ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

チコとテリーに癒されて

2009年11月29日 | 随筆・短歌
 我が家の近くに犬を飼っている家が可成りあって、どのお宅でも毎日必ず犬を散歩させています。夜だったり、早朝だったりする習慣の家の犬には、道路で擦れ違うことはありませんが、私達がウォーキングの時に出会ったり、庭の手入れをしている時に通りかかったりして、良く出会う犬が二匹います。
 一匹は、ご主人が単身赴任の家の若奥様の犬で、何時も手入れの行き届いた、白と茶の可愛いチワワです。私達を見つけると、遠くから両足を掻くようにして、まっしぐらに駆け寄ってきます。その可愛いこととといったら、もう相好を崩して、チコ、チコと呼びます。近寄ってくると、あっちを撫でて、こっちを撫でて、と首を廻したり、身体を擦りつけてそれはそれは喜びます。数ヶ月も合わなくとも、決して忘れず、すっ飛んで来ます。
 比較的怖がりの犬で余り人に近寄らないのだそうですが、私達は味方であるらしく慣れていて、奥様もお喋り傍ら立ち止まって一時を過ごして行かれます。
 もう一匹は、テリーと言う名で、矢張り小型の犬ですが、種類は知りません。独り住まいの60歳後半の女性で、独りで寂しいので、保健所で分けて貰ってきたそうです。鼻ペチャで少し巻き毛の可愛い犬です。どうしてこんな可愛い犬を捨てたりするのか分かりませんが、何か事情があったのでしょう。でも良い人に出会って、とても可愛がられて、時折その家の前の広い道路で綱を放して遊ばせておられます。
 道路は可成り広く、団地の中を突き抜けているのですが、途中で人は通れますが、車は通り抜けられなくなっていて、子供達の格好な遊び場にもなっています。私達が名前をお聞きして、テリーと呼んでも初めは知らん振りでしたが、次第に呼ばれると、ちょっと近づくようになり、やがて2メートルくらいまで、ダダッと走って来るようになりました。ところが其処でぴたっと止まってそれ以上近づきません。「とても恐がりで注意深く、人には近づかないのですよ」と飼い主の方は仰います。けれども次第に50センチくらいずつ寄ってくるようになってて、とうとう今日は、私の足許へ来て、匂いを嗅ぎ始めました。手を出すと逃げると思ったので、暫く嗅がせてやって、別れてきました。きっと間もなく首など撫でさせてくれるようになるでしょう。
 これ程用心深いのは小さい頃に虐待されていたのかな、と思われてより愛しい思いに駆られます。手の届く所へ来るのに何ヶ月も要しました。犬を飼いたくても毎日の散歩があり、良く旅行に出かける私達は置いては行けず、なかなか私達のように身勝手な生き方をしていると、飼う訳にはいきません。けれども人様の家の犬をかわいがって、とても癒されていることに、何だか申し訳なく思うと共に、有り難く感謝しています。
 「お世話もしないで癒してもらって、とても有り難いことですが、申し訳ないですね」と何時も飼い主に言っています。
 テリーの飼い主の夫人は、遠く離れた所に娘さんがいらっしゃるそうですが、時折訪ねるだけなので、寂しそうにしておられましたが、最近はすっかり元気になられて、通りがかりに良く立ち話をします。「一日中誰とも話しをすることがなくて、寂しかったです。今はこの子(犬)に話し掛けています」と先日嬉しそうに仰っておられました。犬の愛らしい仕草は、人間の心を癒してくれるという素晴らしい力を持っていることに、感動しているこの頃です。犬は目や仕草で話しかけ、植物は、花や葉の色や香りと、風に揺れるざわめきで話しかけて来ます。そしてそれによって、私達はどれ程か慰められています。私はまた、馬の目の優しさにも心を揺さぶられます。けれども馬は時に哀しみにじっと耐えているような目をすることがあるのです。そんな目を見た時には、私まで哀しくなってしまいます。動物も植物もみな心を持ち、それなりの言葉を持っているのですね。
  
  しみじみとエナージーフローが流れ来て癒されてゆく疲労に気付く
  薄墨の空に降り出す初時雨もらいなきする羊歯の雨音
                           (実名で某誌に掲載)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「離婚のすすめ」に思う

2009年11月23日 | 随筆・短歌
 今朝目にした新聞の広告欄の婦人雑誌のトップ記事に「<あせらず、急がず、あきらめず>みきわめたい夫との離婚」というのがありました。
 最近離婚をまるで推奨するかのような書物が氾濫しているようですが、私にはそれが大変気になります。結婚とは全く別々の生活をして来た二人が、共に暮らして行くものですから、価値観も違い、長い人生には、様々な誤解もすれ違いもありますが、お互いに話し合うことで解決したり、また子供の立場に立って、ひとまず我慢して乗り越えていくことが多いのだと思います。
 私の身の回りにいるある女性で、夫はとかく口うるさく、子供にも辛く当たるし、離婚したいとかねがね願っていた人がいました。けれども兎に角子供が成人する迄我慢すると言って耐えていましたが、やがて子供達が立派に成人した頃には、夫も退職して人間も円くなり、今では夫婦仲良く暮らしています。
 子育ての最中は、女性に負わされる家事も大きな負担で、子供の育て方や進学などについて意見の相違があったり、夫が勤めで帰りが遅く、話し相手になって呉れない、義父母と意見が合わないなど、様々な障害があって、それぞれに離婚の原因になりやすいかと思います。だからといってもし離婚したら、親はそれで良いかも知れませんが、子供はどうなるのでしょう。どうも最近の離婚の話に、子供の存在が薄れているようで、その点が私には、理解しにくいところです。離婚によって子供の受ける精神的な打撃について、余り配慮されていないように見えるのです。
 子供の成長には両親が揃っている環境が一番です。様々な理由でそれが不可能な場合もありますから、一概には言えませんが、親は自分のことのみ考えるのではなく、もっと子供の幸せについて深く考えて、安易に離婚に走らず、もう一歩努力することで何とか切り抜けられないか話し合って欲しいと思います。かつてはそうやって子供の為に耐え抜いた結果、幸せな老後を得た人は沢山います。最近の女性が、経済的に自立した人が多くなってきたことも一因かも知れませんが、余りにも自分本位で子供の幸せについては片隅に追いやられてはいないでしょうか。
 他にも夫が煩わしく思えて、普段は意見の合わない夫婦であり、夫が病気で入院しても細やかに面倒を看る訳ではなく、病院には顔を出してもさっさと帰る、という夫婦もいましたが、夫が亡くなって初めて、夫が存在することの幸せを理解し、今では毎日仏壇の遺影に話し掛けているという人を知っています。
 「たとえ身体が不自由だったとしても、生きていて呉れるだけで幸せだったと今になって知った」とその人は言います。どんなに一生懸命に看病しても、亡くなられると、もっとああもしてやれば良かった、こうもしてやりたかった、と後悔することは、私自身が義父母や亡母の看病で、良く知っていますので、その人の気持ちは解ります。
 老いてからの時間を二人でゆっくり楽しむ為にも、離婚は避けられれば避けるべきことで、決して薦めることではありません。考え方の相違などは、良く話し合えば理解しあえる場合も多々あるでしょう。また相手に対して感謝の気持ちがあれば、有り難うと言葉に出して言うことも大切です。思いを言葉で表現しなかったら、なかなか伝わりません。案外そんなささいなことが夫婦のすれ違いの原因になっている場合もあるように思います。
 離婚して、夫の年金が半分貰えるようになるということが分かった時に、一時離婚が減ったそうですが、こんな打算で離婚が延ばせるのなら、しなくても済むのではないかとさえ思えます。
 良く不倫による離婚というのもあるようですが、夫が不倫した場合、全ての責任が不倫した夫にあるという発想にも疑問を感じます。夫婦の愛が冷めていく原因は、お互いにあるのであって、一方ばかりに責任を押しつけるのは間違いだと思います。
 或るインタビューに答えて、未婚の母となるべきか迷っている人に、著名な女性作家が、「好きだったら産めば良いんですよ」とこともなげに答えていましたが、生まれてきた子供は、自分の出生に納得出来るのでしょうか。また、同じ人が「それは離婚するのが一番ですよ」といとも簡単にキッパリ言っていましたが、人生相談に、こんな安易な解答をされたのでは、世の中に不幸な人が氾濫するように思いました。興味を引きたいばかりのアドバイスも困ったものです。
 子供の幸せを守る義務は両親にあるのですから、安易な離婚をしないで可能な限りの解決策を探して欲しいと切に思うのです。自分の愛する子供を手放して、一人で暮らすことになる相手も気の毒なことです。歳を重ねて老人になった時に、あの時に乗り越えてきて良かった、ときっと思うことでしょう。その頃には、似たもの夫婦として、仲の良い夫婦になってる場合も非常に多いことを私は見てきているのです。

  嫌いとふ言葉の裏にある愛に気付きしや君独りは寂しい
  公園のベンチのひだまり肩寄せて二人の老いが背を丸めゐる
  傷付けしことに気付きてうろたへり夫は平気を装ひをれども
  砂時計砂の落ち行く確かさに一人居となる時を怖るる  
          (実名で某誌・紙に掲載)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言えない一言

2009年11月16日 | 日記
 我が家は大方夫が支配していますが、よーく考えると可成りかかあ天下でもあります。炊事・洗濯・家事・育児と言いますが、育児を卒業しましたから、残りの殆どが私の領分です。でも職を退いてから後の夫は、庭掃き、ゴミ出し、炊事の時の洗い物の手伝いなどかなり家事の手伝いをしてくれるようになって、私も助かっています。
 こんな話を聞きました。船が難破して海中に飛び込まなければならなくなった時に、
 「今、飛び込むとヒーローになるぞ」というと飛び込むのはアメリカ人
 「飛び込まねばならない」と言われると飛び込むのはドイツ人
 「飛び込むな」といわれると飛び込むのはフランス人
 「みんな飛び込むよ」といわれたら飛び込むのが日本人、勿論一種のジョークですが、言い得て妙な気もします。
 では私はこの中のどれに当たるかと考えてみると、矢張り「みんな飛び込むよ」、か「飛び込まねばならない」といわれると飛び込む類かと思います。けれども夫はどうでしょう。
ひよっとして、「飛び込むな」と言われると飛び込むような気もします。
 これは少し言い過ぎかも知れませんが、少なくとも「みんな飛び込むよ」と言われて飛び込む人ではありません。何時も冷静で、回りのことを良く観察していて、考えてからものを言います。私のように直感でものを言ってから、後で考えて後悔するタイプとは違います。
 気配りもそうです。この人にはどう対応すべきか、とっさに判断して言葉を選んでものを言います。「良く考えてから行動しなさい」と私はしょっちゅう注意されています。
 歩いていても「後ろから車がが来たよ」「危ない、止まって」とか、「前から来る人は○○さんだよ」とぼんやりの私に気配りしてくれます。歩いている時も自分の考えごとに夢中の私は、知人と擦れ違っても気が付かないこともあり、それは知人に大変失礼になりますから、助かっています。
 前に書きましたが、うつ状態で家に閉じこもりがちだった私を無理矢理ウォーキングに引っ張り出してくれて、やがて鬱は去ったのですが、以来、二人でウォーキングすることが日課になっています。仲の良い夫婦だと皆さんに言われたりしますし、確かにに価値観も良く合って、話し始めると止まらなくなるところはあります。けれども人間ですから、お互いに触れてはならないところもあっあて、そこはぼんやりの私でも決して踏み込んだりしません。
 私の母は、取り分け人の悪口を言わない人でした。子供達にも言うべきこと、言わざるべきことをわきまえていた人でした。母が亡くなった時に集まった子供達は、「そこが偉かった」と皆同じ感想でした。特に息子達の嫁の悪口は聞いたことがありません。私は母に見習いたいと思っていますが、とても叶わない気がしています。
 「言えない一言」「言ってはならない一言」をお互い胸に秘めながら、今日もこれかららウォーキングに出かけます。

  君としか通じない話胸に積み今日また一つ老いの青春
  幸せかと問はれて「はい」と答へつも「さうだよね」と念を押している
  擦れ違ふ君への思ひ微妙ゆえ時にゆだねて言ひ訳はせず
  逃げ水のやうに掴めぬじれったさ近くて遠いあなたの背中
  今日は言はん明日はと秘めて二十年言の葉一つ遂に言へざり
       (実名で某誌、紙に掲載)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花に支えられて

2009年11月11日 | 随筆・短歌
 毎年のことですが、先日近くにある花卉センターへ車を走らせて、葉ボタンの苗と、パンジーなどの鉢花の苗を沢山求めてきました。毎年冬を迎えると、寒さに弱い一年草は枯れてしまいますので、そんなプランターの花を取り払って、冬中楽しむのに寒さに強い葉ボタンやパンジー・ビオラのようなものに取り替えます。
 白と紫の葉ボタンも最近は多種多様な品種が出ていて、色を合わせて植えるととても楽しめます。冬はヒヨドリなどもいよいよ餌が無くなると、ついばみに来ますので、鳥の為にも庭の石池の周りの、そちこちの石の上に置く葉ボタンは欠かせません。
 寒さが厳しいと一層色が鮮やかになるようで、どれ程心を慰められるか解りません。この世にもし花が無かったら、人間の心はきっともっと荒んでいたことでしょう。
 私達は夫の両親と娘を亡くしていますから、お仏壇の花を欠かさないように気を配っています。以前は仏壇用のお花を買って来ていましたが、夫が「家の仏様は我が家の庭に咲いた花の方が喜ぶのではないか」と言い、以来庭に四季折々に咲いた花を供えるようになりました。
 義父はバラの花が好きで、庭に四季咲きの黄色とピンクのバラを二株植えましたが、すっかり大きく育って、毎年見事な花を咲かせてくれています。夫に開き初めた花を数本切ってやると、それを供えて毎朝水を取り替え、般若心経を唱えます。夫もバラが一番好きな花だと言います。そしてアンゲルス・シレジウスの次の詩も好きだと言います。
 
  バラは何という理由なしに咲いている
  バラはただ咲くべくして咲いている
  バラは自分自身を気にしない
  ひとが見ているかどうかも問題にしない

自分もこのように徹して生きられたら、どんなにか素晴らしい人生であったろう、自分はバラに遠く及ばないと言います。
 花たちは皆そうですが、誰に見て貰おうというわけではなく、咲きます。庭草を取っていると、草丈が五ミリ程の雑草にも、三ミリ位の小さな青い花が付いています。時折手を休めて眺めます。取ってしまうのが可哀想に思えます。もしこの花が10倍ほどの大きさだったら、きっと人は観賞用として愛でたでしょう。小さくても花の中は黄色で、それなりに美しいのです。でも放っておくと直ぐにはびこるので取らないわけにはいきません。
 狭庭には様々な木々が花をつけますが、良く見ていますと、必ずどの木も先駆けて咲く花が一輪あります。まるで「もう咲いても良いかどうか確認する役割」という感じです。そして、やがて一斉に咲き出します。
 結婚して遠くに住んでいた娘が亡くなって、暫くお葬式などで家は無人のままになっていました。打ちのめされた思いで、漸く疲れ果てて帰って来ましたら、庭に真っ赤な山茶花がたくさん咲いていました。無人の家の庭に、けなげに咲いて待っていてくれたことに涙が溢れてきました。娘を失った悲しみと重なってその愛しさに泣きました。
 花の美しさは、華麗な花は勿論ですが、利休が好んだように茶花の侘助という花、それも白いのを一輪、僅かに開き始めたものに水滴をつけて、活けるのが好きです。
 我が家の玄関を出た直ぐ左に、庭師さんが白い侘助を植えて下さって、もう20年以上経ちましたので、手頃な大きさに刈り込まれて、今盛りです。花の咲く木の中では、日本人の好むわび・さびを象徴している花のような気がします。小さめで清楚で、大きく開くわけではなく、控えめでひっそりと咲いていて、家族の帰りを待っていてくれます。
 人はそれぞれ折りに触れて、何かしらの花にまつわる、忘れられない想い出があるのだと思います。これだけたくさんの花に囲まれて生きているのですから。

  日を追ひて色深みゆく葉牡丹にしばし預けむ重き心を
  白き薔薇汝は薔薇なるにある時は亡き娘(こ)ともなり亡母(はは)ともなりて
  省みるいとまなき間に咲き初めし山茶花の紅しみじみと見る
  会合に疲れて帰りし門口に待ちゐてくれし白き侘助
  花の陰そのまた下に隠れ咲く山茶花のあり亡母に似るかも
                     (実名で某誌・紙に掲載)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孤独に強くありたい

2009年11月06日 | 随筆・短歌
 「孤独」という言葉には、二つの側面があるように思います。本来人間は、孤独なものであると考える面がその一つです。それは、良寛禅師の言うように「独りで生まれ、独りで死ぬ」ものであり、ヘルマン・ヘッセのように「人生とは孤独であることだ」という言葉にあるように哲学的な考え方からくるものです。
 もう一つは、「年を経るごとに新しい友人を得ることができないと、必ず孤独に悩まされるようになる。常に友情の手入れを怠らぬことだ。友人を冷たくあしらい、優しい言葉一つかけずに友情を死なせる者は、人生という疲れ果てた巡礼の途上におけるこの上ない慰めを、わざわざ自分の手で捨て去る愚か者である。」というサミュエル・ジョンソンの言葉のように、社会の中で生ずる、いわば生き方の面での孤独です。
 後者の考えに立って自分を見つめた時に、今の私は決して孤独だとは言えないと思っています。生涯にわたって、孤独ではないかも知れません。けれども最近、特に孤独に強くなる必要性を感じています。今は身近に家族がいて、友達もいる幸せな暮らしをしていますが、やがてどのような孤独に身を晒すことになるかも知れません。そう思うと、年ごとに孤独に強くならねばと思うのです。
 誰かが「老いたる最も確かな兆候は、孤独である」といっていますが、老いと孤独は一体となって進行していくといっても過言ではないのでしょう。
 けれども孤独に強くなることは、見方を変えると自主性を高めることでもあると考えています。
 本来人間は孤独なものである、としっかり自覚して、高い自立心を基礎として、その上で日常生活の中で、人間のつながりを大切にすることができたら、それが理想なのでしょう。
  「誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けていくときほど、強く孤独を感じる時はない」とゲーテは言っています。孤独は一人で居る時より、大勢の人間の中に居る時に最も強く感じられるという経験は、私も時として味わうところです。
 けれども孤独であるということは、一方ではまた自由と不可分の関係にある訳です。これは良く夫が私に言う言葉ですが、私が一人になった時の淋しさを口にすると、「孤独を取るか、不自由を取るか」と言います。
 最近独り暮らしのお年寄りが増えていますが、あの人達は、全て身寄りの無い人ではなく、自由を選んで独りで暮らしている場合が多いのではないか、と言うのです。孤独に強くなるということは、自由に生きる条件の一つではあります。
 しかし、社会から隔絶された孤独の中に籠もるのではなく、孤独を甘んじて受け入れながら、社会的には孤立しないように関わっていくことが大切なのだと思っています。実際その場面に直面してみると、難しいことなのかも知れませんが。  
 自分でも良く解らないで、こんな事を書いたら、笑われそうですが、ばあさまとしては、最近しばしば、その時に備えてこんなことを考えているのです。

  群衆の中の孤独よ擦れ違ふ人みな白日(はくじつ)のまぼろしのごと
  白蓮が部屋に明かりを灯すから寂しくはない独りの日暮れ
  独りでもマウスが赤く光る間は寂しくはないりんごを囓る
  立ちすくむ心をそっと押しやって一人夕餉の食材を買ふ
  秋冷えに息子の入れる茶を飲みぬ萩焼茶碗の無言のぬくもり
                   (実名で某誌・紙に掲載)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする