ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

縁あって愛しきもの

2015年05月19日 | 随筆・短歌
 私にはこれと言った収集癖がある訳ではありませんが、長い年月に忘れられない想い出と共に、身の周りに増えていく品々があります。みな何かしらのご縁があって、私達の手に渡ったものです。
 先ずは仏壇の中程の壇に置いてある小石3箇、これは四国遍路に出掛けた時に、高知県桂浜で拾って来た玉石です。遍路の旅は、33歳で亡くなった娘と、お世話になった夫の両親の冥福を祈る旅でしたから、それぞれに一箇ずつの三箇拾って帰ったのです。桂浜の五色の玉石は有名で、以前は桂浜に来た記念に拾って帰る人が多かったそうです。赤・緑・グレー・黒・白の五色で、四国山地を流れる仁淀川を下って、海に到達するまでに小さく丸くなった石です。 現在は、お土産店以外に、自然の玉石は川上のダムや護岸工事で姿を消し、すっかり見られなくなったということです。
 私達が波打ち際で拾った時は、未だ様々な玉石が転がっていました。我が家には赤が二つとピンクの石に石英のような光る部分が何ヶ所かある石が飾ってあります。きっと磨けば、とても美しい石になるだろうと思いつつ、そのまま飾っています。桂浜と言えば、大きな龍馬像が有名ですが、広い渚に寄せる波の音が優しく、遠くに黒潮が紫色に光って見えました。渚の右手遠くに松があり、月の美しさでも桂浜は知られています。
 仏壇の同じ壇に「サルの腰掛け」と言われる木質のキノコが一つ置いてあります。これは京都の神護寺へ行く途中で出遭ったものです。その日は暑い日で、高山寺でバスを降り、鳥獣戯画など拝観の後、神護寺への道を歩いていた時です。若葉の美しい清冽な谷にさしかかりました。一休みしょうと、立ち寄ったお店で、名物の美味しい水飴を飲みました。丁度若主人が、沢山のサルの腰掛けを切り離しておられました。感心して眺めていた私に「一つあげましょうか?」と仰って、喜ぶ私の手に載せて下さったものです。私の実家にもサルの腰掛けの飾り物があって、何と言う懐かしく不思議なご縁かと思いました。其処は紅葉の名所で、秋には紅葉船も浮かぶというお話もお聞きしました。神護寺への長い上り石段の途中で、赤い唐傘にテーブルを置いた鄙びた茶店が一軒ありました。私達がそこで一休みしていると、「写真を撮らせて下さい」と仰って、何かのグラビアにしたいけれどいいですか、と聞かれました。どうぞ、と応えて撮って頂いたのですが、雑誌社の名前もお聞きしなかったので、その写真がどうなったことやら解らず、今になってお聞きしておくのだったと、残念に思っています。
 もう一つ、プラスチックに挟まれた瀬戸内寂聴さんの描かれた、観音像の御札が二枚飾ってあります。やはり京都の旅でのご縁です。嵯峨野の清涼寺に午前11時頃に伺うと、美しい国宝の阿弥陀如来像が拝観出来ると知って、時刻を合わせて見学した帰り道で、ある見知らぬ二人のご婦人に頂いたものです。最寄りのバス停にぼんやりバスを待っていましたら、「どちらからお越しですか」と聞かれました。県名をいいましたら、「遠くからようこそ、有り難うございます。私達は今寂庵へ行って、寂聴様のお話をお聞きし、撒いて頂いた御札を沢山拾いましたから、あなた達に少し差し上げましょう」と仰って、表に美しい観音像を描き、裏に曼荼羅山寂庵と記した二枚を下さったのです。外部から来た初対面の旅人に、「ようこそ、有り難うございます」と歓迎とお礼の言葉を掛けられて、何とお答えしたら良いのか戸惑うばかりでした。このお礼の言葉が今でも忘れられず耳に残っています。仏様のご縁としか言いようの無い出会いでした。その一言で、一気に親しい間柄になりました。寂庵には、ずっと以前、まだお庭など未完成だった頃に訪れたことがあるのですが、寂聴様には直接お会いできなかったのです。
 ご縁というのは本当に不思議なもので、こうして得難い諸々の想い出を包んで、様々な物が今は我が家に辿り付いています。
 経机の角に、私の二歳年下の弟が、中国に用があって出向いた記念に、名刹を訪れて求めて来た銅製の釣り鐘があります。周りにお経が彫ってあります。同じ場所に私達が飛び飛びに計三回巡った四国遍路の道連れの鈴が、金色に光っています。時折鳴らして、その音色に当時を懐かしみます。傍らに遍路でお参りしたお寺の納経帳があります。
 右上の壁に、鎌倉の円覚寺管長様の横田南嶺老師から、家族が頂いた手ぬぐいを、額に納めて飾ってあります。中央に右から「慈恕」の二文字が書いてあります。続いて少し小さく「いつくしみと おもいやり」と二行に縦に書かれています。お名前の所には、「円覚 南嶺」とこれも二行に書いて、落款が押してあります。
 右側の下方に、横向きの羊が一頭描かれてありますが、とても優しい表情で、目が細く微笑んでいます。
 奇しきご縁で、この家宝を頂いた訳ですが、仏様にお参りの後は、必ずこの扁額にも手を合わせます。
 他にも探して見れば、様々な人から頂いた記念品の壺や、掛け軸、置物、など様々あります。家の新築祝いのお返し、退官・退職記念、家に古くから伝わる埋もれ木の仏様(丈20センチほどの自然の流木の形が、お衣から両手を出してお顔の下に手を合わせて祈っておられる法衣のお姿にそっくなので、磨いて台を付けて飾っている)等々、どれも皆それぞれの思い出が込められていて、感慨深いものがあります。それだけ長く生きて来た証しとも言えます。
 こうして身の周りに、忘れ難い愛するべき物がふえてゆき、日常の心の支えになってくれています。折角ご縁があって、私達の手に渡った物ですから、想い出と共に大切に大切にして行きたいものだと思っています。

仏舎利を拾うがごとく玉石を桂浜に拾う遍路となりて(某誌に掲載)

南無大師お遍路みちに鈴が鳴る野火焚く見ゆる菜の花の道(再掲)


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不思議なこの世の仕組み

2015年05月08日 | 随筆・短歌
 私は下手の横好きであり、その上好奇心が旺盛な方ですから、何かと興味を感じると直ぐにネットで検索したり、知らない国の名前を聞いたりすると、本棚の世界地図を引っ張り出して探したりします。本はボロボロパソコンは酷使されて、ヨロヨロです。
 言葉も漢字もろくに知りませんので、手元に様々な辞書が入った電子辞書を離さず、何かにつけて引きます。短歌を詠んで投稿するせいもあり、辞書を引かない日は無いと言って良いくらいです。
 「パソコンの辞書を引けば」と言われることもありますが、パソコンは依存症にならないように、常時立てていませんので、いざという時に時間がかかり、ついつい辞書の方に手が伸びます。
 愚かな私ですが、毎日の様に外を眺めたり、人の話を聞いたりして「どうしてこの世の中は、このように上手く出来ているのか」と不思議に、又懐疑的に思うことが多いのです。考えれば考える程、神のご意志としか言えないような、不思議な組み合わせになっていると思っています。
 神仏の存在については、否定的な方も多いと思いますが、この大自然の仕組みを考えて行く上で、突きつめていくに従い、神の存在なしには考えられないと、ノーベル賞を受賞した科学者が言っていました。自然界のことは、科学で全て説明出来る、と思うのは間違いで、科学は、自然現象の約10%しか解明していないのだそうです。
 身の周りを考えただけで、偶然とか、奇蹟的な事が多すぎます。卑近な例で恐縮ですが、何故、私は夫とめぐりあえたのか、ということは、どう考えても科学的には説明出来ません。夫は、10回の転居でしたし、私も、父の勤や私自身の都合で、少なくとも15回の転居がありました。
 また、100キロ以上離れて住んでいた私達を結びつけてくださったのは、あるご婦人でしたが、その方と私達は、直接面識があった訳ではなく、双方の両親と家庭環境を、仕事の関係である程度知っておられた人だったと言うくらいの方です。
 はじめから電流が流れたように決まった訳でもなく、さりとて障害が大きかった訳でもなく、何となく回りも巻き込んで、そのように成っていったとしか言えないのです。偶然にしては、不思議な力が働いたようにも思えます。価値観が何となく似通っていることを双方が察知したとでも言いますか、不思議な縁で出会って、一組の夫婦として、この世に存在して来た訳です。
 これを花と蝶に喩えたなら、一組の蝶のつがいが(これもどうして出会って番になったのかは解りませんが)子孫を残し、その蝶によって、受粉して子孫を残す花たちを考えると、たまたまその蝶の目に止まるように、花は自らを咲かせていたことになります。見付けてもらえるかどうかは、何に依るのでしょう。
 想像しただけでも其処には、壮大な世界があり、一方で緻密な計画が出来上がっていて、計り知れない何ものかの意志が働いているように思えてしまいます。
 我が身に戻りますが、私はどれ程多くの人々や生き物や、天候とか、自然とか、あらゆるもののお世話になって生きていることになり、それら全てがどの様に運ばれているかも知らずに、日々をのんきに暮らしています。私を取り囲む不可思議な神の配慮を、いちいち気にしていたら、思考力も判断力も麻痺し、停止してしまうでしょう。
 今日は5月のとても良いお天気です。この上なく幸せな一日でもありました。まるで夢見心地ともいえそうな、幸福感に包まれて、これを書いています。
 このような私にとって至福の時間も、世間では、せっせと働いている人が沢山居て、時刻通りに新幹線が動き、図書館は何時でもどうぞと門戸を開いて待っていてくれます。本当に贅沢な生活です。人間は、何処まで利便性を求め続けて行くのでしょう。もうこの辺で速さを競い、財力を競う生き方を一休みして、私達は何故生まれて来たのか、幸せとはどういうことか、人間本来のあり方について考えてみるのも、無駄ではないと思うのですが、如何でしょうか。五月の心地良い風に髪を撫でてもらいながらの一文です。

自らが選びし人生(ひとよ)と思ひしに運命といふ汽車の旅人(実名で某誌に掲載) 

 

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