我が家の近くに犬を飼っている家が可成りあって、どのお宅でも毎日必ず犬を散歩させています。夜だったり、早朝だったりする習慣の家の犬には、道路で擦れ違うことはありませんが、私達がウォーキングの時に出会ったり、庭の手入れをしている時に通りかかったりして、良く出会う犬が二匹います。
一匹は、ご主人が単身赴任の家の若奥様の犬で、何時も手入れの行き届いた、白と茶の可愛いチワワです。私達を見つけると、遠くから両足を掻くようにして、まっしぐらに駆け寄ってきます。その可愛いこととといったら、もう相好を崩して、チコ、チコと呼びます。近寄ってくると、あっちを撫でて、こっちを撫でて、と首を廻したり、身体を擦りつけてそれはそれは喜びます。数ヶ月も合わなくとも、決して忘れず、すっ飛んで来ます。
比較的怖がりの犬で余り人に近寄らないのだそうですが、私達は味方であるらしく慣れていて、奥様もお喋り傍ら立ち止まって一時を過ごして行かれます。
もう一匹は、テリーと言う名で、矢張り小型の犬ですが、種類は知りません。独り住まいの60歳後半の女性で、独りで寂しいので、保健所で分けて貰ってきたそうです。鼻ペチャで少し巻き毛の可愛い犬です。どうしてこんな可愛い犬を捨てたりするのか分かりませんが、何か事情があったのでしょう。でも良い人に出会って、とても可愛がられて、時折その家の前の広い道路で綱を放して遊ばせておられます。
道路は可成り広く、団地の中を突き抜けているのですが、途中で人は通れますが、車は通り抜けられなくなっていて、子供達の格好な遊び場にもなっています。私達が名前をお聞きして、テリーと呼んでも初めは知らん振りでしたが、次第に呼ばれると、ちょっと近づくようになり、やがて2メートルくらいまで、ダダッと走って来るようになりました。ところが其処でぴたっと止まってそれ以上近づきません。「とても恐がりで注意深く、人には近づかないのですよ」と飼い主の方は仰います。けれども次第に50センチくらいずつ寄ってくるようになってて、とうとう今日は、私の足許へ来て、匂いを嗅ぎ始めました。手を出すと逃げると思ったので、暫く嗅がせてやって、別れてきました。きっと間もなく首など撫でさせてくれるようになるでしょう。
これ程用心深いのは小さい頃に虐待されていたのかな、と思われてより愛しい思いに駆られます。手の届く所へ来るのに何ヶ月も要しました。犬を飼いたくても毎日の散歩があり、良く旅行に出かける私達は置いては行けず、なかなか私達のように身勝手な生き方をしていると、飼う訳にはいきません。けれども人様の家の犬をかわいがって、とても癒されていることに、何だか申し訳なく思うと共に、有り難く感謝しています。
「お世話もしないで癒してもらって、とても有り難いことですが、申し訳ないですね」と何時も飼い主に言っています。
テリーの飼い主の夫人は、遠く離れた所に娘さんがいらっしゃるそうですが、時折訪ねるだけなので、寂しそうにしておられましたが、最近はすっかり元気になられて、通りがかりに良く立ち話をします。「一日中誰とも話しをすることがなくて、寂しかったです。今はこの子(犬)に話し掛けています」と先日嬉しそうに仰っておられました。犬の愛らしい仕草は、人間の心を癒してくれるという素晴らしい力を持っていることに、感動しているこの頃です。犬は目や仕草で話しかけ、植物は、花や葉の色や香りと、風に揺れるざわめきで話しかけて来ます。そしてそれによって、私達はどれ程か慰められています。私はまた、馬の目の優しさにも心を揺さぶられます。けれども馬は時に哀しみにじっと耐えているような目をすることがあるのです。そんな目を見た時には、私まで哀しくなってしまいます。動物も植物もみな心を持ち、それなりの言葉を持っているのですね。
しみじみとエナージーフローが流れ来て癒されてゆく疲労に気付く
薄墨の空に降り出す初時雨もらいなきする羊歯の雨音
(実名で某誌に掲載)
一匹は、ご主人が単身赴任の家の若奥様の犬で、何時も手入れの行き届いた、白と茶の可愛いチワワです。私達を見つけると、遠くから両足を掻くようにして、まっしぐらに駆け寄ってきます。その可愛いこととといったら、もう相好を崩して、チコ、チコと呼びます。近寄ってくると、あっちを撫でて、こっちを撫でて、と首を廻したり、身体を擦りつけてそれはそれは喜びます。数ヶ月も合わなくとも、決して忘れず、すっ飛んで来ます。
比較的怖がりの犬で余り人に近寄らないのだそうですが、私達は味方であるらしく慣れていて、奥様もお喋り傍ら立ち止まって一時を過ごして行かれます。
もう一匹は、テリーと言う名で、矢張り小型の犬ですが、種類は知りません。独り住まいの60歳後半の女性で、独りで寂しいので、保健所で分けて貰ってきたそうです。鼻ペチャで少し巻き毛の可愛い犬です。どうしてこんな可愛い犬を捨てたりするのか分かりませんが、何か事情があったのでしょう。でも良い人に出会って、とても可愛がられて、時折その家の前の広い道路で綱を放して遊ばせておられます。
道路は可成り広く、団地の中を突き抜けているのですが、途中で人は通れますが、車は通り抜けられなくなっていて、子供達の格好な遊び場にもなっています。私達が名前をお聞きして、テリーと呼んでも初めは知らん振りでしたが、次第に呼ばれると、ちょっと近づくようになり、やがて2メートルくらいまで、ダダッと走って来るようになりました。ところが其処でぴたっと止まってそれ以上近づきません。「とても恐がりで注意深く、人には近づかないのですよ」と飼い主の方は仰います。けれども次第に50センチくらいずつ寄ってくるようになってて、とうとう今日は、私の足許へ来て、匂いを嗅ぎ始めました。手を出すと逃げると思ったので、暫く嗅がせてやって、別れてきました。きっと間もなく首など撫でさせてくれるようになるでしょう。
これ程用心深いのは小さい頃に虐待されていたのかな、と思われてより愛しい思いに駆られます。手の届く所へ来るのに何ヶ月も要しました。犬を飼いたくても毎日の散歩があり、良く旅行に出かける私達は置いては行けず、なかなか私達のように身勝手な生き方をしていると、飼う訳にはいきません。けれども人様の家の犬をかわいがって、とても癒されていることに、何だか申し訳なく思うと共に、有り難く感謝しています。
「お世話もしないで癒してもらって、とても有り難いことですが、申し訳ないですね」と何時も飼い主に言っています。
テリーの飼い主の夫人は、遠く離れた所に娘さんがいらっしゃるそうですが、時折訪ねるだけなので、寂しそうにしておられましたが、最近はすっかり元気になられて、通りがかりに良く立ち話をします。「一日中誰とも話しをすることがなくて、寂しかったです。今はこの子(犬)に話し掛けています」と先日嬉しそうに仰っておられました。犬の愛らしい仕草は、人間の心を癒してくれるという素晴らしい力を持っていることに、感動しているこの頃です。犬は目や仕草で話しかけ、植物は、花や葉の色や香りと、風に揺れるざわめきで話しかけて来ます。そしてそれによって、私達はどれ程か慰められています。私はまた、馬の目の優しさにも心を揺さぶられます。けれども馬は時に哀しみにじっと耐えているような目をすることがあるのです。そんな目を見た時には、私まで哀しくなってしまいます。動物も植物もみな心を持ち、それなりの言葉を持っているのですね。
しみじみとエナージーフローが流れ来て癒されてゆく疲労に気付く
薄墨の空に降り出す初時雨もらいなきする羊歯の雨音
(実名で某誌に掲載)