給開始年齢まで働かなくてはならなくなり、その為若者が働けなくなることが起きて来ます。
 一般の労働者や公務員などは、60歳を過ぎたら、次第に、給料を今までの80~50%のように体力や仕事を考えて減らしていき、年金までをつなげることも考えて良いのではないかと思います。子育て中は、そうはいきませんが、子供が一人前になれば、もう余分な収入は不要な筈です。
 良くお金持ちほど、もっと沢山お金が欲しいものだと聞きますが、程々の旅行や娯楽が出来れば、後は食べて行ければそれ以上はあっても無くても同じです。
 老後の蓄えと言われますが、年金で暮らせる保証が確立していれば、それ以上は必要ないのです。
 そうなれば国民も安心して暮らし、旅行にも娯楽にもお金も使い、ひいては景気の向上に繋がっていくことでしょう。
 私の友人に、とても生き方の上手い人がいて、良く旅行をし、見聞を広め、サークル活動を楽しみながら、日頃は健康の為の努力を欠かさない、という人がいます。私はその人をお手本にしています。
 私たちは将来を担う子供達に、沢山の借金を残してはいけないのです。長い間、行政がむやみやたらと身の丈知らずの公共工事をしたり、不要な箱物を作ったり、権益の確保に躍起になって来ました。その結果の大借金です。これはぜひ改めなければなりません。
 又、大企業が沢山の利益を得ても、それは単にその企業だけの努力のせいでしょうか。その製品を買って、育ててくれた消費者あってのことではないでしょうか。利益の一部は、社会に還元して、消費者に感謝する心を忘れてはならないと思います。 
 少し筆が滑りましたが、不都合なことは、他人のせいにばかりしないで、身の回りの小さなことから、自分に出来ることはしていくことが、これからの高齢化社会を生きていく、私たちの勤めではないかと、考えています。

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至福の時間ー自由とクラシック音楽の午後

2011年10月17日 | 随筆・短歌
 毎日が日曜日の日々ですから、特別の外出の用が無い日の午後は、夫は夫、私は私で、自由な時間を楽しむのが私たちの日課です。庭の水やりとお掃除、ウォーキングや買い物等、全て午前中に済ませて、午後は各自の居室で自由に過ごします。
 この自由な時間がとても貴重で、お互いに至福の時間なのです。夫は専ら読書と安楽椅子での少しの昼寝、3時を過ぎた頃から専らパソコン相手に、大抵囲碁を楽しんでいます。
 私は、概ねクラシック音楽を聴きながら、短歌を詠んだり読書をしたり、またはこうしてブログを書いたり推敲したり、趣味のお菓子を作ったりしています。
 クラシックは、パソコンでしか聴けないCDを何十枚も弟から貰っており、他に私たちが買い集めたものを、その時の気分次第で聴いています。最近はそれも聴き飽きて、ラジオのFM放送でクラシックを聴いていることも多いです。
 又図書館から借りてきたCDを聴いて、気に入ったものをウォークマンに取り込んで聴くこともあります。全て「ながら音楽」で済ませていて、じっくり目を瞑ったりして聴くのは、余程興味のある曲に限ります。
 決してクラシックに詳しい訳ではなく、心が安まり、耳に優しいのが何よりなのです。私がクラシックにのめり込んだのは、学生時代です。若かったので、クラシック喫茶にも良く行きました。今考えると可笑しいようですが、その頃最も気に入った音楽が、チゴイネルワイゼンでした。体がゾクゾクするほどに、感動したものです。
 カラヤンが来ると言って、チケットを手に入れる為に、学生寮の友達と大騒ぎして、早朝の外出許可を貰ったりしたことも懐かしい想い出です。
 以前は、バイオリン協奏曲や、交響曲を聴くことが多かったのですが、最近は、バイオリンは耳に甲高く響いて疲れるように思い、また交響曲は重いものが多く、ピアノや、フルート・ハープ・チェロなどを多く聴くようになりました。時として、水琴窟の音や、ニューカレドニアの波の音など、ヒーリング音楽に耳を傾けていることもあります。
 しかし、選んで聴いていると次第に偏ってくるようで、最近はFMラジオから流れてくる曲を、何でも聴くといった日も多いです。 時折入ったりするラジオのトークは何とかならないものかと思ったりします。好きな人も多いのかも知れませんが、楽曲の名前と演奏者と指揮者を紹介する程度で、じっくり聞かせて欲しい気がします。
 テレビでもそうですが、アナウンサーやゲストのトークが長いと、折角の気持が散ってしまって、身が入らなくなってしまうのです。ながら音楽と言いつつ、こんなことを言うのは贅沢な注文ですが・・・。
 こんな贅沢な時間が持てる幸せを、時折申し訳なく思う日もありす。苦しく辛い日々を送っておられる人も多いでしょうに・・・、と思う気持ちが突然わき起こってきて、私を苦しめることがあるのです。
 先ず第一に、食べるものが無い人、住む家の無い人、痛みや苦しみの病と闘っておられる人、そんな気の毒な人が沢山居られます。貧しくとも衣・食・住が足りていれば、家族で助け合って暮らすことも、幸せの一つになります。それは戦時中を生きて来た私たちには、直ぐに理解出来ます。貧しさの中にも幸せは沢山あり、笑いもありました。
 飢えていたり、雨露を凌げなかったら、または全て整っていても現在痛みに苦しんでいたら、矢張りクラシック音楽等と、悠長なことを考える気にもなれないでしよう。 
 私たちは何時も死や、事故や、病と隣り合わせに暮らしているのですが、未来を予知出来ませんから、生きて行けるのですね。これも神様のご配慮なのでしょう。
 衣・食・住に事欠かなくとも、心配事を抱えて生きて居られる方は、大勢居られますが、何か一時でもそれを忘れさせてくれるものを持たれるようにお勧めしたいし、そうあって欲しいと願っています。少しでも悩みの多い心を癒して欲しいと思っています。
 今、私がブラームスのワルツ集を聴きながら過ごしているように、いろいろ悩み事があったとしても、人間としてこの世に生を受け、現在生きているということは、それだけで素晴らしいとだと思えます。感謝の念を抱きつつ、やがてあの世に旅立ったとしても、それで不満は無い、とそう感じています。

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ウォーキングで心と体の健康を

2011年10月10日 | 随筆・短歌
 ウォーキングが健康維持に良いと言われるようになって、最近は多くの人が歩いています。人々は各々都合の良い時間に、一人で、夫婦で、或いはお友達と歩いていて、私たち夫婦も良く出会います。私たちが二人でウォーキングに出るようになって、もう10年を越えました。 歩くようになったのは、私が義母を24時間の看病の末に見送った後で、ふいに自分の存在価値を失ったようになり、何だか力が抜けてしまって、働き通しでしたのに、全く何もしたくなくなったのが動機でした。
 鬱状態になったと気付いた私は、できるだけウォーキングに出るようにして、更にプールに通って泳ぐとか、山野草の会や、陶芸の会に参加して、バスで野山や窯元に見学に出かけるグループに入りました。やがてうつ状態は抜けましたが、それからのち、義父が亡くなり、やがて娘が亡くなりました。
 娘の死は、一旦回復した鬱状態を以前に増して深くしました。丁度その少し前に夫が二度目の勤めを退職し、以後勤めることが無くなりましたので、以来二人のウォーキングの習慣が出来たのです。
 ウォーキングは、足を鍛え体を丈夫にしてくれますが、更に精神状態を安らかにしてくれる大変有り難いものであることを、身を以て体験しました。娘を亡くして哀しみにくれていた私は、家を出てからも、何時も涙を零しながら歩いていましたのに、帰る頃は元気になって、気持もしっかりしていました。気持が花や木々に向けられ、空の青さや、風の爽やかさを感じ、次第に取り付かれている悲しみから気持が解放されていったのです。
 我が家の近くには、昔の大きな農家が沢山あって、お庭も広く、手入れの行き届いた邸宅があります。農地解放された都市近郷の田圃や畑は、高価で売買され、億万長者が増えました。如何にもそれらしい立派な門構えの家があり、四季折々に美しい花を咲かせ、大きな欅があったり、又石組みの素晴らしい家もあって、眺めているだけで楽しいのです。
 新しくそこここに一軒又一軒と、新築や改築の家が建ち、その工事の様子を見たり、間取りを見学することも楽しみの一つでした。狭くとも感じの良い植栽の家もあって、住む人の心やセンスが伺われる気がします。
 広い通りを外れた小道や、安全な歩道を通るようにしていますが、「囁き小路」と私が勝手に名付けた小路もあります。以前書きましたが、昔荷車が通った道で、両手を広げると少し余る位の道幅です。両側はそれぞれに植え込みで囲まれていて、中々趣のあるたたずまいの家が並んでいます。少しばかり曲がった道路ですが、所々で道幅の広い車の通る道路を越えて続いています。表通りでの買い物がない時は、好んで少し遠回りをして、囁き小路を通ります。
 木漏れ日が美しく、夏も涼しくて、滅多に人に会うことも無く、夫婦で話ながら歩くにはとても雰囲気の良い小道です。すっかり生活臭のなくなった新しい家が立ち並ぶ道路に比べて、ここは道路に面した窓もあり、お庭の奥の家からお香の香りが漂ったり、小窓からカレーの香りがしたりすることもあります。
 しかし一歩間違えば、袋小路に出てしまうこともあります。新開地では住人が家の前の道路は車を通したく無いと言えば、双方からの道路が続いていても途中で仕切られて、塞がれるていることもあるのです。大通りと繋がると確かにうるさくなるので、住民の気持も解らない訳では無いのですが、矢張り不便でもあります。
 所々に犬や猫が大切に飼われていて、いつの間にか名前をお聞きして、友達になっています。冬には車庫に小蒲団を敷いてもらって、日向ぼっこをしている犬、白黒のそれはそれは美しい毛並みで、家の窓から顔を見せてくれる猫、鳩小屋のある家、或いは四季折々に見事な薔薇に囲まれる薔薇屋敷、その玄関のダミーの犬など様々です。
 私は徒歩10分の処に出来たフィットネスクラブに、週2日程度通っていて、もう4年目になります。勿論ウォーキングマシンが数台並んでいて、多くの人がマシンでウォーキングしています。しかし私はめったにマシンで歩くことをしません。毎日外を歩くことが楽しみでもあるからですし、フィットネスクラブへの往復は徒歩にして、夫が車で送ってやると言っても、余程でないと歩くことにしています。
 当初は日によって、ウォーキングルートが異なっていましたが、最近は、安全な道を何時も同じ経路を歩きます。途中にA点B点C点と三カ所の休憩地点を決めました。コースは4㎞位なのに、この2~3年の間に私が脳貧血で倒れたり、転んで怪我をしたりして、その都度何処かが痛むようになり、休憩点が必要になったのです。更にこの春は、夫が旅行先で足の裏を腫らして帰ってきてから、その休憩地点は三カ所になったのです。
 その日の体調によって、休む場所が違い、一回か多い日は二回、一寸腰を下ろせる場所として三点を決めてあるのです。この夏は殊に暑さが厳しく、私が夏バテになりましたので、毎日のように何処かで休んでいましたが、秋になって気候がよくなりましたら、いつの間にか気付かぬ内に休憩点を通過して、休まずに歩けるようになりました。
 倒れたり怪我をした後は決まって歩くことが下手になり、階段の上り下りも片足ずつといった形になりましたが、一年位すると再び元に戻ったのは、矢張り毎日のウォーキングとフィットネスのお陰だと思っています。老いて一旦歩き方が悪くると、治らないものかと考えていましたが、体の治癒力というものは侮れないものがあるようです。
 同時に心の健康に、こうも役に立つものだとは、何年か過ごしてみて、初めて知ったのです。病は気から、という言葉も良く理解出来ます。ストレスを溜めないように、また溜まったストレスを解消する為に、ウォーキングが如何に役立つかを、しみじみと感じています。

 白萩が寝そべる犬に零れをり袋小路にうらうらと秋

 白鳩が我が哀しみを知るごとく見上げる眼赤くうるめり (全て実名で某紙・誌に掲載)

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幸・不幸を繰り返した一年

2011年10月04日 | 随筆・短歌
 先月は颱風という災害があり、大地震から半年だといいますのに、またまた多くの被災者が出ました。それに急な寒さで、まだ冬の備えが整わないうちですから、この先が思いやられます。しかし、一年という区切りで来し方をふり返ってみますと、様々な想い出が詰まっていて、悪いことばかりではなく、貴重でずっしりとした手応えがあります。
 去年の今頃私たち夫婦は、小さな旅をしていました。それは夫が学生時代に同じ研究室だった人達と、約50年振りに会うというものでした。たまたま同時期に同じ市に短歌大会がありました私も、夫のお伴をしてその方達とお目にかかりました。私はこの様なブログを書いていましたので、日頃から読んで下さり、時には夫へのメールに感想を寄せて下さっていましたので、今まで一度もお逢いした事のない人達でしたのに、私まで50年振りの知己にお目に掛かったような親しさを感じて、お逢いした時は、思わず嬉しさと感動で手を取ってしまいした。
 今思えば、本当に素晴らしい想い出です。ごく数時間の会食などを通して、和やかな内に夫はその方達と、過ぎし昔の時間を取り戻し、そばでお話を伺っている私も時折は話しに加わり、違和感なく楽しく過ごさせていただきました。
 それは、それぞれに素晴らしい年齢を重ねて来られた人達の持つ、味わい深く人生の示唆に富んだお話であり、そこ此処ににじみ出る人間性の素晴らしさというものに、改めて感動したのです。利害関係のない、学生時代の友情の純粋さというものを、改めて目の当たりにした思いでした。
 また、私自身の学生時代の友達も、それぞれに素晴らしい人間性の持ち主であり、どちらも私には到底かなわない人々だと感じています。それだけにこの人々は私が生きて行く上で、とても大切な人達なのです。一生の宝物であり、人生のお手本でもあるのです。こういう人々と出会えて良かったと思うと、この年代になってからの折節の交わりが、とても貴重に思えて、有り難く感じられます。
 このたった半年の内には、未曾有の大自然の災害もあり、原発事故もあり、経済危機も囁かれて、身の回りにも、様々な出来事がありました。知人の突然の訃報も届いたりもしました。生きている以上苦しみは付いて回りますが、それをどう捉えるかということもまた幸・不幸の岐路であり、全てを人生の糧とすれば、これから先の人生を豊かにしてくれるものだったとも思えなくもないようです。
 そんな中、私は運良く直接災害に取り込まれなかった訳ですが、あの災害時に、よもやと思っていた友人が、新宿駅で帰宅難民になってしまわれたり、今回の颱風が旅行中であって、東京駅で一夜列車の中で明かした人も身近にいて、本当に何時どのような事に出会わないとも限りません。そんな中でもその方達は、それぞれに逞しく乗り越えられたようですから、あんなに穏和で優しい人でも、いざとなれば忍耐強く、不思議な力が発揮出来るものだと教えられもしました。
 また、この一年に私たち夫婦は、思いがけず自分の老化に気付かされる結果ともなりました。老いは、なだらかにくるものと思っていましたが、そうではなく、ある時高い階段を急に一段下りるように、突然ガクッと老いを感じ、暫くはまたなだらかにな日々が続くといったように老いていくようです。春の旅行に出て、しみじみと体力の衰えを感じ、夏の暑さに負けて、また一段と老化を知ることになりました。
 けれども老いるということは、決して哀しい事ばかりではありません。100%の死亡率なのですから、だれもが必ず死ななければならないのです。それがあるから今の時間のありがたさがあります。良い友達に恵まれて、良い時間が過ごせて、老いに合わせてそれだけ活動を控えつつ、楽しむことを工夫すれば、それなりに、良い時間が過ごせます。
 昔は想像も出来なかった楽しみ(例えばテレビとか、インターネット)が身の回りにあって、居ながらにして、世界旅行の気分も味わえます。一年間にどれだけの映画をDVDで見たか、図書館からどれだけ本やCDを借りて来たか、近くの展覧会や観劇などを加えると、本当に恵まれた人生を送っています。庭の草花や木々にも慰められ、花と話をするのも暇の有る年寄りの特権でしょうか。
 一年経てば一年老いますが、その分の中身を思うと、満たされた思いに浸されます。こうして、皆さんに支えられて、思いつくままに、書き続けていけることを喜びたいと思っています。

 相田みつお 「にんげんだもの」より

 この世はわたしがわたしになるところ
 あなたがあなたになるところ      みつお

 
 やれなかった
 やらなかった
 どっちかな     みつお

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