私にはこれと言った収集癖がある訳ではありませんが、長い年月に忘れられない想い出と共に、身の周りに増えていく品々があります。みな何かしらのご縁があって、私達の手に渡ったものです。
先ずは仏壇の中程の壇に置いてある小石3箇、これは四国遍路に出掛けた時に、高知県桂浜で拾って来た玉石です。遍路の旅は、33歳で亡くなった娘と、お世話になった夫の両親の冥福を祈る旅でしたから、それぞれに一箇ずつの三箇拾って帰ったのです。桂浜の五色の玉石は有名で、以前は桂浜に来た記念に拾って帰る人が多かったそうです。赤・緑・グレー・黒・白の五色で、四国山地を流れる仁淀川を下って、海に到達するまでに小さく丸くなった石です。 現在は、お土産店以外に、自然の玉石は川上のダムや護岸工事で姿を消し、すっかり見られなくなったということです。
私達が波打ち際で拾った時は、未だ様々な玉石が転がっていました。我が家には赤が二つとピンクの石に石英のような光る部分が何ヶ所かある石が飾ってあります。きっと磨けば、とても美しい石になるだろうと思いつつ、そのまま飾っています。桂浜と言えば、大きな龍馬像が有名ですが、広い渚に寄せる波の音が優しく、遠くに黒潮が紫色に光って見えました。渚の右手遠くに松があり、月の美しさでも桂浜は知られています。
仏壇の同じ壇に「サルの腰掛け」と言われる木質のキノコが一つ置いてあります。これは京都の神護寺へ行く途中で出遭ったものです。その日は暑い日で、高山寺でバスを降り、鳥獣戯画など拝観の後、神護寺への道を歩いていた時です。若葉の美しい清冽な谷にさしかかりました。一休みしょうと、立ち寄ったお店で、名物の美味しい水飴を飲みました。丁度若主人が、沢山のサルの腰掛けを切り離しておられました。感心して眺めていた私に「一つあげましょうか?」と仰って、喜ぶ私の手に載せて下さったものです。私の実家にもサルの腰掛けの飾り物があって、何と言う懐かしく不思議なご縁かと思いました。其処は紅葉の名所で、秋には紅葉船も浮かぶというお話もお聞きしました。神護寺への長い上り石段の途中で、赤い唐傘にテーブルを置いた鄙びた茶店が一軒ありました。私達がそこで一休みしていると、「写真を撮らせて下さい」と仰って、何かのグラビアにしたいけれどいいですか、と聞かれました。どうぞ、と応えて撮って頂いたのですが、雑誌社の名前もお聞きしなかったので、その写真がどうなったことやら解らず、今になってお聞きしておくのだったと、残念に思っています。
もう一つ、プラスチックに挟まれた瀬戸内寂聴さんの描かれた、観音像の御札が二枚飾ってあります。やはり京都の旅でのご縁です。嵯峨野の清涼寺に午前11時頃に伺うと、美しい国宝の阿弥陀如来像が拝観出来ると知って、時刻を合わせて見学した帰り道で、ある見知らぬ二人のご婦人に頂いたものです。最寄りのバス停にぼんやりバスを待っていましたら、「どちらからお越しですか」と聞かれました。県名をいいましたら、「遠くからようこそ、有り難うございます。私達は今寂庵へ行って、寂聴様のお話をお聞きし、撒いて頂いた御札を沢山拾いましたから、あなた達に少し差し上げましょう」と仰って、表に美しい観音像を描き、裏に曼荼羅山寂庵と記した二枚を下さったのです。外部から来た初対面の旅人に、「ようこそ、有り難うございます」と歓迎とお礼の言葉を掛けられて、何とお答えしたら良いのか戸惑うばかりでした。このお礼の言葉が今でも忘れられず耳に残っています。仏様のご縁としか言いようの無い出会いでした。その一言で、一気に親しい間柄になりました。寂庵には、ずっと以前、まだお庭など未完成だった頃に訪れたことがあるのですが、寂聴様には直接お会いできなかったのです。
ご縁というのは本当に不思議なもので、こうして得難い諸々の想い出を包んで、様々な物が今は我が家に辿り付いています。
経机の角に、私の二歳年下の弟が、中国に用があって出向いた記念に、名刹を訪れて求めて来た銅製の釣り鐘があります。周りにお経が彫ってあります。同じ場所に私達が飛び飛びに計三回巡った四国遍路の道連れの鈴が、金色に光っています。時折鳴らして、その音色に当時を懐かしみます。傍らに遍路でお参りしたお寺の納経帳があります。
右上の壁に、鎌倉の円覚寺管長様の横田南嶺老師から、家族が頂いた手ぬぐいを、額に納めて飾ってあります。中央に右から「慈恕」の二文字が書いてあります。続いて少し小さく「いつくしみと おもいやり」と二行に縦に書かれています。お名前の所には、「円覚 南嶺」とこれも二行に書いて、落款が押してあります。
右側の下方に、横向きの羊が一頭描かれてありますが、とても優しい表情で、目が細く微笑んでいます。
奇しきご縁で、この家宝を頂いた訳ですが、仏様にお参りの後は、必ずこの扁額にも手を合わせます。
他にも探して見れば、様々な人から頂いた記念品の壺や、掛け軸、置物、など様々あります。家の新築祝いのお返し、退官・退職記念、家に古くから伝わる埋もれ木の仏様(丈20センチほどの自然の流木の形が、お衣から両手を出してお顔の下に手を合わせて祈っておられる法衣のお姿にそっくなので、磨いて台を付けて飾っている)等々、どれも皆それぞれの思い出が込められていて、感慨深いものがあります。それだけ長く生きて来た証しとも言えます。
こうして身の周りに、忘れ難い愛するべき物がふえてゆき、日常の心の支えになってくれています。折角ご縁があって、私達の手に渡った物ですから、想い出と共に大切に大切にして行きたいものだと思っています。
仏舎利を拾うがごとく玉石を桂浜に拾う遍路となりて(某誌に掲載)
南無大師お遍路みちに鈴が鳴る野火焚く見ゆる菜の花の道(再掲)
先ずは仏壇の中程の壇に置いてある小石3箇、これは四国遍路に出掛けた時に、高知県桂浜で拾って来た玉石です。遍路の旅は、33歳で亡くなった娘と、お世話になった夫の両親の冥福を祈る旅でしたから、それぞれに一箇ずつの三箇拾って帰ったのです。桂浜の五色の玉石は有名で、以前は桂浜に来た記念に拾って帰る人が多かったそうです。赤・緑・グレー・黒・白の五色で、四国山地を流れる仁淀川を下って、海に到達するまでに小さく丸くなった石です。 現在は、お土産店以外に、自然の玉石は川上のダムや護岸工事で姿を消し、すっかり見られなくなったということです。
私達が波打ち際で拾った時は、未だ様々な玉石が転がっていました。我が家には赤が二つとピンクの石に石英のような光る部分が何ヶ所かある石が飾ってあります。きっと磨けば、とても美しい石になるだろうと思いつつ、そのまま飾っています。桂浜と言えば、大きな龍馬像が有名ですが、広い渚に寄せる波の音が優しく、遠くに黒潮が紫色に光って見えました。渚の右手遠くに松があり、月の美しさでも桂浜は知られています。
仏壇の同じ壇に「サルの腰掛け」と言われる木質のキノコが一つ置いてあります。これは京都の神護寺へ行く途中で出遭ったものです。その日は暑い日で、高山寺でバスを降り、鳥獣戯画など拝観の後、神護寺への道を歩いていた時です。若葉の美しい清冽な谷にさしかかりました。一休みしょうと、立ち寄ったお店で、名物の美味しい水飴を飲みました。丁度若主人が、沢山のサルの腰掛けを切り離しておられました。感心して眺めていた私に「一つあげましょうか?」と仰って、喜ぶ私の手に載せて下さったものです。私の実家にもサルの腰掛けの飾り物があって、何と言う懐かしく不思議なご縁かと思いました。其処は紅葉の名所で、秋には紅葉船も浮かぶというお話もお聞きしました。神護寺への長い上り石段の途中で、赤い唐傘にテーブルを置いた鄙びた茶店が一軒ありました。私達がそこで一休みしていると、「写真を撮らせて下さい」と仰って、何かのグラビアにしたいけれどいいですか、と聞かれました。どうぞ、と応えて撮って頂いたのですが、雑誌社の名前もお聞きしなかったので、その写真がどうなったことやら解らず、今になってお聞きしておくのだったと、残念に思っています。
もう一つ、プラスチックに挟まれた瀬戸内寂聴さんの描かれた、観音像の御札が二枚飾ってあります。やはり京都の旅でのご縁です。嵯峨野の清涼寺に午前11時頃に伺うと、美しい国宝の阿弥陀如来像が拝観出来ると知って、時刻を合わせて見学した帰り道で、ある見知らぬ二人のご婦人に頂いたものです。最寄りのバス停にぼんやりバスを待っていましたら、「どちらからお越しですか」と聞かれました。県名をいいましたら、「遠くからようこそ、有り難うございます。私達は今寂庵へ行って、寂聴様のお話をお聞きし、撒いて頂いた御札を沢山拾いましたから、あなた達に少し差し上げましょう」と仰って、表に美しい観音像を描き、裏に曼荼羅山寂庵と記した二枚を下さったのです。外部から来た初対面の旅人に、「ようこそ、有り難うございます」と歓迎とお礼の言葉を掛けられて、何とお答えしたら良いのか戸惑うばかりでした。このお礼の言葉が今でも忘れられず耳に残っています。仏様のご縁としか言いようの無い出会いでした。その一言で、一気に親しい間柄になりました。寂庵には、ずっと以前、まだお庭など未完成だった頃に訪れたことがあるのですが、寂聴様には直接お会いできなかったのです。
ご縁というのは本当に不思議なもので、こうして得難い諸々の想い出を包んで、様々な物が今は我が家に辿り付いています。
経机の角に、私の二歳年下の弟が、中国に用があって出向いた記念に、名刹を訪れて求めて来た銅製の釣り鐘があります。周りにお経が彫ってあります。同じ場所に私達が飛び飛びに計三回巡った四国遍路の道連れの鈴が、金色に光っています。時折鳴らして、その音色に当時を懐かしみます。傍らに遍路でお参りしたお寺の納経帳があります。
右上の壁に、鎌倉の円覚寺管長様の横田南嶺老師から、家族が頂いた手ぬぐいを、額に納めて飾ってあります。中央に右から「慈恕」の二文字が書いてあります。続いて少し小さく「いつくしみと おもいやり」と二行に縦に書かれています。お名前の所には、「円覚 南嶺」とこれも二行に書いて、落款が押してあります。
右側の下方に、横向きの羊が一頭描かれてありますが、とても優しい表情で、目が細く微笑んでいます。
奇しきご縁で、この家宝を頂いた訳ですが、仏様にお参りの後は、必ずこの扁額にも手を合わせます。
他にも探して見れば、様々な人から頂いた記念品の壺や、掛け軸、置物、など様々あります。家の新築祝いのお返し、退官・退職記念、家に古くから伝わる埋もれ木の仏様(丈20センチほどの自然の流木の形が、お衣から両手を出してお顔の下に手を合わせて祈っておられる法衣のお姿にそっくなので、磨いて台を付けて飾っている)等々、どれも皆それぞれの思い出が込められていて、感慨深いものがあります。それだけ長く生きて来た証しとも言えます。
こうして身の周りに、忘れ難い愛するべき物がふえてゆき、日常の心の支えになってくれています。折角ご縁があって、私達の手に渡った物ですから、想い出と共に大切に大切にして行きたいものだと思っています。
仏舎利を拾うがごとく玉石を桂浜に拾う遍路となりて(某誌に掲載)
南無大師お遍路みちに鈴が鳴る野火焚く見ゆる菜の花の道(再掲)