私は大学入試に失敗した経験があります。私の得意とする科目は数学で、私は進学に当たって、理学部数学科を受験したいと思いました。ところが、古い考えのの持ち主だった父は、絶対反対でした。「女が数学なんて勉強してどうするか」というのです。私の一歳年上の姉は、とても器用な人で、和裁や日本刺繍、お箏など師範級で、実際にお箏は今も教室を持って教えていますし、師範の免状を持っています。比べて私は何事も中途半端で、お花もお琴もお茶もみな初伝程度で終わってしまい、今でも何も出来ません。
そんな姉は言われるまでもなく、家政科を選びました。私は家庭科と体育が苦手だったので、進路選択で父とぶつかって、三日間口を利きませんでした。でも三日で私は降参して、東京のさる国立大学の家政科を受験したのです。ところがあれほど得意であったはずの数学でつまづいて、たった二問しか出なかった問題が、ごく一部しか解けず、見事に落ちてしまいました。
合格発表を見る迄もなく、私は落ちたことを確信していましたが、その頃東京の大学に通っていた兄が、もし落ちたら、「○○へ行け」と私立の大学の名前を入れて、電報をよこすことになっていました。二期の国立大学にも願書は出してありましたが、不本意な国文科でしたので、行く気がしなくて受験もせず、結局私立にしたのです。
生意気だった私はすっかり鼻をくじかれてしまい、否応なくこれが私の実力だと現実に目覚めてからは、妙に謙虚になって、以来余り出しゃばらなくなったような気がします。 要するに身の丈に合った生き方を選ぶようになった積もりです。(これは本人ではなく第三者が判断することでしたね)そして以前書いたように、父に背中を押されて職業を選び、今の夫と結婚して現在に至って居るわけです。もし、あの時受験に成功していたら、私は今の幸せを知らずに過ごしていただろうと思います。夫との出会い、子供に恵まれたこと、そしてささやかではありますが毎日の中に幸せを見出すことの喜び等々、言いようのない幸せを手にしました。
人生は一度きりですから、もしあの時、ということは通用しません。今現在の一筋の道を、自分に与えられた道だと考えるしかありません。そう思えなかったら、幸せにはなれないと思っています。自分にどのような才能があるかも解らないことが多く、得意ではなかった国語でしたが、こうして随筆を書いたり、短歌を作ったりして、老後の楽しみを紡いでいます。体育が苦手だったのに、変形性膝関節症といわれてから、せっせとフィットネスクラブに通ってリハビリの筋トレに励み、痛みは改善されるし、運動がまたとても楽しくて、以前の私には考えられない事ばかりです。全ての失敗はその後の人生に何らかの役に立って生きて来ます。そう思うと多くの失敗はそれなりに幸せに結びついて行くのですから、あまり失敗を恐れたり失望せずに、楽に生きられる気がするのです。
私の尊敬する歌人の斎藤茂吉の短歌に次のような一首があります。読む度に感動します。
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり 斎藤茂吉
あの入試得意でありし数学を解けざりて在る今の幸せ あずさ(某誌に掲載)
そんな姉は言われるまでもなく、家政科を選びました。私は家庭科と体育が苦手だったので、進路選択で父とぶつかって、三日間口を利きませんでした。でも三日で私は降参して、東京のさる国立大学の家政科を受験したのです。ところがあれほど得意であったはずの数学でつまづいて、たった二問しか出なかった問題が、ごく一部しか解けず、見事に落ちてしまいました。
合格発表を見る迄もなく、私は落ちたことを確信していましたが、その頃東京の大学に通っていた兄が、もし落ちたら、「○○へ行け」と私立の大学の名前を入れて、電報をよこすことになっていました。二期の国立大学にも願書は出してありましたが、不本意な国文科でしたので、行く気がしなくて受験もせず、結局私立にしたのです。
生意気だった私はすっかり鼻をくじかれてしまい、否応なくこれが私の実力だと現実に目覚めてからは、妙に謙虚になって、以来余り出しゃばらなくなったような気がします。 要するに身の丈に合った生き方を選ぶようになった積もりです。(これは本人ではなく第三者が判断することでしたね)そして以前書いたように、父に背中を押されて職業を選び、今の夫と結婚して現在に至って居るわけです。もし、あの時受験に成功していたら、私は今の幸せを知らずに過ごしていただろうと思います。夫との出会い、子供に恵まれたこと、そしてささやかではありますが毎日の中に幸せを見出すことの喜び等々、言いようのない幸せを手にしました。
人生は一度きりですから、もしあの時、ということは通用しません。今現在の一筋の道を、自分に与えられた道だと考えるしかありません。そう思えなかったら、幸せにはなれないと思っています。自分にどのような才能があるかも解らないことが多く、得意ではなかった国語でしたが、こうして随筆を書いたり、短歌を作ったりして、老後の楽しみを紡いでいます。体育が苦手だったのに、変形性膝関節症といわれてから、せっせとフィットネスクラブに通ってリハビリの筋トレに励み、痛みは改善されるし、運動がまたとても楽しくて、以前の私には考えられない事ばかりです。全ての失敗はその後の人生に何らかの役に立って生きて来ます。そう思うと多くの失敗はそれなりに幸せに結びついて行くのですから、あまり失敗を恐れたり失望せずに、楽に生きられる気がするのです。
私の尊敬する歌人の斎藤茂吉の短歌に次のような一首があります。読む度に感動します。
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり 斎藤茂吉
あの入試得意でありし数学を解けざりて在る今の幸せ あずさ(某誌に掲載)